蕎麦屋の二階に似ている
その大福でみっつめだ。
俺は目の前で大きく口を開けてもまるきり見事な男前をぼんやりと見ていた。
桃が大変な甘いもの好きであるということに富樫が気づいたのは、つい最近のことである。男塾で生活をしていて、甘いものを口にする機会はめったになく、た
まに塾内に自生する柿やら栗が手に入る程度のことで、砂糖というものは終戦直後の日本と同じ程度に品薄であった。
気づいたのは師走の半ば、枝がしっかり垂氷に包まれた寒い日の午後のことである。
富樫は隙間風の出所を探して自室、桃との相部屋を這いずり回っていた。どうも、夜布団に包まるころになるとどこからともなくちろちろと冷気がしみこんでき
ているのだ。いくらあんかを入れようが湯たんぽ代わりの一升瓶手ぬぐい巻きを入れようが、外から冷気が入り込んできてしまうのでは意味がない、そのため富
樫は暇さえあれば部屋中をぐるぐると点検しては隙間を見つけ、粘土やらで塞いでいた。
この日は寒いながらも晴れていた。まぶたが突っ張るほど乾燥していたが、晴れ空に砂埃が舞う中で多くの塾生は外で元気に駆けずり回っている。
富樫はひとり、電気のついていない部屋でごそごそやっている。昨日の夜は月光で影が出来るほど空が澄んでいてとりわけ寒く、綿ぺらの布団一枚ではいくら足
をこすり合わせても暖は取れず震えはとまらなかった。ストーブなんぞ到底望めぬのだから、せめて隙間を塞ぐくらいのことはしようと思い今に至る。
富樫は目を閉じ、肌に触れる空気の動きを感じ取ろうと試みた。
が、すぐにあきらめる。富樫は男塾塾生だが、拳法に精通しているわけでも殺人拳を会得しているわけでもない。
微妙な空気の動きなどつかめるはずもなかった。
「…お?」
壁際、桃の手ぬぐいを引っ掛けている形のよれたハンガーのちょうど真下に小さな橙色の巾着が落ちているのを見つけた。何気なく手を伸ばして手のひら大のそ
れを手繰り寄せる、なにやらごろごろとした小さな塊が中で動くのがわかる。ふかい紫色の紐をしゅるりと引いて、口を開ける。
ころころと転がり出てきたのは、いわゆる駄菓子だった。
30円前後で買える、一口大のそれ。
ヌガーの入ったもの。
ナッツのまぶされたもの。
苺味のもの。
色とりどりの、ファンシーな包み紙のチョコレートが床に散らばった。
絶句する富樫。
「富樫、いい天気だし昼寝でも…」
いいタイミングで桃が部屋へと戻ってきた。昼寝でも廃品回収でもなんでも、桃は富樫を誘う。どんな反応をするのか、どうするのか、桃にとって未知なるそれ
が楽しみでしかたがない男が富樫である。
「あ」
チョコを手の平に載せている富樫、富樫は焦った。
何か言わなければならないと思うのに、こんな時富樫の舌はまるっきり役立たずである。
さっきまで躍起になって探していた隙間風が吹き込んで、桃の背中に垂れたハチマキがわずかに揺れる。あすこだ、富樫はあわてながらも捜し求めた隙間を見つ
けた。
「悪ィ、何かと思ってついよ」
どうにか口を開いてそれだけ言うと、桃はゆるく首を左右に振った。耳の横で丸く跳ねた髪の毛がくるりと愛らしい、そう恥ずかしげもなく評する人間を富樫は
幾人も知っている。まったく隅々まで富樫のように一般的にはモテない男にとっては忌々しいほどにいい男だ。顔も性格もひっくるめて、富樫から見てもそれは
明らかなので問題はなかった。
「いいさ、よかったら一つ好きなのをやろうか」
「いや、俺ァ…」
手のひらの上で光沢ある包み紙が光を揺らす、富樫はううんと犬のようにうなって頭を掻いた。
「甘いモンはどうも苦手なんじゃ」
「そうか…残念だな、これなんて」
言いながら桃はずずいと今まで立ちっぱなしであった部屋の入り口から進み出て、富樫の元に歩み寄るとその手のひらから一つ摘み上げた。
「これなんてうまいぜ、まあ試してみることさ」
そう言いながら舌以上に器用に動く指先が包み紙を剥いていく、桃の指先は魔法のようだと恥ずかしいことを考えたことは富樫の一生の秘密である。
あの指先ならそれこそ金庫だってなんだって、それこそぎっちりと詰めた詰襟だって簡単なのだと富樫は知っている。
富樫が何か食べ物を触ると、手を洗ったかはなはだ心配になるのだが桃にその心配はない。いつも清潔だとなぜだか確信がもてた。
桃の指先にあるチョコが富樫の口に近づいてきた。結んだままの上唇にぶつかる。部屋の冷気に放置されていたそれは冷たい。
「いあねーって」
いらねえ、と言おうとしたがぐいぐいと押し付けてくるチョコのせいでくぐもった。口を開いて言いかけたあたりで既に半分ほどは口に押し込まれている。
「まあそう言うな」
