聖夜に駆けよ

待ちわびているだろう彼らの元へ、
駆けよ、
駆けよ、
駆けよ、
雲の海を渡れ、
銀色の糸杉を蹴って、
月の光に濡れ、
砂糖雪を前脚に跳ねよ、

待ちわびているだろう彼らの元へ、

ひた駆けよ。
【走駆】




人工衛星が落ちてきたらちょうど、これくらいの音だったかもしれぬ。
そう思ったものがいたほどの激しい衝撃が男塾の校舎から全体を揺るがした、冬の午後である。
正月も近いということもあり、塾生達はどこかそわそわと気の抜けた顔でイビリを受けていた。
雪が降っている、昼だか朝だかわからない灰色一面の空から雪が細かい屑のようにしらしら落ちてきていている、今はまだ濡れ土色の校庭をこのまま降り続けば そのうち少しずつ白く覆い始めそうだ。
街は聖夜だホワイトクリスマスだと浮かれている、だがこの男塾にクリスマスなどはまったく関係が無い。関係がないので不毛にうらやむだけなので、話題にす らあまり出てこないのだ。
ともあれ、聖夜も間近な雪の午後である。
一号生筆頭剣桃太郎は他と比べて冷えの強い窓際で、マフラーに包まれた喉をクウクウ鳴らして眠っていた。顔にはジャンプをかけていない、そもそも雪空では
遮りを必要とする陽光はない。ついでに遮る音にしても、雪は音を吸い込んでしまうのでなんとも静かなものだった。静かなものだった、と言われてしまうと教 官達は顔を真っ赤にして悔しがるだろう。
だがそれも関係無しに、桃は安らかに眠っている。
「……ん?」
と、何かがうなりを上げて落ちてくる気配が桃の頬へちくりと来た。産毛が逆立つ、逆立つ、と思った時既に桃は体を起こす行動を完了している。急に飛び起き た我らが筆頭に、教室内にいた塾生達は目を丸くした。

と、轟音。
人工衛星が落ちてきたらちょうど、これくらいの音だったかもしれぬ。
その後その時を振り返って、松尾はそう言った。が、彼は少しばかり大げさに騒ぐところがあるので、実際のところはどうであったか。
男塾の頭脳と呼ばれる田沢にどうであったかと聞けば、彼はメガネをきらりの歯をニカリで、

「おう、ちょうど、サンタがトナカイとソリごと落っこって来た時のようじゃ」
と言う。
いかにも彼らしい、見たままの表現である。
轟音に驚いた塾生、好奇心旺盛な一号生筆頭を先頭に鬼ヒゲの制止も聞かずにわーっと校庭へ走り出て行った。

