ローズ・アダージョ
約束したんだもの、さあ手をだしておじさま。
覚悟はいい?
オーロラって意外と根性ものよ。
ふふん。
お姫様だって楽じゃないわ。
幼いバレリーナ。
拾ったバレリーナ。
傷だらけのバレリーナ。
血に濡れ涙に塗れたバレリーナ。
羅刹は部屋にそのバレリーナを連れ帰った。
卍丸はようてめぇにロリコンのケがあったとはなとからかったが、羅刹は静かに彼女の体を抱き上げてあの殺風景な部屋へと連れ帰った。
糸が切れたようにというよりも、もともと動くはずのなかったもののようにバレリーナは眠り続けた。
オーロラ。
血の気のない頬にこびりつく血の塊。
その血は父親のものだ。羅刹はその頬に触れた。冷えている。
やはり動くものではないのか、壊れてしまったのかと羅刹は強い眉をぴくりと動かした。ふうん、鼻から息が抜ける。
オーロラ。
目覚めのキスなどと笑わせる、自分から動こうとしないものに興味はもたん、羅刹は触れた頬から手を離した。
オーロラ。
オーロラ。
なるほど、美女には程遠いにせよオーロラだ。
羅刹は床にごろりと寝た。一つきりのベッドを明け渡してしまったのだ、床に寝転ぶ。面倒なのでシーツも何も敷かない。ベッドの下に埃が丸くなっているのを見つけてしまい嫌な気分になった。掃除は欠かしていないが、生活の不規則さからか男の一人暮らしからか行き届かない部分はどうしようもない。
人を連れ込んだことのほとんどない部屋は打ち放しのコンクリートが寒々としてある。手を打てばしゃんしゃんとよく響いた。
生来自分より弱いものに優しい気質の男で、それによって自分の背中が痛くなるくらい特に困ることのほどでもなかった。
ごろりと寝て、肘を立てて頭を乗せた。
ベッドの上で眠る横顔は日本人ではない、凹凸のはっきりとした鼻梁、尖った唇。だが隠し切れぬ幼さ。
それにしてもどうして連れてきたのだったか、羅刹はうとうととしながら考えてみた。冷たい床が次第に羅刹の体温に馴染んでくる。それに従って眠気が足元から這い登ってきた。
羅刹は沈むようにして寝た。
珍しく羅刹は寝坊をした。寝坊といっても世間一般の寝坊とは趣が異なる、何時に必ず出社するという職種に羅刹はついていない。必要があれば呼び出されるし、必要がなければ体を鍛えるなり邪鬼の元に控えるなりすればいい。ただ単に羅刹の平均よりも遅い時間に眼を覚ましたというだけのことであった。
ああ、陽射しが十分にある。今日は布団を干そう。見た目からは到底想像もできないような所帯じみたことを羅刹は考えた。
触れれば切れそうな外見だが案外に家庭的な部分も有る。そういうおかしみが羅刹の魅力でもあった。
羅刹の家に訪れるものといえば死天王の面子のみと言っても構わない、プライベートな空間に異物を入れる習慣があまりない。
が、今日は異物が紛れ込んでいる。
異物はひとつきりのシンプルな白い椅子の背もたれに右手を乗せ、その手に頼りながら着替えもせずに足を耳につけるほどに高く上げて股関節をほぐしていた。まるで現代らしからぬ青いドレス、だがよくよくそのドレスの素材を見ればテカテカ下品な艶のパーティーグッズであることがすぐに分かる。
あの、月光のさす赤い部屋で見た時は身の毛がよだつ程の美しさを感じたというのにただただ日光の中では滑稽なだけであった。
寝そべったまま羅刹は声をかける。
「おい」
「なぁに」
振り向きもしない、目覚めたバレリーナが対するのは自分とで、部屋に一つきりの姿見に全身を映している。
まるで現実味が無い、闘神の部屋に安っぽいバレリーナ。幼いバレリーナは似合わぬ化粧を昨夜落とさなかったために頬にまでシャドウの青が伸び、唇は三倍にも大きくなっていた。滑稽だが、背筋も上げていた足も動じない。
