一般以外のバイクでのご来店はご遠慮ください−店長−

思春期男子には色々と見られたくないものがある。
例えばエロ本、例えばセンズリ、例えば電気の紐へのシャドウボクシング。
後は、
「だぁら俺の部屋掃除いらねぇってんだろがぁあああああああああ!!!」
「十蔵ちゃんがパンツ溜め込んでないかと思って…」
「出てけぇええ!!」
見られたくないものといえば、自分の母親。
赤石十蔵、青春も青春、暴走街道一直線の秋のこと。
誰より何より、母親限定反抗期継続中。


金蜥蜴総長、赤石十蔵。
彼の父親は斬岩剣の使い手、赤石剛次。
父親譲りの太い腰に、厚い肩、ひねくれ目尻の仏頂面。
目下反抗期継続中。
母は丸い頬に手を当てて、彼の下着を手にしたまま立ち尽くしている。
「でてけ」
さりげなく足で本をベッドの下に押し込みながら、十蔵は低い声で言った。
「うん、ねえ十蔵ちゃん」
母は彼を十蔵ちゃん、と呼んだ。母の中ではいつまでもいつまでも彼は夜泣きの酷かった十蔵ちゃんのままなのである。
何度も何度も何度もそれはやめろと言ったのだが、一向に聞き入れられる様子はない。彼の父があれはああいうものだから気にするなとまで言う。
「明日集会?」
母の言葉に十蔵は手からスプレー缶を取り落とした。マッ黄色、どゴールドのスプレーは転がって床を横切っていく。このスプレーでもって自慢のバイクをキンカキンカにしてやろうと思っていた。
「………なんで知ってんだよ」
得意そうに母は笑った。だいたいにしてこの母はいつだって笑っている。反比例するように十蔵は顔を難しくしていった。
「ちゃんとお手紙でお知らせが来ていたでしょう、まだ見ていないの?」
お手紙でお知らせ、族の集会も大規模化したものである。十蔵はがっくりと肩を落とした。
「勝手に人宛の手紙見てんじゃねぇよ」
声にも力が無い。母は封筒をエプロンから取り出してごめんなさいね、と詫びた。
「ほら、これに『集会のお知らせ』って封筒にも書いてあるでしょう。それに、『赤石総長様』って。剛次さんにあてたものかと思って」
「あいつら総長の名前覚えてすらいねぇのかよ…ッ」
十蔵は素足で畳みをにじった。ささくれが足の裏にちくんちくんと刺さる。
「頑張っていらっしゃいね」
母は十蔵の肩にぽんと触れて、応援した。丸い顔がふっくりと笑顔になった。十蔵はうるせぇと肩で押し返す。
「関係ねぇだろ、アンタにゃ」
昔十蔵はママ、と一度だけ呼んだことがある。その瞬間に父親の牛殺しの鉄拳が幼い十蔵の顔面を捉え、鼻っ柱が少し曲がってしまった。
父曰く男がそんな軟弱な事でどうすると言いたかったようだが、口より先に手を出すのはどうかと未だに十蔵は継続して思う。しかしその思うより先に体が動いてしまう血は完全に受け継がれている。
母さん、と呼ぶのは青臭い。
お母さん、と呼ぶのはイイコに過ぎる。
色々考えて、アンタ、と呼んでいる。父のこともそうしていた。
「それじゃあ今日はから揚げにしようかしら」
どの辺りがそれじゃ、なのか十蔵にはついていけない。ついていくとかついていかないの話ではない、意味が良く分からない。
昔はこれが普通なのかと思っていたが、小学生に上がって他の母親を見るにしたがって、うちのだけがヘンなんだと切なくなったことを十蔵は思い出す。
「なんでだよ」
一応聞いてみる。だが、いつだって満足いく返答は返って来ない。
「好きでしょう十蔵ちゃん、から揚げ」
から揚げは好きだ。レモンは邪道だ。
そういえば父もから揚げが好きだったと思い出す。父はおろしポン酢派で、竜田揚げのように硬い衣に食べる直前にそれをかけてじゃぶじゃぶ食べる。
あ、と十蔵は抜けた声を上げた。こういうふとしたところに彼生来の気のまっすぐなところが滲む。
「明日親父も演説かよ」
「そう、二人とも頑張ってね」
十蔵の父親は民族系政治結社の会長をしている。その民族系政治結社というのがどういう思想に基づいているかを、多くは父は十蔵に語らない。実の息子である。かわいいかどうかはさておき愛息子相手なら生半可な言葉より先に刃で語るのが男というものである。
強く、ただ強く。父のその背中を見て育った十蔵は正しいかわからないが今こうして族の頭を張っている。
族なんて群れるだけじゃねぇかと言い捨てられるかと一度は不安になったが、父は彼に「とことんにやれ、最後までな」といつもの厳しい顔で言っただけだったので迷わないように前をみて今、十蔵は走っている。
「アンタも行くのかよ」
結局母を部屋から追い出すのは失敗してしまったな、と思いながらも十蔵はベッドにどすんと腰を落とした。シーツの上にちょっといけない毛を発見してしまい心中慌てた。どうしてこうもこういう毛というのはそこかしこに落ちるのだろう。べつに毎日センズリかいている訳では無い、そして髪の毛のように毎日梳かして固めて立ち上げてもいない。それなのに、開いたマンガの隙間に挟まっていたりするとそれはもう猛烈にいやな気分になる。
その毛をぴんと指で弾き飛ばす。
母はそうだ、と手を鳴らした。
「そうだったわ、それでね、十蔵ちゃんにちょっと見て欲しいんだけれどいいかしら」
今時かしらをこれだけ馴染んで使い続けている女はそうそう見ない。筋金入りの箱入り、という父の言い草がぴったり来る。
母は待ってて頂戴と部屋を飛び出した。
「なんだよ……」
いい加減一人にしてくれ、十蔵の呟きはカベにぶつかって滑り落ちた。
それを踏みつけに、お待たせと母は両手に沢山の服を持って戻ってくる。いずれも真っ白であった。
「明日、どれを来ていこうか迷っていたところなの。これなんていいと思うんだけれど…」
これ、と母が掲げたのは純白のパンツスーツだった。
さっさと出て行ってほしい十蔵、
「ああそれでいいんじゃねぇのか」
それだそれそれと投げやりに言った。母はぱあっと嬉しそうに笑う。
「そう!?十蔵ちゃんがそう言うならこれにしましょう」
さっさと他の服を丸めて抱えると、ありがとうと礼を言う。
「おう」
母はじっと、十蔵を見つめている。居心地が悪い。
何かを待っているようなその目に、十蔵は仕方なしに言ってやった。
「頑張って来いよ」
「ええ!それじゃあ私、夕飯の買い物に行ってくるわね」







