頑張れ伊達虎

何より誰より驚いたのは伊達である。
しかし誰より平静を装うのも伊達である。
常に平静であれ、自分に言い聞かせながら伊達は不言を決め込み、まるで無関心を装った。
そういう伊達をなんだかいとおしいものだと桃はそう思う。
「そういうお前がなんだかいとおしいよ」
そうあけすけに言い出す桃を伊達はその肉の薄い頬にひきつりを起こして睨みつけ、
「そういうことを言うてめえが俺は苦手だ」
言い返してチャッと背を向けるのだ。
「俺はお前が好きだ」
「うるせえ」
言葉で桃に勝てるわけもないのだ。自分のように何か隠したかったり、守りたかったりするのに対して桃の言い様ときたらまるで容赦がない。
伊達の手には友人達からワヤワヤと押し付けられた物品を詰め込んだバスケット。赤頭巾ちゃんがおばあさまの家へと持っていくのに使うようなメルヘンなもの である。伊達の長い指が取っ手を掴むとそのバスケットは小さく可憐なものに見えた、しかし中身はずっしりとしている。
「虎丸によろしく言ってくれ」
「ああ」
別れもそこそこに歩き出した伊達は風に首筋をすうすう撫でられて寒さを覚える。マフラーをしていない、出掛けに手袋をはめるのも忘れた。それで身体がどう こうなる軟弱な男ではなかったが、それらを忘れるほど自分が乱れていた事が伊達には許しがたい。犬が逃げ出しそうな舌打ちを盛大に鳴らして、
カッカと足を速めた。二月も近いということもあってアスファルトがびりびりと凍て付いている。その上を行く。
伊達の靴はつま先が細く、黒い革靴である。革靴の足音が伊達は好きであった。
雪が降らぬようであれば伊達はこの革靴を好んで履く。目指すアパートはもうすぐそこだった。
木蓮の木が寒々しく頼りない枝を風に揺らしていた。春になれば白くてベラベラと馬鹿みたいにでかい花が伊達を迎えるのだ。
郵便受けを睨めば、家人の名前のプレートが嵌ってある錆びたポストにはチラシが大量にはみ出しているのが見える。どうやら本当に外に出られぬほど悪いらし いというのがわかって、ちりちりと種が燻ぶるのを伊達は感じた。種は息吹く種ではなく火種である。不穏でもあるし、ぬくもりを生むものでもあった。
錆びた階段を上ってすぐの部屋だ。伊達は手すりを握るなり手にべっとりと赤錆をつけてしまい不機嫌になった。




虎丸が倒れた。
そう電話づてに聞いて伊達は最初、馬鹿めと独り笑いを浮かべるほどの余裕があった。
だがすぐに、
『どうも栄養失調らしいぜ――』
そう聞いて笑みも霧と去る。
虎丸という男を少しでも知っている人間であれば、それがどんなにか異常なことであるというのがわかるだろう。およそ空腹には縁があっても拒食軟弱に縁のあ る男ではない。伊達ももちろんなんだと、と聞き返す。
電話口の相手も口ごもる、相手は富樫である。富樫は虎丸の友好関係の輪の中では中心に近しいところにいる、その富樫が言うのであればよもやガセでもあるま い。伊達の語調は知らず強いものとなった。
『虎丸の入った会社、金融だって言うだろ。それがこないだの竹富士だってか、あの取立て問題のアオリくらっててんやわんやらしくてな』
「それで飲まず食わずで働いただと?そんな忠義心があいつにあるってのか」
『どうもな、その竹富士に取立て受けて訴え起こしたのが虎丸の会社でも借りてたらしいんだ』
「多重債務か、くだらん」
伊達は舌の刀でもって忌々しげに斬り捨てた。ニートにホームレスに、それから借金。そのあたりは伊達から遠く離れていすぎて理解ができぬ。理解をしたいと も思わぬ。蔑みを通り越して無関心にたどり着くにはまだしばし時間がかかろうというものである。
『虎丸も担当者だってんで取調べから何からで、すっかり参っちまったんだと』
「参った?」
『その債務者、これが女らしいんだが、虎丸にもきつい取立て受けたって警察に証言しだしたらしい』
「何?」
それが出来る男でないのは、男塾塾生ならば誰もが知っている。伊達など、あんなに甘っちょろい男が金融などと欲望渦巻く世界にどうして飛び込んだのか不思 議でならなかったくらいだ。そういうものは、自分のように割り切れる人間の世界じゃねえのかと伊達は思う。
『取調べのせいで業務は滞るし、どっかに虎丸の名前も出るしで他の顧客からの信頼は無くなるしで大変だそうだぜ』
「てめえが聞いたのか」
『虎の野郎は俺にゃあそういう事ァ言わねえんだ、だから調べたんだよ』
富樫も社会人となって少しはそのあたり、気をまわすということを覚えたらしい。伊達とて非社会人ではあるが、既にそのあたりは大人でもある。不遜を装いつ つも誰より気遣いのできる男だと桃は伊達をそう評した。伊達にとっては不愉快な評ではある。

