勝負セーラー
それがセーラー服だということくらい、いくら男塾筋金入りの富樫だって知っている。
ただ現実でこんな、近くも近くで遭遇したことなんてないのと、その制服の中身が中身なので認識が遅れただけだ。
「セーラー服」
焼きハマグリの口の如く、ぱっかんと開いた口からは空気交じりの言葉が道路へと落ちて、道行く人々が踏んづけて行った。
春先の昼、若者の街は平日だというのに込み合っていて熱っぽく、富樫とセーラー服とをぐるりに取り囲む。
何故か空襲警報のようなサイレンが富樫の耳の奥でウワアアアアア、と鳴り出した。
甲子園だ。
富樫はいつも通りに混乱し、泡を噴いた。
明日はデェトだ。
明日はデェト。
明日はデェト。
デェト。
デェト。
でぇと。
にやぁ。
富樫の顔がひしゃげた。笑ったのだが、どうにもひしゃげたとか歪んだとかそういった表現がふさわしい、あまりきれいで格好良いものでない笑顔である。
これで六度目だった。
六度も、富樫は何かのくっしゃくしゃのゴミクズみたいなメモを開いては折りたたみ、また開いては折りたたむ。
メモには『土曜日昼一時、駅前モヤシ像前集合。目印はセーラー服』
そのたびに、
にやぁ。
笑うのだ。
笑う。
にたにた笑う。
そして鼻の下を伸ばして、へへへ、と笑う。
弱っちまわァ、オイ。誰もいないというのに独り言を言う。
おもむろに学ランのポケットから小さな小さな手鏡を取り出した時には、松尾は危うく泡を噴きかけた。
富樫と手鏡。マリーアントワネットと吉野家くらい似合わない取り合わせだが、本人はいたって真面目のようで、髭をちょいちょいと指先でひねりひねり角度を直し始めた。はたから見ればどう変わったかはわからなかったが、富樫は手鏡に向かってにやぁと笑いかけた。手鏡は富樫の息で少し曇った。
肩が震えている。性懲りもなく笑っているのだ。にたにたと、しまりなくそのままとろけっちまいそうな笑顔で手鏡を睨んでいる。
突然虎丸は隣にいた伊達にわき腹を肘で小突かれて飛び上がった。富樫のその笑顔っぷりに意識のほとんどを持っていかれていたので、それこそきゃっと飛び上がって驚いた。食って掛かる。
「なにすんじゃいテメェ、いきなり」
伊達は無言で顎をしゃくった。少し緊迫しているように見える。促されるまま視線を横へついっと流すと、
「あら」
桃がいた。猫の爪とぎ後のような畳に寝そべって、眼を閉じている我らが筆頭剣桃太郎がいた。
普段顔の上に乗せているジャンプは無い。高貴なるお顔立ちも惜しみなく、筆頭は眼を閉じていて夕食後の満腹感に意識をたゆたわせている。
のが常であった。
今日は違う。
見た目にはいつも通りごろんと寝転がって眼を閉じているだけなのだが、一部の塾生達は桃から距離を取り始めた。ただ事で無い雰囲気を感じている。
伊達もその一人であった。虎丸が愚かにも桃ォ!プロレスじゃあとその腹へいつもの調子でダイブしそうになったので、思わず槍に手を伸ばし虎丸の学ランを犠牲として彼を救ってやったのである。救われた本人はて、て、テメェは一体、何するんじゃあと血相を変えて怒鳴ったが、伊達は黙って自分の懐に入れるようにして部屋の端にあるちゃぶ台まで引きずって避難をさせ自分も隣へ座り込んだ。男は自分のした行動をあれこれ口で説明するものじゃあないと言うのが伊達のポリシーである。虎丸に自分がいかに愚かで馬鹿で間抜けでアホウで、眠れる獅子を起こそうとしたのかを説明してやっても良かったが、どちらかというと将来、縁側で茶でも飲んでいる時にでも『実はあの時』なんて話してやるほうが好みだった。万に一つだが、虎丸が、『そういえばアレって、伊達のやろうもしかして俺を助けるためかァ?』なんて素敵な事態になる可能性だって無くは無い。無い事も無い。
桃に話を戻そう。伊達には桃からピンクと紫のもやもやが立ち上っているようにも見えていた。近寄らぬが吉、その判断は正しい。
