十蔵ちゃんの入塾準備

赤石十蔵、男塾に編入する。
このしらせを聞いた途端、丸顔は奇声とともに飛び上がって、そして床にぐちゃりと落ちた。無様だ。
中々動かねぇが、手は出さん。どうせそのうち這い上がってくる。
それくらいの根性がない女に、うちはまかせてはおけねぇからな。
家内、という言葉は嫌いだが、まぁいいだろう。





ねぇ私、とっても嬉しいわ剛次さん。そういうと、いつもの顔でそうかとだけ。
そうよ、そうです。私がいうと剛次さんは少しだけ面倒そうに頷いてくれた。剛次さんはやさしい人ね、父様なんて私と話すと面倒がってさっさと離れていってしまうんですもの。胡坐をかいて、私の入れたお茶をまずいと言いながらも後で見た茶碗は空。でもなんでまずいのかしら、不思議だわ。
「ねぇ剛次さん」
「なんだ」
「私ね、剛次さんに見せたいものがあるの」
剛次さんは黙った。早くしろってことだと思うわ。私は急いで部屋から袋を持ってきた。
この日のために富樫さんちの奥様に刺繍を習っていたんだもの、成果を見せるとなるととっても緊張してしまう。
ふふ、剛次さん驚くかしら。
剛次さんの待つ部屋に戻るとちょうど十蔵ちゃんも居た。まあ良かった、喜んでもらえるといいのだけど。
「十蔵ちゃんの制服、用意しておいたの!」
じゃばーん、と私は口で効果音を言った。何か音響、用意しておけばよかったわ。
「俺の制服じゃねぇか!!」
剛次さんが怒鳴った。
「袖がねぇよ!!」
十蔵ちゃんも怒鳴った。

私、怒鳴られたのね。どういうわけだか全然分からないけれど。
今日の晩御飯何にしようかしら、剛次さんこの間とても沢山運動してたのは、最近少し太ったのかもしれない。
少し油、控えようかしら。から揚げ、剛次さんが好きだって言うからつい作りすぎちゃったものね。
反省。