結局、富樫の口にそのチョコは押し込まれた。
唾液も乾いていた口の中でチョコが次第にとろけ、ねばりつく。おっそろしく甘く、舌が重たくなるほど絡んだ。嫌そうに富樫の顔が口の中のものとは正反対に
苦いものにと変じていったのを桃は不思議そうに瞬きをして見ていた。
「甘ェ…」
「そりゃそうさチョコだから、これはコーヒー味」
味なんぞわからなかった、富樫はろくすっぽ噛みもせず、ただ喉を無理やり押し通したのだ。
桃は指先で解けていたチョコを舌を出して舐め、微笑んだ。桃はそういえばえらく体温が高かったんだっけかなと数え切れないほど直に触れた指先を富樫は思い
出し、新たな包み紙を剥き始めた桃を笑った。
「そんなに好きかよ」
「ああ」
一口にぽんと、黒糖入りのうたいのあるチョコを放りこむ。もぐもぐと舌にとかして食べる桃の目じりはとろけていた。
「あんまりおおっぴらに言わないほうがいいぜ、菓子が好きだってぇと軟弱だとか言う奴もいるだろうしな。筆頭のくせにとかよう」
「俺には関係ない」
あんまり桃がはっきりというので、富樫は戸惑った。桃はチョコを飲み込むと言葉を続ける、既に指は二つ目へと伸びていた。
「俺は甘いものが好きだ、それでどうこう言われようが関係ねえ。筆頭の面子なんざクソくらえだ」
単に甘いモンが好きだって言うだけなのにこのあふれる気迫といったらない。これが男気だと言うんなら無駄な輝き、それは富樫の胸をつく。
すすめられるままに富樫も、塩キャラメル味というのに手を出したが、やはりため息が出るほど甘かった。
甘いものを好きなだけ食べさせてくれるそれが、桃にとって特別なんだということが富樫にわかるまで、まだ大分かかることになる。
その後ついに見つけた隙間風は、チョコのファンシーな包み紙を張って塞いだ。
コンビニエンスストアが浮く昔ながらの商店街をまっすぐに進み、仏壇屋の角を曲がる。
既に夕暮れ、富樫はようやく買った鮮やかさのとぼけた黒い襟巻きを巻きなおす。スーツの袖から入り込んでくる冷気は容赦なくわきの下まで這い上がってく
る。次は手袋を買うべきだと富樫は体を馬のようにふるわせた。
あたりは既に真っ暗だ、いくら冬の日没がはやいといっても既に七時半をまわっている。商店街には主婦の姿が減っていた、既に買い物ラッシュは終わって久し
い。サラリーマンが背中を丸めてぼつぼつといる程度だ、早々と仏壇屋など待っていても客がこないものだから閉まっている。
一見筋者に見える富樫だが、古い町の商店街を歩いている分には浮かない。指をさされることもほとんどない、年齢層の高いこの商店街の人間達はめったなこと
では揺るがないので富樫も耐えるのは寒さだけで済んだ。
角を曲がり、まっすぐ。ついに人通りは富樫を除いてただの一人もなくなった、細い道である、軽自動車もすれ違うことは出来なさそうに見えた。
路地裏には目印の道祖神、富樫は闇に目を配る。
「黄色いヨダレかけの地蔵ってったな」
顎を覆い隠すように巻きつけていた襟巻きにくぐもらせた確認のつぶやき、白い息が闇に膨れた。
ごろごろとある道祖神の中、黄色の前掛けをしているそれをとうとう見つける。
ぽつんと、木の骨組みに和紙を貼り付けた燈篭が闇に橙燃えていた。高さとしては富樫の腰よりも少し下、本物の蝋燭ではなく電球だというのは見てそれとわ
かったが、そこに書き付けられた文字が確かに目当ての店のものであるのを見て軽く息をもらした。
「ここか」
闇夜に一見しただけでは店とわからないが、ともかくそこが指定された場所である。
江戸時代の蕎麦屋みたいだな、と富樫はわかるのだかわからないのだかよくわからない感想を店構えに抱いた。
暖簾をくぐる。
店に入るなり、手あぶりのための長桶火鉢に炭が起こっている。すべての部屋は座敷で、ふすまで仕切られているところを見ると蕎麦屋と言う先ほどの感想の気
安さが消えていくようだった。すべてふすまが客である自分に背を向けているようで、おかしな圧迫感がある。
「いらっしゃいませ」
濃紺の和服に身をつつんだ、まだ学生ほどの少年が出てきた。富樫は予約してた剣だと名乗ると、どうぞこちらへとふすまで仕切られた座敷の一つに案内した。
ふすまを開けると、そこに今日の招待主が既にネクタイをくつろげた気楽な姿で待っている。富樫は自分でも知れずに少し安心した。
「よう、迷ったりしなかったか」
「まァな」
富樫は挨拶を軽く済ませると靴を脱ぎ、座卓の前で胡坐をかいた。膝に気をつけるようになったのが自分が社会人なのだと富樫に思い出させた、まったく桃や虎
丸に会ったりすると今でも自分は一塾生のような気分になってしまうのだから困ったものである。
