ちくしょうしぶてえ野郎だぜ

虎丸が顔をくっつけてきた。
なにやらまた馬鹿なことでも考えているのかもしれないが、特に嫌がる理由がなかったので富樫は黙っていた。
「富樫よう」
虎丸からは焼肉のにおいがする。自分も食った焼肉のにおいだ。
ビールの匂いもする。タバコの匂いもだ。
大宴会、男塾同窓会でのどんちゃんさわぎは富樫と虎丸がもたれている壁から少し離れたところでまだまだ続く。
朝まで飲むつもりなのは誰もが承知、食べ、食い、踊り、飲み、歌う。
富樫がセッティングしたこの焼肉屋は塾生達をよく心得ており、呼ばなければ来ない。
二回の隔離された大広間で、なつかしい顔ぶれがそろっている。
飲み潰れたわけではなく、飲み疲れた富樫は静かに壁へと後退して休んでいたところであった。自分の役割をよくわかっている、盛り上げ役で世話役だ、ハメを外さないかちゃあんと見ていなければならない。昔であれば考えられないような進歩だと誰かが言ったが、実はそれを進歩なのか退化なのか老いなのかまだ自分自身でもわかっていない。
昔のように無茶が出来るかと言われたら出来ると胸を張れる。
だというのに、やはり年を取ったのかもしれないというひっかかりがあるのだった。
「富樫よう」
虎丸は再び富樫を呼んだ。まさか虎丸に限って飲み疲れた食い疲れたということはあるまいと横を見た。
顔が赤い。というのに、何かまじめだ。
まじめな虎丸というのは中々見ごたえのあるいい男だと富樫は思っているが、言うと絶対に調子に乗るので言わない。
「もう良いかと思うんじゃ、俺もよーく辛抱したこったし」
何をだよ。
富樫が言うと、虎丸は赤い顔のまま顔を更にくっつけてきた。
何か言う前に、焼肉のタレの味がする唇が自分のおそらく最後に飲んだビールの味がする唇にくっついて、厚い舌でべろんと嘗められる。

