214-松尾の本懐

野良犬ならば昨日食った。
野良猫ならばおとつい逃がした。
野良…野良、
野良馬?
「なあ頼む、俺はこいつと気が合うんだ」
一号生筆頭がそうまで頼むので、そのどこよりかつれて来られた野良馬は男塾を放し飼いにされている。
名前をオミトと言うのだと桃が嬉しそうに言うので、伊達はかなり怒った。
「どいつもこいつも、なんだって俺の名前をつけるんだ」
「お前が好きなのさ、人気者じゃねえか」
「うるせえ」
ともかくオミトという名前は保留なので、名無しのその葦毛の馬は今日も元気だ。







「タイちゃんなんかね、アタシがいなきゃあダメなんだから!」

泣くのを見たのは初めてだったな、と松尾は驚いた。小さな頃この子に何度泣かされたか覚えていない。団地住まいのお隣さんの子で、評判のかわいい子だっ た、だがその見た目とは裏腹に勝気で乱暴だった。この子はいつだって自分をバカアホトンマと叱咤して、ノロマと尻を叩いたりもした。自分を誰より泣かした のは間違いなくこの子だ。
だが自分が誰かにいじめられると、誰より怒って棒切れ片手に飛び出していったのもこの子だった。
その子が、今は女だ。自分と同い年になっていきなり現れた女子高生がみっともなく泣いている。
自分が男塾に入塾すると言った時は炎のように怒って、
「タイちゃんなんかが男塾でやってけるわけ、ないじゃない!」
そう怒鳴ったのだった。その後いつもの、
「アタシがいてあげなきゃあ、全然だめなの!」
と主張したのだった。それきりである。




そして今だ、突然現れて目の前で泣いているその子の背丈が自分より低いのにも驚いている。
松尾はどうしていいのやらわからなくなって、のう、のう、と呼びかけている。その子はまっすぐに伸ばした髪の毛を肩ではっつりと切りそろえていた、松尾の 記憶ではその子はいつも二つに髪の毛を結わいていたのしかなかったので、この子は本当にあの子だったろうかとすら思う。
「のう、何を泣いとるんじゃ」
「バカね、タイちゃんったらそんな言葉遣い、全然似合わないんだから!」
泣いていたかと思えば、いきなり顔を上げてこうだ。松尾は閉口する、どうして自分にこんな日に会いに来たんだろうと不思議になった。
「わしだっていつまでもあのまんまじゃあないぜ。なんと言っても男塾なんじゃここは」
「そうね、タイちゃん元気だった?」
真っ赤な目で、元気かも何もない。
「わしゃ元気じゃ、のう、なんかあったんか」
「どうして」
どうしてじゃあない、松尾はますます顔を渋くした。ここがどこかといえば男塾の校門を少し出たばかりの公園である、煙草を吸いたくって訪れる奴だって居る 場所なのだ。もし万が一こんなところを見られでもしたら恥ずかしいのは松尾だ。たちまち取り囲まれてやるのうやるのうと囃されてしまう。
―こいつだけは、そんなんじゃあないのだ。松尾は普段から明るい顔を曇らせる。
「わしになんか、用だったんじゃあないんか」
「バカ」
またバカと言われてしまった。真っ赤な、泣きはらした目で言われてしまった。だが良く見ればその目は真っ赤でも笑っている、まるでわからんと松尾は立ち尽 くしている。
「今日が何の日か、知らないの?まったく、もう」
もう、と笑ったその子は泣き笑いだ。松尾が頭をめぐらせる。
二月十四日、ああ、
「にぼしの日、じゃったかのう」
「バカ!」
ごつんと何かが松尾の額に当たった、当たって跳ね返ったそれをとっさに受け止めるとそれは紫のリボンで飾られた箱であった。
顔を上げて、文句と質問どちらを言おうと松尾が迷っている間に、ブランコにその子はひらりと飛び乗った。
「押して」
「あ?」
「押してちょうだい」
昔のまんま、高飛車に命ぜられるまま松尾はばかばかしいと思いながらも背中を強く押してやった。ぐんとはずみがついてその背が去っていく、がすぐに戻って くる。その背を再び押した。
急に松尾は不安になった。
突然尋ねてきたと思えば泣き出すし、いきなりブランコに乗り出すし、なんかプレゼントは投げてくるし。
松尾が数度押してやると、もういいと言われる。ぐんと上手に彼女はブランコをこいで空高くへと上った。松尾は目を細める、二月の空はきれいに澄んでいて、 晴れはまぶしすぎた。
その後制服のスカートの裾を翻して彼女は勢いよく前へ飛んだ、その飛び方は松尾の記憶にあるものとぴったり重なる。