「話聞けよ!」
「なぁに十蔵ちゃん」
十蔵ちゃんは、私が繕った剛次さんの制服を手に大声を上げた。剛次さんは小さく「どっからそんなモン…」と呟く。
どっからって、自分でお見合いの席で着ていらしたでしょう?私あれがとっても好きよ。
「これね、塾生時代から剛次さんが着てらしたんですって」
「親父のかよ!俺は普通でいい!」
まぁ、人と同じが嫌だって言うからあのバイク作ったんでしょう十蔵ちゃんったら。照れてるのかしら。それとも?そんなに青筋を立てて、大丈夫か心配になってしまう。
あら、でも仮に私がもし父様のお下がりのスーツを着なさいと言われたら、やっぱり困るかもしれないわ。だってサイズが全然合わないもの。
それくらい、私も考えていたの。心配なんて無用だわ。
「大丈夫よ、ちゃあんと裾、詰めておいたもの」
「そうじゃねぇよ、だぁら、袖だ袖、袖をどうして切ったんだよ」
「私が切ったんじゃないわ」
「………俺だ」
そう、剛次さん。
「……………一応聞くが、敵に切り落とされたんじゃないんだな?」
剛次さんは湯のみがギシギシ言うほどに手に力を込めた。
十蔵ちゃんはそれを見るとわぁったよ、と小さな声で言った。ああ良かった。
後で十蔵ちゃんに聞いたら「ワカゲのイタリを咎めるもんじゃねぇ」ですって。よくわからないけれど、十蔵ちゃん、とっても格好いいわ。
「まぁ、袖はしかたねぇ…な」
「ね」
私、ちゃんと穴の開いた部分も繕ったのよ。針仕事をしたことがなかったから難しかったけれど、富樫さんの奥様に教えていただいたの。
背中に大きく破れた部分があって、そこには一針が一センチほどの縫い目で繕ってあった。誰がやったのかしら。たぶん剛次さんじゃあないと思うけれど。
江戸川さまかしらね、あの方、とっても家庭的なようだし。
背中の破れ、これがあの一文字血貫栓を使った時のもの。初めて見た時には胸がどきどきして堪らなかった。
ああ、本当に剛次さんは生きるか死ぬかで闘ってきた人なんだわって。
ぎゅっと胸に抱き締めて匂いをかいでみたの。もしかしたら闘いの匂いが少しは残っているかもしれないと思って。
ふふ。
「くせぇッ」
十蔵ちゃんが制服の匂いを嗅ぐなり顔をしかめて、吐き捨てるようにそう怒鳴った。
「クリーニングくれぇしろや!ボケが!」
「……おい」
剛次さんが物言いたげに私を見た。わかっています、剛次さん。
「剛次さんの匂いがするの、闘いのね、私これを十蔵ちゃんにも受け継い」
「血と汗と雑菌の臭いしかしねーよ!!いいからクリーニング出してくれ!じゃなきゃ絶対に着ねーからな!!!」
「だって、闘いの…」
「いいからクリーニングに出してやれ」
「剛次さん」
どうして?これは剛次さんの塾生時代の思い出みたいなものなのに…
「親父」
「それから新しい学ランも、欲しけりゃ俺が買ってやる」
剛次さんは腕組みをして、難しい顔でそう言った。
えっ。
信じられないことを剛次さんが言う。どうしてかしら、斬岩剣と一緒にこの制服も受け継いで欲しいとは剛次さんは思わないみたい。
「どうして?剛次さん」
「親父…」
十蔵ちゃんも口をぱっかり開けて驚いている。小さい頃から、古いものがまだ使えるのに新しいものをねだると酷く怒られたものね。
私も驚いているわ。どうして?
「こんな花柄、流石に着てられねぇだろうからな」
剛次さんは立ち上がると十蔵ちゃんの手から学ランを取って、ばさりと広げた。
「……あッ、こ、これ…」
「虫食いの穴、全部花模様で飾りやがったな…」
「素敵でしょう、ほら、せっかくだからと思って」
剛次さんの拳、大きな私の大好きな拳が私の頭をぶった。ごっつん、と音がしたみたい。
富樫さんの奥様、とっても刺繍が上手で色々なステッチを教えていただいたわ。
「馬鹿が、男が背中に花しょって歩けるか」
「そ、そうだぜ。俺ァ嫌だからな」

…剛次さん。十蔵ちゃんまで。
そうなのね、男の子って難しいのね。
私には兄もいなかったし全然分からなかったわ。ごめんなさいね。
「ごめんなさいね、十蔵ちゃん。お花が嫌だって知らなかったの」
「お、おう…」
「男に花はいらねぇ」
「剛次さん…」




十蔵ちゃんが、小さく「助かったぜ親父」って言ってたけれどどういう意味?剛次さんも剛次さんで「ああ」って。ずるいわ二人で仲良くするなんて。
私だって十蔵ちゃんと剛次さんと仲良くしたいのに。
でも、せっかく縫ったのに残念だわ。とってもきれいにお花で囲めたのに、よく見ればおしゃれだと思うの。
そうだ。
「じゃあ、これは私が着るわ」
「はぁ!?」
十蔵ちゃんが叫ぶ。
「女が着るもんじゃねぇ、馬鹿が。止せ」
剛次さんも大声を出した。
「大丈夫よ、さすがに剛次さんや十蔵ちゃんみたいにサラシは無理だから…そうね、薄桃色のタートルネックのニットを合わせたら意外とおしゃれかもしれ」
「いい、俺が着る。これ着て男塾に入塾するからおふくろは着なくていい」

え?
え?

ただしッ、と十蔵ちゃんは大声を上げた。最近なんだか十蔵ちゃん元気ね、バイクに乗るようになってからかしら。
「クリーニングだけは出せよッ、それから目立つ部分の花の刺繍だけ取れ」
「…………」
「そうしてやれ」
剛次さんまで。二人に言われたのなら、そうしておきましょう。
「わかったわ、まかせておいて」

胸を張って、十蔵ちゃんに微笑んだ。
「それなら今日のご飯、何にしましょうか」
二人が同時にか、どうしてか疲れたようにら揚げ――と声を揃えたのが、なんだかとても幸せだわ。
入塾まであと三日、急がなきゃ。

モクジ
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