雪が降っている。
粉雪だ。さっきまでぼた雪だった、これは積もるなと誰かが言った。その呟くような声を走る塾生の大群は踏みつけにしていく。


「桃!」
一番乗りで現場に到着した一号生筆頭にして親友の背中に、Jは声をかけた。桃が振り向く、その顔は珍しくいつもの涼しいものとは違い、
困った、
という顔をしていた。何か、とJは背中に緊張を走らせた。
まさか爆撃、とJが身構えたところに、
「なんという事か!よもや届ける前に落ちるとは!」
と子供の金切り声が上がった。ム、とJも口元を引き締める。拳をぎゅ、と固めると桃は首を横に振った。
「なんじゃ!」
「どうしたんじゃ!」
「う、う、宇宙人怖いよう!!」
田沢、松尾、椿山の順にどなりながらたどり着いた。たちまちその場は真っ黒な学ラン姿で埋め尽くされる。
誰もがなんじゃなんじゃと首を伸ばして覗き込む、
「ああ一生の不覚よ、こんなところで雪と消えるか」
嘆きにくれる声、その持ち主。
「なんでえ、ガキじゃねぇか」
と言ったのは秀麻呂である。誰も、お前が言うなとは突っ込まなかった、それどころではなかった。
一頭のシカ(ほとんどの塾生はトナカイとシカの区別はつかない)と、それから一台の木製の船形ソリ。子供が雪山で遊ぶソリの下にスキーを履かせたような、 本格的なつくりのソリは落ちた拍子にか底が割れてしまっていた。
そして、
「どう見ても、ガキ…だよな」
恐る恐る誰かも呟く。呟きにおう、おう、と同意の頷きが続いた。
子供である。
膝までの丈の、白い毛皮飾りを縁取りにした真っ赤なコートを着た、子供である。年の頃はちょうど10歳程度。
白いポンポンが胸元に一つ、コートと揃いにか赤いポンポンのついた帽子を目深に被っている。長靴の底をかぽかぽさせた、白髪の少年である。
少女かもしれなかった。
ともあれその少年は腰に手を当てて、天を仰いでいる。自分を取り囲む塾生が見えているのか目に入っていないのか、真っ白い頬に落ちてきた幾粒かの雪を溶か す。
青い眼をぎらぎらさせて、どうやら怒っているようであった。焦っているのかもしれぬ。
塾生達の視線を受けて、とうとう少年に声をかけたのは富樫だった。桃ではない、こういった、未知のものにまず対するのは富樫の役目だと誰が決めたわけでは なくそうなっていた。富樫自身は貧乏くじだと言うが、それも星さと桃は笑う。
「おい…おい、ガキ」
少年はぐるりと長靴のかかとで雪をにじりながら富樫を振り返った。真っ白な眉が跳ねる、値踏みするような視線を居心地悪そうに富樫は受けた。
「おい子供ら、わしが見えるか」
子供ら、と呼びかけられて最初に反応したのは虎丸である。
「なんじゃァ?ガキがなに抜かすんじゃい」
少年はカッカと澄んだ声を立てて笑った。
「わしがガキに見えるか」
「見えるもなにも、ガキじゃろが、他になんに見えるってんだよう」

少年は雪の大地にすっくと立って、胸を張って言った。
「見ての通りサンタ・クルスだとも」

この国ではサンタさんと呼ばれて親しまれておるぞ、そう得意げに言った少年はたちまちにして割れるような笑い声にどっと包まれた。
校庭にわいた人だかり、そして大笑いに二号生や三号生、教官達はなんだなんだと窓から身を乗り出している。
「そのサンタクロースが、ここ男塾に何か用か。見ての通り、ここにいるのは男ばっかりで他には何もありはしないぜ」
桃が一歩進み出た。他の塾生達はまだ笑いが引っ込まない、桃一人静かに信じるでも信じないでもなしに普段のままだ。面白がっているフシさえある。
「――…」
サンタクロースは桃を見据えた。
そうして、笑い声に包まれながら、
「そなたらわしが見えるのであれば資格もあろう、仕事を手伝ってほしい」
そう、切り出した。
桃は太くはっきりした眉をうん?と上げて、まあ話を聞こうと雪の積もった肩をぱんぱんと叩く。号令を一声桃がかければ、外に飛び出してきた塾生達も遊びは 終わりかと寒さに背中を丸めて戻っていった。
雪の積もったまつげを二つ叩いて、サンタクロース少年は真剣に空を睨む。
雪が強さを増した。





