波乱ワルツ

その日の富樫はうっすら地面から浮かんでいたと、同級生は証言している。
『もちろん、私が貴方との約束を破るわけないじゃないですか』
ふわふわと上等な布団の上を歩くようにおぼつかない足取りで、富樫は校庭を進む。
『とっておきの、とびっきりの、ものすっごい美人ですからね!』
いかつい顔にはとんと似合わぬ爽快な笑みを浮かべ、口笛を吹かんばかり。
『期待しておいてください』
人の海が富樫を避けて割れる、十戒のようなその光景と上機嫌な富樫を目にした一号生筆頭、剣桃太郎は一瞬硬直すると首を傾げた。
「なぁ虎丸、富樫…」
隣を歩く虎丸に質問しようとして、再び桃は二度目の硬直。
虎丸もまた、ふわふわしていたのだ。
瞼はぼあっと半開き、唇もぼぇっと半開き、ゆるゆるの気配もなんだか垂れ流し。
「へっへへへ、春だねぃ桃よぉ、桜吹雪に気持ちもなんだかふわぁーっとなるのう」
変だ。
変だ。

虎丸と富樫はふわふわと校庭の真ん中で正面から鉢合わせ、
「春じゃのう!」
「春だのう!」
それはお前らの頭のナカだ、と誰もが突っ込みをいれたくなるようなとろけ言葉を吐いて、その場で腕を組んでくるくると回る。ステップも普段と比べれば格段に軽やかだ。いつもがタップなら、今はワルツ。
変だ。変だとも。
自らの呟きに自らで心の底から桃は同意した。
富樫がこんなに喜ぶのも、悲しむのも、悔しがるのも驚くのも、全て俺が原因であってしかるべきだろ!
桃はこの原因の追究をとにかく急がねばと拳を握り、手近なところで自分と同じく富樫と虎丸を見つけたらしいJを捕まえることにした。
「J」
「桃か、」
「……見たか」
「何をだ」
Jは純粋でとても真っ直ぐで、とても友達思いのいいやつである。それは桃も良くわかってはいる。
だが純粋すぎて天然の域に入ってしまっているため、時々話がかみ合わない。
「富樫だよ、さっきからうかれっぱなしだ」
桃はあえて虎丸については言及しなかった。今一番知りたい相手のことであるというだけでなく、対象を絞ることで小さな情報も逃すまいという意図もある。
「そうだな、何かいいことでもあったんだろう」
「だから!」
だから、俺は口を閉じる。
Jの横顔は安らかで、まさかその肩を掴んで「だからその原因を知りたいんだよ!」と怒鳴ることもできない。
J相手に声を荒げることが出来るやつなんか、そうそういやしない。しょうがないさ。
ともかく、次は虎丸だ。富樫の親友のあいつなら、何かしら知ってるだろうぜ。
俺はJに別れを告げ、ふわふわ歩く虎丸の背中を追った。

「よォ、桃〜」
呼び止めて振り返ったその顔!
口元はだらしなく、目は垂れ、まるっきりマタタビ猫だ。
「よう、虎丸。随分ご機嫌だな」
虎丸は腕をぶんぶんとふるって、ますます笑顔を深くした。
「おうよ!今俺様はゴキゲンよぉ!」
見ればわかる、が、言われてみれば更にわかる。
猫丸、いや虎丸のこういう素直なところを富樫はうっとうしいだのあれは馬鹿だの言いながら付き合ってるんだろう。
俺が聞くまでもなく虎丸は肩を組んできて、わざと声を潜めるようにして話し出した。そのまま教室へと向かう。
「実はよ…」
さて、聞かせてもらうぜ、顛末とやらをよ。


冬だというのにもうもうと寒空へと立ち上る狂い桜が、風に揺れては花びらを落とす。
春は遠い。遠い。
桜が咲いているため季節の感覚が狂うが、実はまだ足元には霜柱が天を目指している。
春は遠い。まだ遠い。
桜咲く男塾の校庭を、塾生は校舎目指して男目指して行軍。



「ほら、こないだの約束あったじゃろ」
「約束?」
ほらぁ、と焦れたように虎丸は組んだ桃の肩を揺さぶった。わかるはずもない、こないだが何を指すのかも、誰との約束なのかもわかるよしがない。
だがここで食いついて問いただすとまさに猫、逃げてしまうか焦らしてくるかわからない。桃は気長に虎丸が実は話したくてたまらないのを見抜き、言葉を待った。
ふと、間近で見た虎丸の顔に違和感を覚える。おかしい。桃は先週までの虎丸の顔を思い浮かべる。

