月見サンマにコップ酒

二号生筆頭の赤石はにやりと江戸川に笑いかけた。二号生筆頭代理の江戸川はその笑いに気づいてびくりと肩を跳ね上がらせ、落ち着きなく視線をさまよわせた。
赤石は憧れ慕うべき筆頭である、自分と同じ二号生だというのに度量も男気もそして強さもなにもかもが違う。自分が筆頭代理に任命されたのは心からごっつくうれしかったが、同時に自分で申し訳ないとも思っていた。
人材不足の二号生と赤石がからかわれたりしているのを見た時には情けなさで身が細る思いである。
江戸川とてなにかしら光りぬきんでるものがどこかにあるだろうと考えに考え、色々と試すうちに自分には武術の神様は微笑まなかったが、かわりにかまどの神様は振り向いた。
意外なほどに料理は自分のこの丸い指先、厚い手のひらに馴染む。こんろの前に座っていると気持ちが落ち着く気がした。
そんな自分を赤石は軟弱だとは笑いはしなかった、代わりに、てめぇには似合いだぜ割烹着がなと笑った。
それはさげすみの笑いではなかったと江戸川は思っている。思いたかった。
「な、なんですか赤石さん」
「俺は出かける」
なぁんだと江戸川は胸をなでおろす。先日にやりと笑われたので、ああ機嫌がごっつくええんじゃなぁなどと自分も笑ったら何を笑ってやがると斬られかけた。
理不尽である。が、理不尽だろうが筆頭は筆頭なので涙をしょぼしょぼ小さな目から流しながら斬られた頬にオロナインを塗ったのだった。にきびに塗るよりも傷口に塗る回数が増えたことを思うとため息がでる。これからもっともっと寒くなったら、米を研ぐ自分の手にはきっとあかぎれが出来るだろう。オロナインはそのために少ない身銭を切って買ったのだが既に黄色ラベルは大活躍しそうな予感がする。
「ワシが留守番しとるんで、どうぞ行ってらっしゃいまし」
「うむ。ところで」
ところでが出た。
冷や汗をかく。ところで、ところでお前をちょっと切り刻みたくなったとかならワシはどうしたらええんじゃと行き過ぎの感もある冷や汗。
何が飛び出すかわからぬお人だと江戸川はいつもウリボウのようにびるびると脅えている。
「フッフフ、何をそんなに脅えてる。俺がそんなに怖ぇか」
はい怖いですと答える訳には絶対にいかぬ。正直は美徳でなく愚かだと江戸川はへらへらと顔の筋肉を使って笑って見せた。
「い、いいえぇ」
「バカが」
ごつんと拳骨を食らう。何が気に食わなかったのかわからぬが、何かが気に食わなかったのだろう。
赤石は笑っている。いかにも楽しそうだった。と、江戸川は殴られた頬を手のひらで押さえながら頭をへこへこと下げた。逆らわないのは二号生筆頭の権力と暴力に屈しているわけでは決して無い。赤石剛次に心底惚れて、それで頭を下げているだけのこと。いわゆる男が男に惚れるというやつだと一度一号生に得意げに話したことがあったが、一笑されてしまった。江戸川なぞ単なる顔面返しだけの臆病者よと笑われたのだった。自分でも気にしていただけあってあれは本当に堪えた。
なので、今は何も言わずに赤石のために飯を炊き、まめまめしく家事を行う。赤石のためにケンカが出来ないのなら、せめて出来ることをしようと江戸川なりに思っている。

「へぇ」
江戸川は恐縮したように頭をかいた。
バカが、と言われて自分でももっともだと思うので返事ははいだ。うなずいたというのに赤石は面白くなさそうだった。理不尽だ。
「てめぇには少しばかり働いてもらう」
「わ、わかりました赤石さん」
内容は聞かない。何であろうと受け入れるのみだ、それが二号生筆頭代理としてできる唯一のことだ。
「夕方には戻る。七輪に炭を熾しておけ。それから飯もだ。いいな」
「わかりました」
いいなもなにも、言いつけられたからにはやらねばならぬ。江戸川は額に血管を浮かべてその用を頭に刻んだ。
じゃあなと赤石が筆頭部屋を出て行くと、へぇええと脱力して座り込む。赤石の椅子にはとても座れない、かといってこの六畳間の筆頭部屋には椅子はほかにない。こだわりなく江戸川は床に尻を下ろした。
いちいち威圧されてしまう。自分なぞとは人として違うのだと会って話をするたびに痛感させられる。
「ごっついお人じゃのう〜」
でっかい図体を丸め汗をかくしぐさをしながらもへちゃへちゃへたりこんだ拍子に、板張りのワックスなんぞ建築されて以来かけられたことのなさそうな床にちぢれ毛を見つけた。よもやこの部屋に入り込んでマスかく猛者なんかいやしないだろう、それなら誰かの服にくっついてきたのか、それとも、
「まっさか、赤石さんじゃ…」
その想像は恐ろしくてできない。大それている。自分なんぞがそんな想像を働かせること自体が間違っているようで、床から立ち上がる。ついでじゃ、掃除をするかのうと顎をさする。
筆頭部屋の窓からはいかにも秋らしい、青がどこまでも伸びていく空が覗いている。夕方に赤石が戻ると聞いた江戸川はその間に自分がどれだけの家事が出来るかを小さな目をしぱしぱさせながら考えた。
まずは布団を干して、それからここの掃除じゃ。赤石さんの部屋にずいぶん入ってはおらんから、きっと洗濯物もたまっておるじゃろうて。
頭をかきかき、江戸川は筆頭部屋を後にした。
律儀に退室時にも一礼をする江戸川は、案外几帳面な男だった。