ちょうど、五時。日は落ちた、
前脚をどうやら折ってしまったトナカイを塾生達五人がかりで談話室に運び入れ、手当てをしてやる。添え木を当てて、包帯を巻きつける。
そうして寝そべったトナカイを背もたれに、サンタクロース少年は胡坐をかいた。雪と泥に汚れた長靴を脱ぐとまっしろな足は冷え切っていた。誰も何もいわず にストーブを強めて、近づけてやる。
「すまんな」
「…それで、頼みたいというのはなんだ」
桃が切り出す。集まった塾生達の一斉の視線を浴びて、少年は悪びれずに言い切った。
「少年少女達へ、クリスマスプレゼントを配ることじゃ」
笑い声は起きなかった。あまりに突拍子がなさすぎて、一瞬どうすべきか皆隣の顔を見ていたのである。
「わしはこの東京を任されておる、しかしトナカイはこの有様じゃ。このままでは明日の朝までに間に合わぬ」
「間に合わないとどうなるんだよ」
誰かが聞いた。
「溶ける」
戻ってきたのは簡潔な返答だった。サンタクロースは笑いもせずに言葉を足す。
「配り終えることができねばわしの仕事は失敗じゃ、わしは朝日を待たずに溶け消える」
あまりに淡々と冷静に言うので、ついに笑う機会を逃してしまった。
「すまんが誰ぞ、地図を持ってきて欲しい」
秀麻呂が駆けて行った。誰もが見送って、目の前の少年を見下ろす。こんなばかばかしい話を信じているかどうかはまだわからない、しかし話を聞くくらいはい いような気がしていた。
今日は聖夜だ、そう言えばそれはそれで納得がいきそうな気もする。
聖夜だ。
トナカイが悔しげに、キュウキュウと鼻を鳴らしていなないた。

秀麻呂が地図を持ってくると、ちょうど23区と都下のラインを赤いマジックでサンタクロースは囲んだ。
「まず、ソリを使って配るのであれば楽なのだが…それは難しい」
楽とは?
「ソリの上から、子供達の靴下目掛けプレゼントをばら撒くことができる。が、見ての通りソリはあの調子じゃ、直して乗り込むのに時間がかかろう」
「手作業で配れってかよ」
「そうだ」
無茶言ってんじゃあねえや―、人だかりから文句が飛ぶ。信じたことを前提の文句に、さすがに少年サンタも笑いを隠しきれない、
「そこで、そなたらには二人組みで回ってもらう――」
サンタクロースは細い指をコートのポケットに滑らすと、ちょうど犬の首輪のようなものを取り出した。鈴が一つついていて、チリンと涼しく鳴る。
「トナカイの首輪じゃ、これをつければわしのトナカイのように空を渡り、雲を飛び越え、矢のように駆けることができる」
サンタクロースの指がひらめいたかと思えば、談話室の畳の上に今と同じ首輪が積みあがる。
「次、袋とラッパ」
真っ白い袋が床に転がり出た、誰もなにも動いていないというのに、最初からあったようにして大きく膨れた90リットルゴミ袋クラスの袋があった。
誰かがそれに手を突っ込む、しかし、
「何にも入っておらんぞ」
と首をかしげている。
「子供の枕元にてこの袋へ手を差し入れれば、それぞれの子供らに一番ふさわしいプレゼントが手に触れよう」
そいつぁすげえやと富樫は顎をさする。隣でJが眼を見張っているのに雷電が気づいた。
「どうかしたか、J殿」
「……いや」
雷電は瞳にやさしい光をたたえて、じっとJを見詰めた。話して欲しいでござるよ、なんでも。そう促されたようで、Jは重い口を開く。
「幼い頃から、一度面を見てみたいと思っていた――」
こういう男でござるなあ、雷電は胸のあたたまる思いを感じた。キリスト教の国、Jにとって誰よりサンタクロースはあこがれの人物でもあっただろう。

