春になるとでてくるんだよ
知らないのか可愛い子、それは一人でできないもの。
教えようあわれな子、二人揃って初めて育つもの。
立ちなさいただ一人の子、隣のその子の手を取って。
そうとも、そうであるもの。
持ちうる限りの水を与えよ、慈しみをもって与えよ。
共に慈しめ頼りなきその芽。
伸びよ伸びよ、高く高く、満つ満つ三つ実らせたまへ。
【去り行くジプシー女:種まく子】
街をぶらぶらしていたら、急に見覚えのない知らない景色に出くわした。
伊達はおや、と立ち止まった。どうやら一つ曲がり角を間違えてしまったようである。だが、そんな些事に動揺するような伊達臣人ではない。
一つ手前で角を曲がってしまったのであれば、このまま進んで最終的に一つ角をまた曲がればいいだけのこと。
伊達臣人、颯爽と大股に夏の尾を引く風をすいすい掻き分けて歩き出した。
東京の、あの一種人を安らがせる喧騒がしゅうしゅうと背中に消えていく。前に広がるのは夕闇である。
つい先日まで六時半という時間はまだ空の半分以上が明るかったというのに、九月に入ってから急に暮れるのが早くなったように思う。
正面から吹いてくる風も、むっとするような湿度や日向臭さが薄れている。
普段男塾の中にいると季節の移り変わりというものをつい忘れてしまい、こうしてたまに外に出てみるとすっかり置き去られてしまっていることに気づく。
だが、塾生達は誰も彼も流されることをよしとしない男たちばかりなので、別にそれを本気で嘆いているわけではない。
伊達としては、一応一通りの情勢だけは把握しておいて、それを受け入れるかどうかというのは自分の肌に合うかに任せていた。
ごく一部の塾生は、結局シャバに逃げてるだけじゃねぇのかと伊達の外出を咎めるものもいた。なんじゃ結局おめぇも男塾から逃げたいクチかよう、伊達は何も言わなかった。反論は伊達のすることではない、そういう美学である。伊達の行動には筋ではなく美学が通っている。結果はそのうちついてくるだけだと割り切っていた。そういう伊達を生意気だというものもいる。だが虎丸が伊達よう、おまえ、損じゃのうと側に寄ってくるので十分であった。うるせぇよと尻を蹴った。わかってほしい人間にわかってもらえているだけで、それ以上を求めない、存外に欲のない男が伊達臣人であった。
桃、桃、それでいいのかよう、となおも一部塾生は桃に尋ねた。伊達の野郎調子乗ってやがる、それでいいのかよ、と尋ねられてその答えは。それでいいじゃないか、と桃は言う。何も新しいものを取り入れたら男じゃねぇってわけじゃないさとアッサリ言う。
誰より男である桃がそう言うので、伊達は近頃堂堂と外出して彼言うところの【情報収集】を楽しんでいた。
大使館か、それとも資産家の家か、古いくすんだ赤煉瓦の壁が伊達の左手をずっと続いている。よほど大きな建物なのかとつい興味がわいて立ち止まって目線を塀の上にやってみるも、敷地内から塀の上へとかぶさるように伸びた枇杷の木に視界を遮られた。
「足をお退け、躾の悪いぼうや」
唐突に視界の死角から声をかけられた。気配を感じなかったのに、とも思ったが元々全力で気を張っていたわけではない、むしろそぞろに気を遊ばせていたので気づかなかったのかと一人納得をして声の主に眼をやる。ぼうや、と少々ひっかかりのある物言いに目をちらりと細めて見やった。
「何?」
ちょうど伊達が通り過ぎようとしたその真横、壁にもたれるようにして一人の外国人がささやかな露店を開いていたのであった。伊達の右足がその露店の敷地をあらわす朱の敷物を踏んづけていた。店主はそれを咎めたのであろう。わざわざ立ち止まって敷物を踏まれたのだ、嫌がらせと思われてもしようのないことである。
「すまん」
伊達は足を素直に引いた。白灰色に古くなったアスファルトの上に、紅葉とも夕日とも違う朱の敷物。よくみれば複雑に黄色や緑の糸も織り込まれたしっかりとした厚手の工芸品で、単なる風呂敷ではなさそうである。
「素直だね、かわいいぼうや」