「酷い顔だ」
「気にならないわ」
あっけらかんと答えたバレリーナは足を下ろすとくるりとその場で優雅に回り、羅刹に向き合った。父親殺しすら幼さが罪の意識を排しているように思える。
「おじさま」
羅刹は体を起こした。一晩石床に寝た程度で悲鳴を上げる軟弱な体ではないが、それでもぎしりと強張りの音がある。
首をゆっくりと回すとごきりと鳴った。
「おじさまは殺し屋?牛乳を飲む?」
興味津々と言ったその顔はバレリーナの厳しさもオーロラの神秘さも人殺しの汚れも無い、ただの少女だった。
ただの映画の世界に憧れる少女に羅刹は言ってやった。
「生憎観葉植物を友人にする趣味は無い」
ただの少女は笑った。笑うと下の歯の一本が無いことに羅刹は気付いた、折られたのだろうか、それともまさか乳歯か。
「字も読めるのね」
「ああ」
羅刹は隠しながらも苦笑した。まったく面倒なものを拾ってしまった。少女は明るく耳に響く笑い声を部屋一杯に立てた。
邪鬼様に身の振り方を相談するまで置いておくしかないなと諦め、それから質問攻めにしてくる少女を突き放しながら味気の無いシリアルを振舞ってやる。
少女は残さず平らげた後、おいしいと彼女の言語で呟いた。羅刹はその言葉を知らない、が、顔を見ていればすぐに知れた。
やはり子供であった。
「歳は?」
少女は右眉をぴくりと動かした。日本人には馴染まない仕草である。返答は無言だった。
「……歳は?」
はぁーあ、少女はドレスの裾を気にせず床に足を投げ出して座り込むと言った。
「十、……おじさま、一応レディなんだけれど」
鼻をつんとそらしたその答え方はいっぱしの淑女だったので羅刹は一瞬面くらい、それから一言馬鹿と叱って頭を叩いた。
十。
叩いた手が止まる、十。
ああ、早く邪鬼様に報告をすべきだ。羅刹は今更のようにあの場で少女を連れ帰った自分の浅はかさを悔やむ。
羅刹は少女に出かけると告げた。少女は当然のように立ち上がる。犬を追うように手を振った。
「ついて来るな、待っていろ。すぐに戻る」
「………」
薄い眉がつり上がって痩せた頬が膨れる。これ以上ないほどに不満をあらわしている。
「好きに踊っていてかまわん」
まだ頬の膨らみは空気を逃がさない。それどころか立ち上がると腰に両手を当ててさらに主張を続けてきた。
フッと空気を吹き出すと、早口で少女は言った。
「観客のいないバレエなんて」
一歩も退きそうにない。子供、特に少女がわがままな生き物であるというのは全国共通なのだ。羅刹は諦めため息を漏らした。
ここで押し問答をしていても羅刹が振り切れる確率は低い、仕方なく羅刹は食べ終えた皿を洗ってからついてくるように命じた。
出かけるといってもそんな顔にドレスのままでは人目をひく。羅刹がどうしたものかと考え込んでいると少女は気楽に言ってのけた。
「おじさま、全然平気だから行きましょう」
「そんな顔で外を歩かせる訳にはいかん」
目立つだろうが、と言うと少女はますます眼を輝かせて、少しからかいを含んだ声音で答える。
「どうせ後何年かしたら、世界中の注目を浴びるんだもの」
あながち冗談でなさそうな言い方がいかにも子供だ。本人が構わないというならそれもよし、手首を掴んで引いてやる。驚くほど細かった。
粗末な食事しか摂っていなかったのか、それともバレリーナの自制心というものかわからない。
羅刹は部屋を出た。月曜日の午前十一時。
秋風が吹いてもいない、半そでのワイシャツに違和感を感じない陽射しの強さに辟易する。
マンションの前の道ですぐにタクシーを捕まえ、ものめずらしそうにあたりを見渡す少女を押し込むようにして乗せると羅刹自らも乗り込む。羅刹の重みに車が一度沈むようにして揺れた。