「どうじゃ頼めるか」
サンタクロースは畳の上に姿勢を正すと、深々と頭を下げた。
「――どうか、子供らに聖なる夢を」

沈黙。雪が積もる音が聞こえそうな沈黙だ。

「行くぞッ!!」
体の底からしびれのきそうな大号令。桃は右手を振り上げた、沸く。答えて怒号、膨れ上がる学ランが立ち上がる。
「田沢!」
「オッス筆頭殿!」
桃は一瞬苦笑した。しかしすぐに顔を引き締める。
「ソリの修理を頼む」
「オッス!」
「一人で大丈夫か」
「それは無理だ」
オッス、と田沢が直立不動で答えようとしたところに割ってはいる。二人がなぜ、という顔をした。
「…イカれたのはエンジンじゃからな」
エンジンついてんのかよ!!と律儀に伊達は突っ込んだ。
「…松尾と秀麻呂、椿山。何人か集めて田沢を助けてくれ」
「オーッス!!」
秀麻呂が元気よく答えた。たちまち田沢達は談話室から転がり出て行く。
「じゃあ袋だが…」
先ほどまであれだけ膨れていた袋が眼を向けた時には萎れていた、そしてホームセンターで売っているのと同じようにきちりと畳まれて積み重なっている。
「めいめい袋と首輪…それからラッパを持ってくれ」
「ならん」
またもや割って入ったサンタクロースに今度こそ桃も、
「どうしてだ」
と聞く。サンタクロースはため息をもらした。部屋が暖まっていたので白くはなかったが、大きなため息である。
「何のためにわしとトナカイが居ると思うんじゃ、トナカイの首輪をつけたらトナカイ、袋を持ったらサンタクロースじゃ」
「つまり、どうしても最低二人で動かないといけないわけだ」
「そうじゃ、ソリも無いのでその…トナカイは背負ってもらうことになる」

盛大なブーイングが起こった。誰もが袋へ手を伸ばす。しかし、
「少しでも力のある奴は首輪だ…頼む」
筆頭殿に言われてはわがままを通すわけにもいかない。ちぇっと誰かが舌打ちした、
「なんじゃなんじゃ、どいつもこいつもヘタレやがってよう!な、富樫、俺らァトナカイやっちゃるわい」
「お、おお!もちろんじゃあ!トナカイやってこその男じゃい!!」
富樫虎丸がにぎやかに首輪を掴み取った。つられるようにして力自慢の何人かが首輪を掴む。
こういう、場を明るくするところは本当にかなわないな、と桃は頼れる友二人をありがたく思う。
「いいか、ここが男塾のド根性の見せ所だッ!!!」

おおおお、
おおおおおお、
「道はトナカイ役が知っておる、頼む、頼むぞ!わしもソリが直ればすぐに行く」
聖夜、男塾出陣。
ちょうど五時半のことだった。





「――邪鬼様、本気で手助けを?」
ウム、と男塾の帝王は腕組みをしたまゆったりと頷いた。隣で控えていた影慶は重ねて問う。
「――しかし、邪鬼様」
邪鬼は右手を上げて制した。黙り込む影慶に眼を向ける。
「奴らだけでは荷が重かろう、手勢を貸してやれ。甘やかすわけではない、これも、」
これも男塾のため、そう言う邪鬼の眼は澄んでいる。このお方も変わられたな、と影慶は戸惑った。その変化が好ましいものであることはわかりきっている。
「二号生にも声をかけてやれ」
「はっ」

―二号生筆頭室―
「俺にサンタの真似事しろってか、ええ?」
「いや、赤石さんこれは、その、ごっつく緊急事態ですけん…」
とっとと首輪をつけろィッ!そう江戸川を怒鳴りつけると赤石、袋を持つ。
雪はもう目の前が見えなくなるほど強く降り続いていた。



