縛り責め、攻防
いつも通りのいつも通り、窓からは桜が満開に見えている。
いったいいつ散るのかとたまに注意してみる。が、散っても散っても次から次へと咲いてくる。
塾生は最近、そういうモノだと認識して深く考えるのを止めた。
富樫はもとより、考えたこともない。
おう、とんだ根性モンだ。
その一言褒めただけで考えるのを止める。だって冬でも咲く桜、根性モンでなくってなんだって言うんだ。
花だから、咲く。
そういった単純なものほどなんだか愛おしい。
そういう趣味のある男が一人、窓辺でくつろいで空を見上げている。
夏空に浮かぶ雲は、秋のように細切れでもなく春のように嫋嫋としているわけでもなく、冬のようにうすら重たくもない。
ごろんと固まって、もくもく勢いがいい。
窓枠に切り取られた雲を腕枕で見るうち、もう一かたまり窓枠ににょっきと突き出しているものが目に入った。背中を丸めて、爪を切っている富樫の背中が目に入った。
「富樫」
呼びながら富樫の背中を蹴った。ぎゃッと叫び声が鋭く上がって、怒り顔が振り返ってきて怒鳴る。
「爪切ってんだ、見りゃあわかんだろ!!」
おおイッテェ、と深爪をしてしまった指を口に入れて吸いながら、ふぐふぐと文句を続けて垂れた。
「ヒマなんだったら外にでも出てろい、伊達が居るぜ」
顎をしゃくって示した窓の先、校庭では伊達が槍を遣っていた。別に殊更気をつけているわけでもないのに体の隅々まで気力が行き渡っていて、見ていて気持ちが良いほど格好良く見える。ゆっくりとした動きで一連の型をこなすのだが、スピードでごまかさない分身体の動かしかたが実に理にかなっているのが見ているだけでわかった。
「闘り合ってこいや」
そしてまた、背中を向けて爪を切る。
「なぁ、」
自分に向けられた視線がなくなったことに物足りなさを覚えて、今度は蹴らないように力を加減してちょいちょいと背中をつま先でつついた。
「あンだようるっせぇな、」
「ヒマなんだ」
「おりゃあヒマじゃねぇ」
「なぁ、」
「………」
夏の暑さにとても伊達のように身体を動かす気にはなれなかった。かといって女の子のようにおしゃべりに没頭するのは難しい。自分はあまり語るのは好きでないし、今富樫になにか話してくれと言ったって無視されるかうるせぇと言われるかのどちらかだと予想がついた。
気のいい富樫のこと、ああとかおう、うんと生返事くらいは返してくれるかと思うが、それだけではつまらない。
もっと沢山言葉を交わして、自分のことを気にかけてくれるようなのがいいな。そうわがままを考えた。
ううん。
「なぁ富樫、俺の秘蔵の鯖の水煮缶を賭けて一つ、勝負でもどうだ」
「!」
食いついてきた。まだ自分の方へ振り返るまでにはいたらなかったが、それも恐らく意地でかろうじて我慢している程度のものである。
更にもう一つ、撒餌。
「マヨネーズもある」
瞬時に振り向いた。鯖缶にマヨ。古今東西大飯食らいの青少年にはたまらない取り合わせだ。
「やけに気前がいいじゃねぇか、そんで、何で勝負すんだよ」
富樫はヘッと顔半分をゆがめるようにして笑った。まっさか九九とか言わねぇよな、切った爪をちり紙に落とし、脚の爪に取り掛かり始める。ますます背中が丸まった。
「しりとりってのはどうだ」
「しりとりィ?」
「簡単だろ、動かず出来るし頭のいい体操にもなる」
「いらん」
「たまには働かせてやらねぇと」
「たまには、は余計だバァロォ」
「俺が勝ったらそうだな、お前が隠してるビニ本をくれ」
バチン、と一際高く爪きりが鳴った。ぐぉお、と絞り出すような苦悶の声。思わず自分の眉も寄った。爪にしろつま先にしろ、どうしてこう末端はこうも痛いのだろう。
「………知ってたのかよ」
「ああ、おまえが買ってきた先週金曜の鶏肉、ありゃカエルだろ」
「…………」
「預かった金、ちょろまかしたな」
「………へ、へへ、」
「しかも食用蛙じゃねぇ、ウシ蛙ときた。その金でビニ本か」
「ッチ、バレたんじゃあ仕方ねぇや、でもなんだってビニ本だよ。溜まってんのか?」
「……フッフフ、毎晩隣でゴソゴソされちゃあ眠れるものも眠れやしねぇ」
「お、起きてたのかよ」
土俵に無理矢理引っ張り出される形で、しぶしぶと富樫は向き合ってくれた。
じゃわじゃわじゃわとやかましく、蝉が満開の桜の幹にとまって鳴いているのはたとえようも無くシュール。
汗ばみながら、二人将棋を打つように向き合って座り、あぐらをかいた。
勝負!