そのまま、彼女は振り向かずに言った。
「タイちゃん、あんたね、」
「なんじゃい」
「アタシがいないと、なあんもダメだろうけど、でも」
「うるさいわい、ワシャもう一人で全然大丈夫じゃ」
それよりも松尾は手に受けたままのプレゼントの包みについて聞きたかった。だが彼女の背中はそれを許さない。
「しっかりしなさいよ!」

――しっかりしなさいよ!男でしょ!
松尾が何百と言われ続けていた言葉であった。声が震えていたかもしれないが、松尾ははっきりと昔の彼女の姿を見た。

「がんばんなさいよ、ね!」

そのまま彼女は走り出していた。公園の入り口に停まっていたタクシーに飛び込むようにして乗り込むとたちまちに走り去る。
松尾は何がなんだか分からないまま、結局包みについても彼女の目的についても何も聞けないまましばらく立ち尽くしていた。
公園には数人子供達が遊んでいたのにようやく気づく、こんな時間(午前九時)になっても学生服姿の男女が遊んでいた姿はさぞ異様だったろう。

「あっ、バレンタイン…」

気づくのが一歩遅い松尾であった。手にした包みを胸に抱き、松尾は教室へと急ぐ。







松尾が教室に入ると、男達が泣いている。おんおんと泣いている。涙を流して泣いている。その涙のせいか湿気があるように感じられた。
「また今年もゼロじゃああ!」
誰ぞが吠えた。
皆が泣いているその理由がようやくぴんと来た松尾は尻のポケットへチョコをサッと隠す。
「松尾、どこ行っとったんじゃ」
親友の田沢が近寄ってきた。
「いんや、ちっとヤボ用じゃ」
誰かに相談したいところだったが、この雰囲気の中ではそうもしづらいと判断し適当な笑顔を返す。と、
「…におうぞ、におうぞ」
地の底から這い出てくるような声がした。ドロロロ、と効果音すら聞こえてきそうな雰囲気が漂い始める。松尾はサッと振り返った。
「と、虎丸どうしたんじゃ」
目の下にわざとらしいクマをこしらえ、下からライトでも当てたような虎丸がそこにいた。隣には相棒の富樫も、同じようにウラメシヤのポーズで立っている。 松尾は一歩引いた。
「におうぜ〜チョコレイトの、に、お、い…」
「におうのう〜におうのう〜」
二人は息をぴったり合わせて松尾へ迫る。こいつらの(特に虎丸の)嗅覚を侮るべきではなかったと額に汗を浮かべ、慌てて逃げ出そうと反転。走り出したとこ ろでドスンと誰かに顔からぶつかった。
「うぶ」
「ああ、すまん」
桃であった。松尾は二人の追撃を逃れるべく桃の後ろへもぐりこむ。桃は松尾がじゃれついてきたのと勘違いしたのか、フッフフと笑ってその場で両手を上げ た。
「アッ、ち、ち、ちょこれいとじゃ!!」
いつの間にか落っことしていたらしい紫のリボンの包みを虎丸が拾い上げた。既にチョコレートだと決め込んでいる目の輝きに松尾は口の前に手をやってアワア ワした。以前「あげる」と言われて開いたらトカゲだったこともあったのだ。
「オオーッ、松尾、やるじゃねえか!!」
富樫も拳を作って松尾をたたえる。たちまち騒ぎになった。引っ込みがつかなくなってしまって、しがみつくようにして抱きついていた桃を見上げる。
(―桃、なんか言ってくれい。)

「すごいな、俺は一つももらえなかったぜ?」

(そりゃ、桃がハンサムすぎておそれおおいんじゃい)