これだけの仕事、分担するのも一苦労だ。
談話室はさながら地球防衛軍の司令室のようである。壁には大きく伸ばし書いた東京都の地図、テレビではNHKの天気予報。
地図には次々と担当者の名前が書き込まれ、天気予報担当からは天候の変化の報告があがってくる。
膨大に集まってくる情報を桃が一手にさばいて、すばやく割り振っていく。割り振られた担当は二人連れで校舎の外へと駆け出していった。
「新宿区、渋谷区はにぎわっているが住人が比較的少ない、終わったら大田区品川区の住宅街へ飛んでくれ」
「桃ォ、板橋区はたぶん、たった10組じゃあ無理じゃ!」
「豊島区の連中に半分持ってもらおう、いけるか!」
おういけるぜ、と豊島区担当が力強く答えた。板橋区担当がすまねえと詫びる、いいってことよと応ずる声、もつれ合いながら駆け出していく。
夜空、雪空にチリンチリンと鈴が音を吸い取られずに大きく鳴り響いた。
「思ったより都下が面倒だ、桃、もう5組人手を割けますか」
「そうだな飛燕、伊達に城南と都下の指揮を仰いでもらってくれ。あいつならうまくやるだろう」
「わかりました、私はここで天候と皆さんからの報告をまとめます」
「頼む」
「俺は道がよくわからねえ、俺も残るか―」
「心配はござらん、J殿。拙者雷電がなびげーしょんし申す」
「しかし、それでは俺が上と言うことに…」
「いいからさっさと行く!雷電、Jを頼みますよ」
飛燕の一喝、雷電はいまだに何事か言い募るJの手をさっさと引いて逃げていく。

「―行ったな、富樫」
「おう」
「お前は俺と来てくれ、俺たちは配りこぼしを一つずつ潰す」
富樫、既に太い首にきゅうくつそうなトナカイの首輪がはまっている。待ちくたびれたぜと富樫は笑った。桃は袋を掴む。軽い、本当にここからプレゼントが出 てくるのか、疑問はあったが疑いは何故かない。
「わしがここにおればこの鈴を介して、声を飛ばせる。ここを拠点に広がってくれ」
「よし」
通信役にサンタクロース、そのサポートに盲目の月光を残し、桃は富樫を連れて校庭へ出た。先ほど田沢たちが壊れたソリを引きずった跡は既に雪にかき消され てしまっている、桃は校舎へ向けて声を張り上げた。夜空をよく通る、いい声だった。
「田沢!!」
「おう!!」
「ソリ、頼むぞ!!」
「まっかせんしゃい!!」

ボキャーン、と何かが破裂した嫌な音。富樫は何か言いたげに口をもぐもぐさせたが、桃がひらりと自分の背中に乗った瞬間に頭は真っ白になった。
鳥が生まれた時から飛び方を知っているように、
魚が生まれた瞬間から尾びれを動かすように、
「いくぞ、富樫!」
「おうよォ!!」
富樫は桃を背に、地面を強く強く蹴った。
雲の上の月を目指せと浮かび上がる、


鈴がりん、と強く鳴った。










伊達は飛燕から入る報告を虎丸の背で聞いて、まず最初の家へと向かう。虎丸の背に翼が生えているかのように足は強く空を蹴る。
高圧電流の電線よりも高い位置を飛んでいた。虎丸の背中はあたたかい。伊達は地図を睨む。
前方から吹き付けてくる雪に虎丸の眉は凍りつきそうだ、伊達は珍しく大丈夫かと聞いてやった。
「お、お、おお!こんぐれえなんちゃあことねえやい!」
「そうか、」
無理はするな、と言いたかった。が、
「おう伊達!あれじゃあ!!」
と虎丸が空の下の窓明かりを見つけて急降下を始めたので、伊達は黙ってその背にしがみついた。この暴れ馬め、何気なく愉快だった。

