よきつきよ、

中秋の名月か。
邪鬼様がぽつりと空を見上げてもらしたのを偶然、部屋の清掃に入っていた三号生の一人が耳にした。
三号生の一人は清掃終了、失礼いたします!と腰から一礼して部屋を出、邪鬼の耳に足音が触らないように気をつけて走り出す。
邪鬼様は欠けることのない中秋の名月をお望みである。
もたらされた伝令に三号生達はざつと立つ。
邪鬼様は欠けることのない中秋の名月をお望みである。ならば叶える。
それは男塾三号生としてはそうであってしかるべき行動であった。
午前九時半。
まだまだ深みの足りないうすら青い空の下、三号生はおうと決起した。
時間は足りない、人手も足りない。
足りないならば引っ張ればいい、三号生達は迅速に判断した。







富樫と虎丸は裸にひき毟られると醤油でも作るのかと言う大きさの樽にぼんと突き落とされた。ちょうど二人の他に後一人でも入ったら窮屈になる幅に、高さは富樫の学帽のひさしが縁に届かないほど。状況のさっぱりとつかめない富樫と虎丸をよそにそこになみなみと火傷しそうに熱い湯をそそぎ、液体洗剤をまるまる一本をぶち込んだ。
ざんぶと水面に顔を出した虎丸は怒鳴る。富樫は沈んだ。というのも虎丸が富樫の腰あたりを踏み台にしているため、富樫は必然として沈んだ。口からは泡が吹き出す、洗剤の入った湯なのでたちまち水面は泡だらけになる。富樫の口から吹き出す空気はそのまま泡となり、さながら男塾名物泡風呂である。
「ど、どういうことじゃいこりゃあ!い、いっくら三号生ってもこりゃヒデェぜ!」
富樫と虎丸を沈めた三号生達は一言、
「一号生虎丸、富樫、貴様らを団子作成係に任命する」
と重々しく告げた。一人は棒に横板を打ちつけたものを持ち出してきている。富樫はまだ酸素を得ていない。何じゃそりゃあとがなり続ける虎丸の礎となり、富樫は沈み続けている。
「だ、だからそりゃなんじゃって聞いとるんじゃオウ、三号生のお兄様と言えども、あ、」
ざんぶ、とその棒が樽に突っ込まれた。棒を持つ男は樽の上に足を縁に乗せてまたぐ。上半身裸、渾身の力を込めてその棒を火熾しするようにしゅんしゅんと手の平の中で回転させ始めた。
棒には板が打付けられていた。棒が軸となって回転と言うことは、その板がスクリューとなって湯をかき回す。富樫と虎丸もその板に押し流されるようにして出来上がった渦にと巻き込まれていった。
「うお、お、おおおおおおおおッ!」
虎丸の口から、鼻から泡が続々と吹き出す。富樫はまだ顔を水面に出さない。出せない。
棒を回転させる三号生は額に汗を、腕の筋肉が引きつるほどに酷使しながら棒を回転させ続ける。
二人係、入れ替わり立ち代り富樫と虎丸を入れた樽の湯をかき回し続けたのであった。
「ぬう、あれはまさしく…」
雷電はその様子を眺めながら呟いた。なお今まで記してはいなかったが、場所は桜花咲く男塾校庭の片隅である。
隣に立つJはすかさず尋ねた。いつも自分が尋ねようとすると、先んじて桃や伊達が尋ねてしまうので黙らざるを得ないのが少しつまらなかったが今は二人で歩いているのでそう問いかけることが出来た。それにしても驚くべきは雷電の武術への造詣の深さよ、Jはその話しを聞いているのが楽しみであった。
頷いたり相槌を打ったり促したりが得意ではないので、俺の話はつまらないかと悪意はないにせよ尋ねられることのあるJであるが、雷電はそういう問いかけをしない。
「知っているのか雷電」
「あれはまさしく、禅寺堂宣託器…」
鎌倉時代の禅寺では本堂の中に樽を置き、そこに坊主を湯水とともに入れ激しく回転させ、坊主もろともにかき混ぜることで意識を彼岸へと飛ばす儀式が行われている。その朦朧とした意識の中でみ仏の宣託を聞くことができるという。もちろんただこの通りに湯の中でグルグル回転すればいいというものではない、辛い修行を積んだ末に出来るようになるという秘儀である。今でも信州の一部では行われているという。ここから着想を得て全自動洗濯機が生まれたというのは実は知られていない。