ようやく手に入れた一人を十蔵はベッドに仰向けになって味わっていた。
年頃の男子らしく、母親がうっとうしいのである。
あのおっとりとした母が、父に従って街宣車を乗り回し、ご通行の皆様と声を張り上げているのだ。
いや、張り上げてはいない。恐れ入ります、お邪魔しますねといつも通りの母のまま渋谷の道に車を走らせる。
父は言った。初めての見合いその席で結婚を申し込んできて、その上次にであった時には既に仮免まで取っていたと。

ああ、この家の中では俺も常識人なのかもしれねぇ。
金蜥蜴総長、赤石十蔵は唇を薄らぼんやり開いて天井を見上げた。


ヴォイヴォイヴォヴォヴォヴォヴォヴォヴォヴォヴォ…
突然、大気を揺るがさんばかりの轟音。うつらうつら眠りに入りかけていた十蔵は飛び起きた。
間違えるわけが無いあのご自慢のエグゾースト!!
俺のゴールデンドラゴン号じゃねぇか!!斬岩剣を手に、十蔵は飛び出した。






影も形もない。俺のゴールデンドラゴン号…呆然と十蔵は立ち尽くした。
バイク泥棒とはやってくれるぜ、この俺からバイクを…!!十蔵の髪の毛は天を突いた。
と、
「何を呆けてやがる」
父だった。今日は珍しく家にいらっしゃるのよと母がはしゃいでいた。

「なんでもねぇよ、ナメたマネした野郎がいただけだ」

バイクを取られた、とは父には言いたくなかった。男のプライドである。
父は硬い顎を手の平でさすってから、
「バイクならあれが乗って行ったぜ。買い物だとな」
「アレでか!!?俺の!!?」
「ああ」

そう、咎める口調ではなく言った。十蔵は思わず叫ぶ。

十蔵は行き場の無くなった斬岩剣を手に、しばらく黙った後に父にそうかよと答えた。

父子二人、久しぶりに会話でもするのにふさわしい空気である。
その晩のから揚げは大変おいしかったことが、十蔵のため息を増やした。
モクジ
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