「し、しーりーとーりー」
口火を切ったのは富樫からであった。唇を突き出すようにして、り、り、と繰り返す。しりとりとはいえ、負けるのは嫌いな性分から目は真剣である。
「りーんーご」
日本全国、いや、海外にしりとりがあるかは知らないが日本でしりとりをする時には常道というものがある。
その一つがりんごから始まる。桃は始めた。それにしても何故だろう、しりとりをすると何故節をつけてしまうのだろう。
「ごーりーら」
富樫も常道に乗った。それにしても何故だろう、何故日本人はこの常道に乗ってしまうのだろう。
「らーっぱ」
「ぱーり」
「りーん、あ、」
早速富樫は詰まった。二十人居れば一人くらい居るおっちょこちょい、再びのりんごループへ突入しかける。
「りん?」
意地悪く桃は顎を引いて上目に聞き返した。目にはきらりと星がひとつ。剣桃太郎という男、伊達に言わせればなかなかに食えない男である。
「りん、りん、…りんごジャム」
しどろもどろになりながら答えた答えがりんごジャム。ヘッヘヘしてやったりィ、という富樫の顔。ああその浅はかさすら富樫。
「ム…ムハンマド」
「なんじゃそりゃ、ええと、ドア」
「マホメッドのことさ、イスラム教の預言者で……で、アリ」
「ほぉん、り、りんごアメ」
またリンゴか、そう咎めるような桃の視線にダメってルールはねぇや悪いかようと富樫は開き直った。だが少し残る後ろめたさか、桃の答えを急かすようなことはしない。
「悪かないぜ?目盛り」
「り!?ま、また目盛りか…りばっかりじゃねぇか」
「駄目ってルールはないだろ」
「うう」
しりとりに勝つ方法にもいくつかある。ただダラダラ続けていくだけでは中々決着がつかずに時間ばっかりかかってしまう。
簡単かつ有効なのは縛り責め。なにやら淫靡な響きであるが、単に何か一つの文字を定めて集中攻撃するだけの単純な戦法である。
攻の一例:くり→りす→すり→りか→かきごおり→りゆう→うり→りもーとこんとろーる→るり→………りょうり!→りはびり→ファッキン!
この戦法には、単語末につきやすく、単語始につきにくい文字を使うのが重要で、「る」や「り」などが有効だ。
桃は「り」縛り責めを始めた。
「りー……りか」
「カラスウリ」
「!!り、り、……リオデジャネイロ」
舌を噛みそうになりながら一息に言う。桃は感心したようにほうと息を漏らした。
「よく知ってんな、論理」
「ぐ、ぐうううううッ!!り、りんご売り!」
「そいつはズルイな、まぁいいか一度だけだし。利尻」
人は何故、勝てもしない勝負に臨んでしまうのだろう。
富樫はなんだってこういつも、目先の損得にたぶらかされてがけっぷちにいるんだろう。
それは勿論富樫が富樫で、桃が桃だからである。
驚くべきことに、しりとりは一時間以上も続いていた。といっても攻防の優劣は見ていてハッキリとしていて、あまりにも富樫の受け答えが粗末なのに横で見ていた田沢は、
「富樫のヤツ、脳みそに言葉がゼンッゼン入っておらんのか」
と呆れていた。
執拗な桃の縛り責めに富樫がとうとう降参しようとしたその直前、突然縛り責めは終わった。
「ううん、それじゃあ…」
腕組みをし、額に一筋汗を浮かべて桃は一息ついた。ううん、考え込む様子に富樫も落ち着きを取り戻す。富樫越しの窓が目に飛び込んでくる、窓枠その奥、空、白く光る入道雲。
「じゃあ、雲」
「もずく」
そういやもずく、随分食ってねぇなぁ。富樫は腹を擦った、鯖缶はまだかと腹は催促にクンクン高く鳴る。
「クンショウモ」
「そりゃあなんだ」
「藻だよ藻、緑色植物門 緑藻綱 クロロコックム目 クンショウモ属さ」
「よくわからんがモか、モ、モアイ」
「イモ」
いやぁな顔をした。リの次はモか、いやぁな顔をした。したが、文句は言えない。
じゃわじゃわじゃわじゃわ。
蝉が一際大きく鳴く。富樫を励ますように大きく合唱する。
「モカ、コーヒーの、アレだ、モカな」
最近テレビを見るようになったせいか、富樫の口からモカなんて単語が飛び出したことに桃は心底驚いたし、親友の成長がよろこばしくもあった。
でもカットソーとかヘアサロンとか言ってほしくはないな、とも思う。
なかなかに富樫像というのは崩したくないのであった。
「鴨」
「モ、も………、桃!!!」
目の前の男を指差して、叫ぶようにして富樫は言った。桃は笑みを崩さない。
「そうきたか」
「ヘッヘ、逆転ってヤツだ、悪く思うな」
「も…餅つき」
「キリギリス」
「巣鴨。そういやこないだアンパンバァさんが行きたいって言ってたな」
「も、あれ?また俺がモか、ううん、も、も…」
汗の量が増えた。ファンのついていないPCのように熱を持って作業効率が落ちる。故障も寸前のように見えた。
「桃のテン念水!!」
一世を風靡した懐かしいドリンクである。ひゅーひゅー、ノリのいい観戦していた一号生が囃す。ひゅーひゅー。
「出雲」
う、うおお、富樫の苦しげな声。がんばれぇ、根性見せろい、茶色い声援が飛ぶ。桃が嫌いなわけでも富樫が好きなわけでもない、ただ負けそうなほうを応援してしまうのは何故だろう。一号生たちはなぜか考えもせずに富樫をなんでか応援した。
「も、桃、桃売り」
さすがにこれには富樫応援団からもブーイングが上がった。一度ならずとも二度も。
だが対する桃だって伊達に男塾一号生筆頭の看板を背負っていない。
「リスモ」
そりゃあ桃、まだ無いぜ。
誰も突っ込めない。
それがご都合というものである。
だがリスモは中々に、ずるい。
それもご都合というものである。一号生はとにかく、がんばれ富樫ィと応援するだけに止めた。
じゃわじゃわじゃわじゃわ。
リ責めをかろうじて防ぎきった富樫も善戦かなわず、それからも続いた此度のモ責めにはとうとう、尽きてしまった。
もう、桃シリーズも無い。
桃売り、桃アイス、桃ジュース、桃尻…エトセトラエトセトラ
あと何か、桃のつくようなもの、あったか?
