シロクマめづる虫姫

わたしをきれいだよと言ってくれた方って、誰かいたかしら。
がんばって考えてみたけれど、お父様にお母様、それからおば様くらい。ということはわたし、あまりきれいじゃないのね。
身内の評価って、ぜんぜんあてにならないのですもの。鏡を自分で覗いてみたら、頬が丸いということしかわからない。誰かと比べなければ意味がないというのなら、わたし、気にならないわ。目がみっつあるわけでも口が耳まで裂けているわけでもないんですもの。
それでも、人が見てきれいじゃないとわかってしまうとなんだか。わたしは少々、申し訳ないような気持ちで目の前に座る本日の見合い相手さんに頭を下げた。


わたしは今年で28歳。お父様やお母様をはじめ親戚一同声をそろえてそろそろ嫁にいかないかと言う。耳にタコ、というけれどこういうことなんでしょうね。
きれいでもなく、頭も悪いわたし。悪いとは思っていなかったけれど、皆さんわたしを馬鹿だとおっしゃるのでそうなのかもしれないわ。ちょっとわたしが物を言ったり尋ねたりすると、みなさんそうおっしゃる。どうしてだろうか。
嫁き遅れてしまったわたしを哀れに思ってか邪魔に思ってか、父様は毎日のようにお見合いを開いてくださる。色々な人と会えるのは嬉しいことです、と父様にお礼のつもりで言ったら怒られてしまいました。何人もと会わなくてはいけないことは、それだけ見合いに失敗しているのだということですって。そう言われてみればそうだわ。

今日の見合いのお相手のために母様が用意してくれたのは臙脂を基調にした友禅を身に着けて、正座で和室に座っている。この間知ったのだけれど、友禅を染める染料に臙脂虫っていう虫が使われているのですって。どんな虫かしら、見てみたいわ。……こうするのも何度目かしら。わたしはいつもお相手を待つ間、眼を閉じてみるのがクセになってしまっている。どんな方、あんな方、想像するのは楽しくって。眼を閉じて、渡り廊下を歩いてくるその音でだいたいの性格を想像してみるとけっこう当たるので、足音占いならわたしきっと占い師としてそこそこやっていけるかもしれないわ。そう父様に自慢すると、なんでもいいから早く結婚してくれだなんて話半分で、少しがっかりしてしまう。

今日もそうしていたら、どすどすどす、と足音が聞こえてきた。
あら、随分音が大きい。きっととても大きい方、太ってはいないと思うわ。太ってる方ならもっと足取りが重たくって、引きずるようでしょう。
性格は不器用でまっすぐ、迷いが無い方かもしれない。