赤石の洗濯物を物干し竿にきっちり太陽に干した。他の二号生の分は知らない、カビを生やすなり異臭を放たせるなり関係ない。
なお、この『他の二号生』には江戸川自身も含まれている。自分なぞ二の次だ。
赤石という男に、江戸川はどこまでも惚れこんでいる。筆頭代理なぞ、やはり自分には到底つとまらなかったのだ。赤石のように強気強気に振舞おうとして、結果一号生になめられきってしまった。この失態をまだ完全に回復できていないと思っており、それがここのところの気ふさぎの原因にもなっている。
はぁあ、でかい図体に似合わずため息は細いものだった。
「アカンのう…赤石さんまだ怒っとるじゃろうし」
謝る機会を完全に逃してしまっているのだ。それどころか、赤石自身が江戸川が謝罪を切り出そうとするとくだらんの一言で拒絶してしまっている。
途方にくれている。
くれてはいるが、手は動く。
その手は丸くいかにも不器用そうだったが、洗濯物のシワを払い伸ばしては一つ一つ干していく。
晴れているなら布団を干し、洗濯物を片付ける。それが江戸川が赤石のために出来ることだった。
こんなことくらいしか、して差し上げられんワシゃ、なんと情けない男じゃろう。
空を見上げる。青空に白っぽい太陽がきらきらしていた。この晴れ方ならば今日中には手絞り脱水したシーツもフンドシもさらっさらに乾くだろうて。
しかしそんな晴れやかな空を見上げて江戸川はショボショボと涙を垂れた目尻からこぼしては嘆いた。こぼした涙は自分の学ランの袖でぬぐう。
自分の涙を間違っても赤石のフンドシでぬぐったりしたらそれこそ斬られたって文句は言えぬ。
家事にいそしみながら、江戸川は自分のふがいなさをしおしおと繰り返し繰り返し恥じながら泣いて、それから筆頭部屋を掃除した。
風が出てきた。枯葉のにおいと校庭にぼろぼろ落ちて腐ったギンナンの匂いとが混ざって鼻を掠めていく。
ところで赤石さん、どこに行きよったんじゃろう。疑問はあれども口には出さず、江戸川は休まず掃除を続けている。






