捨てられ冷蔵庫

職場の人間関係が辞職理由のトップに挙がる昨今。私は少 し気が重い日日を送っている。
「あの、……影慶上官なんですが…」
「あ?解毒剤は今無ェから死にたくねぇなら吸い出してやるよ」
人に対する評価じゃない。
「いえ違います。なんというか…私に対してやけにその、風当たりというか…」
「そりゃテメェが悪い」
!?
「エッ、な、どうしてですか」
「テメェが女だからだよ。邪鬼様に近づく女は誰であれ嫌いなんだろうな」
「ハ、それって…」
「テメェが美人だったら、今頃謎の奇病で死んでるぜ」
………何か引っかかります。
「………それってどういう意味ですか」
「どうもこうも無ぇよ、それより、捨てる神ありゃ拾う神あ……おい、どこ行くんだよベルリン」
「コーヒー買ってきます」











古来より猫と女は恨んで化けるという。
怒らせてはいけない、そういうことなんだろう。
私は冷房の効いた室内で薄らぼんやりとその騒乱に耳を傾けていた。メガネに付着した指紋が視界をぼかす。
「で、卍ちゃんどこよッ!!」
…訂正。私もその騒乱に巻き込まれていた。



「すみません、一列に並んでください。私が尋ねたらしゃべる、いいですね」
総勢二十名ほどは居るだろう、国籍も髪の毛の色も様様な女性たち――共通項は美女、彼女らが不満げながらもそれぞれに頷く。
「――ええと、まずはそちらの金髪さん。お名前は」
「アンナよ。通り名だけど」
ムッスリ腕組みをしながらだけど意外と流暢な日本語がかえってくる。周りの美女達の様子を見るに、どうやら彼女が頭目らしい。私は重ねて問うた。
「うちの上官――卍丸へのご用ですね?」
「そうよ、さっさと出してちょうだい」
「大変申し訳ありませんが、ただいま外出中でして…もしお待ちになるのでしたら、応接室を手配いたします」
激しいブーイング。今だかつてこれだけのブーイングに晒された事があっただろうか、
「freezer!」
鋭い声が私にぶつかる。ふりーざ、まさかドラゴンボールじゃないだろう。冷たくて馬鹿でかい、そういう事だろうか。
「お静かに!」
受付前でサックリさばくべきだった、受付嬢が押し切られる格好でこの執務室へなだれこんできた時既に負けは決定していたということになる。
「とっととマンちゃん出しなさいよ!」「隠してんじゃねぇぞ!オラァ!」「アンタも女の一人なんでしょ!」「暴れちゃうから!」
まこと女性の悲鳴は混ざり合うと大変な事に…何か聞き捨てなら無い事が聞こえた。
「お静かにッ!!」
私は傘立てから傘を引き抜くと、傍らにあったゴミ箱へ目掛けて上から振り下ろす。十キロもある傘だステンレスのゴミ箱はひとたまりもない、前衛芸術オブ ジェのようになったゴミ箱に一同が静まり返った。よし、これで落ち着い――
「暴力が恐くて、不法就労ができっかよ!!」「ぶぁっ」
美女は強い。
たちまち両脇からガッチリ拘束されて、庁舎の廊下を引っ立てられてしまう私だった。奥へ奥へと。
「ちょっ、何遠巻きに見てんですか!国防魂どうしたんですか!……写メらないでくださ――い!!!」



「……つまり、卍丸をめぐって女たちが争っているという事だな」
そう真面目に言われてしまうと私も困ってしまいます。大豪院邪鬼長官の部屋をアンナさん率いる美女軍団がドコ?ドコ?で探し当て、まさに虎穴へ私を放り込 んだのだった。
「そうです。彼女たちの要求は卍丸上官の身柄です」
「引き渡してやるがいい、あれも悪い気はせん」
あっさりと大豪院邪鬼長官はゆったりとした瞬きの調子でそうおっしゃる。そう簡単におっしゃる。
どうでもいいけれど私、この部屋に入るたびにお白洲の罪人になったような気になってしまう。それというのも大豪院邪鬼長官の視線が鋭いからだ。
隣の影慶上官が私へものすごく厳しい視線を突き刺してくる、さっきのアンナさんなんてまるでそよ風のような絶対零度。
「……そんな用件で、邪鬼様のお休みを妨げたのか」
影慶上官の輪郭になにか紫色の気配が蛇のようにちらちらと噴き上がる、そう言われて私は初めて気づいた。大豪院邪鬼長官の執務室のカーテンは締め切られて 夕暮れのように薄暗かったのだ。そのせいで大豪院長官の声の出所がいまいち掴みきれず、まるでトランス状態のうちに神の託宣を聞く巫女のような気分になっ た。だんだんと目が闇に慣れてくると、確かに椅子に腰掛けている大豪院邪鬼長官は気だるそうで、影慶上官へ右手をそっと上げて見せる。
「良い、影慶」
「しかし…もう一週間も眠られていないのに」
いっしゅうかん?いっしゅうかん?そしてどうして影慶上官は御存知なのだろうか。血よりも濃い絆とかそういうアレだろうか。
私はそろそろ冷房でだるくて、五時にあがって眠りたいんだけれど。
「ベルリン」
「はっ」
「卍丸を捕縛し、女たちへ引き渡せ」
「はい、大豪院長官。いいえ、しかし…」
最初の発言は必ずイエスだ、私はいつの間に軍隊へ入ったのか。
「案ずるな。貴様一人では荷が重かろう……影慶」
「はい」
「羅刹、センクウを伴って協力せよ。いいな」
「!邪鬼様…」
「行け」
「………わかりました」

後で私が知ったことだったけれど、影慶上官のなによりの楽しみは眠る大豪院邪鬼長官の側に控える事らしい。
私はまんまとその楽しみをブッ潰してしまったという事だ。メガネをずり上げて、深深と一礼。



部屋の外に出るなり私と影慶上官を取り囲もうとしたアンナさん一同は、本当に一瞬に覆面を巻き付けていた影慶上官に驚いて戸惑っている。
私だって戸惑っている。この人本当にいつの間に覆面巻き付けたんだろう、
「羅刹とセンクウには連絡をしておこう。手配は任せる」
私の顔を見もしないで、どちらかというとどころではなく冷たい口調で突き放すと影慶上官は滑るように廊下の向こうへ立ち去った。角を曲がってあの紫の気配 が消えたのと同時に、ようやく私は取り囲まれる。

「まんちゃんどこ!」「ドコ!」「とっとと答えないとケガするぜ冷蔵庫!」
これほどまでに美女に囲まれたことがあっただろうか。

髪の毛をひっ詰める。踵を鳴らす。
「今より卍丸上官捕縛作戦を開始。……志願兵を募ります」
「シ?」


私はメガネを外した。瞬間世界は白濁し、その後いくばくかすれば見えすぎるほどに見えるのだ。
卍丸上官捕縛作戦開始、五分前。
モクジ
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