その敷物の上、荷物のように丸くなってしゃがんでいたらしい店主が笑った。店主も店主で敷物と同じような朱の布を頭からかけてくるまっている。どこの国かは知らないがこれまた布を重ねる朱の民族衣装に身を仰々しくつつんでいた。まだそんな寒さでもなかろうに、と思ったが、彼らの国からすれば日本は寒いのかもしれない。世界は広いのだから。
「ぼうやだと?」
聞き流せばいいものを、挑発を受けたらきちんと受けるのが伊達である。出されたものはきちんと食べるのが虎丸流。
もちろん、こんな行商の老人を脅そうなどという気はさらさらにない。弱いものいじめをする趣味はないのだ。
だが、それは相手が老人の場合である。
「気に障ったかい、気短なぼうや。あたたかなミルクのにおいがするよ」
顔を上げた店主はどう高く見積もっても十二歳ほど、少年としか呼びようのない子供であった。それが老人のように背中を丸め、この伊達臣人をぼうや呼ばわりである。
伊達は内から起こる気をごうと背中から首筋に舞い上げて、圧した。ナメるんなら相手を見ることだ小僧、
「何か言ったか、ガキ」
俺は伊達臣人だ。
「種を買うといい」
店主、いや、この年から言って単なる留守番である。伊達はちょっと【話】をしていくことにした。ふと時間が気になったので太陽を仰ぐ。日はとっぷり落ちかけて、空の端に橙がかろうじてひっかかっている程度。いや、さっきから日は暮れかかっていた。さっきも夕日は頭だけ出していた。
伊達はなおも大人びたというよりも老成した口をきく少年の前にしゃがんだ。無論ウンコ座りである。
少年は頭からかぶっていた布を剥いだ。僧侶のように剃り上げられた坊主頭があらわになる。褐色の肌であった。少女のようにも見える、濃い眉毛と蝶々のような睫、真緑の瞳。砂漠のにおいがするな、と嗅いだことがあるようなないような感想を持つ。
からかうようにその目が震えた。
「種だ?」
少年は確かに口調の通り老人じみた手の震えでもって、敷物に並んでいたリンゴほどの石ころを取り上げた。いや、石ころではない、少年が言うとおりそれは何かしらの種である。少年は差し出した。手首の銀細工の装飾品がしゃらしゃらと鳴る。衣服からか肌からか、乳香のツンとした香りが漂った。
「持ってみて」
伊達は怒りを一先ず引っ込めてその手の平に種を受けた。ずしりと重くおとつい朝食に出た梅干の種を巨大にしたような、皺の細かく入った種である。だがこれだけ巨大な種は見たことがない。雷電あたりに見せればこれは何がしの種であると説明をしてくれるやもしれぬ。
「何の種だ」
少年はにやりと笑った。笑うとますます子供らしさが抜けていく。伊達は少年が目尻に小さく複雑な藍の刺青を入れていることに気がついた。
「愛の種さ、必要だろう」
たちまち湧き上がった興味は失せた。文字通り手の平を返して種を道路へと捨てる。完全な球形ではなかったらしく、さして転がらず伊達の足元にとどまったのがうっとうしかった。
「馬鹿馬鹿しい、何が愛の種だ。バカな女子高生相手の商売が俺相手に出来ると思うな」
さっさと立ち上がると西の空を振り返った。未だに夕日は西空の端にしぶとくしがみついているまま。さっきも太陽に掛かっていた枇杷の枝の位置がまるで変わっていない。これはおかしい、と頬の辺りに緊張を浮かべると静かに気配を探った。自分とこのインチキ行商以外の気配はない。ゆっくりと見下ろした、睨む。もしもこの少年が敵であるならば、命を奪うのはさすがに気が進まない。だが、もしこいつが本気で自分を殺そうとするのなら、と伊達は右の拳を固める。槍は持ち歩いていないが、油断を差し引いても素手で事足りる相手である。
「その拳、ただ振るうのはもったいないことだよ、臣人」
名前を呼ばれてさすがの伊達もひるんだ。ぐっと手の平に力を入れて拳を作った途端に手の平に収まるリンゴほどの塊。即座に眼をやって、自分の手にあるのがさっき道路に打ち捨てたばかりの種であることを確認する。
「おい、貴様」
やはり敵か、と種を手にしたまま伊達は構えた。槍が無ければ闘えないような男ではない、いざとなれば鉄釘だろうがセロテープ台だろうがどんなものででても闘えるのである。