いきなり舞台衣装じみた格好の外国人少女と強面の髭面男に乗り込まれたタクシーの運転手は眼を白黒させたが、羅刹が落ち着いた低い声で行き先を告げるとプロらしく黙って車を発進させる。はしゃぐ少女、腕組みをして黙り込む体格の良い男、興味を惹かないはずはなかったがバックミラー越しに視線を感じることは車を降りるまで無かった。プロの仕事に羅刹は釣りを断ることで応えた。
電話で失礼が無いようにと先んじて連絡を入れてあったのは失敗であったかもしれない、羅刹は早々に後悔した。
車が走り去るのを手を振って見送る少女があら、と声を上げて自分を呼ぶ。
「どうした」
「ねぇおじさますごいわ、すごく立派なモヒカンがこっちに来る」
祭り好きなあのモヒカンがいかにも楽しげに自分たちの方に走ってくるのを見つけてしまい、一度に疲れが肩にかぶさってくるのを感じる。
ああ。
邪鬼様も人選を誤ったなと不遜なことを考えてしまった。もしくは影慶の差し金か、見事なモヒカンは次第に近づいてくる。
少女が羅刹の袖を引く。羅刹は振り払いはせず、
「迎えだ」
短く応えた。モヒカンに気をとられていた少女は振り向いて、
「おじさまのお友達?」
と尋ねてきた。憮然とする。
「観葉植物のほうがマシだ」
少女は首を傾げ、仲がいいのねと聞き捨てなら無い事を呟いた。頭をはたく。細い首ごと頭が重たげに揺れた。
邪鬼の部屋に通される段階になって羅刹はどうやってこの小うるさい少女の口を塞ごうか真剣に考えた。邪鬼様に失礼な口をききかねん、やはり外で待たせておくべきかと悩んでいたところ、まとめ役の影慶が少女に部屋の中に入るように促してしまったのでその方法は無くなった。
考えのまとまらないうちに羅刹も続けて入る。
私室である。
大柄な邪鬼のために部屋の家具、といってもソファセット程度だがそれらは全て大きく、家具と家具との間隔も広く取ってある。
部屋の一番上座、黒い革張りのソファにどっかりと腰を深く落として座る男こそ、大豪院邪鬼である。影慶を横に控えさせている。邪鬼本人は座るように進めたのだが、塾生時代からの忠誠心が影慶にそれをよしとはさせなかった。
覇気としかいいようもない力の塊を大気に溶かし、身体から立ち上らせている。
自然と頭が下がった。羅刹、一度として仕方なく頭を下げたことはない。
「羅刹、参りました」
「うむ」
王様、頭を下げないでいた少女が呟いた。邪鬼の太い眉が動く。影慶が咎めるような視線を少女ではなく保護者の立場にいる羅刹に刺した。
どん、と少女の背中を羅刹は平手ではなく拳で叩いた。大人でも泣き出すような形相で睨む。
少女はようやく立場が飲み込めたようで邪鬼に向かって挨拶をした。
挨拶、バレリーナ流の挨拶である。
手を高く優美に上げ、それから空気の隙間を通すように静かに下げ、眼を伏せる。膝を折って、後ろへ足を引いた。
「はじめまして」
場違いな挨拶にも邪鬼は動じない、とても指摘はできないが面白がっている節すらあったように思える。
「貴様が父親殺しの娘か」
言い方に容赦がない。相変わらず何事にも手加減をしない男である。
少女を省みると一瞬唇を引き結んだが、一歩進み出るとすぐに舞台の上に生きる人間らしく笑みをたちまちに作り上げた。
「そうよ」
「ふん」
邪鬼は笑ったようだ、羅刹は胸を張って答えた少女の腕を軽く引く。
影慶が腰をかがめ、邪鬼の耳に何事かささやく。おそらく少女の来歴などを伝えているのだろうと見当がついた。
沈黙が続く。
少女は負けない。
やがて、
「考えておいてやろう」
そのたった一言で面会は終わった。結局、羅刹は挨拶の一言しか発言を許されずに終わったことになる。