桃は完全に覚醒していて、その頭の中では虎丸の言葉が大車輪をしている。
『飛燕が女の子を紹介してくれたんじゃ、俺は先週、富樫は明日ッ!』
明日。
明日。
富樫の様子はと思って横目に見てみれば、殴られようが蹴られようがのにやけっぷり。一般論では男前から少しはずれたところにいる富樫の顔は、見てはおれんようになってしまっている。
浮かれているのだ。
その事実は、桃にとっては少しばかり残念なことである。
別に、富樫がデートするのは構わない。構わないどころか、ほほえましくもある。まさか公園を二人で歩いたりするのか、まさかまさか白鳥ボート乗ったりしてはしゃいだりしてしまうのか。富樫ならきっと目尻に皺をつくって照れながらいい笑顔をするんだろうな、なんて想像しただけで笑顔になる。
だが今回、桃にその話はされていないということが、少しばかり残念で、少しばかり、いや大分、寂しいことであった。
親友である。
まぎれもなく親友である。だがいつまでも絶えることなく友達でいようなんてキャンプファイアーに照らされて歌いだしそうなわざとらしさではない。
八十九十になって、楽しかったなぁ富樫、そうだなぁ桃、そういう親友である。
親友で戦友で、親友。
桃は、富樫が楽しみにしているというのであれば自分も楽しみにしてやりたかったのであった。
がんばれよ、
そう励ましたり、
今日は布団を二人分使えそうだ、
なんて冗談を言ってからかってみたかった。
ようは拗ねているのだ。
蚊帳の外に置かれて、筆頭は拗ねている。
拗ねているといえば子供のようでかわいらしくもあったが、桃である。
伊達は何か恐ろしいものを肌や猫ヒゲにひりひりと感じているのであった。
(富樫が自分といる時以上に楽しそうなのも気に入らんのだろう)
人知れずやきもきする伊達を尻目に、虎丸は桃なんか具合悪そうじゃ、と暢気に伸びをした。
伊達はそんな虎丸の尻を蹴飛ばした。虎丸の尻は大きい上にしっかりと張っていて、いかにも蹴り心地は良かったので少し気が晴れた。
虎丸はぶんむくれて、伊達にボンと屁をこいた。
喧嘩に、なった。
夜はふけていっても、富樫のファッションチェックと桃のもやもやは収まらず、男根寮一階、談話室という名の六畳間からは中々電気が消えることは無かった。
楽しみにして楽しみにして楽しみにして、何故か深夜二時まで自分の側で転がっていた桃に、
「御機嫌だな」
といきなり言われて、
「そ、そうかぁ?別に、いつも通りだろが」
なんてはぐらかしてしまうほどに楽しみにして。
どうすっかな、期待しすぎっちゅうモンか、でもな、
と散々考えた結果新品の褌を締めるほど楽しみにして。実はすぐ脱げるよう、褌の結び目をチョウチョにしているのは秘密だが。
風呂でレモン石鹸をミゾレ下ろしにする勢いで身体へとこすり付け、念入りにアル部分を洗ってしまうほど楽しみにして。
その結果が、富樫の口から零れた。
「セーラー服」
セーラー服だった。
古今東西を問わず制服好きの日本人である。中身が例え百戦錬磨のAV嬢だったとしても、『禁断の』とか『先生と』『はじめての』なんてコピーを恥ずかしげも無くのっけたビデオが金曜夜には総出でレンタルされる日本。日本人の制服神話に基づいて言えば、富樫の目の前にいるのは確かに基本をきちんと守ったセーラー服美人であった。
三角の、きちんと角が立った襟。最近流行のホックで留めるだけの簡略化されたものではなく、左右対称に結ぶのにコツがいる本物のタイ。つり革につかまるとわき腹が覗きそうな、短めの丈の上衣。車襞、母親泣かせの大量プリーツのスカート。丈は勿論はしたなくない膝丈。お約束とも言うべき、今は絶滅危惧種の三つ折ソックスが白く眩しい。ぴかぴかの黒いローファー。
「富樫、」
さえずるような声、という陳腐な比喩ですらやすやす受け入れる声。
「うおおおおおおおおおおおおッ!!!!」