「良く知っているな、雷電」
「なに、たまたまでござる」

そんな会話の後ろで虎丸と富樫は互いの身体を皮が剥けるほど絡み合い、樽の内側に身体を擦られて垢という垢をこそげおとされて行った。
この後、洗髪と爪きりと消毒が待ち構えている。
なんといっても、邪鬼様に召し上がっていただく団子を作らせるのだ。衛生面は完璧にしないといけない。
三号生は回転し泡まみれになっているかわいい後輩に向かって許せよと唱えながらそれでも力を一杯に込めて棒を回転させた。
午前十時、昼までまだまだあるというのに塾生達は腹を空かせて意味もなくふらつく時間帯である。






一方、他の一号生達も総出で月見の準備である。
桃、伊達はススキ狩り班は野ッ原に立っていた。月見に使うのでここら一帯のススキを刈り取れ、というのが三号生のお兄様の命令ではあったが、
「そう言われたってこの野原だ。並大抵の労力じゃねぇな」
伊達はぼやいた。自分の腕を見込まれて、といえば気分のいいものではあるがそれにしたって草刈はないぜと通り過ぎる風にいまいましげな視線を流す。
「俺にしても、真面目にカマで刈り取るのは気が進まない。ここはあの人に頼むとしようぜ、伊達」
なっ、そうカマを手にした桃は顎をしゃくった。伊達が釣られてみると、
「俺の斬岩剣、見世物でもなけりゃ草刈機でもねぇ」
そう顔を不機嫌そうに固まらせた二号生筆頭赤石が居た。やる気はねぇと言われてしまって弱りきっているのは江戸川である。
「先輩!」
桃は顔を輝かせた。赤石はますます顔を曇らせた。江戸川は少しほっとしたようである。なんといっても広々さむざむとした野原に赤石と二人きりにされていて心細かったのである。赤石ときたら、自分といるとあまり気を使わなくていいものだから意地悪なことを言ってみたりわけもなく黙り込んでみたり、そうして江戸川がおろおろおろろと汗をかくのをニヤリと嬉しそうに見ているのだ。冗談と本気の区別がつかないので困るのだ、困るのは江戸川だ。その困った江戸川の困った顔が面白いと赤石はひそかに気に入っている。
江戸川はよぉと手を上げた。
「お前らも草刈にか、ごっついの〜」
「オッス、一号生剣桃太郎、ならびに伊達臣人、ススキ狩りを任されました」
桃はしゃんと背筋をただし挨拶をのべた。赤石はウムと鷹揚に頷く、さして興味もなさそうにススキ原を眺め渡した。
「ところで先輩」
赤石はなんだと冷たく答えた。桃の声が弾んでいたせいである。全くこの剣桃太郎という男がぴんしゃんとはりきって自分に話しかける時は要注意なのだ。
「先輩の斬岩剣、随分見ていないですね」
ときたものだ。あまりに見え透いている。
「テメェ、先輩に草刈させようってハラか。ふざけるんじゃねぇ」
「そんな!自分はただ、焼き付けたはずの先輩の斬撃がまぶたの裏から消えそうなのが残念なだけですよ」
「よくもヌケヌケと…」


伊達ははらはらと冷や汗をかいて成り行きを見守っている江戸川の腕を引いた。巻き添えを食うのは御免だが、一人この情けない先輩をナマスにするのは寝覚めがよくなかろうと思ってのことである。こういうところが「お前はやさしいな」などと言われる要因なのだが伊達は気づいていない。