すらり、と障子が開け放たれた。

「あら、」
私は思わず声を上げてしまった。人の顔を見て声を上げるなんて失礼だわ、失礼をしてしまったわ。
その方は鴨居に頭がぶつかってしまいそうな程の背高さんで、そのうえ肩が張り出したとっても立派な体をしてらした。でも何より、その方はまだお若いというのに、髪の毛が真っ白だった。雪というより綿毛みたい。
「綿毛のような髪の毛ですのね」
危うく言いかけるところ。危なかったわ、前回もこれで失敗したのだし気をつけなければ。
ふかふかしているのでしょうか、触ってみたいわ。そんなことを考えているうちにその方はさっさと私の正面に座ってしまった。正座をせず、気楽な胡坐。父様がゴホンと咳払いをしたけれど、私はうらやましくなってしまう。だって足がとってもしびれるんですもの。父様もうらやましいものだからそうやって咎めるのね、そうしたらいいのに。
それにしても、立派なお顔。
眉も鼻も堂堂としていて、仁王様みたいだわ。目は小さいし、口はむっとしたまま。気難しくていらっしゃるのかしら。私をとてもつまらなそうに見ている。シロクマさん、と心の中で呼んでみた。森の熊さんみたい、もしかしたらとっても優しいのかもしれないわ。
あは、と私は笑った。うふふ、と笑ってもよかったのだけれど、あれってとても難しいので慣れたいつもの笑い方。母様はリョウケのシジョとしてうふふと笑いなさい、袖で隠して笑いなさいというけれどそれって面倒でしょう。私ってけっこう面倒がりなのね。
「はじめまして!」
名乗るとそのシロクマさんはじろりと私を見た。
「赤石剛次だ。貴様が虫姫か」
むしひめ。私は眼を丸くしてしまったことでしょう。赤いシロクマさんはにやりと笑った。あら、笑うと目が細くなる。つられて笑ってしまった。
「噂なんてモンは信じやしねぇんだが、聞いた以上の白痴だな」
父様がキミィ!と大声を上げて立ち上がった。それをたったの一睨みで黙らせてしまった。すごいのね、私にも教えてくださらないかしら。
「噂?」
どんな噂でしょう。いい噂ではないんでしょうけれど聞いてみたいわ。
アカクマさんはアグラの膝小僧に手をやって、少し背中を丸めて話し始めた。とっても大きい手だわ、分厚くって。
「赤坂の虫姫、家から出ずに一日虫と暮らしてるのだろう」
「ええ、今はカブトムシを育てているの」
「フン、貴様の父は厄介払いに押し付けようって言う魂胆のようだな」
「コンタン?」
「だからと言って、民族派系政治結社の会長にってのは中々狂ってる。ヤクザにやろうというのとそう変わらん」
民族派系政治結社。聞いた事の無い言葉だわ。私の好奇心がにゃんにゃんと鳴きだした。
「民族派系政治結社って、どういうことをされるの?アカクマさん」
「アカクマ?……貴様、それは」
いけない!
「申し訳ありませんシロクマさん」
「…………」
本名がどうしても出てこないわ。困ったこと。父様がこれ、と切迫した声で私をしかりつける。
シロクマさんはにやりと笑った。私もにやりと笑おうとして、へにゃりと笑う。民族派系政治結社とやらをしていると、こういう迫力のある顔に自然となるのかしら。
「民族派系政治結社っていうのは要するに、日本を良くしよう、日本人を強くしようという人間の集まりだ」
それならわかるわ。きっと本当はとっても難しい政治のお話なのでしょう?私にもわかるように優しく言ってくださったのね。父様ったら顔をそらしたりしないで頂戴、とってもいいお話なのよ。
「街を歩いたことは有るか」
「はい」
「軍歌を流す街宣車や、演説は見たことがあるだろう」
「ええ」
「そういうことだ」
シロクマさんは黙った。黙ったまま、私の顔を見ている。これは反応を見ているのだわ、私がどういう反応をするのか見られている。
「運転ではなくって、あの、上に立って話す方の考えを作られる方?」
難しい顔をされると、ますます気難しいお顔立ちになるのね、額にまで幾筋も皺が入って。
「………」
「それならヤクザ屋さんとは違うわ。ヤクザ屋さんは儲けたくっておやりなのでしょう?」
そうじゃねえのも居るがなとシロクマさんは呟いた。お友達にいらっしゃるのかしら。お会いしてみたい。
「ヤクザまがいのこともする。暴力すら使うこともある。こんな格好で見合いに来る男がマトモだと思うのか」
こんな格好?
私は父様を振り返った。頭を抱えた父様は三つ揃いのグレーのスーツにネクタイ。私が選んだ蛙のネクタイはつけてくれないのね。
対してシロクマさんは、なんと言ったらいいのかしら。肩当てに、学ランというのかしら?袖の無い学校の制服、それにズボンの膝下に締め付けたような皺があるわ、きっとブーツも履くのでしょうね。
何より、私の身長と同じくらいの長さの立派な刀。後で持たせていただけないかしら、きっと素晴らしい刃なんでしょう。
「マトモかどうかは私にはわかりませんわ。噂の白痴なのでしょう」
父様はすっかり萎縮してしまって、早くこの場を逃げ出したいみたい。そんなに怯えなくても、この方は理由もなしに刀を抜く方じゃないと私は思うけれど。
「フフ、」
笑ってもあまり迫力が薄れたりしないのね、日頃の訓練のタマモノというものかしら。素敵ね。
「街宣車の前に立ったことはないけれど、言いたいことがあって言っているのでしょう?」
「あ?」
あ?ですっておかしいわ。今度私もやってみようかしら、あ?って。
「聞いて欲しいことがあって、言いたいことがあって言っている。それが自分のわがままでなくって、この国のためなら何もヤクザなことありませんわ」
今までお会いした方皆さん、自分と結婚するとこんな良い事がありますよとおっしゃった。でもこの方は自分はこの国のために良い事をしている、だけど自分たちはヤクザと思われるとおっしゃる。
貧乏くじ引きなのかしら。
「誓って尋ねますけれど、わがままではないのですね?」
「わがまま言いたくて街宣車引っ張り出す奴ァいねぇよ。神に誓う言葉は持たねぇが、この刃に誓って言う」
言うなり、傍らの刀を抜いた。父様がひぇえええとアメンボのように腰を浮かせ、手足だけで這い逃げていく。真太い刃に私の顔が映りこんだ。
あら、やっぱり私、頬が丸い。





