恵み深い舌

真砂さらさら、
真砂さらさら、
真砂さらさら、
わたしは濃き紫の、甘い煙をくゆらせて横たわる。
舌を伸ばしてなめとってあげましょう。
真砂さらさら、
真砂さらさら、
真砂さらさら、
お眠り、深く胸に虚像をあげる。
舌を伸ばしてからかってあげましょう。
うふふ、べろべろ。
【恵み深い舌】





富樫は、衣をつけられている。
衣と言っても天女のあのひらひら熱帯魚のようにたなびく衣ではない。
卵に小麦粉の衣だ。
卵は氷水でゆるく溶かれ、そこに薄力粉がダマを残しつつ混ぜられている。
それを全身にまとわりつかせているため、手足もぼったりと重たくなっていて身動きにも困るほどだ。
どうなってんだ、こりゃあ。呟きに口を開けた途端に卵のぬたぬたが口の中に滑り込んできて辟易する。
口周りを手の甲、もちろん衣まみれの手の甲でぐいとぬぐう。手の甲に積もった衣を腕を振って払い落とす。
べしゃり、と音を立てて落ちた衣にかまいもせず、今度は顔全体をぬぐった。視界がさっと目覚めのように開ける。
ぐらぐらと煮えたぎる油の鍋があった。
「な、なんじゃあこりゃあ!」
富樫が目をぐわっと剥くと、どこからか箸がするすると降りてきて富樫を摘み上げた。おっそろしく長い箸である、その箸はやすやすと富樫の脇の下にすべりこ んできて乱暴に挟んだ。つま先が浮き上がる、富樫は手足を猛然とじたばたさせた、暴れるたびに衣がばたばたと落ちていった。
そして、富樫は鍋の真上まで運ばれる。
ぐらぐら、ぼこぼこ。
鍋の中の油は煮えたぎって、むっとするような油くささと熱風が足元から昇ってくる。富樫は暴れることもできなくなってしまう。

ぱ。
と、箸が開いて富樫をそのまま鍋の中へと落としていった。



「うおおおおおおおおおッ!!!!」
バッ、と富樫は冷たく湿った布団に飛び起きた。額にはべったりと油っぽい冷や汗をかいている、背中にもわきの下にもだ。
布団の上で息を荒くしながらモサモサと乱れた頭を掻いていると、
「ウッ」
とうめき声を開けて桃も起き上がった。富樫と同じようにして嫌な汗をかいているのが墨色の部屋の中でもはっきりと見て取れた。桃が荒く息をつくたび、群青 色の寒々しい月明かりに真っ白な息がシルエットとなって浮かぶ。
富樫はたまらず声をかけた。
「桃、大丈夫かよ」
桃は手の甲で顎に伝い落ちた汗を切って、ああ富樫と掠れた声で呼ぶ。
「桃」
「何、少し恐ろしい夢を見ただけさ」
と、桃が布団についていた手に富樫が何の気なしに触れるとひんやりと氷のように冷たくなってしまっている。あんまり冷たいので思わず富樫が手を引っ込めて しまったほどだ。
「冷えてんじゃねえか、おい」
桃はうん、とうなづいてうなだれ、何か考えていたようだったが、
「すまん」
と隙間風のように力なく一言謝ると隣接していた富樫の布団、その足元に足を突っ込んだ。冷たい足が入り込んでくる、木床とさしてかわりないようなその冷た さ、富樫は首をすくめてウヘッと間の抜けた声を上げた。
「寒いんだ」
ひゅうと喉が滑り鳴いた、富樫は桃へ向かって顎をしゃくる。桃は汗をひかせ、かげりある顔を窓の外の月程度には明るくした。ただし、温度はまださほどあ がっていない。
「……ふん、寝相悪かったら叩きだすかんな」
桃のつま先を、富樫はずっと昔に兄が富樫にやってくれたときのようにふくらはぎでぐむと挟んでやった。
ありがとうの声を富樫は聞かずに眠りにズドンと落っこちた。
眠り水でも飲んだかのように、富樫も桃もこんこんと深く深く眠りへと落ちていく。



