今日から立派なテロリスト
「全員敵…面白いじゃねぇか」
私は聞きつけた上司の独り言に無言でサッと背中を向けた。
背後にふわふわ膨れ始めた嫌な予感は最近、確信にも似ている。今日はせっかく晴れていてずいぶんとあたたかい、窓際でぬくぬくとしていたい。
ほとんど仕事がないのをいいことに昨日買った本をぺらぺらとめくって、それから少しあくびなんかしたりして過ごすのがいい。
クリスマス、イエスキリストの誕生日だって近いでしょう。もっと平和で、いいじゃないですか。ねえ。
平和っていいですすばらしいですと、私は胸を張って言いたい。
「お前も今日から立派なテロリストだ」
聞こえない。聞こえません!!
「ベルリン、」
…私は壁です。
その前にしがないサラリーマンだった。振り向く。
わあ。いやあ。
とってもうれしそうなんですね、驚きました私。
「邪鬼様が呼んでいる、来い」
…はいわかりました。
私は不承不承上司に連れられて、権力でも実力でも防衛庁長官な大豪院邪鬼様の元へ向かう。
私の午後は既に不穏の予兆がある。おだやかではない、そして空もあんなに晴れていたのに端が濁って犬の遠吠えのようにうなっている。
上司は湿気が来るとヘアスタイルがどうのこうのと不満を言って、ちょうど目のあった時にゴキゲンなウインク。私と目がしっかりと合う男の人は海外にでも出
なければ滅多に会えない、少なくとも今まではそうだったはず、だけれどここには上司をはじめ大勢いる。長官などは私を子供を見るようにして見下ろされる。
…ところで今のウインク、両目つぶりましたよね。
もっと器用かと思いました、それでも私とくらべたら誰しも器用ですけれども。
先日も『どこからでも開けられます』が開けられない。腹が立った。ナイフを思わず取り出しそうになってあわててしまう。気短なところが最近上司に似てきた
のかもしれなかった。
上司の揺れるモヒカンが冬の蛍光灯の乾いた感じにとても似合っていて、少し空腹。まだ昼をとっていない、今日は珍しく倉庫へ行けたので増えていた備品の整
理をしていたらつい時間を過ぎてしまっていた。
お昼ごはんを食べ損ねた私には上司のモヒカンがシロップ漬けのあのまっ黄色な半月形のパイナップルに見える。
パイナップルとは比べようも無い硬い剣呑なものがあのモヒカンに隠し入れられていることを最近知った。まさに全身武器なんだと自慢げに言うその顔は子供そ
のもので、反応に困ってしまう。
「防衛庁特別国防臨時機動班、班長卍丸およびベルリン、失礼します!」
上司のめったに無いきりりとした声は、結構好きだ。滅多に聞けない本音のように珍しくて、珍しいからかもしれない。
重たいドアが目の前でやすやすと開いていく、このドアは実は銃弾も通さないよう金属が中に入っているんだと笑って上司は言った。
中からの返答は、
「入れ」
というとても短いもの、けれど私と上司をピシャリと叩くだけの力を十分に持った低い声。
私は普段猫背気味だった背中をしゃんとした。184センチ掛け値なしで入らねば失礼にあたってしまう。
大豪院邪鬼長官の姿は執務室のあの特注に特大な椅子にではなく、大きな床から立ち上る壁一面の窓の前にあった。日が差し込んでいてまぶしい、光につつまれ
ながら背中だけが黒っぽく私達に見せている。長官は後ろ手に手を組んでいて、ゆったりと立っておられた。立っていたというにはあまりにも覇に過ぎる。
影慶防衛庁長官臨時代理がそっと、デスクの傍に控えている。本当に名前の通りに影のような方だと見かけるたびに思う、上司と口論しているときはただの苦労
症の長男坊にしか見えない。
誰かが言っていたけれど、この四人を兄弟にすれば間違いなくうちの上司が奔放やんちゃな末っ子だ。となると私は末っ子が近所から拾ってきた犬とかそういっ
たところかもしれない。
「先日また、テロがあった」
大豪院邪鬼長官は私達に背中を向けたまま話し出す。窓の下に広がる広い庭ではたらたらと防衛庁の職員が笑いながら歩いていた。職務中だけでなく、職員の普
段の姿を見られる部屋へ、それがこの部屋を執務室として長官が選んだ理由だったというから恐ろしい人だ。
「はい」
「たるんでいる、まるで防衛という気構えがない」
「平和だからでしょう」
上司の口調と内容には大きな隔たりがあった。うんざりとした言い草に長官はこちらを向く。笑っていた。厳しい頬のあたりはそのままだけれど、まなざしが冷