富樫は狂ったように吼えた。声をかけてきたセーラー服のきゃしゃな肩を掴んで、血涙を溢さんばかりにして吼えた。こめかみに太く、黒っぽい血管がふつふつと浮かんで脈打つ。
セーラー服はされるがままに、心配そうに富樫の腕を軽く叩いてなだめた。
道行く人が富樫とセーラー服を振り返っては、視線を投げる。
ここは若者の街駅前、時代錯誤な学ランとセーラー服姿の二人連れは立っているそれだけで眼を惹いた。更にその片割れが吼えだしたのだから、ますます視線は集まっていく。
「飛燕―――ッッ!!!!!」
飛燕、言うまでも無く飛燕。
変わり者揃いの男塾塾生の中で、一際眼を惹く容姿の持ち主で、松尾曰く『テレビのアイドルよりゃ、飛燕のがきれいじゃ』という浮世離れした美人ぶりである。彼は生まれ持ったその美貌を衰えさせぬように常に努力しており、またその結果を見せたい相手がいることがその美人魂に火をつけていた。
化粧だってなんだって、見せる相手がいなければその作業工程もただの義務労働でしかないが、惚れた相手が職場にいるとなれば似合うかどうかわからない上目が飛び出るほど高価な春の新色に手を出してしまう。それが世間一般でいう乙女心だが、これは別に乙女の専売特許というわけではない。
伊達だっていざという時にはと特注の鎧兜が出番を待っているし、桃もなんとはなしに一本新品のマフラーを取っておいてある。
そういう特別さが、眩しいほどに今の飛燕を飾り立てていたのであった。
春の、アイドル写真によくある、けぶるような柔らかい陽光の下で飛燕は静かに微笑んで掴まれた肩に置かれているごつい手にそうっと、頬を寄せた。
頬と手の甲の隙間には飛燕の薄桃色の髪の毛が一房挟まれて柔らかくくすぐる。ふっくらとした頬に笑みが宿った。
「うるさいですね、言葉できれいだよと表現できないからって、音量でごまかすのをやめなさい」
笑みは笑みだが、どうにもSッ気のある笑みである。富樫は慌てて手を飛燕の肩と頬の隙間から引き抜いた、が、慌てた拍子に一本飛燕の髪の毛を指に絡めてプチリと抜いてしまった。ぎゃあ、おわあ、うげぇ、富樫はありとあらゆる悲鳴を飲み込んだ。飛燕が髪の毛を大事にしているのは周知の事実で、以前夏に暑い暑いと飛燕が騒ぐので、そんなら坊主にしちまぇと無神経に言ったところ股間にセロテープ台を投げられたことがあったのを思い出す。間一髪でかわしたのであったが、当たればさぞ痛かったろう。顔が想像しただけで歪んだ。だが幸い飛燕は上機嫌なのか咎めることをしなかった。ホッとして、それから富樫はなんでこんなにビクついてるんだろうと少し、煮えたぎる意識の中で理性が凹んだ。
「おや、何か香りがしますね。もしかして香水ですか、へぇ、フゥン、」
沸騰しているヤカン、今にもドスを抜いてそのフタを跳ね上げそうな勢いで煮えている富樫に構わず、フンフンと形の良い鼻を鳴らして少しつまらなそうに飛燕は問うた。めかしこみやがって、と普段の口調からは考えられないような言い草で富樫に聞こえぬように吐き捨てる。富樫からの返答はグブゥと瞑れた唸りだけ。まさかレモン石鹸だとは思わない飛燕はするりと腕を組んで身体を寄せ、
「さあ私も忙しい中時間を割いているんですよ、ちゃっちゃと行きましょうまずは映画ですね、暗がりに乗じてコトを起こそうなんてよからぬことを考えないように」
かがやかしい笑顔を作ると引率する教師のごとき口ぶりで言って歩き出した。見かけ以上に強い力で引っ張られ一旦は足を踏み出し始めるが、とうとう富樫も火を噴いた。
「ッだっから、なぁんでセーラー服の美人紹介するって話がこうなったんじゃ!!」
「美人ですよ、ほら」
飛燕はスカートの裾を摘んで、ほらぁ、とポーズを取った。通りかかった好色そうな五十代の男性が、その脚に釘付けになって鼻の下を伸ばしている。
その男をぎろりと音が出そうな程睨んで、富樫は地団駄を踏んだ。あんまりじゃ、チクショウッ!