「変な店だな」
一応声を潜めると、桃は手書きらしい簡素なメニューを眺めていた顔を上げた。
「そうか?」
「愛想のねえガキ一人っきりだ、客もいるんだかいねえんだかわかんねえ」
桃は頬を膨らませるようにして笑った。
「いるさ、意外と混んでるんだぜ?」
「にしちゃあ静まりかえってやがらぁ」
「そういう店だからな」
そういう店たぁどういう、富樫の質問の前に、先ほどの愛想のない少年がふすまの向こうから、
「よろしいですか」
と声をかけてきた。桃がうん、と答えると、すらりとふすまを開ける。
濃紺の和服の袖から出た腕にはずっしりと重たげな盆が乗っている、その盆の上には、
「桃ォ」
目のくらむような大量の和菓子、和菓子と言うよりは少し庶民的ないわゆる甘味が大盆の上にずらりと並んでいたのであった。
情けない声を上げる富樫をよそに、桃はその盆を受け取って座卓の上に下ろす。見れば見るほど甘いものしかなかった。
「こちらでよろしいでしょうか」
「ああ俺はこれで。…富樫、何か足りないんなら追加してくれ」
俺のおごりだからと言う桃はさっさとお絞りで手を拭き、並んだ甘味にどれにしようかその明晰な頭を使っているようである。
富樫はあきれ返って、
「ここァ甘味処かよう」
「…?はい、そうです」
少年は少し不思議そうにしたが、愛想のない態度は崩さない。
「なんかしょっぺえようなモンはねえのか」
「昆布茶と、それから柴漬けに糠漬け、塩昆布もあります」
「……酒は」
「あります、お持ちしますか」
「頼まァ」
少年はかしこまりましたと言って出て行った。
ふかいため息が、殺風景な座敷にこぼれていく。十分にあたたかい室内でそれが白く浮かぶことはなかったが、気持ちは下へ下へしずんだ。
その大福でみっつめだ。
俺は目の前で大きく口を開けてもまるきり見事な男前をぼんやりと見ていた。
桃ときたら、目の前に塩昆布しか食べられていない富樫をおいて尚、旺盛に口に甘味を運んでいる。
芋羊羹、
水羊羹、
塩羊羹、
小豆羊羹、
栗羊羹、
羊羹だけでこれだけ既に口にしている。どれも上品にではなく、しっかりと厚切りの羊羹だった。
桃が今頬張っている大福はみっつめだ。
「これは漉し餡だ」
そんなもの、甘いものが苦手な富樫からしてはどっちでも代わりがない。
「そうかよ」
あーあ、塩昆布で飲む酒は、普段チーズ鱈で飲むチューハイとなんら変わらない。
「悪かったな、お前と会いたいが甘いものも食べたかった」
「ちっ」
まるで悪びれていない。
富樫はやけくそのように盆へと手を伸ばした。どれもこれも砂糖だ餡子だ、富樫は散々迷い手をした挙句みたらし団子をつかむ。
口に入れてぐいと串を引くと、思った以上に弾力ある丸みが口に伸びた。
甘辛い、が、嫌ではない。団子についた焦げ目の硬い部分を噛み伏せて飲み込む。気づけば二つ目へかじりついていた。
「………」
「うまいだろ、」
「………まあな」
桃は上機嫌に、こんどはこれだと言って大きなどら焼きをすすめてきた。富樫はもうどうにでもなれとかぶりつく。
甘いふかふかの分厚い生地、さらっさらの餡子。一個っきり入った栗がいとしい。
男たるもの、甘いものなんぞにうつつを抜かすなかれ。規則第何条だったか。富樫は勿体つけて言った。
「………ま、メンツなんざどうだって、いいやな」
「そうだとも」
ところで、と桃はすすっていた栗ぜんざいの椀を置いた。
「ここは夜、甘いものを食いにくる男が集まるって店なんだが」
「なるほどなぁ、確かに普通の店じゃあ入りにくいわな」
桃はふすまを指差して、人の悪い笑みを浮かべた。
「皆詮索されたくないから静かにしてるだろう…だから店も呼ばなければ来ない」
「ほーん」
気のない相槌を打ちながら富樫はだれた舌を柴漬けで叩いた。甘いものを求めて胃がやる気を見せている。
「甘いものも食いたかったのもあるが、お前に会いたかったよ」
声の質が変わった。桃の手がすっと伸びる。あらかた食い尽くした盆にではなく、富樫に向かって。
桃の目がきゅう、と細められた。やさしいような意地の悪いような目が光る。
「とが、」
「おい大福だ!!豆でも塩でもなんでもいいから大福をくれや!!」
富樫は声をひっくり返しながらあの無愛想な少年を大声で呼んだ。
切羽詰った声で、パンパンと手を打ち鳴らしてまで急ぎ呼ぶ客に、他の客はどう思ったであろうか。
その日富樫は大福を六つにぜんざいにしるこに団子に葛餅にわらび餅にあんみつに、
とにかく腹が裂けそうになるほどの甘味を食べた。
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