車座になって、松尾のチョコレート開封と相成った。
「でれれれーれーれ、レッテレー」
間抜けなファンファーレが上がる。





おそらく選びに選んだ店のものらしいトリュフが、箱だけで金のかかりそうな箱に四つ入れられていた。それだけでオオッと歓声が上がる。
「おい松尾、すごいのう」
「い、いや…」
隣のJが無言で軽く松尾の背中を叩いた。彼なりに良かったなと言いたかったのだろう。わかっていたので松尾は苦笑を向けた。
「で、で、どんな子じゃ松尾ォ」
この、この、と肘鉄をしながら田沢が詰め寄ってきた。松尾は既にしどろもどろである。なんと言っていいものやら、どうしたものやら、
「こう、オカッパと言っていいのか。額がきれいな子だったな」
「も、桃なんでおまえ知っとるんじゃ!!」
いきなり話し出した桃に松尾は仰天してしまった。いつ?いつ?見られた?聞かれた?松尾の混乱は高まる。目がぐるぐると回りだした。
「ちょっと通りかかっただけさ。それより――手紙だ」
桃は松尾へ折りたたまれた便箋を差し出した。受け取って、うっかり松尾その場で開いてしまう。後で隠れて読めばよかったのにすっかり慌ててしまっていたの であった。それに逃げようとしても逃げ出せる雰囲気ではなかった。
「読んでやろうか」
目をらんらんと輝かせた秀麻呂が言い出した。冗談じゃないと松尾が首を横に振ると、
「じゃあ読んでくれ」
と桃が言い出した。こういうことを言い出す男ではないと思っていたのだが、どうやらこの男にもこうした茶目っ気があったらしい。

松尾は渋々読み出した。

「た、タイちゃんへ――」
何名かが吹き出した。それを桃が睨む。



『タイちゃんへ、元気ですか。
タイちゃんはアタシがいなきゃ何にもできないんだもの、とてもとても心配です。
でも、実は元気じゃなければいいとも思っています。先にあやまるけれど、ごめんね。

タイちゃんによく、アタシなしではダメな子だと言ったけれど、本当は違います。
タイちゃんがいるから、アタシは頑張ろうと思いました。
だから本当は、タイちゃんが男塾で泣いてたらいいとも思いました。
やっぱりアタシがいなきゃダメじゃないって思いたかった。

けれどきっと、タイちゃんは大丈夫なんだろうなと思います。
弱くって泣き虫で、でも実はすごく強い子だとアタシは知っています。

ところでアタシは病気です。
病名は書きません。どうせタイちゃんは知らないだろうし、とっても長いから覚えきれない。
でも手術をしないと死ぬでしょう。驚かせてごめんなさい。
このチョコをタイちゃんに渡したら、飛行機に乗ってアタシはアメリカへ行きます。
治るかどうかはわからないけど、タイちゃんが心配だからたぶん戻ってくるでしょう。


いじめたりして、ごめんね。
タイちゃんがいてくれてよかった。






上がったのは歓声ではなく、沈黙だった。
しん、と落ちた沈黙に松尾は手を振るわせる。顔を上げた、迷いと恐れとそれから何かわからないものに顔を浸して桃を見た。
見た先に桃はいない。

誰も、何も言葉を発しなかった。


「松尾、行け!」
一番最初に怒鳴ったのは田沢だった。松尾の肩を掴んで揺さぶる。
「い、行くって、どこに」
「成田じゃ!途中で追いつけ!」
「な、なんで成田」
「アホゥ、海外行くちゅうたら成田じゃ成田!」
Jが松尾のわきの下へ手を突っ込んで立たせた、その身体を受け取るようにして田沢と秀麻呂が窓際へと引きずっていく。
「後は任せるんじゃ!」
「だ、だがよう田沢、空港までどうやって…」
「安心しろ、もう桃が出た」
桃?












蹄の音がした。
「乗れ、松尾ッ!!」
馬上の凛々しい白ハチマキ、若武者の如き一号生筆頭は松尾へと手を差し出した。











人二人乗せているにも関わらずオミト(仮名)の脚は衰えない。桃の背中に松尾はしがみつきながら、その手が震えていることに気づいた。
あの子がそんな病気だなんて知らなかったし、さっきまであんなに元気そうだったのにと混乱が増えるばかり。
ぼろりと涙がこぼれた。急に色々な感情がごたまぜになってしまって、松尾の喉からは嗚咽が漏れる。
「俺の学ランで、涙拭くなよ」
桃が身体を前に倒しながらそう言った。松尾はうろたえ、目元を袖でゴシゴシと擦る。
「泣きたいならば胸を貸す」
礼の代わりに、松尾は強くしがみついた。
「東京の道はさっき秀麻呂が調べてくれた。それから彼女の乗る便はおそらく正午の便だろう」
「なな、なんでそこまで知っとるんじゃ?」
「簡単さ」
対向車線の車の中で運転手が仰天して、一旦ハンドルから手を放したのが見えた。目を松尾のようにゴシゴシやっている。
オミト(仮名)が走っているのは車道であった。馬が歩道を走るわけにもいかなかったし、何より速い。白バイだろうがぶっちぎる速度をオミト(仮名)はたた き出す。もしかしたらサラブレッドなのかもしれなかった。
「彼女タクシーに乗ったろう。それに、車の中にスーツケースも見えた。このまま空港に向かうつもりだと踏んだんだ」
「も、」
桃、と呟いた松尾の声ははるか後ろへと流れていく。
オミト(仮名)が地を蹴った。大きく跳ね上がる馬体に松尾は舌を噛む。