すっかり夜になってしまった。夕暮れどころか、もう就寝も近づいている。
二号生達はそれぞれ勝手に飯を食い、風呂にも入った。江戸川は筆頭部屋で言いつけられたように七輪の前でじっと待っていた。
炭とは言え貴重品である、炭の代金は江戸川の懐を直撃した。以前ならば顔面返しのひとつで誰ぞ飛ぶように買いに走ってくれたのだが、最近の失態で結局自分で買いに行った。塾内のものは厳重に管理されていて、二号生筆頭ならともかく、代理江戸川には手が出せぬ。しかし、せっかく買った七輪の中の炭は夕暮れに間に合うように熾したので夜の暗さの中ですっかり小さくなりかけた赤い塊が七輪の中でぱちりと爆ぜて、それからさくりと崩れた。
江戸川は電気も点けずにその炭のオレンジに燃えるさまをただ見ていた。江戸川のごつごつとした、しかし普段の情けなくも見える顔が照らされて酒に酔っているに赤い。
まだかのう、赤石さん。
まだかのう。
冬も近い夜、たまたまこの日は底冷えする夜だった。江戸川は風呂に入っていなかったので湯冷めもしなかったし、炭があかるく熾って部屋を暖めている。
「帰った」
どん、とドアが大きく開く。一号生も二号生も緊張し、音を立てぬようにして開閉するこの筆頭部屋のドアを頓着せずに開け放てるのはひとえに部屋の正当なる主人であるからに他ならない。
「あ、赤石さん!」
江戸川は七輪の前からあわてて立ち上がり直立し、頭を下げた。赤石は見るからに不機嫌そうである。寒さにか頬が紙のようでなく髪のように白かった。
「あったまってやがるな」
熾しておけといったのは赤石自身である。目を細めてそういう彼の顔から、それが一人ぬくぬくとしている江戸川を揶揄したものか、それとも自分は寒かったのであたたかくて結構だという意味なのかは江戸川には判別できぬ。江戸川には赤石がどこまでもわからぬのだった。
不機嫌そうに、何か細長いものを床に投げ出した。片付けろという意味だと江戸川は受け取って、それを拾い上げる。
釣竿だった。
そして、
「あ、赤石さん。海に行かれたんですか、へへ」
赤石の全身から潮のにおいがした。江戸川が沈黙の隙間を埋めようと発した言葉に、赤石の頬が引きつる。すぐに硬い拳が江戸川の頬に飛んできたのを受け止める。甘んじて受けたというよりよけたら更に殴られるのをわかっていた。
「火はもうしめぇか」
「あ、あ、あ」
七輪を覗き込んだ赤石に江戸川は言葉もない。帰ってくるころをと気合入れてちんちんに熾していたら、その分早く終わってしまう。
どうしたものかと江戸川は顔に血管を浮き上がらせながら左右を見て、頬に手を当てる。
「まあいい、どうせ今日はこんなものだ」
赤石が乱暴に、江戸川の顔めがけてビニル袋を投げる。受け止め損ねたそれを拾うと、それからも生臭い匂いがする。

サンマ、ぴかぴかの大きなサンマが一尾入っているきり。
「さ、サンマ?」
「シケてやがった」
赤石に問いかけたわけではなかったが、真っ暗な部屋のなか答えが返ってくる。シケていたのは海じゃなくて釣果だということは江戸川にもわかったが、さすがにそこに突っ込みを入れるほど江戸川は愚かではない。
「この時期のサンマはごっつくうめぇでしょから、すぐに支度しますわ。メシも今」
独特の、のんびりとしたようなイントネーションで江戸川は言うとそのサンマを持って七輪に向かう。
なるほど、今日の外出はサンマ釣りだったかとようやくわかってほっとしたのか顔から力が抜けている。これを焼いて、その間に大根おろしでもこさえて、醤油と飯を出したら赤石さんの飯じゃ。そしたらワシの仕事はしまいにして、風呂にでも入って寝ちまおう。江戸川はなんとか自分が言いつけられたことを達成できたことがうれしかった。
「待て」
七輪に緑がかった黒と銀色にひかるサンマを置こうとしたところ、待てがかかる。忠実にサンマを持ったまま江戸川はひたりと静止した。
「は、はぁい」
声は間抜けだ。赤石は少し笑う、がすぐにその笑いを引っ込めて額にシワを作った。眉間のシワが深すぎて額にまで到達してしまっている。
「それでは一人の腹しか膨れやしねぇだろうが」
「へ」
赤石はいらいらしたように肩を小刻みに震わせると、江戸川の頭をどついた。江戸川は首をすくめて受け入れる。
「飯を食ったか」
「あ、いや、その」
「食ってねぇんだな」
じろりと怖い顔で睨まれたのでついつい正直に答えてしまう。これでは分け前が欲しくて言っているようではないか。
「いいいいや、その、その」
「はっきりしやがれ」
答える間でもなかった。月明かりだけでも江戸川の答えはきちんと顔に書いてある。赤石は読み取っていた。フンと鼻をならし、いかにも仕方のねぇ野郎だと言いたげに肩をすくめる。
「火熾しの手間賃くらい出してやろう」
「……へ?」
江戸川はサンマを王様に献上するように両手で掲げている。赤石は無愛想に顎をしゃくった。
「それ持って、さっさと二人分晩飯こしらえて来やがれ…急げよ」

はいもへぇも、いえそんなのとんでもないもない。言われた江戸川は必死の形相顔面返しで転がるようにして部屋を飛び出した。
月明かり、結局部屋の明かりをつけないままに赤石は七輪の傍に学ランを脱ぎ捨てて座った。暖かなその火明かりにまつげを震わせてフフンと笑いをもらす。