「飛燕がよう」
「飛燕?」

虎丸の口から飛び出すにしては珍しい人間の名前が挙がった。さすがに虎丸の人間関係を全て網羅しているわけではない桃だったが、それでも記憶のうちで彼らが特別に親しいという記憶はなかった。ちょうどこの塾域に咲き誇る桜の如き麗人が、無精髭もまばら、気はやさしくて力持ちな虎丸と?
無精髭、その単語は桃の意識の中に浮かんだ。
そうだ髭、先週虎丸と別れた時には確かにその顔に無精髭はあった。顔の下半分、ぽつぽつとあった。
だが週明けた今、虎丸の肌は髭がきれいに剃られ、心なしか髪の毛にも少々櫛が入れられているように見える。
「女の子、紹介してくれてのー、そっれが、すっごいカワイイ子でのー」
更にふわっふわのくりっくりのきゅるんきゅるんでのー、と続く。
うっくくく、嬉しくてたまらない!といった風情で虎丸は足取りを弾ませた。肩を組んでいる桃はそれに律儀に、付き合いながら話しを外堀から埋めるようにして進める。
「ああ、そういやしてたなそんな約束。それで富樫もあんな浮っついてんのか」
「そーそ、俺様は先週だったけどよ、あいつは今週土曜つまり明日だ!」
明日!?
それは富樫が浮かれかえって舞い上がるのもわかろうというものだ。虎丸の自慢に相槌を打ちながらも密かに桃は戦慄した。
ああ富樫、富樫。要領のまるっきり悪いやつのことだ、きっと緊張してるんだろうな、もしかして初めてだったりするのか?バカだな、そんなの俺を呼んでくれりゃあいいのに水くさいったらないぜ。ったく。
「何でも飛燕の野郎、富樫には『自分が出会った中で一番の美人』を紹介するっていっとったぞ」
「一番の…美人、なぁ」
耳に唇を寄せて、ここだけの話じゃけどと情報をもたらす虎丸はやはり笑み崩れている。人間幸せだと口も軽くなるようだ。
しかしそれにしても、驚くべきは飛燕にそこまで言わせるという相手だ。それは凄いと素直に桃は感心し、嘆息した。
あの飛燕という男、物腰や口調こそ丁寧だが、中身は桃にすら読みきれない食えない男だ。そして現在わかっていることに、自分の容姿に対しては絶対的な自信を持っているということ。その飛燕が認める程の美貌を持つ女、自分はともかく、富樫はきっと見かけたことすらないだろうと桃は大層失礼なことを思う。
「なー、気になるじゃろー桃ー、」
むふふ、と太い眉を持ち上げて何やらたくらみごとをしているような虎丸に、桃は素直に頷いた。
「…ああ、富樫のトモダチとして、男としての門出を見守ってやらないといけないな」
にっ、唇の端を持ち上げ、きりりと涼しい眉が持ち上がってすました笑顔を作り出す。
「わかってるじゃねぇか、桃よう」
「フッフフ、盛大に祝ってやるさ」
甘いものを含んだようなその笑い声、虎丸は背中を叩こうとして、やめた。なんだか自分とは気持ちの向かう方向が、なんだか、違うように思えたのだ。
「…なんだよ」
突然ぱったりと肩を組むのを止めた虎丸に、桃は不思議そうに肩をすくめて尋ねた。
「いいや、なんでもねぇ!」
いいさ、だって桃は俺らのアタマで、そんでもって富樫の一番の親友だ。たまにちょっとなんか、おっかしいトコもあっけど、まぁええじゃろ。
虎丸は笑った。笑って背中を今度こそばんと叩く。
惜しいかな、虎丸は鈍かった。その名前の通り野生のカンとも言うべき感受性が備わっているにもかかわらず、身内に対しては全く働かないらしく、桃が発しているなにか紫色のもやもやには気づかない。だが気づかないあたり、気づいてもわからないあたりが虎丸のおおらかさ、ひいてはその魅力にも通じているため仕方のないところ。

「だからいつも俺を呼べと言ってるのに、バカだな。全身全霊尽くしてやるのに」
聞いてない、俺はなんにも聞いちゃァいねぇ。
虎丸は桃を置いて走り出した。
実はうすうす、なんじゃ桃のやつ、富樫に対して『シューチャク』しすぎじゃねぇか。なんて思ってはいたのだ。
だが本能というかそれこそ野生というかが邪魔して、見ないように蓋をしている。それは正しい、全く正しい。

桜舞い散る男塾。
黒一色の学ランに身を包んだ学生達の中を、虎丸は足をもつれさせながら駆ける。時折よろけて手を着く、周りからは四足で走ったほうが速いんじゃないかと囃し立てる声がわっと上がった。
桃は見る間に小さくなっていく虎丸の逃げ姿を見送りながら、軽く払うように振ってから頭を掻いた。





さて、富樫よ。
お前は暫定一番の親友である俺に断りもなしにデートなんぞするようなそんな友達甲斐のない男じゃあないだろ?
…もし俺に事前報告でもするなら、いいだろう温かく応援するさ。もちろん振られたら俺が慰める。
報告をしない?そうだな、そうしたら全力で潰すさ。そしたらあいつ泣くだろ、男泣きさ。当然俺が慰める。
わかるだろ、富樫。
いいから早く俺を呼べ。な?


桃は唇に甘い笑みを作り上げたまま、校庭を胸を張って歩き出した。
富樫が昇降口の辺りに到着しているのが見える。
まだ、ふわっふわしている。
自分が獅子の口の中へと飛び込んだどこだかわからぬ、小鳥のようだと珍しく詩的に一号生の誰かはそう言って、係わり合いにならぬように距離を取った。



その後、虎丸は何故か伊達に踏まれ、髭を毟られ、四つんばいにさせられた挙句背中に乗られるという踏んだり蹴ったりな災難に見舞われることとなる。
「なにすんじゃー!」
「うるせぇ、切り刻むぞ」


波乱は近づきつつあった。

モクジ
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