答えに詰まった富樫を、桃がニコニコと、というにはあまりにもニヤニヤと見つめている。
ニヤニヤ、と言っても下卑たところがないのが桃のいいところである。ただちょっといつもより、いぢわるそうに見えるだけで。
「もー…」
「も?」
桃が聞く。
「も、も、」
「桃?」
追い込まれた。
目が合う。
同時に富樫の脳みそへ目の前の男のフルネームが飛び込んできた。
「桃、桃太郎ッ!!」
「うん、あ、しまった、ンがついちまった…負けた」
え。
理解が追いつかない。
目を白黒させる富樫は懸命に状況を捉えようとする。
桃太郎→うん→ん→ンジャメナ→それ反則。
答え:富樫の勝ちですよ。
「う、ウオオオおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
沸いた。
いつの間にか囲んでいたギャラリーも沸いた。富樫は当然沸いた。
松尾一人が、うん、て単語じゃないから無効じゃないかのう、とぽつんと呟いた。田沢が松尾は深いことを気にしすぎると背中を叩く。
沸いた。
沸いた。
わぁわぁ沸いた。
蝉よりもなお沸いて、熱湯よりも沸いた。
商品である鯖缶を抱えて気が狂ったように勝利の雄たけびを上げる富樫を、一号生達は祝福をこめて駆け寄り胴上げにかかる。
わーっしょい、わーーっしょい、
お約束なので、どずんとやっぱり落とされた。
富樫にとっては、記念すべき対桃初勝利である。
桃にとっては、初めて名前で呼んでくれた記念日。
「伊達、負けちまった」
「フッ」
「お前もやってみるか」
「……フン」
その後、虎丸にしりとり対決を挑んだ伊達であったが、その対戦の一部をここに抜粋する。
伊達は、「ダ」縛り責めに果敢にも挑戦した。中々に高等技術がいる縛りである。
「シダ」
「ダイズ」
「ズ、ズ、……ずんだもち…」
「仙台名物だもんな、うん、ああ、乳首」
「!!備長炭、いや、備前焼」
「……今のっておまえの負けでいいんじゃねぇか、なぁ、………キス」
「!!ス、…スミ」
「炭にこだわるな、いやに。ミスアメリカ」
「なんだそれは、なんでもありか、まぁいい、顔」
中々「だ」に持ち込めない。「だ」で終わる単語は数が少ない。最後に濁点のつく単語は縛りに向かないというのが一つの定説となっているが、伊達はそれでも挑戦したかった。別にこんな勝負をしなくたって伊達、伊達、おい元カブトと呼んではくれる。
伊達、伊達って言ってみろと今か今かと伊達は、身を乗り出して待っていた。
誰か伊達は単語じゃあないから無理だよと言ってやれ、と遠巻きにしていた人間は思ったが、伊達の傍らに槍が置いてあるので口をつぐんだ。
「お、早くしろ。負けでいいのか」
伊達は急かした。少々紳士的ダンディズムからは外れるが、男というのはそういうところがある。仕方が無い。
ううん、虎丸の太い眉が寄った。への字に口がひんまがって、むぅと難しい顔つきで前後に揺れる。
そして、たっぷり一分後。
「おみと」
だから人名は、駄目だよ。誰も言い出さなかったがしりとりのルールは無言で訴えている。
ぴしりと硬直した。伊達がである。桃は少し目を細めて伊達を横目に見た。硬直する伊達はそうそう見ることは無いので、この際きちんと目に収めてみる。
伊達が口を開いた。重々しく、上から頭を踏みつけるような口調である。
「と、とらまりゅ」
噛んだ。
噛んだ。
噛んだ。
噛んだ。
噛んだ。
「噛んだな、おまえ」
「――――!」
伊達臣人、槍をぶんまわしながら初めての敵前逃亡と相成った。
虎丸の勝ち。
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