はしたないかしら、言ってみましょう。
「あの、シロクマさん」
もう諦めたのか、シロクマさんは何だと聞いてくださった。刀をしまうその太い二の腕、私後でぶらさがってみたいわ。頼めるかしら。怒るかしら。
私は臙脂の着物の背中を一度しゃんと伸ばして、それから頭を下げた。畳の匂いがするほど深く。





「結婚してください」




シロクマさんはあ?と。
父様はエエエエエエエエ!と。
どちらも信じられない、と言う顔で私を見た。
「お願いします。一生のお願い」
シロクマさんは笑った。
「ヤクザよ右翼よと一生言われるかもしれねぇぞ。俺は守ってはやらんがいいのか」
不思議なことをお尋ねになるのね。だってシロクマさんはそれでよくってやっているのでしょう。
「私、それなら護身術でも習いますわ。そう、私もそういう刀を振り回してみたい」
お揃いの刀なんて素敵だわ。鍛冶屋さんでお願いできるといいのだけれど。
シロクマさんは私の顔をじっと見た。あら、眉でも消えていたりするのかしら。
大いにシロクマさんは笑う。部屋一杯に笑い声が響いて、気持ちがいいわ。
「おい、」
急に声をかけられて父様はひっくり返った。亀吉のようね。冷房が効いているのにどうしてそんなに汗をかいているの?
「はいッ!」
体操選手のような返事だわ。
「いいのか、テメエの娘を」
父様は平伏した。シロクマさんのようにもっと堂堂となさればいいのに、しゃんとしていれば父様だってお若く見えるわ。きっと。
「つ、つる、剣元総理のご紹介だ。い、異存などない」
「桃様の?」
驚いた。そうなのね。
桃様は好き。とってもはつらつとしていて、格好良くって。そしてとってもお話が面白いの。油風呂だったかしら、またトガシ様のお話を聞きたいわ。
ニガミコガネを噛み潰したような顔で、シロクマさんはチッと舌打ちをなさる。もしかしたら桃様のお話の、
「センパイ?」
「そう呼ぶんじゃねぇ、チッ、桃の紹介で嫁取りなんざロクでもねぇが」
斬岩剣のセンパイだわ!ああ、素晴らしい!
話を聞かせてもらうたび、胸がドキドキした。なんて格好いいのかしらって。
結婚したら見せていただけるかしら斬岩剣。早く見たいわ。
その、赤石剛次様がここに。






「……貰ってやろう」


私はその場で万歳、父様は卒倒。
喜ぶ私にも、剛次様は冷たい。旦那様って呼んだらいいのかしら。まだ早い?シロクマさんでまだいいかしら。

「私、明日から教習所へ行きますわ」
「何故だ?」
「だって、旦那様が演説する街宣車、運転したいんですもの」



剛次様は面食らったのか一瞬黙り込み、それから大いに、大いに笑った。
念願の斬岩剣だけれど、それから一週間後に結納のご席で見せていただけて私、とっても満足。ほんとうにズバァっとされるのね、聞くと見るとでは迫力が段違いだわ。
そのお相手は祝福に訪れた桃様に対して。冷やかしに来るんじゃねぇですって、そんなケイハクな方じゃないでしょう、桃様?
モクジ
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