少年は落ち着き払っているのではなく置物のように座ったまま動かない。ただその沼のような目で伊達を見つめている。
「我らジプシーはね、愛を育てる地の民なんだよ。臣人」
「戯言を抜かしてんじゃねぇ、ドコのモンだよ」
「何処でもない、我らは土の民。出会うものに種まく民」
どうもこの少年の喋る言葉は歌のようで、伊達は居心地が悪くなった。手にした種を捨てようかとも思ったが、さっきのこともあるので握ったままとなっている。関わり合いになるのはごめんだと背中を向けた。未だに太陽は沈みきらない。この少年が何かしたとしか思えなかった。伊達は唇を犬歯でもって血が滲むほどに噛んだ。痛みがぼやけないところをみると幻術の類では無さそうである。
伊達はため息を漏らした。完全に門限に遅れている。門限なぞ怖くはないが、それによって同室の虎丸までもが連帯責任で飯抜きをくらうのはさすがに哀れであった。こと食い物のこととなると虎丸は全力である。普段を七割で生きているのではないかと思えるほどに全力である。
全力の虎丸にぶっつかるのは伊達としても避けたかった。
仕方なく、少年に声をかける。
「おい、俺は帰りたいんだがな。まだ用でもあるのか」
少年は言った。高い声である。目尻の刺青が一瞬消えて、瞬いていく。
「その手でもって、その子の手を取りなさい」
少年には『その子』が見えているような口振りであった。種を持つ手を指差して、少年は微笑む。
「その子?」
「それは大豆でもなくキュウリでもなく、愛の種。愛は一人ではぐくめるものではないよ、臣人」
いちいち俺の名前を気安く呼ぶんじゃねぇ、伊達は奥歯をかみ締めた。だが目の前のやせっぽっちの少年は晴れ晴れと笑い、そして歌うように繰り返す。
それは愛の種、それは愛の種、と。
いつまでも伊達の目の端から消えていかない西日、
「おい、いい加減に」
「もう根を張っている、隅々まで」
「だから」
伊達は思わずだからなんだッ、と怒鳴りかけた。
「だから、そのやさしい獣の手をゆめ離すでないよ」
立ちなさいただ一人の子、隣のその子の手を取って。
気づけば、伊達はいつもの曲がり角で種を片手に立ち尽くしていた。とっくに日は暮れて、秋の星星が遠慮がちに空に散らばっている。
俺としたことが、夢なんぞ、と言うわけにはいかない。手には確かにその種が。
結局、門限には遅れてこっぴどく叱られた飢え、ではない上、虎丸ともども飯抜きの刑となった。
信じているわけじゃねぇ、ただ邪魔だったからだ。
伊達は呟いて、乱暴に種を地面に落とした。上から靴の底でもって地面へと無理矢理押し込む。昔ここに誰かがジャガイモを植えようとして挫折した畑の成れの果てである。何故失敗したか、それは畑を作った本人が空腹に堪えかねてタネイモを食ってしまったからだと聞いてあきれ返った。
だがおあつらえ向きに伊達と虎丸の部屋の窓のすぐ前、容易に様子が見守れる。さすがにこの見るからに硬そうな種を割って、梅干のように天神様を食おうというバカは一人くらいしか心当たりがない。その心当たりは今現在部屋で寝ている。食いっぱぐれた空腹から、とても起きてはいられねぇよと泣き言を言ってさっさと寝てしまった。同室のため馬鹿な気を起こしたらすぐに尻を蹴っ飛ばしてやれるのである。
と、俺はなんだってこの馬鹿馬鹿しい種を守り抜くことを考えているんだ。
伊達は自分の真面目さを呪った。期待する気持ちがなくもない自分のリリカルさも呪った。
というわけで、愛の種は土に埋められた。
たちまちに時は流れる。すぐに半月は経って、伊達は月を見上げて勝ち誇った。
ふん、やっぱりなあのガキ、ふん。伊達は腕組みをして、足元の地面をぎゅっと踏みつけた。土がぐいぐいと凹んでいく。
伊達が踏みつけにしているのは、あの愛の種を植えたところである。
半月もたって、なんの反応もなし。ちょうど半月目の朝、すがすがしい朝だがまったくすがすがしくない顔の伊達が地に立っている。
世話をしていたかといわれればそういうわけでもない。ただ毎日窓を開けがてら目印に転がしておいた、松尾が作った邪鬼の顔面像の失敗作あたりをちらりと見る。何故松尾がそんなものをこしらえたかは謎である。雨が降らない日が続いたら気まぐれを装ってその辺りで水を飲み、地面にこぼした。
