あを噛んで
気づけば誰より近くにいて、
気づけば誰より知っている。
血よりも濃いものが、いついつの間にやら出来上がってしまったのだ。
久しぶりに飲もうぜ飲もうぜで、富樫虎丸がキャバクラに繰り出したのが午後九時。
五月の夜は風もあって、昼間の熱気が残って生ぬるい夜気。都会のまぶしい夜を富樫虎丸、肩組んで喚きながら進軍し、なじみの店から新しい店へいくつもハシ
ゴを掛け渡す。
「さっきの店、ありゃあ何じゃァ虎丸、バッケモンじゃねえか」
富樫は下顎を突き出すようにして文句を言った。
先ほどの店でナンバーワンだと言って出てきた女が、どこをどう見ても四十過ぎのマニア向けであった事を咎めてのことである。その店は別段、虎丸のおすすめ
の店というわけではなかった。しかし、看板を見て、「ここに絶世の美女がおる!俺にはわかる!」と喚いて富樫の袖を引いたのだ。その結果がある意味ぼった
くりよりも酷い目にあってしまったと言うわけである。
「酷ェ目にあったぜ、すまんのう」
額の汗と、ベッタリついた頬の口紅を袖で拭いながら虎丸も空を仰ぐ。新宿である、空などろくすっぽ見えようも無い。晴れてはいたが、狭く空は切り取られて
星はひとつきりしかないようである。
「てめえの与太ァ間に受けた俺がアホだったのよ」
「そう言うなって、あー腹がタポンタポン言っとる」
虎丸はどこで買ったか、派手なムラサキの蛇革のベルトにぽよんと乗っかった見下ろして腹を擦った。先ほどの店では、女で酔えないために代わりのようにじゃ
んじゃんと酒を飲んだため、二人ともすっかり水っ腹である。
富樫も同様に腹を擦る、と、忘れていた尿意を催した。
「俺もだ、あーあ、ちっとどっか便所ねえか」
「駅っきゃしらん。あ、あっこにコンビニあるぜ」
「おう」
さすがに電柱に立ち小便という訳には行かない年になってしまった。お互い年をとっただけではない、背負うものもある。二人は前かがみになりながら夜街の誘
蛾灯、明るいコンビニの明かりへと走っていった。
が、
『当店にトイレはありません』
飲み屋やキャバクラの多い歓楽街のコンビニらしく、薄情な張り紙が一枚。
「………」
「…………」
しかし虎丸も富樫も大人である、その上男である。こんな、トイレだけを借りに来た挙句、トイレが無いと分かって素通りするようなことはできない。
二人とも顔を見合わせて、渋渋飲みもしない茶と、使いもしないコンドームを見栄で買った。
「虎丸、おめえゴムなんざどうすんじゃ」
「馬鹿富樫、声がでけえ。こういうモンは必要に迫られて買うじゃろ、そしたらただトイレ借りに来ただけとはわかんねぇだろ」
「おお、そうか」
という訳で、虎丸は万札でそんなものを買った。
二人揃って目的は果たせないままに店を出る。二人は公園を目指した、衛生面には多少不安があるが、公園ならば便所があるだろう。
二人して股間をもぞもぞ、内股で駆け出した。
「あーっ、スッキリしたスッキリした」
二人して臭い便所で小便を馬のように出し終えて、街灯がぽつぽつとまばらにしかない公園を進む。
「終電はもうとっくに出ちまったなぁ、どうすっか」
富樫は時計をチラりと見た。富樫の時計は安物だが、蛍光塗料が文字盤に塗られているために時間が分かる。
「タクシーでも使うか?」
学生時代から思えば考えられないような豪勢を口にした虎丸に、富樫は首を振る。
「どうせあと何時間かすりゃ、始発が出んだろ。どっかで時間潰しゃいい」
「潰すったって…もう酒はいいぜ、おりゃ」
虎丸は平たくなった腹を撫で回しながら、大きく伸びをした。
「……おい、虎」
「なんじゃい」
富樫はシッ、と口の前に人差し指を当てて声を潜めた。虎丸の首根っこを掴んで引き寄せる、虎丸の大きな目がぐるんと回って疑問を浮かべる。
「……耳、澄ませや」
「みみ?」
言われるまま、虎丸は耳を潜めた。
暗い公園、時折歓楽街から騒ぎやパトカーのサイレン等の音が届く程度である。
が、
『……ぁ、……ああん……っ』
虎丸の動きが止まった。富樫と顔をつき合わせて、ハンドサイン。
『あっちか?』
『奥じゃ』
『行くか?』
『おうよ』
『もう春なんだなぁ』
『そうだな』
二人すっかり学生時代の気持ちに戻って、草むら萌え立つ公園の茂みの奥へと進んでいく。
スーツをバッチリキメた虎丸ファイナンス会長と、オールバックも渋い塾長秘書がスーツの膝を汚して這いずる様は誰にも見せられない様子であった。
繰り広げられる、翳った肌が弾む様を二人は息を詰めて見守っている。
『……すっごい声、出しとるのぉ』
『まったくだぜ、恥じらいも何もあったもんじゃあねえ』
『…あっ、すっげ、すっげ、おい、富樫ィ』
『おおおおっ、フツーのOLが、あんな…!』
二人して公園の死角、芝生に腰を下ろした。夜露が尻を濡らしたが、気にならない程度である。
デバガメ根性マルダシで、すっかり覗きを堪能した二人。
AVやキャバクラならば普通以上の女が出てきても、ブスブスとボロカスに言えるのに、薄暗い公園であればなんだか興奮してしまうのが不思議である。
駅や歩道橋で見かける普通女子高生のパンチラに大興奮するのと同じ道理であった。
「こうなってみると、その…」
虎丸が股間のポジションを直しながら、ぽつりと呟いた。
「その、なんじゃ?」
「……今更何言っとんじゃ、こんだけ暗けりゃわからんじゃろ」
そろりと虎丸の手が隣へ富樫の股間へ伸びた。富樫が横目で睨んだ、取り出しかけていた煙草を再び胸ポケットへしまいこむ。
「てめえまでサカりついてどうすんじゃ、タコ」
「いいじゃろ、さっきゴム買ったしー、久しぶりだしー」
だしー、がイマイチ古い女子高生のようだ。
虎丸の顔は街灯以上にニッカとまぶしい笑顔である、富樫はこの笑顔にどうにも弱かった。
甘えられると弱い男である。
「後で、ラーメン奢れや」
「おうおう、チャーシューつけちゃるわい」
「ヘッ、おら、来いよ」
チャーシューに釣られた訳じゃない。
十分こいつに惚れている。
口で言うのは恥ずかしい、だから富樫は言葉ではなく身体でもって物を言う。
昔から口が上手い方ではなかった。今でもそれは変わらない。
友として、相棒として、それから何だか生臭い関係になって、今だ。
これからも。
五月の公園で盛るのは、何も犬だけじゃない。
普段涼しい顔で仕事をしているOLだけでもない。
「あー、イッパツ抜いた後のラーメンは美味いのう!」
「バ、バカ野郎声がでけぇ!!」
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