だが、邪鬼の考えておくという言葉は何事にもまして力強い。全て任せよという事に同義である。
羅刹は深く深く頭を下げた。
退出。
部屋を出される間際、近寄ってきた影慶が羅刹に来週までに受け入れ先を用意すると告げた。
少女は何もしらずに手をひらひらと動かして、それに集中している。
風が強くなってきた。
大通りに差し掛かる、平日の昼間だというのに人でごった返している。
羅刹は帰りは歩きを選んだ。好奇の目をやり過ごすことなどたやすいと少女は子供じみた言葉で述べたから、二人のろのろと歩くことにする。
「だって、見られていなければいないのと一緒よ」
真意を問おうと目線を逸らさぬまま、羅刹はジャケットのポケットを探った。珍しく外で煙草を吸いたい気分になった。和やかに終わったとはいえ、やはり邪鬼と同じ部屋に居続けると緊張が身体に染み付いてしまっている。
羅刹は街角の灰皿の側で立ち止まった。
蝶々のように定まり無くふらふらと踊り歩く少女を手招きする。羅刹自身は風下に位置を取り、煙草に火をつけた。マッチで吸う煙草はうまいとわかっているのだが、マッチを手にする機会が減ってしまったのでライターのガス火が先端を焦がす。深く吸った。
平和なのだ、羅刹は煙草をくゆらせながら思った。煙草のように匂いの強いものを身に付けられるだけ緊迫した戦場が遠ざかったということである。
卍丸などは焼き肉が食い放題だと子供のような事を言って、行こう行こうと羅刹を焼き肉によく誘う。服に焼き肉の匂いがつくのは全く閉口だが、あまりに目の前でうまいうまいと食うモヒカンの顔を見たら文句を言うのを忘れた。
「居るんだから見られたって構わないの」
「そうか」
少女は履き古したスニーカーの底を減らすようにして、地面と同一になりたいかのように重く踊る。息苦しいまでの重さ、道行く人間は横目に通り過ぎた。
「来週にはお前の保護者を邪鬼様が見つけてくださるそうだ、感謝しておけ」
ぴたりと少女の動きが止まった。比喩ではなく本当にそのまま無機物と化したかのように止まる、ただ羅刹を射抜くように見つめている。
腕は開いて、指先まで力が通っているのに揺らぎもしない。よくよく身体を躾けているなと羅刹は煙を吐き出しながら眼を細めてその様子を見た。
「好きなだけ踊れるところだ、行け」
「どこだって踊れるって言ったじゃない」
唇だけが動いた。ドレス姿で静止している少女はマネキンのお姫様のようで、人は自然と少女を避けた。
「おじさま、あのね」
「俺は保護者にはなれん」
突き放す。少女が身体の力を抜いた。息を吹き返すようにも見える。羅刹は煙を深く吸って、それから沈黙を守った。
「……あと七年後、新聞を見てね。必ずよ」
羅刹の側に寄ってきた少女は決然と見上げて、祈りをささげるようにそう言った。真剣そのもの、戦いに赴くものそのものの顔である。
七年後、具体的な数字である。
「七年後がどうした」
「ローザンヌに出るの、最優秀賞を取ったら新聞に載るわ」
ローザンヌ。ローザンヌ国際バレエコンクール。確かに若手バレエダンサーの登竜門ではある。
が、最優秀賞ともなれば毎年出るわけでもない。それよりもこのたった十の少女の、自信過剰で片付けるには有り余りすぎる自信が羅刹には引っかかる。
「たいした自信だ」
「確信よ」
少女は冷たく言った。腕を再び開く。
「踊りで時間を稼ぐの、言ってる意味わかる?おじさま」
「いや」
ううん、少女は唇を尖らせる。口で説明するのが下手なようであった。地団駄を踏んで考えをまとめている。
「ええと、ええと。一時間三万円で買われるとするでしょ?」