そのたった一分後、桃に向けて放たれた赤石の一閃はものの見事に野原に生えていたススキを丸ごと刈り取った。
「オッス、ごっつぁんです!」
肩で息をする赤石に駆け寄る江戸川。どう上手くやったのやらと呆れて物も言えない伊達。
赤石に背中を向けると伊達に向かって大きく丸を腕で作って見せた。
一点もケチのつけようもない笑顔である。

午後を回った。それでもまだ暑い、湿気もあるように思える。
空の色が灰鼠色を少し混ぜた、太陽のひかりがとろけて注ぐ。







リヤカーにススキを積み込んで桃と伊達が戻ってきた時には、随分と男塾の校庭は祭り模様になっている。
三号生が号令をかけ、一二号生が動く団結で月見会場は設営されていく。校庭には安っぽいビニルシートが敷き詰められている中、一段桟敷が作られたのはおそらくそこを邪鬼の席とするためであろうと見当がついた。
桃はリヤカーの荷台を振り返って、着きましたよ先輩と声をかけた。おうすまんの、と帰ってきた声は一人江戸川のもののみだったが、重みは赤石のものも含んでいる。結局あの後男塾まで二人をリヤカーの後ろにススキと一緒に運びますという条件で事なきを得た。
恐縮する江戸川はさっさと歩き出した赤石の後ろを追いかけて行った、見送る桃と伊達。
「そうだ、ところで伊達」
「なんだ」
もうこのススキを下ろすだけ下ろしたら一眠りでもしたいと伊達は思っていた。疲れていたわけではないが、また突拍子もない命令を受けるのが嫌なだけである。
「富樫と虎丸の団子作りでも冷やかしてやろう」
「俺はいい」
そんなもの見たって食欲をなくすだけである。伊達はあのいつも泥だらけの虎丸の手が作る団子なんてどうあっても口にしたくないと思っていた。
だけれど桃は強引だった。まぁまぁと何がまぁまぁだかわからない事を言いながら桃は伊達を調理場へと引き摺っていく。
山と積みあがったススキを三号生がそこかしこに生け花の要領で飾り付けていく。
薄暗くなってきた。やはり真夏と違い、日が落ちるのが早まっている。
四時前、太陽が西にかたぶく頃。


「よう」
調理場に入ろうとしたが、三号生に押し止められる。三号生を初め団子班はみな白装束ならぬ白衣着用を義務付けられている。坊主が多いのは髪の毛混入を防ぐためのようで、ご丁寧に消毒用アルコールのポンプまであった。
「手伝いはいらねぇぜ、なんとかなりそうだ」
三号生のお兄様にそう言われたのじゃしかたがない。桃は伊達を連れて、窓越しに富樫と虎丸を探す。
見つけた二人はマスクをしっかりと装着し、餅取り粉で手を真っ白にしながら真面目に団子を丸めていた。硬さが中々定まらないらしく、二人でああでもないこうでもないと言い合っている。
「月見団子といえば、耳たぶくらいの柔らかさって言うな」
「ああ」
そんなやり取りを見守っていたが、富樫はおもむろに団子を一旦皿に戻すとマスクを引き下ろした。
「どれ、」
一声上げたと思った時には既に、その肉厚の耳たぶにかじりついていた。
「うお―――ッッ!!き、き、キッしょく悪ィことするんじゃねぇや!鳥ハダたったろうがぁ!」
富樫は悪びれず、こんなモンかとマスクを上げると団子を再び手にし水を少し加えた。人の悪い笑みで、
「減るモンじゃねぇや、悔しかったらやってみろい。俺ァかまわねぇからよ」
そう言ってみせた。虎丸は言葉を失う。ようは富樫は作業に飽いて、ちょっと虎丸をからかってみせたのだろう。
桃はそれを見て素直に、
「なるほど、手には団子持ってるしな」
と頷いた。伊達は驚いたよりなによりその虎丸の声のでかさに呆れてしまって物も言えない。
「馬鹿、こうすりゃいいハナシじゃろが」
虎丸は餅取り粉で真っ白な指で富樫の福少なそうな耳たぶを摘んだ。富樫はくすぐってぇよと身をよじる。
悪いのうと虎丸はまたニッカリと大きく笑って、拳二つ分くらいありそうな特大団子を一つこしらえた。