青い屋根の一軒家だ。窓の外に虎丸は着地する、雪でつるりと滑りそうなのを踏みとどまって伊達を下ろす。窓から伊達は覗き込んで顔をしかめた。寒さに凍り ついたようにしてうまく右頬が唇をつり上げてくれない。
窓の中はまだ電気がついていて、覗きこめば、
「まだ起きてるじゃあねえか」
と、そういうことである。当たり前といえば当たり前、クリスマスの夜といえば子供にも夜更かしが許されあまつさえまだ7時なのである。起きていて当然では あった。虎丸はポケットからオモチャのように小さなラッパを取り出すと伊達に押し付けた、伊達は受け取り顔をしかめる。
伊達は唇を吹き口につけると、恐る恐る息を吹き込んだ。
ぱー…ぱぷー…
豆腐売りのような音がラッパから滑り出てきた。と、中で狂ったようにはしゃいでいた子供のまぶたがたちまち重たくなる。見る見るうちに重たそうな頭が左右 へ揺れた、憑かれたようにのろのろとベッドへもぐりこむ。同時に電気がバチンと落ちた。
眼を丸くして伊達と虎丸は顔を見合わせて、それからラッパを見下ろした。
「す、すげえ!!」
「大声出すんじゃあねえ、いいか、今だ!」
伊達が槍を振るった、窓ガラスは砕けはせずに、丸くちょうどガラス切りを使ったのと同じようにしてすぱりと切れた。丸い破片を伊達は摘まみ取ると腕を突っ 込んでカギを探る。中中指に触れない。伊達は腕の中ほどまでを突っ込んだ。
「……伊達ェ」
「なんだ馬鹿虎」
ラッパをひっくり返して見ていた虎丸、伊達の目の前に書き込まれていた注意書きを見せる。
「あん?」

『このラッパを吹けば、子供達はすやすやいい子で眠るでしょう!なお、窓は自動的に開くようになっていますので、エントツの下の火は自動的に消えますの で、くれぐれも気をつけること!』

伊達はようやく探し当てたカギを掴む、注意書きの通りに開いていた。

「……」
「………」

数秒後、伊達からラッパの使い方について緊急の伝令が本部に届くまでに窓ガラスは何枚か割られてしまっていた。
翌日、集団窃盗か?それとも現代のサンタか?と言った記事が新聞雑誌に載る事になる。








雪が勢いを増した。
もう富樫は眼を開けてもいられない、前からぶつかってくる雪の塊が富樫の頬で一旦溶けてそれから凍り付いた。
富樫の右足がどこかの家の屋根を蹴る、浮かび上がって、そして今度は電柱を蹴った。足が滑る。
「ううっ、も、もう…」
「富樫、しっかりしろ、富樫!!」
桃はしがみつきながら右手を富樫の頬へと伸ばした、つめたい頬を桃の手のひらがおおってあたためる。富樫は凍り付いた鼻毛をむずむずさせながらも笑った。
「本部飛燕、状況はどうだ」
富樫の背中から声が伝わってくる。
『飛燕です。桃、やはり雪に阻まれて飛行が難しいようです。今のところ36パーセントといったところでしょうか』
「思ったよりは進んでるな」
『ええ、三号生二号生のお兄様方が先ほど助力を申し出てくれたんですよ』
「ありがたいな」
心から桃はそう言った。顔は見えずとも飛燕が頷くのもわかるようだった。
「今八時半といったところか?」
『いいえ、もうさっき九時を回りました。…急がないと、リミットは二時です』
「二時?」
『とにもかくにもリミットは二時です。理由は知りませんが、……サンタクロースへ何かありますか』
「そうだな…うん」
かわってくれ、と桃が言うなり澄んだ声が響いた。
『わしじゃ』
「サンタクロース、一つ聞きたい」
『何か』

天狼星に桃の瞳をたとえた男がいた。その瞳はただ迷いなく前へと進んでいく。
「雲の上を飛ぶことは可能か」


一拍遅れて返事はあった。
『――可能じゃ、が、雲の上はさらに寒かろう』
「そうか、――飛燕」
『はい』
「全員に繋いでくれ」
『はい、どうぞ』


「皆、雪で視界が利かない。雲の上だ、雲の上を飛べ!!!」







富樫は桃の声を聞くなり、踏み込む足に力を入れた。ぐん、と肩にかかる重みを跳ね返すように勢いをつけて跳ぶ。
上へ!
空へ!
もっと上へ!!

