王様の不機嫌
今日もぼくにやさしくない。
ぼくはぼくをわざわざ起こしに来てくれた姉さんに、
とっても、とっても、すぐにも死んじゃうくらい頭がいたいんだと言った。
姉さんは骨のほかはぜんぜんのむかんしんなものだから、ああそうと言うきり。
ぼくは今日で三日目、学校に行っていない。
…先生どこにいらっしゃるんでしょうか。
「幻の、『侠気兇器凶器驚喜強記』があると聞いた。拙者はいかねばなるまい」
ひとり決心して、うちあけてくれたのはうれしかったけど、さっさと中国へ旅立ってしまった先生はいずこだろう。
…先生に会いたい。
頭がいたいのまんざらはウソでもない。本当に頭がいたい。
昨日は牛乳をあっためてさとうを入れたのに、こちこちのパンをひたして食べただけ。
外に出たくない。
外はぼくにやさしくない。だってこんなにさむいんだ。
六月だってさむいけど、もっと水っけがあってやさしい。
こんなにかれて、ぼくにやさしくない。
毛布にぐるぐるまきになって、ベッドの上に起き上がる。家の中はがらんとしているようでしずかだった。
みんな好きかってにやってるんだろう。みんな変人だらけだもの。
変人だらけの丘の上。
ぼくはその丘の上で、一番のちびだ。
「先生に会いたい」
先生に会ったら、兄さんの作ったわけのわからない金色の甘いネロネロを飲むよりずっと気分がよくなるに決まってる。
おう、しばらくぶりでござったな、なんて先生は言ってくれるにちがいない。
先生に会いたい。
ぼくはかないもしないきたいをこめて、部屋のドアをそっとにらんだ。
来てくださったら、ぼくはたちまち元気になるんだけどな。
「具合はどうだい、末っ子」
ドアがガチャリとしたから、きゃあと声を上げそうになってしまった。だというのに入ってきたのはおじいさまだ。
ぼくが知るなかでは一番変で、一番ぼくをかわいがる人だ。
「おじいさまか、なあんだ」
「なあんだとはなんだね」
おじいさまの白いまゆげがひょんと下がって、ケゲンそうな顔になる。
ぼくははずかしいやらがっかりしたのやらで、ついつい声が大きくなってしまった。
「先生が来てくださったのかと、思ったの!」
「そうかい、悪いことをした」
そうすんなり言われてしまうと、ぼくはだまるしかない。ぼくはおとなしくまたベッドに上がって、それからひざまである長い毛糸のくつ下をはいた。
部屋はあたたまっているのに、ぼくだけは気持ちがどうしても外に投げられてしまってるので寒いままだ。
「ごめんなさい」
おじいさまはふっふと笑う。こういう時にはなにかしらよくないことを考えている時だとぼくは知っている。
「いいやいいのさ、で、先生というのは誰だね」
「先生は先生です」
ついついぼくも、先生と話す時のような話し方になってしまう。
背すじがピン!とのびた。なんとなく頭のグラグラがなくなってきたきがした。
「何の先生だね」
おじいさまはぼくのおでこに手のひらをそっと当てて熱をみた。顔がかたくないから、たぶんもうだいぶいいんだろう。もともとそんなには悪くなかったのかも
しれない。
「ぼくの先生です」
ほんとうは、ぼくだけの、だ。でもそれはあんまりリンキがすぎるものだと父さんがいうのでやめている。
はっきりと答えると、おじいさまはベッドのすぐ横に丸イスを引きずってきて、背中をまるめてそこにすわった。
「どんなことを教えてくれるんだね」
「まず、世界についておしえてくださいました」
しゃんとする。
おじいさまはゆかいそうに笑って、兄さんが置いていった金色のネロネロのコップを手にして首をかしげた。やめたほうがいいです、甘いし、それにもうつめた
くなってしまっている。
「世界、それはずいぶんと大きい話だ」
「先生は、まず目を開けよとおっしゃいました」
「ふうん」
「目を開ければ見えるかぎりの世界が手に入るとおっしゃいました、」
「うん」
「そうしたら、手を伸ばすがよいとおっしゃいます」
「手を」
そう、手を。
「ぎゅうと手でつかんだら、つめたくってもあったかくてもネロネロしていてもぼくの世界は広くなるとおっしゃいました」
「ふむ」
「そうしたら、耳をすまして、歩き回るがいいとおっしゃいます」
そうしたら、
そうしたら、