桃は伊達の袖を引いた。やけにしおしおと、上目遣いに伊達を見ている。伊達は嫌な予感がした。
「なんだ」
「ああ、その…うらやましそうに見えてな」
「そんな事ァねぇ」
「いいんだぜ?」
「何がだよ」

桃は自分の耳たぶを指差した。髪の毛に隠れながらその耳たぶは産毛に覆われていて、いかにも柔らかそうである。
「俺の耳たぶでよければ、ほら」
どうぞ、桃は耳たぶを指でもってぽるん、と軽く弾いてみせる。
伊達は怒って、すっかり怒って足音荒く去って行った。

夕暮れ、夕暮れ!
空の端に月、さぁ急げ!!
時刻は六時近い。










三号生達の嬉しそうな声に、邪鬼も心を弾ませていた。よもや自分の一言に塾生達がこれほどにまで準備してくれたとは。
案内役の三号生の後ろについて桟敷の席へと通されて、邪鬼は薄く笑みらしきものを浮かべた。彼なりの感謝の気持ちである。
三号生達はもうこれだけでふわふわ嬉しくなってしまって、気の早いものは酔ってもいないのに邪鬼さまばんざぁい、とがなった。
薄暮れが去って、本格的な夕闇である。空一面が深い群青となっていて、夏のほの白さは見受けられない。
どうにも秋の夜空である。
なんとか間に合った設営に、三号生達は満足げに顔を見合わせ、手伝わされたものたちも席で達成感のため息をもらしていた。
南の一つ星も見えてもよさそう、という時刻だというのに見上げた空全体がのっぺりと一色に塗りつぶされてしまっている。
どうもおかしい、肝心の月はどこだ。一度は下ろしかけた腰を上げて、三号生は青くなった。
席も設けた、団子も用意した、ススキも飾った!
というのに、肝心要の月が出ていないんじゃあ!
慌てた。力の及ばない雲の向こうに確実に月は居るのだ、うすらさやかに月のひかりが漏れている部分が空にある。かかってはいるものの雲は大分薄いようであった、とはいえどうにもすることが出来ない。
三号生はしょんぼりと肩を落とした。代表して影慶が桟敷に上がる。邪鬼は空をじっと見上げていた、見開かれた眼差しに曇りが無い。今か今かと月をまってらっしゃるに違ぇねぇや…!三号生は泣き出したい気分になった、既に泣いているものもいた。

「邪鬼様、曇りのようです」
「ウム」
邪鬼は無造作に、傍らに置かれた団子を手にした。虎丸特性の特大団子を口にくわえると静かに立ち上がる。三号生は身を縮こまらせる。

と団子を一口齧り、
「大豪院流…真空殲風衝!!」
天へ向けて真空殲風衝を放った。轟!と瞬時に巻き起こったカマイタチの大きさたるやすさまじく、咲いていた桜の花びらを巻き上げながら、とうとう空にまで上り詰めて月にかぶさっていた雲を取り払う。
真空殲風衝によって洗われた空にはしらじらと月、丸く白く輝く、まさに中秋の名月である。
邪鬼はまた一口団子を齧り、席に腰を下ろした。
沈黙が続いている。あまりのことにあっけに取られてしまっているのだ。
気まずい、邪鬼は傍らに控えた影慶に目線をやった。さすがに驚きは隠しきれないようだが、
「邪鬼様、何か一言」
と促されて頷く。
「よき月よ…」


その直後、盛大な邪鬼様コールに包まれながら男塾の月見は夜更けまで続いた。感極まって三号生は皆手を打ち足を鳴らしての邪鬼様コールである。
邪鬼はコールに団子をほお張りながら、よきつきよ、下から読んでも、よきつきよ、と一句詠んで少しだけ笑った。

隣で聞いていた影慶は、リアクションに困ったので自分も団子を一つ取ってもぐもぐと食った。
やたらと硬い団子であった。
モクジ
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