富樫は気づけば、月光に全身を照らされながら雲の海の上を走り続けている。
桃は青い海を雲に見た、照る月またたく星、震えがくるほどうつくしい。それ以上に自分を乗せた背中の躍動が嬉しい。
遠い雲海の上を富樫たちと同じく飛ぶものがいる。手を振ってみた、豆粒ほどの大きさだったが振りかえしてくるのを見た。













1:50
富樫と桃は都庁へと雲海を渡って向かっている。もしもまだ取りこぼしがあった場合、東京のほぼ中心ならばどこへも行きやすいという考えあってだ。
下界はまだ雪が降っていて、交通事故が連発していると先ほどの報告に聞いた。桃は富樫の背中をねぎらうように優しく叩く、空を飛んでいるとはいえ自分を背 負って走るその疲労は想像を絶する。月光の気配が富樫の背中から届いた。
「月光」
『ああ』
「城南と都下の伊達からは報告はあるか」
富樫の背中の向こうで、月光が何か紙をめくる音がする。だから盲目じゃあ、という無粋を桃は働かない。
『ほぼ終わっている、時間までにはなんとかなりそうだ』
「よかった」
ほっとしたところに、飛燕の悲鳴が桃の耳に届く。
「どうした!!」
『大変です、さっき、新宿で…』
「飛燕落ち着いてくれ、どうしたんだ」
飛燕は二度咳き込んだ。落ち着こうとしているのだろう、桃は急かしたい気持ちを飲み込んで待った。富樫が走りながら振り向く、富樫を安心させることができ るほどの余裕はなかった。
『………新宿で最後の一つを配る予定の組が、道路に着地したところをスリップしたトラックに撥ねられたそうです』
「なんだって?無事なのか?」
『ちょっと待ってください…月光、どうです』
『命に別状はない、が…』
『なんです?』
『トナカイが足を折って、飛べないそうだ。サンタも打撲が酷くて動ける状態じゃあない』

7分前。
桃は富樫の肩をぎゅうと掴んだ。雲海にその気を放つ。
「…富樫」
「わぁってらぁ、ったく人使いが荒いったらねえ」

富樫は上体を低く、最後の力を振り絞って弾丸よりも速く駆け抜けた。
置いてけぼりの呼吸が白く尾を引く、富樫の指先は血行が滞って硬く凍り付いて動かない、ただ桃を背負うだけだ。落とさなけりゃあいい、富樫は鼻から雪より 雲より真っ白い息を噴出す。
桃も富樫の疲労もわかるし、限界が近いのもわかる、だからただひたすらにがんばってくれ、とだけ言う。


時刻は五分前だった。








目的のマンションの前に降り立った瞬間、富樫はその場に桃を下ろすと地面へ倒れ伏した。足が最後の最後に耐えかねて、動くのをやめてしまったのだ。
「す、すまねえ桃、畜生ッ…」
桃は富樫をマンションのエントランスまで引きずると、いい、とだけ短く言って肩を叩いた。よくここまで東京中を走ってくれた。おまえはやっぱり、男塾の顔 さ、そう言ってやるのは後でいい、富樫もそれをわかっていたので桃の尻を押した。桃は袋を携えて走り出す。
「い、行けェ桃ぉおおおお!!!!」

富樫の声援を背に、桃はマンションの階段を駆け上る。エレベータはボタンを押しても中中動かないのを見てハナから諦めた。
問題の家は最上階九階、桃はつるつる滑る階段を一段抜かしに跳んだ。

三階、残り三分。

四階、残り二分二十秒。

五階、残り一分五十秒。

六階、残り一分二十五秒。

七階、残り五十五秒。

八階、残り三十五秒。


九階のプレートが見えた、残り三十秒弱。
間に合わないか、桃が荒い息をついた途端。



りん。
りん。
りん。


盛大な鈴が鳴り響く。
さあっと分厚く垂れ込めていた雪空がたちまちのうちに割れて月が覗く。

りん。
りん。
りん。

上空に大きな、船のようなシルエットが現れる。
あれはソリだ。桃は知っている。
ソリにはもちろん、サンタクロース。ソリを牽くのはトナカイじゃなく、集結した一号生たち。
空を、一号生たちが引くソリが滑っていく。

