くれるんなら、貰うぜ

嬉しくない嬉しくない嬉しくない。
別に全く、嬉しくない。
けれど嬉しいか嬉しいかって何べんも野暮抜かすから、
言ってやるよしょうがねえ。
くれるってんなら、貰うぜ。
だが貰うんなら丸ごとだ。




「まず第一陣は正面突破だ、だが恐らく対応は本人じゃないだろう…」
桃は図面の、正面玄関を指差した。煙草をもみ消しながら富樫、桃が指差す玄関ではなく、庭のあたりを指差した。
「桃、こっちから突入したほうがいいんじゃねえか」
む、と庭のあたりを見ておいて、桃は左右にかぶりを振った。玄関から指を離して、庭から縁側へ、そして和室へと指を滑らせる。
「庭は一見侵入しやすい…が、見ての通り縁側のすぐ隣は本人の部屋だ。見つかる恐れが多い」
「そんなら裏口ァどうじゃ」
虎丸が伸び上がって図面の一番隅、裏口を指差す。
「……裏口からの侵入は常道の常道、対策を怠るとは考えにくいですね…むしろ、ここを陽動にするのはどうでしょうか」
ジッポーと百円ライターを握った白い指がひらりと図面に伸び、庭と裏口へ置いた。ジッポは桃の、百円ライターは富樫のものである。
山と吸殻が積みあがった灰皿から誰のものかはわからないが、なるべく長い吸殻を富樫は選ぶ。シケモク選びに迷いも恥じらいもない。
「庭と、裏口…ここをオトリに、結局玄関から突入すんのか」
「いいえ、全てが本物ですよ。相手がいかに強大とは言え寡兵、たったの一人。もしも玄関で対応に当たったならばそれ以外、庭で出くわせばそれ以外、裏口え 待ち構えていればそれ以外の組が本隊となればいいでしょう」
迷いなく月光が裏口にもう一つレザーのライターを置いた。洒落た、エルメスのものである。あまりブランド品にこだわる男ではないが、滑らかな革の手触りが 店で何気なく握ってみて、たいそう心地よかったのだと月光は言った。
「この、裏口…厨房の隣のものであったと記憶している。男子厨房に入らず…もしどれも本隊とするのであれば、ここへは人員を多めに割いていいのではないだ ろうか」
「そうでござるな、それに…もしも、」
もしも、と前置きしておいて、雷電は隣に腕組みをして立つ異国の友人の肩をそっと叩いた。雷電の頬をかすかな笑みが崩している。
「もしも突入不可能となれば、Jに壁を打ち抜いて貰えばよかろう」
Jはハッとして、珍しく顔に焦りの色を浮かべ、ぐるりと集まった級友達を見渡した。最後に雷電の顔を、その顔が笑んでいるのを見て、Jはようやく冗談だっ たことを悟る。まったくこの、若いころから仙人のように落ち着いた物腰の友人の冗談はわかりにくいのだ。もちろん自分も十分にわかりにくいことをわかって のことではあった。
「…そうだな、そうなったら任せてくれ。請求書は桃、お前に渡すぜ」
「フッフフ、そうならないことを祈ろうか」

ワッハハ、と煙で曇った桃の事務所は笑い声に揺れた。五月二日の夜中である。
この集まりの代表もとい首謀者である剣桃太郎は拳を振り上げた、今にも額にハチマキ締めて、ダンビラを抜きそうな勢いは若いころのまま。
目じりに皺が刻まれ、この間白髪を指摘されるまでに年をとってなお、清冽な気は衰えをまるで見せない。
友人達もまたそれぞれ年は重ねた、面は変われど、胸の男気変わりなし。
「行くぞッ!」
おう、と全員が全員ぴたり揃って声を張る。
今度こそ比喩でも大げさでもなく、桃の事務所は揺れた。




『はい、伊達でございます』
『仏頂面さんか、桃だ』
五月三日の晩、私は桃様からの電話を受けた。組長が時代劇を見ていた時間だったから、八時前後だったと思う。
『お世話になっております、ただ今呼んで参りますので』
『ああ、いいんだ。明日の事なんだ』
となると私は相手が桃様である事を、組長に悟られる訳にはいかなくなった。
『そうですか、来月の件…それでしたらわたくしが承ります』
流石に桃様である、私が突然喋り出したにも関わらず動じたふうも無い。
『ハイ、イイエで答えてくれてかまわない。伊達は明日、外出の予定は?』
『いいえ、こちらでご用意いたします』
『それなら、明日皆で押しかけてもかまわんわけだ』
『はい、お任せいたします』
『人数は去年と同じ…いや、それ以上に増える予定だ。皆伊達の知り合いだから、やかましくなるだろう。大丈夫だろうか』
『はいはい、何でもお申し付けください、他に準備するものはありますか』
つまり、酒や飯の準備は要るかと尋ねたのだった。
『すまない。祝うこちらが言うことじゃないが、酒を頼む。それからできれば肴も…メインはこちらが用意するから肴はそれなりで大丈夫だ。それもウワバミだ らけだから、無理を承知で』
『はい、かしこまりました』
『ありがとう。尚、これから俺達は準備にかかる。物騒な物言いだが、当日は無抵抗を貫いてくれ』
『はい勿論、かしこまりました』