鳩がクルッホウと寄ってきたら、槍の鍛錬、演舞に次ぐ演舞で打ち払う。
ようするに、気にしていた。
だというのに、半月もたって、なんの反応もなし。
伊達は面白くない気分で、足元の土をつま先で穿り返した。自分で踏み固めてしまっていたので難儀し、水分の多い土が靴に張り付いたので自業自得だがまた腹が立つ。
埋めたことは夢でないらしく、ごろりとリンゴ大の種が泥まみれで転がり出てくる。
「ちッ」
あるじゃねぇか――なのに、
なのに、言わない。考えない。負けを認めるのにも似た拒絶でもって伊達はその先を拒んだ。
「おッ、なんじゃこりゃー、なーんかヘンなイモじゃのう」
ちゃっと虎丸が現れて学ランの裾を泥で汚すのも構わずにしゃがむと、沈む伊達の足元から泥だらけのその種を拾い上げる。秋のからからした陽射しにかざして、片目を瞑った。
一応伊達に断りを入れた。
「半分いるか?ヘンなイモじゃけど」
はっ、と伊達は浮上した。虎丸、この馬鹿、やっぱりタネイモに手を出す男はなんだって食いついてくるんだなと妙に腹の底で納得し、反射的に尻を蹴った。
ぎゃっと虎丸がのけぞる。その手から種がごろりとこぼれて、土に落ちる。
「馬鹿野郎、いきなり土に落ちてるモンにまで食いつくんじゃねぇよ」
虎丸は尻を押さえてヒィヒィとその場で飛んだ。当然の不満を口にする。
「な、なんじゃい、おまえのならおまえのって言えよなー」
「人のものじゃないなら食いついてたのか」
「……で、それ、なんじゃ」
「うン」
伊達は言葉に詰まった。何と説明したものか。花と言うわけにはいかぬ。こぉのカッコつけぇとからかわれでもしたら。
愛の種。そんなもの論外だ。
「………」
結局、伊達はうまい説明を見つけられずに沈黙を守ってしまった。虎丸は答えを待つのに焦れたのか、種を拾う。
「ほいじゃ、こっちのが日当たりよくっていいじゃろ」
と、土のよくほぐれたあたりを選ぶと手でもって穴を掘った。シャベルなどない、その短い爪に土が入っていくのを伊達は黙って見下ろしていた。
穴に種をおさめると、やさしく、やさしく、しかし手つきはすこぶる悪く上から土をかぶせていく。決してギュウと押したりはしない。
「おまえよー、こーいうのは優しさが大事なんだぜ?」
「タネイモ食っておいてよく言うぜ」
「う、うるせぇな!……おら、」
何故だろう、何故こうも憎まれ口だけは躊躇いなく出るのだろう。もっと言うべき言葉はあるのに。
虎丸は膨れたまま手を差し出した。
伊達は反射的に右手を差し出し、握る。
「ば、馬鹿ちげえよ!それ!水!!」
真っ赤になって虎丸は怒鳴った。左手に持つ、水を入れたボトルを指差す。
急激に伊達は恥ずかしくなって、ボトルに回転をかけて投げ渡した。ぐきりと突き指をしてしまい、涙目の虎丸はなんとか受け取る。
埋めたあたりに、ボトルから水を振り掛ける。
虎丸の、土に汚れた横顔を見ながら伊達はこいつは土の匂いがするなと思った。
「まッ、こんなもんじゃろ。伊達も毎日見るほど心配なんじゃったらちゃんと世話しとけよー」
見られていた。伊達の顔が渋いものになる。虎丸の驚いたかと言いたげな、ぷくりと得意げにふくれた頬をつねってやりたくなった。
「うるせぇ」
さあ飯だ飯、殊更に興味なんかはありませんと言う顔で、伊達はさっさと畑に背を向けた。
虎丸はまったくやさしいわりに意地っぱりじゃと顔をほころばせ、誰ともなしに言った。
「これから冬もあるし…春になったら、出てくるじゃろ」
本当に春に芽吹いてしまったら、伊達はなんと叫ぶだろうか。
今のところ、誰にもわからない。
いついつ芽吹く、いつ芽吹く?
知りたいかい、せっかちな子。
春になるとでてくるんだよ。
春はすべての春よ、可愛い子。
春よ、春よ、息吹く春。
愛を双葉に、愛を新芽に。
待ちきれない子、早ッ気起こしていじくるんじゃあないったら!!
【ジプシー女の子守唄:春】
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