ともあれそれで体調をすっかり崩した虎丸は寝込んでいると富樫はいうのだ。
見舞いに行ってやれとは伊達の性格、キャラクター的には言いづらい。伊達はどう言うべきかしばし悩んだ。
『そうだ伊達、頼むからちっと見舞ってやってくれや』
言おうとしたことを先に言われてしまうと、取り繕っていた皮もなにもかも引ん剥かれて素に戻ってしまうのだと伊達は初めて知ることになる。
その後続々と虎丸への土産の品を手にした元同級生達が伊達を尋ねてくるので、たまりかねて伊達は、
「てめえらわざわざ俺の所にこないで、直接行け!!」
と何度か怒鳴った。伊達の怒りは恐ろしいが、誰も彼もなれてしまっている。まあまあととりなし顔で見舞いの品を置いてそそくさと去っていく。
伊達の住まい兼事務所はさながら山神さまの祠である。
「怒ったお前はなんだか張り詰めていて可愛げがあるな」
「帰れ!」
臆面なく伊達にそういう桃を、伊達は額に青筋立てて怒鳴りつけて追い返した。




三度呼び鈴を鳴らして、返事が無かった。スッと何かが冷えていくのを伊達は感じた。肝が冷えたのかもしれなかった。
伊達はドアノブを壊す気構えでもって引くと、やすやすと開く。靴を脱ぐのももどかしく踏み込んでいく。虎丸、と叫ぼうとして、
「おう、伊達ェ」
頬をすっかりやつれさせた虎丸が蚊の鳴くような声で、布団に上半身を起こして迎えたので、もう何もいえなくなってしまった。
「…居るんなら、出やがれ」
何かいえるようになったと思えばこれである。伊達から見ればガラクタだらけの六畳間の真ん中に敷かれた薄くてなにやら獣じみた匂いのする布団に虎丸は居 た。
「壊れてんじゃ、あの呼び鈴」
答えを知ってしまえばあの焦燥がなんと気恥ずかしく感じられることか。伊達の鋭い目が、誰かが猛禽の目だというその目が虎丸を捉えた。
虎丸の愛嬌の源と言ってもいいあのふくふくと血色のいい頬がすっかり削げている。きょときょとと良く動く目が落ち窪んで、口の周りに萌えた無精ひげも汚ら しい。充血した目が伊達へと笑いかけるとようやく虎丸の色が浮かぶ。
「元気にしとったかよ」
「その面で何を言ってやがる」
伊達が本来言うべき台詞を虎丸がいかにも自然に言っていくので伊達はますます言うことがなくなっていく。対応はどんどんきついものになっていくのを止めら れぬ。
どすんと見舞いバスケットを虎丸の布団の前へと置いて、胡坐をかいた。
部屋中がこごって澱んでいる、異臭もする。伊達は座ったまま手を伸ばして窓を細く開けて空気を入れる。
「聞いたんか」
「まあな」
短い応酬。虎丸もそれ以上何も聞かなかったし、伊達も何も言わなかった。それだけで終わりとなった。
ただ一言、虎丸が何気ないように言った言葉が浮く。
「ま、大丈夫じゃろ」
大丈夫がいかにも大丈夫である。
虎丸が大丈夫だと言うなら、過程はどうあれ大丈夫なのだ。虎なら、大丈夫だと富樫は言う。伊達はそれを信じてみてもいいと思った。
「さってと、で、伊達よう何持ってきてくれたんじゃ」
手のひらをパンと打ち鳴らす、猫だましに思わず伊達がびくりと肩を揺らした。あわせた手のひらを擦り合わせながら、ヨダレをたらしそうな顔でイッシシと笑 う。病み衰えた顔でのそういったおどけた仕草が浮ついて伊達を不快にさせる。せわしなく指先でもってバスケットを開く。