五月四日、その男は本来であればゆったりとくつろいでいればよかった。
普段の通り時代劇の再放送を見て、気が向けば部下を呼んで将棋や囲碁の相手をさせ、素だが粗でない昼飯を食い、悠悠と部下を連れて散歩がてら、後援会長を つとめている力士を応援しに国技館まで出向いてもよかった。帰りがてら浅草でうまいすき焼きを食い、風呂をつかって眠れば良かった。
しかし今日が五月四日であることが、その男を安らがせはしない。
重ねて言えば、その男の周りも安らげはしない。

五月四日、朝八時。
「仏頂面さぁん、アノ」
見たままの通称、仏頂面は素早く家事手伝い見習いの口を塞いだ。ふが、とブタ鼻鳴らしてうろたえる見習いを険のある眼差し黙らせ、それから口を塞いだまま 調理場へと引きずっていく。仏頂面には見習いが言おうとしたらしい用件の検討がついた、その予想が正しいのであれば主人の寝室ほど近い縁側でしていい話で はない。
「ブハッ、な、何すんですか」
「ここならいいでしょう、今日の件ですね」
この家の主人は男子厨房に入らずを守っている。滅多なことではここまで足を運ぶことはない、密談にはうってつけであった。
「そォです、んで、パーティですか?」
見てわかるほどにわくわくしている見習いに、ため息を一つもって仏頂面は答えた。額に手をやって、疲れて皺が出来た眉間をほぐす。
「…見習いさん、朝ごはんを食べたらちょっと外へ頼まれてください」
「お使いですか」
「そうです。それもあります…が、」
仏頂面が更に顔をしかめるとつられて見習いの笑顔が曇る、今にも怒られそうだと首をすくめた。
「今まで言わなかったのは申し訳ありません。この家、五月四日は難しいんです」
冷蔵庫から最近気に入りになっている、小型の備前の茶壷を取り出すと仏頂面は両手に包んだ。つるつると渋い色合いのそれを撫で回しながら話し出す。尚中身 は主人の好物であるグレープフルーツの砂糖漬けである。
「むつかしいんですか」
「はい、その…誰から聞いたか知りませんが、五月四日は誕生日です。昨年もその前の年も…ずっと今日は宴会になりました」
「なら、」
口を開いた見習いを制するように、トン、とその茶壷を調理台へ置いた。この調理台でパンも捏ねれば、使用人が食事をすることもある。
「しかしその宴会は、非公認で非推奨、当人の意志とは無関係のところで無理やり行われたものです」
「はェ」
へい、とはい、の中間のようなマヌケさでもって見習いは答えた。仏頂面は更に顔を険しいものに深め、茶壷から黄色に涼しいウランガラスへ菜箸でグレープフ ルーツをとりわける。
何か困ると家事に勤しむ恐い顔を見ながら、早々と調理台の前へ丸椅子を見習いは運んだ。味噌汁は匂いからしてワカメと新タマネギ、お魚なにかな、と呑気な ものである。
「ひすいしょーって事は、どゆこってす?」
「……つまり、組長は嫌がっていたと言う事です」
グレープフルーツの上へヨーグルトをたっぷりとかけながら、仏頂面は深い深いため息。
「……え、なんで!?」
理解の遅い見習いに、更にため息をついた。
「……だからですね、」
「あ、ご飯大盛りで」
仏頂面の額に血管がふつ、と浮かんだ。そうするとますますもって鬼のような形相である。見習いはハ、と気づいて頭を下げた。注文通りに上品な小ぶりの京焼 茶碗へ、日本昔話のようにどっかりと飯を盛り付けて調理台へ置いてやり、
「だからですね、組長は嫌がっているのに、桃様始め皆さんが勝手に上がりこんで、勝手に酒を酌み交わし、勝手に大騒ぎして、勝手にお祝いしているんです」
「……エー…と、と、じゃあ、親分ァ迷惑がってるっちゅうこってすか」
「そうです」
信じがたい、と言う様に見習いは唸る。
「だって、だって親分ソーリの事大好きでしょ」
聞かれたらその瞬間に袈裟斬りにされそうな事を、ためらいもなく言い出す。仏頂面はヒヤリと背中に冷たいものを感じた。
「……そうですね」
「大好きなのに、なんでお祝いされると嫌なんですか」
「…いや、その」