たいものではなかった。
「これはただの無関心がもたらしたもの」
その通りだ。
「そうですね」
上司卍丸、モヒカンをくしゃくしゃとかき回してため息をつく。闘争に乱闘を好むところから平和が嫌いなのかと思っていたけれど、どうも違うみたいだ。誰も
がこのままでいいやと半ば諦めにも似た思いを抱いて、ただ死ぬというのが嫌いらしい。
男なら、死ぬ気で生きろ!そうがなった上司の熱さを覚えている。おそらく忘れない。
「また、建て直しの話を持ってきた奴らが居た」
「またですか」
思わず上司と声を合わせて大声を上げてしまった。顔を見合わせる。苦々しげに影慶防衛庁長官臨時代理が口を開いた。
「よほど懲りんと見える」
「本当に」
本当に懲りない。というか、喉もと過ぎればというものかもしれない。
建て直しについて。これは長い論争が続いている。
現在ここは三階建てで築七年。たったの、というのが私や上司、もう、というのが建て直し推進派だ。業務に支障はない。
もちろん普通であれば七年では建て直しなどしない。
この庁舎は来年新庁舎へ移るためだけの言ってみれば仮住まいだったらしいのだけれど、新庁舎の建築は長官が断固辞めさせた。『不自由はない』たったの一言
で片付けようとした長官に噛み付いたのはまずその新庁舎の建設業者の入札に絡んでいた職員や官僚だった。
そこからがとても面白いところ、そして長官の大きいところ。
詰め寄ってきた官僚の首根っこを掴むと無造作にそのまま、窓から投げ落としたのだった。
今私達が居るこの部屋は三階にある。
私は仰天してしまったけれど、上司がにやにやと笑って動かないのでそのまま立っていた。それが一人目、二人目がわけのわからない人権がどうのと絶叫したの
を長官は荒ぶる眉のかすかな動きだけで黙らせる。
「貴様等の立てた計画では、確か地上27階建てだったな」
「それが何だッ!」
もはや上司に対しての言動ではない、私ははたから見ていて恐ろしく思った。本当に恐ろしい獣の前でキャンキャンと吠える怖さを知らない。
上司は面白がって私のわき腹をひじでつついた。そばで控えている私達に誰も注目していないのだから咎めはしなかった。
「健常な人間ならば、三階から落ちても骨折程度で済もう」
しかも下はクッションになる生垣だ。長官が手配して、窓の下を生垣にしたのだと後で聞く。
「有事の際、窓から飛び降りもできぬような建物で何が防衛かッ!!」
そしてそのまま、押しかけてきた三人ことごとくをまるでゴミ箱にティッシュを投げ入れるような軽い動作で窓から投げ捨てたのだった。
もちろん、三人とも無事だった。
見事な裁きに、私も上司もそれっきり建て直しの話は終わりだと思っていたのに。
「入れ物ばかり立派にしようが、中身が伴わなければ何の国防か」
繰り返すように、自分に言い聞かせるように長官は言った。最近の自衛隊の腐敗ぶりと言ったらひどいものである、汚職、リンチ、癒着。
テロがいつ何時おころうとも防げる力があるようには私個人的には思えない。
「その通りですな」
なにやら上司は既に長官が言い出しそうなことに予想がついたのか、砕けた口調になって手をすりあわせた。
「ウム。少しばかりテロ訓練をな」
それはいいですね、と私は微笑みで賛同する。上司のワクワクぶりが不安を煽るけれども、まあいいでしょう。
これで私も昼食をとることが出来そうだ。
「ATの訓練を行う、ここでだ。日時は来週土曜日予定」
AT アンチテロ何とかの特殊部隊だ。私達防衛庁特別国防臨時機動班が裏なら、向こうは表だ。人員の育成や、装備品、一流の物を用意したと担当官僚は胸を
張る。恐ろしく高価な装備品の発注には長官ですら食い止め切れないほどの談合に利権に思惑が絡んでいるに違いない。そうして育った部隊は上司に言わせれば
それこそ、
『見てくれだけの軍隊さん』
だ。人を殺したこともなく、殺そうと思ったこともなく、殺すと覚悟することもない軍隊に、ただ一流の装備を与えただけで命がけのテロリストが止められるか
ということだ。
その点については上司に賛成だ。無理やりではあるけれども覚悟を覚えてからは、砂糖で出来た兵隊なんて怖くないかもしれないと思ってしまっている。
ほぼ素人の私ですらそうなのだから、外国人テロリストから見れば『ナメられている』んだろう。
「ここで?」
「設定は、テロリストに制圧されたこの庁舎の鎮圧」
ここで、訓練を?