「ぼくが見て聞いて、覚えてつかんだすべてのものはぼくの世界を大きくしてくれるとおっしゃいます」
「そうかね」
「ぼくの目を開けたのは先生です」
ぼくは、その先生がいらっしゃらないことに女の子のくさったのみたいにぐずぐずと気分が落ち込んでいる。
それがいやだ。
ぐずぐずしている自分がわかっているのに、いやだ。
おじいさまはネロネロの入っていたコップを手にしたままうんうんときげんよくぼくの話を聞いていたけれど、
ふいにシワから目をひからせて言った。
「おまえはせっかくいただいた世界を大事にしないとならないよ」
「う」
「まぶたをこじ開けていただいたんだろう、」
「うう」
「そういえば、先ほど図書館に行ったんだがね」
「はい」
ぼくの世界だ。
ぼくが始めて見つけて、ぼくがとじこもっているには大きすぎる世界だ。
そこへ先生が来て、ぼくの手を引いたんだ。
「いい図書館だなあと言ったよ、よく育っている」
「ありがとう」
ぼくは国王だ。あの図書館はぼくの国だ。世界だ。
ぼくはいつの間にかしっかりとベッドから起き上がって、つま先があったかくなっているのに気づく。頭のいたみ、それからだるさ、すっきりシャンと消えてい
る。
「そう言ったらね、すぐ傍でまったくですなと言う人がいるんだよ」
「うん?」
「そうでしょうこれはわたしの孫が作ったのですよと、まあわたしも爺バカをやらかした」
ハハハ、とおじいさまはカイカツに笑った。ぼくはそれどころじゃあない。
「館長殿の祖父殿でいらっしゃったか、失礼をばいたしたと丁寧に頭を下げられてしまった」
ぼくは毛布をはねた。
足首までずり落ちてきていたくつ下をひざまでぐいと伸ばす。窓の外、ああもう雪がふりそうじゃあないか!
ストーブはかんかんだ、だというのに外はつんつんだ。
ぼくはベッドからころげるようにして落ち、部屋を飛び出そうとする。
と、おじいさまはまじめな、めずらしくまじめな顔でぼくの肩をぐうとつかんだ。
「とても立派な方だ、目にひかりがある。それに、山とあるだろう知識を腐らせていない、あの謙虚さ、決してひけらかすだけでない」
知ってる。
そんなもの、おじいさまにいわれなくったって知ってる!
おじいさまの手の力はゆるまない。シオシオカラカラのおじいさまのくせに!
もし、もし万が一にもカゼなんかひかせちゃったら、おじいさまゆるさないから。
それ以上に、ぼくをぼくがゆるせそうな気がしないから。
「額にふしぎな化粧をしていてね、それは何ですか何とお読みするのですかと尋ねたら、」
もう待っていられない!!ぼくはおじいさまの手をふりはらった。
おじいさまは右のまゆ毛を持ち上げて、意地悪そうに笑って見せた。まったく、これだから丘の上はいやなんだ!もう、まったくもう!!
「館長殿と同じことを尋ねられるのですな、と言う」
「おじいさまぼくもう」
「大往生と読み申す、そうさびさびとした大変良い声で教えてくれたのだよ」
ぼくは部屋のドアへ走った。
なんだ、だるくって全然うごかないかと思ったら元気じゃあないか!ゲンキンめ、ゲンキンなのはぼくだ!
ドアノブへかじりついたところで、ふわりと首にあったかいものがまきつけられた。
マフラーだ。ぼくは顔をま上に上げる、背中に立ったおじいさまはほほんでいる。
「外は寒い」
「ぼくよりも寒い思いをしている人がいる」
「マッチをあげよう」
手のひらにカシャンと、オレンジ色のマッチ箱が落ちてきた。ぎゅうとにぎる、ぼくのものになった。
「いっておいで、それから、新しい」
ぼくはすでに走り出して、雪がちかちか落ちてくる灰色の空の下をひたまっしぐらに飛んでいく。
もうすぐ見えるだろう、
とくちょう的な、あの頭。
パジャマのままだろうが、まったく気にしない。
先生が結局見つけられなかった本が、ぼくの図書館の受付に不自然にぽんと置いてあったのを見つけた時には、
「なるほど青い鳥はこんなところに、館長殿、貴殿は青い鳥のようだ」
なんて言われてしまった。
ぼくはすぐにストーブをおこして、そしてあついあつい金色のネロネロを二人で飲んだ。
おじいさまはぼくのおじいさまで、言ってみれば丘の上の中の丘の上なんだ。
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