「この渋滞だ、タクシーを捕まえるぞ!」




「男塾魂ッ、男は、困難に、打ち勝つべしッ!!」










しかし馬の脚であっても、さすがにタクシーには追いつけない。結局空港まで追いつけないまま、到着となった。
息を切らしたオミト(仮名)の首を優しく撫でながら、
「すまん、もうひと頑張りをしてくれ」
と桃は言った。松尾が時計を睨むともう離陸数分前、既に機内に乗り込んだろう。松尾が肩を落としかける。
が、稲妻の如き声で桃は怒鳴る。
「諦めるんじゃねえっ!」
馬首をめぐらせ、オミトが再び走り出す。目指す方向は滑走路だった。
「も、そっちァダメじゃ、桃――ッ!!」
「男が越えるべきなのは自分であって、それ以外はなんてことはない!!」


オミト(仮名)は滑走路へなだれ込んだ。柵をものともせずひらりと飛び越える。


「松尾、あれだッ!あの飛行機だ!」
顔を上げた松尾の目の前を、ゆっくりヒマワリ模様の飛行機が滑っていく。管制塔からはしきりに『退避しなさい!』とわめく声があがるが無視をした。
「ワシに何が出来るってんじゃ、桃」
桃が振り向く、汗まみれの顔だったが普段の快活さが光っている。
「忘れたのか?お前は俺たちの応援団長じゃないか」











窓の外を、ぼうっと眺めている。チョコ、食べたかな。タイちゃんの顔が浮かんだ。
「お飲み物はいかがでしょうか」
「いらない」
これ以上水分取ったら、きっと泣くから。
タイちゃん、男らしくなったな。ワシ、なんて言っちゃって。
軽く咳が出た、それだけで血相変えてすっ飛んできそうな母にもうんざりしている。心配なのはわかるけれど、どうしても鬱陶しくなってしまう。
タイちゃん。
うん。最後に顔を見られて、よかった。



「フレーッ!!フレーッ!!オ・ニ・コ――ッ!!」



物凄い大声。思わず耳を押さえた、今、何て?オニコ、アタシのアダ名じゃない。それもタイちゃん限定。アタシがあんまりいじめるから、「ガミガミのオニ コ!」なんて呼んでた、アダ名!
飛行機だからタクシーのように止めて!ってわけにもいかない。けれどいてもたってもいられずに立ち上がった。窓の外を睨む。



「フレーッ!!フレーッ!!オ・ニ・コ――ッ!!」




「あは」
思わず笑った。馬にまたがった、王子様のかわりのタイちゃん。馬の背にへっぴり腰で立ち上がって、応援団のようにビシッと手を上げ下ろししながら怒鳴って いる。あのダメダメだったタイちゃんが別人みたいだった。
「お友達?」
母がそばに寄ってきてそう尋ねた。何よハンカチなんか、いらないったら。さっきドリンク断ったの、見てたでしょ。
「……」

『フレッフレッオニコッ、フレッフレッオニコッ』

不思議なことに、タイちゃんが指揮した直後に何人もの人が応援する声が聞こえる。どうしてだろう、誰もいないのに。うるさいくらいに声が届く。

「滑走路内に不審人物がいるようですが、特に問題はないとのことでこのまま離陸いたします…」

無粋なアナウンス!もう、待ちなさいよ!

「絶対に帰ってきてやるわ、絶対」














ヒマワリ模様の飛行機に乗り、あの子は行ってしまった。
「と、届いたかのう、桃…」
「届いたさ、絶対にな」
飛行機の後姿を眺めながら、ぽつぽつと会話を交わす。

疲労困憊。
二人大の字になってその場に倒れたいところだったが、駆けつけてくる警備員の姿を見るとそうもいかない。
「帰ろうぜ、男塾に」
「ああ…ありがとうな、桃よう」
桃がくすぐったそうに首をすくめて笑った。
「なに、いつもお前が俺たちを応援してくれるだろう。今回がたまたま逆だっただけさ」
「へへへ、すまんのう」
「……さて、ハイヤッ、オミト――!!」


伊達がその頃、なにやら良くないくしゃみをした。
どうやら名前はオミトに決定となった瞬間であった。
モクジ
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