するでしょ?と言うには生臭い話の内容に、羅刹はまだ長い煙草をにじり消した。新しい煙草をくわえると火をつけずに少女の言葉を待った。
「ああ」
「いつもチュチュを着ててね、それでまず踊るの。そうして時間を稼ぐの、延長する人は滅多にいないから生き残れるわ」
前後が散らかっていて分かりにくいが、羅刹にはなんとなく伝わった。口にするのもおぞましいが羅刹は要約する。
「踊りで満足させられなければ身体と言うわけか」
「そうよ」
少女は満足そうで、当たり前の屈辱など感じているようには見えない。
汚らわしい、そういうものも居るかもしれないが羅刹にはそれが誇りが無いとはいえなかった。
「踊りで生きるか死ぬかで今までいたんだもの。誰にも負けやしないわ」
薄い胸が興奮に膨れては凹む、少女は自信たっぷりに大声を上げた。
「だから、七年後を楽しみにしてて。七年後会いに来るわ」
その自信に溢れた口振りも、見開いて羅刹を見据える目も、化粧がずりずりと汚した顔もが崩れた。
子供、寂しがりで甘えたがりのみたままの子供がしゃくりあげるように肩を震わせた。
「忘れたりしたら、いやだからね」
「忘れはせん。席を用意しておけ」
羅刹は煙草を結局火をつけないまま灰皿に放り込み、そのまま肩を引き寄せた。
骨をそのまま引き寄せたようだ、羅刹は改めてその肩の細さに驚く。
ぐず、ぐず、ぐず、
三度羅刹に見せないように涙鼻をすすると、きっと顔を上げた。
今の今まで泣いていた顔で必死に涙を堪えている。
「おじさま、手をだして」
「手?」
少女はその場でスニーカーを脱ぎ捨てた。深呼吸をするとぐっと足の腱を確かめるようにしてさする。
いぶかしむ羅刹に少女は急かす、
「オーロラ、約束だもの」
約束。
羅刹の脳裏に一つの約束が該当した。
『どこだって踊れるもの』
『おじさまの手の上で、オーロラをやるわ』
「オーロラって意外と根性ものよ」
「根性?」
足のストレッチを入念に行いながら少女は言った。通行人が一体何が始まるのかと注目し始める。
「四人の王子様にプロポーズされる時ね、こう、」
こう、と言うなり足を高く上げてアチチュードのバランスを取った。初老の女性がはしたない、と咎めるように睨む。
「ずっとよ、こうしてプロポーズの薔薇を受け取るの」
「ああ、あの…」
羅刹も一度だけ見たことがある。古今東西のバレリーナが恐れる一幕。
そう、少女は準備は終えたとばかりに手をぶらぶらとさせる。
「ローズ・アダージョ」
少女は静かに言うなり、羅刹が地面と水平に差し出した手の平の上に躍り上がった。
羅刹は少女の体重が一点に集まるつま先を包み込むようにして手の平で支えてやる。少女が本気だというのがわかった、ならばと、
「そら」
ならばと、羅刹はぐいと肩よりも上にその腕を上げて少女を空へと押し上げた。わっと歓声が上がった。
手にしているつま先に緊張が走る、が、バランスを見事に崩すことも無く少女は空中に高々と華やいだ笑顔を振りまいた。
心からのかどうか、わかるまい。羅刹もつられるようにして笑む。
脚を一ミリも下げず、顔はあくまで王女の笑顔。指先の、それこそ爪の先まで王女に染まっている。
「ありがとう、本当にありがとう…おじさま」
「ああ」
七年後、それほど先でもあるまい。そう言ってやると少女は、
「七年立ったら今度はおじさまが薔薇を受け取ってくれる?」
と聞いてきた。あんまりうれしそうに言うものだから羅刹、
「ああ」
などと答えてしまった。
約束よ。約束なんだからと何度も何度も何度も念押しをしながら一人バレリーナは旅立った。
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