ア、と飯を一口頬張っておいて見習いは大声を上げた。

「わぁった!!親分アレと違いますか、今流行のォアレ、ツンデ」
「ヒわぇえええええええ!めやあああああ!べけええええええ!」
仏頂面は声を掻き消すべく大声をわめきながら即座に塩鮭を掴み、物騒な事を言いかけた大口へ掴み入れ塞ぐ。
これ以上大変な思いをする前にと、飯を素早く食わせて外へ使いへ出すことにした。
「とにかくッ!!いいですか今日の夜桃様や皆さん押しかけていらっしゃいますから、組長が応戦しようが気にしないようにッ!」
「へ、へいっ!」


伊達組、組長伊達臣人以外は伊達組長の誕生日祝いへ向けて動き出した。







夕方、七時。
仏頂面は小蝿を追いながら縁側に座っている。しっかりと掃除を済ませてある、まだ日が落ちたばかりで縁側はあたたかい。
「……さて、そろそろでしょう」
ついさっき戻ってきたばかりの見習いは足をぶらぶらさせながら大きく頷いた。興奮しているらしく、顔が赤い。やはり外に出しておいてよかったと仏頂面は安 堵した。ウッカリ本人に、楽しみですねお誕生日会!などと言い出さないとも限らない。
「あい、決行まぢかっちゅう奴ですね」
「はい」
でもォ、と見習いは調理場のほうを振り向いた。仏頂面はシ、と人差し指を自分の唇へ宛がう。
調理場には見習いが出入りの酒屋で注文してきた酒が和洋とりどりに搬入されていた。ウワバミの集まりであることは日の浅い見習いとて知っている。それは酒 屋の中身をソックリ移したかのような量であった。
更に、料理人が二人控えており既に調理を開始している。他に若い衆を二人。普段の食事は仏頂面がやってしまうのであるが、さすがに今日大量の人間が来ると なると一人だけではどうにもならない。見習いはハナから頭数にいれていない。
調理場からはとりあえず焼き鳥やから揚げ、オニギリなど、手で軽くつまめるようなものを用意してもらっている。野菜スティックなども少しは用意してはある が、ほとんどは男たちが喜ぶようなものを頼んであった。
「いい匂いしますねェ」
「そうですね、ああ見習いさん、お風呂の用意は。菖蒲湯ですよ」
「できてまーす」
明日は端午の節句、しかしおそらく明日動ける人間はこの伊達組にいないだろうから、今日入ってもらえるようにとの気遣いである。
「でも仏頂面さん、親分にこれじゃあ」
「シ、」
こんなに人や物が出入りしているのだ、普通の人間が、更に言えば伊達臣人が気づかぬわけもない。気づかぬわけも無いが、それを気づいてるくせにィなどと 言ったら途端に野暮である。野暮なうえ、危険である。危険なことをあえてやる仏頂面ではない。見習いはどうかわからないが。
「組長に先にお風呂使ってもらってください」
「エ、でももしソーリや」
「だからですよ」
もし風呂の最中に彼等が来れば、無用の戦いを避けられる。裸で出てくることはなかろうとの仏頂面の読みである、しかしもろ肌脱いで戦車と闘う男、万が一の 可能性もあるかもしれない。
しかしとりあえず、風呂に入れてしまえばその間に広間へ素早く机を出して料理を運び入れることぐらいは可能である。
「見習いさんは組長にお風呂すすめてきてください、私はその間に準備しておきます」
「へい」
見習いは素早く立ち上がると走っていった。
話しているうちに日が暮れて、薄昏の中仏頂面はチラと塀の外を睨む。にゅっきと塀越しに一本の腕が伸びた、一本人差し指を立てている。
「見習いさん、組長お風呂入られましたかぁ!」
大声でもって風呂場へと声を上げた、はぁいと返ってきた声で、
「組長長風呂ですからね、三十分はかかるでしょうかねぇ!」