それはそれは大掛かりだ。私は上司とは違った胸の高鳴りを覚える。
「そりゃあ豪気だ」
ワハハハ、と上司はとにかく上機嫌である。私は急に不安になった。
「テレビも呼んで、わが国が誇るテロ対策とやらを大々的に宣伝するそうだな」
なぜだか長官も楽しげだ。背中がざわざわする。
「お得意の宣伝ですか、フッフ、安い『英雄』の」
「それだけの部隊、負ければ面目も潰れよう。もはや建て直しなど到底言い出せもすまい…そうだろう影慶よ」
「箱に値しうるだけの中身をそろえてから言え、そういうことになります、邪鬼様」
フフフ、と珍しく声を上げて笑う長官。見れば影慶防衛庁長官臨時代理も笑っていた。上司は見るまでもない、大笑いだ。
上司の笑い声がきっかけとなり、部屋はわっと笑いに包まれた。
「こんな楽しそうなこと任せてくれるたあ邪鬼様には感謝してもしきれねぇ」
「誰が任せると言った」
「………え?」
「俺と、お前達死天王、それから副官全員だ」
「邪鬼様も?おい影慶」
ため息混じりに影慶防衛庁長官臨時代理は口を開く。
「お止めしてお聞きになる方か」
「まあそうだ」
「剣の奴めが日本初の武闘派総理大臣だというならばこちらも、日本初の武闘派防衛庁長官となってもよかろう」
違いない!上司は影慶防衛庁長官臨時代理の肩を抱いて大げさに囃した。
…話が読めない。読みたくないだけかもしれない。
「お前も今日から立派なテロリストだ」
聞こえません!!
そうして、私は来週土曜日、ちょうどクリスマスにテロリストになることになった。
私は170センチになりそうなほど縮んだ気がする。
縮んだのは命かもしれない。
どいつもこいつも、戦いが好きなんだろう。仕事というか趣味なんだろう。
畜生キチガイどもめ、珍しく私は毒づく。
部屋をやっとのことで退出してとぼとぼと歩く私を上司は追撃する。後ろから近づいてくる足音がどうにも弾んでいてタップでも出来そうだ。このやかましい足
音が戦場において地面をけずるような静けさと重さを生み出すことを知っている。
似合うかもしれない、ダンサーでも、テロリストでも。
「よしベルリン、とっとと戻って飯だ。それから訓練、血ヘド吐くまでしごいてやる」
「無理です」
無理ィ?上司は私の肩をぐっと引き寄せると顔を近づけてきた。
「無理はきくんだよ、無茶は出来なくてもな」
細められた目の奥にのたうつ蛇を私は見る、蛇はおなじモヒカンで、ケケケと悪魔の笑いを立てて私を脅かす。
私はその日、耐えかねて三度吐いた。
血を吐かなくて済んだのは成長か、それとも手加減か。私は知らない。
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