ほたての貝柱の干したつまみ。
酒。
卵。
スルメ。
(他、缶詰が大量に)


「なんじゃい、今すぐ食えるモン入ってねえじゃねえか」
「…桃の野郎…」
もっと見舞いの品はあったのだ。だというのに俺に任せろと好き勝手に選び取ってバスケットへ詰め込んでさあ行けと伊達の背中を押したのだ。
あの時よくよく思えば桃も、
「頑張れ」
などと理解しがたいことを言っていた。まんまとしてやられたと言うべきか―。

「腹ァ、減ったのう…」



伊達は仕方なく立ち上がり、使われた形跡の無いガスコンロの前へと立った。
「すまないねえ、わしがこんな身体なばっかりに…」
伊達の背後で時代劇がかった口調で、虎丸がケンケンとセキをする。
おとっつぁん、それは言わない約束だぜ。そう乗ってやるのも腹立たしい。伊達はフンと大きく鼻を鳴らして手を洗った。律儀に石鹸泡立てるのが伊達臣人とい う男である。

干からびていたワカメと缶詰のツナ、それからホタテ貝柱をほぐしたのを鍋へと乱暴にぶちこむ。酒を少し、水を入れてぐらぐら煮立たせる。醤油とそれから冷 蔵庫の片隅にあった袋ラーメンのハグレらしきスープを入れ、カチカチになっていた飯を同時に放り込んで蓋。

「かいがいしいのう」
「うるせえ」


卵わりほぐしてちりめんに、飯がグタグタやわらかくなったら七味ふって煮えた鍋ごとだしてやった。虎丸はそれをうめえうめえと顔を飯粒だらけにしながら 食った。むさぼるようにして食った。汁一滴も残さずに全てを腹に収める間に、伊達はすることがないのでそれを見ている。
虎丸が鍋を下ろすのを受け取り、流しに放り込む。片付けをやってやるほどお人よしではない。鍋はあっという間に食べたせいで中身はなくとも湯気を立ててい る。
満足げな叫びを上げて、虎丸は伸び上がった。
「あーっ、うまかった!」
「てめえの口じゃあなんだってうまいだろうよ」
「本当にうまかったんだって、わしゃあ生き返ったぜ」

よく見てみれば、蒸気に蒸されてか頬のあたりに赤い血の気が浮かんできている。汗が額へ浮かんでいる。
伊達は自分の役目が終わったことを悟った。膝をついて、立ち上がる。

「オットコ前じゃのう、おまえは」
「…フン」
「今のおめえにならケツ差し出したって文句ねえや」


「てめえの汗だらけのケツなんかいるか、馬鹿野郎」


じゃあなとさっさと玄関へ行きかける伊達へ、虎丸はも一度礼を言った。
「ありがとうの、伊達ェ。それっから富樫や桃にもよろしくな」
見抜いてやがる。伊達は苦笑を押し殺しながら無言で頷いて、バスケットを残していとまを告げた。








「次はケツもチンコも全身ピッカピッカで待っとるからの♪」









無論冗談である。
だというのにドアの閉まり際、何の言葉が出なかった伊達は、後々まで自分を責め続けることになった。時折自分の軽率さに頭を抱えてうめくことにもなる。
長年にわたるその苦しみが果てる日がくるのか。それは誰も知らぬ。
ともあれその次の日から社会復帰を果たして再び、何事もなかったかのように虎丸はまさに獅子奮迅の働きでバリバリやっている。
モクジ
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