人差し指が、オッケーマークを作って、そして再び夕闇へと引っ込んだ。
仏頂面、頬をパンと叩く。シャアと気合を入れて、家事取締筆頭の戦場である調理場へ飛び込んだ。

「さァさ、早く早くしろィ広間だ広間、運べ運べッさっさとしろィ、もたもたしてんじゃあねぇやひょうろく玉ァ!」









「どうやら伊達、風呂に入ったらしい。仏頂面さんの計らいだな、ありがたい、さあ突入だ」
剣桃太郎、スーツの首から既にネクタイを抜いている。代わりに額へはハチマキ、ざっと十五は若返ったようにはつらつとしている。
「んじゃ、堂堂と玄関から入っていいんじゃな、おい虎――」
「あいよ富樫、俺が皆へ連絡してくらぁ」
「馬ッ鹿、虎、虎、携帯電話あるだろうが」
「ああそっか、ほんじゃあ」
ネクタイを頭に既に巻いて宴会モードの虎丸、文明の利器である携帯電話で他ニ方に分かれた仲間へと連絡を取る。
「よしっ、突入だッ!!」
正面玄関へ結局全員集まって、手ん手に発泡スチロールの箱を持った彼らは玄関から遠慮なくうなりを上げて乗り込んでいった。
が、


「………何をしに来やがった」


もろ肌ぬいで、不機嫌の絶頂顔の伊達組組長、伊達臣人が玄関に堂堂と仁王立ちしていた。後ろで仏頂面が顔を変えないままではあるがオタオタとバスタオルを 広げてうろたえている。

玄関の温度がサァッと、下がった気がした。仏頂面が両手を合わせてぺこぺこと頭を下げている。
桃が代表して進み出た。どうやら何かアクシデントがあったに違いないと踏んで、ここまできたら突破しかないと腹をくくる。
「伊達、誕生日おめでとう」
「……別に、めでたくもねえよ」
伊達の声は南極北極のようだ。しかし最近温暖化が進んだとの声もある。
「そう言うな、皆で祝わせてくれ」
「………いらん、」
桃が隣の虎丸へ目配せをした。と、虎丸は玄関先に発泡スチロールの箱を投げ出す。フタを開けると、見事にびんびんと大きなカツオが氷にうずもれていた。
「どうじゃい!今朝方わしらァ船に乗って釣ってきたんじゃ!!ワッハハうまそうじゃろ、台所借りンぜ!」
「おい、と」
桃の説得よりも虎丸の強引さで、とうとう虎丸は伊達の攻撃範囲からかいくぐって上がりこんだ。
「続けェ―ッ!!」

どどどど、と人煙を立てて元塾生達は駆け上がって行った。

「チッ、騒々しい奴らだ」
いかにも苦々しげに吐き捨てた伊達に、頭をどつかれて半ベソかいていた見習いが、伊達を指差した。
「やっぱ親分アレだぁ、ツン」
突っ込むものがなかったので、仏頂面は頭を叩いた。




調理場から海の香りが漂ってくる。





染付の大皿に薄切りにしたカツオを花を描くようにして並べ、ベソかき見習いがあたり鉢であたった芥子を添える。
「さて、それじゃあ乾杯をしようか」
伊達はいらねえよそんなもの、とつれないそっけない一言で斬り捨てる。広間にずらりと並んだ男達は誰も気にしたふうもない、桃はフッフフとあの笑みを浮か べて、
「乾杯−っ!」
「乾杯ーっ!!!」
伊達臣人邸、この時土台からぐらぐら揺れるほどの揺らぎ方を見せたと後に仏頂面は言う。



エンモタケナワだ、と見習いは呟いた。さっきから何度も調理場と宴会場となった広間とを酒を持って往復している。
だいぶ雰囲気もこなれてきて、料理も着着と減っていく。時折裸になって踊り出す輩も居れば、肩を組んで歌いだすものもいる。
そんな中主役の伊達はといえば、
「伊達ェ、ほれ、あーん」
右からちょいと芥子をつけた薄曇のカツオの刺身を虎丸、
「フッフフこれ美味いぜ、さ、口を開けろよ」
左からふつふつと甘辛のタレ滴る焼き鳥を桃、
両手に酔花で伊達はつきっきりのもてなしを受けていた。うんざり顔ではあるが、差し出された食い物や酒を断ることはしない。
「ヘッヘヘうまいじゃろが、ナ、ええ?」
「ああ、まずかねえよ」
グラスが砕けそうな騒がしさの中で、にゃんとも虎丸、嬉しそうな顔をした。昨年は、てめえのニヤけ顔見てるとまずくなるだとか言われたのであった。
酒で真っ赤になった頬はゆるんで、同じく目じりを染めた桃と笑いあう。
「伊達――」
桃は腕を伸ばして伊達の肩を抱いた。こうしたスキンシップを伊達はあまり好まないのを知っていてか、それとも酔っていてか桃は構わず顔を寄せる。
「あー、ずりィ!」
虎丸も反対側から箸放り出して首根っこに腕を回す。ワッハハと大声で笑う虎丸に、
「耳元ででけぇ声出すんじゃねぇ!」
「ワッハハいいじゃねえか、たんじょーびなんだしよう」
「てめえは騒げりゃ、なんでもいいんだろうが」
「それは違うぜ」
しっかりと伊達の肩を抱いたまま、桃は涼やかに響く声できっぱりと言った。
「皆お前が好きさ、俺ももちろん。だから祝えること自体が嬉しい」
「そうじゃ、桃、エエ事言ったァ!」
酔っ払いの大声は耳をつんざく、空いた手でビールを取ろうと伸ばしたが、
「ワッ」
コップは見事に倒れて、虎丸と伊達とを濡らす。あーあ、と桃は笑った。
「てめえ…手が震えるほど飲むんじゃあねえ…こっちまで濡れちまったじゃねえか」
「すまん伊達ェ、風呂、風呂」
「仕方のねぇ野郎だ、ったく。さっきわかしたから、ぬるいが入ってるぜ」
「おう、すまんの。………オイ、」