二号生の級友に頭を下げて酒を分けてもらう。二つのコップに安酒。二号生達は口々にそんな江戸川さん頭上げてくださいと言ってくれたが、ワシにそんな事言わんでエエ、エエ。泣き笑いのようにそう言って酒を手に入れた。江戸川さぁん、呼ばれても切ないばかりだ。
江戸川は小出刃を手にした。流しにはサンマ、まだ目ン玉が秋空みたいに澄み切ってピカピカしたサンマ。
江戸川は今朝がたくすねた卵を二つ取り出して調理台に置く。
おろし方をどこかできちんと学んだわけではない、いわゆる大名おろしと呼ばれるおろし方で江戸川はサンマをおろす。大名おろしとは一気に骨と身を離す大胆なおろし方で簡単だが、骨に身がたくさん残ってしまう。その身のついた骨を乱暴にたたく、そこに小麦粉に卵白をくわえて練る練る。つみれ汁をあっという間にこしらえた。
寒そうだったのう赤石さん、ワシがぬくまっとる間潮風に吹かれてたんじゃそりゃあ寒かったろうにのう。
熱々のつみれ汁を鍋にこしらえ、次は身だ。精一杯形がそろうように刺身をつくる。欠けた皿にシソにタマネギの薄切り、季節はずれにひからびかけたミョウガにショウガおろしをじゃんじゃんとのせた。少しでも量を増やさなくてはならない。
刺身を花形に並べ、真ん中にさっきの卵の黄身を落とす。飯、炊きあがってから少し時間がたってしまったがそれでも熱熱の飯をドンブリにこれでもかとよそう。
あっという間に江戸川はでこぼこの目立つアルミ盆に料理を載せると赤石のもとへ走った。
ここでこぼさぬようにとだけ必死に走る。

「えらいお待たせしまして…」
急ぎに急いだことくらい、この寒いのに額にかいた汗と切れた息でわかる。赤石はじろりと江戸川を見ただけで何も言わなかった。
江戸川は床に膝立ちになってにじり寄る。火明かりに見る赤石の鼻や目が恐ろしい。
「箸を寄越せ。まずかったら…」
わかってるな、と。
にやり。
赤石の人の悪い笑みに江戸川は心底震える。一号生の命知らずどもは『赤石先輩も人が悪ィや』くらいで片付けるというのに江戸川だけはいつまでも慣れない。どうも怖がる江戸川を面白がっている節があるのではないかと最近江戸川も思い出した。
「ひ、ヒィッ」
情けない情けない。江戸川は赤石の箸が盛り上がった黄身をつぶして混ぜ、醤油をかけ、飯に乗せて口に運ぶ一部始終を息を止めて見ていた。
ごくん、と太い喉首が上下する。
ああー、と江戸川はおろおろした。おろおろが似合う男になってしまった江戸川を赤石はしょうがねぇ奴だとも思うが、案外嫌ってはいない。
が、江戸川は知らない。
月明かりと火明かりの中、赤石が黙々とサンマを食い、つみれ汁をすするさまを見ている。

「てめぇも食わんか」
「い、い、いや…」
滅相も無い、と手でジェスチュアしたのだが一睨みで沈黙してしまい、箸を結局握ることになった。
もそもそと肘を縮こまらせて江戸川も自分のドンブリから飯を食う。
月見サンマの刺身に残っていた小骨が舌に触れるたびに、頼むから赤石さんの刺身にはありませんようにと青くなる。
味なぞわかりはしなかった。







「寮の食事よりちっとはマシだ。てめぇにも取り柄があったかよ」
言われて、江戸川は顔を上げた。
「や、その、その…大したもんじゃありませんです」
赤石は既にその言葉を聞いていない。月に面を向け、調達してきた酒を飲んでいる。
もしかしたら、ほんのほんのほんの少しだけだが誉められたのかもしれないと思いかけたが、どうしても今までの失態のせいでそんな都合のいい話はないだろうなと否定する。
「江戸川」
「はい」
「釣り上げたタコに墨を吐かれた」
何故いきなりそんなことを、とは江戸川は聞かぬ。
「そ、そんな大それたことするタコがおったんですか」
赤石は見てわかるほどに、声を上げて笑った。首を少し後ろに傾け、含み笑いから声に出して笑った。
まぶたのあたり柔らかく、厚い唇の端がぐっと持ち上がった笑顔はやはり恐ろしさがあり。
「そのタコ、どうもてめぇに似ていやがったな…フフ、…フッフフ」

江戸川はなんにも言えなくなってしまい、赤石が何を言いたいのかわからないままああこの人は何があってもごっつく格好いいお人じゃのうとぼうっとして酒をこぼしてしまった。

夜露が降りて、息が白くなるほど底冷えする夜だった。月と、地味な秋の星星が光る夜だった。
けれどけれど七輪の残り少ない炭火が二人を暖める。
酒が尽きても、どうしてだか赤石はしばらく機嫌がよくて。
それを見ていた江戸川はようやく細い目に笑みを上らせて安堵した。
モクジ
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