背筋がわーっと騒いだ。胡坐をかいたつま先から頭のてっぺんまでわーっと騒ぐ。
「お、お、おお」
「お?おお嬉しやのう虎丸、もっとしてタモレってか?ほんじゃあ」
ワナワナ体を震わす富樫に向けて勝手なことをほざいた虎丸、んーっと唇を尖らせて再び急接近。はやばやと富樫の肩を両手に鷲の強さをこめて掴み、膝立ちになってにじりよっていた。
「こ、こんアホンダラァッ!」
べん、と手近にあった黒塗りの盆でもって虎丸の顔を富樫は一撃のもとにはたいた。
「い、ッてェ〜なにすんじゃ富樫、せっかく虎丸様がちゅーの一つや二つやアレソレしちゃろうと思ったのによう」
「ンなもんしなくていい!なんじゃ急にオマエ、どっか打ったか」
「…もーエエかと思ったんじゃがのー」
急に虎丸の声のトーンが落ちた。ずりずりと富樫の肩につかまったまま、頭が落ちていく。そのまま富樫の立ち上がり浮かせかけた膝にうつぶした上半身を投げ出すようにして落ちた。
「なに、言ってんじゃオマエは。さっきからヘンだぜ?」
答えはくぐもっている。眠気に酒気も混じっているに違いないが、真摯な何かも光っている。
ぐだぐだと虎丸は唱えるのだか説得するのだかわからぬ調子で言った。
「もうオッサンじゃ、俺もオメェもよ」
「たりめえだろ」
当たり前だと断じた富樫、虎丸はまだ顔を上げない。イスラムだとかああいったところの祈りをする人のように、富樫の膝に打ち伏せている。
「後何年経ったらオメェが俺に惚れっかな」
「何年経ったって惚れやしねぇって、いいから寝ろ、な、もう潰れた奴らも寝てるし」
思った以上に重症だと富樫はため息をついて、虎丸の出来うる限りにやさしく髪の毛に指を差し込む。虎丸の髪の毛は柔らかく富樫の指にすがりついてきた、地肌はじくじく熱を持つ。
「嫌じゃ」
やさしくしてやりゃコレだよと富樫の顔がひん曲がる。煙の向こう、桃がこちらを向いた。珍しく酔っているのか頬と耳、目尻が赤い。酒ではなく雰囲気に酔ってるのだろう。
「富樫、虎丸ツブれたのか?珍しく」
煙のわっかをいとも簡単にすりぬけてきて、富樫と虎丸の傍に膝をついてしゃがんだ。
頭がゆらゆらと揺れている。少しは酔っているようであった。
「ああ、いきなりワケわからんことヌかしやがって、ったく」
「ワケわからなくはないだろう」
酔っているように見えて、突っ込んでくる鋭さを持っている男なのを痛いほどわかっていたのに油断していた。富樫はぐむと言葉に詰まる。
「虎丸もじれったいんだ、モチロン富樫お前も」
「なんじゃ、桃はどっちの味方なんじゃい」
「どっちもさ」
そんな台詞が似合う男を、富樫は桃以外に知らない。
「塾生時代からいついつくっつくかと思ってたんだけどな」
「お、お、俺ァ別にくっついたりなんか」
「素直じゃないな」
桃は富樫に微笑む。兄貴の笑みじゃねぇかこれは、と富樫はよくわからないが思った。
「とにかくお前はもう少し」
「桃、あんまりカッコイイこと抜かすんじゃねぇや。富樫がホレちまうだろうが」
寝たとばかりに思っていた虎丸が声を上げた。富樫の腰に、母親にするようにしがみついている。
桃はふふ、と頬をゆるめてそうだったなと答えた。
「富樫はホレやしないさ、俺には」
「てめぇまでワケわからんこと言ってんなって、俺ァもう面倒くせぇのは止めたんだ」
「わかってるんだ。認めないだけで」
虎丸が顔を上げた。
きっかと目を見開いて、そこに酒や煙の曇りでは隠しきれぬ本音だけがるりるりと濡れかけた目の中で揺れている。
富樫は言葉を失った。

富樫にはわからない。
富樫はわかりたくない。
富樫はしりたくない。
虎丸はわかっている。
虎丸はみとめている。
虎丸は覚悟を決めている。

富樫が虎丸に勝てる道理もないのだ。


「あきらめるんだな富樫」
桃が言った。
「おう、もう観念しろや」
虎丸も言う。
「俺ァしぶといぜ、今までよくよく二十年、これからだって待ちに待ってやらい」
虎丸の言葉に、富樫はとうとう、ああこれがそろそろ年貢の納め時って奴かと苦笑した。



受け取るなり絡めて、結んで、解けぬよう補強。もともと土壌はあったのだ。
後は芽吹くだけ。
「いっぺんでいいから、虎丸が好きじゃって言ってみんかい、オウ」
「ケッ、てめぇがくたばる時になら言ってやらい」
強がりをこの期に及んで言う。照れ隠しというには凶悪だ、だが富樫という男はそういう男である。
言ったな、聞いたか桃。虎丸は富樫の憎まれ口にすら誇らしげに飛び起きて胸を張った。
聞いたとも、桃もしっかりとうなづく。

煙のせいじゃと言って、虎丸は少し泣いた。
男の情けである、桃も富樫も知らぬふりをした。それから、すこしやらしい夜をこっそりと富樫と虎丸はすごした。

本当に、本当にほんのすこしやらしいだけの夜だったのに、後日広まった噂はそれこそレディコミばりの性描写で富樫は卒倒しかけて泡を噴く。
もちろん犯人は卍丸で、ちょっと背中を押しただけだと悪びれもせず言った。
モクジ
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