「剣桃太郎!大儀であった!!」

鈴よりなお夜を割る声が満ちた、ソリの上に立ち上がったサンタクロースのものである。
サンタクロースの手に、小さな小さなハコのようなものが見えた。サンタクロースの手からふわり浮き上がって離れると、桃が向かっていた家の窓へと吸い込ま れていった。実際マンションの中にいた桃には吸い込まれるまでは見えなかったが、ソリを牽いて空を駆けた一号生たちはそれをしっかりと見ていたと後に聞い た。


「大儀であったぞ!!」

その声に打たれるようにして、桃もその場に膝を着いた。
雲が晴れて、雪の結晶という結晶が月の光にきらきらやかましく騒いでいる。
寒さも忘れるほど、うつくしいと見下ろす飛燕は髪の毛をかき上げながらそう思った。














「世話になった」
足の傷の癒えたトナカイの牽くソリに乗り、サンタクロースはそっけなくそれだけ言って去っていこうとする。
けが人も全て男塾に収容が終わり、後は見送るだけである。桃は首を横に振った。
夜中三時をまわっていた。
「空を飛んだのははじめてだ、中中面白かったぜ」
「そうか…お前達へのプレゼントは後で見るがいい」
「なんだ、もらえるのか?」
「礼だ――それからあのチョビ髭に伝えてくれ」
トナカイの首を撫で、サンタクロースは笑った。
「北欧担当の新米サンタクロースよりのプレゼントだ。本来こういうことはできぬのじゃがな、特例に許可してやった」
「え?」

じゃあな、桃の質問には答えずにソリは夜空へと滑り出していく。桃はケゲンそうな顔をして、富樫の寝ている部屋へと戻っていった。
ソリが過ぎると再び雲がわいてでてきて、雪が邪魔者は去ったとわめくようにして降り始める。


富樫は部屋で、既に起き上がりプレゼントの包みを解いていた。桃は背後から近寄ると富樫を呼ぶ。答えが無い。
プレゼントの中身をあぐらをかいたまま、背中を丸めて抱きしめる様にして見ている。桃はひょいと覗き込んだ。
「も、桃、これァ…」
プレゼントをよくよく見下ろすと、どうやらドスのようである。なんとも血なまぐさいプレゼントだと言おうとして桃は口ごもる。
「これァ、兄ちゃんのドスじゃ!!」
「何?」
富樫があぐらをかいたまま体を桃へ向けた。震える手のひらに乗るドスは、富樫が普段持つドスよりも少し長い。おそるおそる富樫が抜くと、よく手入れがされ ていて鋭い光を放った。
「兄ちゃんの、ドスなんじゃ…ほら、ここに名前が」

柄を示されてよく目を凝らすと、確かに富樫源吉の文字がある。桃はようやくサンタの言葉を思い出してあっと声を上げた。

「北欧担当の新米サンタクロースよりのプレゼントだ、そう、言っていたぜ」
「え?」








富樫はなんとも複雑な顔をして、鼻をすするとそのドスを抱いて眠りについた。

待ちわびているだろう彼らの元へ、
駆けよ、
駆けよ、
駆けよ、
雲の海を渡れ、
銀色の糸杉を蹴って、
月の光に濡れ、
砂糖雪を前脚に跳ねよ、

待ちわびているだろう彼らの元へ、

ひた駆けよ。
【走駆】




翌日、トナカイ役の塾生が激しい筋肉痛を訴えるのは、まだ少しばかり先の未来だ。
塾生達は今、それぞれなにかいい夢を見て深くふかふか眠っている。
モクジ
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