虎丸はヒザをふらふらさせながら立ち上がると、伊達の着物の袖を引いた。なんだとばかりに伊達が上目に睨むと、酒で赤くなった目がにゃんと笑った。
「おめえも濡れたろ、入ろうぜ」
「あ?」
その着物、と虎丸が伊達の着ている着物を指差した。桃は伊達の体から腕をそっと解いて新たな酒を片手に、面白そうに目を細めて二人のやり取りを見守ってい る。
「おめえの着物、高ェじゃろ」
「別にそんなでもねェ」
「洗うの、おめえじゃないじゃろが。エエからさっさと脱げ脱げ脱ごうぜ」
言いながら既に虎丸はシャツのボタンを外している、伊達はつられてとうとう立ち上がった。既に主役を差し置いて宴会は続いている。二人は縁側に出た。




春宵である。
黄色味のつよい、グレープフルーツ色の月が出たいい夜であった。強く風が出て、火照った頬や身体に心地よい。
「あー、おめえの家いいなァ、広ェし」
「フッ…てめえも建てたらどうだ?」
「ば、馬ッ鹿こんな一等地にそんな家建てたら俺ァすってんてんじゃ」
そんな稼ぎが少ないわけでもないだろうに、昔から安物買いの銭失いをする男であった。
伊達は珍しく声を上げて含み無しに笑う。少しは気が浮き立っていたようである。
「もっと働け、女はべらせてばっかりしてんじゃねえよ」
「エー、はべらしてやしねえって」
「嘘つけ」 

風呂場に入るなり、虎丸はあっという間に全裸である。伊達がノロノロ脱いでいるのを虎丸はひん剥いた。

「伊達、」
「あん?」

虎丸の手が伸びてきた、今伊達から奪った着物を脱衣所の床へ投げ捨てて、伊達の肩を掴む。虎丸がわずかにのびあがって、
「ん、」
むち、と唇を合わせてきた。伊達のわずかに酒に曇った目がばっちりと見開かれる。虎丸の真っ赤に酒に焼けた顔がニカニカと笑っている、本気のにおいはほと んどしなかった。
「へへへ、プレゼントはワタシ、なんてな。安上がりで悪いのう」
「………てめえは、本気の馬鹿だ」

酒の気配なんかを吹っ飛ばして伊達は逆に虎丸の首根っこを捕まえる。怒りなどはない、ただ虎丸の軽率さがおかしく、また可愛いものだと笑うだけの余裕も あった。
てめえが今、本気じゃねえってんなら、これからとっくりと本気に変えてやろうじゃねえか。
伊達の笑みが剣呑なものへ変じる。本来の獣が顔を出す。


虎丸を捕まえたまま、伊達は湯殿へ。ほぼ冷めかけた湯殿の温度が肌にも悪くない、が、

「………あんじゃ、この匂い…」
虎丸が呻いた。伊達はハッとして、マヌケ面の見習いを思い出す。

菖蒲湯だといったのに、あの見習いはせっせと、

「………生姜?」

生姜湯を風呂桶一杯に作ったのであった。ご丁寧にオロシ金が風呂場の片隅に転がっている。
伊達は思わず、

「菖蒲湯だ、菖蒲湯ッ!」

虎丸の尻を蹴っ飛ばして、ドボンと生姜湯へ虎丸を突き落とした。
プレゼントはアタシ☆
結局半分きり受け取ったまま、朝を迎えることになりそうであった。
モクジ
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