やわらかく煮られて甘辛いツメを塗られ、
網の上に転がされてじりじりと焼かれ、
くらくら牛乳のまろやかな鍋に入れられ、

富樫はそうして、この晩三度調理されて食われた。




暁は東より、紫色の空の端から金色ゆらゆら、にじむようにして日が昇ってくる。
結局富樫も桃も昨日一晩何度も嫌な、調理されてはむしゃむしゃと食われる夢を見ては飛び起きたのだった。
「……うう……」
せめて桃が白熱球のようにあったかくなっていてくれたのが救いだった。凍えずには済んだ。
「起きたか」
昨日の夜あんなに冷え切っていたというのに、桃は既に布団を這い出している。桃が残したぬくもりにまだ富樫は浸っていた。頭も体もまだ眠りの一枚皮に覆わ れている。だいたいにして冬の朝は暗くってさて起きようという気になれない。
布団は桃のにおいがする。
桃のにおいがするというよりも、自分のものでないにおいがするのだと富樫は尖った鼻を鳴らした。
違和感というほど不快じゃあない、悪くは無い。
そのにおいの元である桃は部屋の片隅、自分へ尻を向けてなにやらぶつくさやっている。

「富樫」
「あん?」
「昨日俺はまず、からりとてんぷらにされる夢を見た」
富樫はあくびも途中にあんぐと口を開けたまま言葉を一瞬失った、直後オイこらそりゃあ、と底抜けに調子っぱずれの声を上げる。
「やはりお前もか、」
そうだな、と声色で念押しされて富樫はおうとうなずく。つま先はまだぬくい。



「これさ」
桃は振り向いて、手のひらに載せた何かを富樫へと突き出して見せた。
桃の手は濡れている、手首をしずくが伝い落ちた。
それは昨日虎丸が取ってきた、海際の河口の――

「シジミじゃねえか」
「そうさ、だがよく見てくれ」
ドロ抜きにタライへ水をはって、部屋の端に置いてあったはずだった。
そのシジミ、桃の手のひらにあるシジミはよくよく見れば、
「あ?こりゃあシジミじゃあねえな」
「ハマグリさ」

「ハマグリィ?」
「今かき混ぜてみたら、一匹だけハマグリが紛れ込んでいたのさ」

一粒だけ、丸くつやのあって皺の目立たない貝。
ほんの小粒だが、確かにハマグリである。
「蜃気楼って知ってるか」
桃は富樫の隣に座ると、手のひらから濃き紫の煙をしゅうしゅうと細く吐き出し続けるハマグリを見せた。
アイロンをかけた時の、甘いような懐かしいにおいがする。兄がかけるアイロン、アイロンをかけるたくましい兄の背中。ここはあの、二人だけの部屋だ。そろ そろ晩飯だ、兄ちゃん今日の晩飯ァなんだよ。その背中にそっと寄りたい、と富樫は手をのばしかけた。

「ハマグリは昔、蜃気楼を出す眠り貝って言われてたんだ」

桃の声に、ハッとして富樫は顔を上げた。既にまぼろしのむこうに行きかけていた。

「この煙がそうだってのか」
「ああ、食われまいとしたんだろうな」


桃も富樫も顔を見合わせ、大きく息を吸い込んだ。

「食わないでいてやっから、いい夢頼むぜ」

しゅうしゅうと、舌を出してハマグリは揺れた。
十秒もおかずに富樫も桃も、そのままもつれあうようにしてもとあった布団へ倒れこむ。足だけはさっきのように絡んでいた。二人の手は最初はなれていたが、 どちらからとも言わずに伸ばしあって、最後には硬く繋ぐ。
桃の手のひらからハマグリが零れ落ちる。
幸いにも休日。
それも、これから雨だという予報だ。
怠惰を働いたっていい――





ハマグリは心得たと言う様に、ころりと揺れて、濃き紫の煙を吐いた。


真砂さらさら、
真砂さらさら、
真砂さらさら、
わたしは濃き紫の、甘い煙をくゆらせて横たわる。
舌を伸ばしてなめとってあげましょう。
真砂さらさら、
真砂さらさら、
真砂さらさら、
お眠り、深く胸になつかしき日々。
舌を伸ばしていつくしんであげる。
うふふ、べろべろ。
【恵み深い舌】
モクジ
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