「立派なポコ○ンぶらさげてナニ抜かしてやがる!!」
「ちょっと富樫、下品ですよ」
眉をひそめて飛燕は髪の毛をかきあげた。春風に乗って鼻へと届いた香りはもちろんフローラルだかそういった横文字のかぐわしい香りがしていて、ますます富樫はううううと唸る。
「下品も上品もあっか、俺はな、俺はなァッ…!」
うぐぐぐ、とうとう涙まで出てきて、目尻にたまって決壊するとびしょびしょ頬や顎を濡らした。悔し泣きである。楽しみにしていた分、まだノリの利いていて股ぐらを擦る新品の褌の分、肌をひりつかせるレモン石鹸の香りの分、落胆はすさまじかった。
「ヒデェじゃねぇかよう、飛燕よう」
最早酔っ払いのようになっている富樫に飛燕は初めて上目遣いに、
「だって」
と唇を尖らせて言った。伏せた睫毛が影を作るその角度すら計算なんじゃないのかと、ガラにも無く富樫は疑う。もうなにもかも信じられやせんと叫びだしそうである。
「だってなんじゃい、言ってみんかい」
「だって、とびっきりの美人を紹介するって言ったでしょう」
「言った、聞いた、俺は、俺は聞いたァ…だのに、だのに」
「いなかったんです」
しゃあしゃあと言う飛燕に富樫は今度こそ眼を剥いて、唾を飛ばして怒鳴った。
「虎丸にゃあ紹介したろが!!」
「虎丸は『かわいい女の子』が希望でしたから」
「俺だってそ」
俺だってそうだ、と言いかけた唇には、飛燕の冷たい指が当てられていた。良く見れば爪までもきれいに形が整えられているのに気づいた。赤石や邪鬼はヤスリ派で、時折背中を丸めてしゅっしゅと爪を削っているのを見たことがあったが、殆どの塾生は伸ばし放題折れ放題、富樫はハサミでバチンと切り落とす。
「違いますよ、とびっきりの、私が知る中で一番の美人を紹介するって話でしたよ」
真剣そのもの、目尻をきゅっと吊り上げて飛燕は言い放った。道行く人は相変わらずチラチラ横目遠巻きに富樫と飛燕のやり取りを見守っているが、視線の殆どは飛燕に注がれている。富樫はいわれの無い嫉妬じみた視線をぶしつけにぶつけられていた。
「そ、それがどうした」
圧されて、のけぞる。どうにも飛燕に強く出られない。
指を富樫につきつけたまま、飛燕は自信たっぷりに、どうどうと、決然と通る声で言い放った。
「いなかったんです、私より美人」
富樫が納得するより早く、周りの道行くその他大勢がまっさきに、そうとも、そうだよなぁといったため息を漏らした。
優勢な雰囲気にかさにかかって飛燕は攻め立てる。今度こそ素早く富樫の腕を掴むと自分のそれとしっかり組んで、大股に繁華街を歩き出した。
春のアスファルト、ガムがベタベタ、潰れた煙草の上を。割れる民衆、二人を送り出すように、十戒、バージンロード。
くたくたの水寒天のようになった富樫は腑抜けになって、セーラー服の絶世の美人に半ば引きずられるようにして繁華街へと消えて行った。
「さぁ、せっかく私が身体を張るんです、楽しませてもらいましょうか」
翌日はあたたかく細い雨であった。涙雨かもしれないが富樫の涙雨ならばもっと、じゃぶじゃぶ降っても良かったが仕方が無い。
ちゃぶ台につっぷして男泣きに男泣く富樫を一人いい思いをしてしまって後ろめたい虎丸と、哀れみをこめて伊達、それから、
「災難だったな、まぁそう落ち込むなよ。そのうちいい相手が見つかるさ」
富樫の肩を抱いて、辛抱強く励ます我らが筆頭、剣桃太郎によって慰めている姿が目撃されている。
なんだか桃、晴れ晴れキラキラとしてんなぁ、そう言いかけた虎丸を伊達が尻を蹴って遮り、喧嘩になったのはまた、別の話。
Copyright (c) 2007 1010 All rights reserved.
