絞れ絞れキュウキュウと

熱源がすぐそこにあった。
伊達はその熱源がなんだか知っている、昨日せっかく部下に命じて出したくもない上等な客用の布団を用意させてやったというのに「まだまだ喋り足らん」と酔っ払いの赤ら顔でがなり、無理やり自分の布団にまでついてきた馬鹿のものである。
孤戮闘、おぞましいあの蟲毒の箱庭より生き延びた伊達にとって夜は恐怖の対象であった。いつ暗がりより現れ出でた凶刃が伊達の喉首を掻っ切ってもおかしくない、目をいくら凝らしても暗闇すべてを見渡すことはできぬ。歯の根の合わぬ夜を幾度すごしたことか、数々のむくろに囲まれた朝を迎えるたびに伊達は涙を流していた。だが毎夜その恐怖を繰り返すごとにその涙は一筋減りふた筋減り、最後にはただ作業として敵を殺すことだけに集中し自分を束ねて崩れぬようにした。

男塾に入塾し、まず真っ先に困ったのは部屋がひとり部屋でないことであった。まさか同じ部屋であるというだけで殺すわけにはいかぬ、けれど身体は伊達を守ろうと腕を槍へと伸ばさせる。
殺したい。
殺したい。
殺される前に。
早く、一刻も早く。
殺される前に、殺さなければ。
身体の主張は日ごと夜ごとに大声になり、伊達を苦しめた。伊達とて、殺していいものであれば殺している。殺して気が済むのであればそうしたい、が、
相部屋の男は、仲間であった。部下ではない、部下であれば真っ先に部屋から出て行くように命じるのだが、仲間であった。
寝不足から伊達の強靭な精神はわずかずつ擦れ、目の下に緑紫の隈をこしらえた。相部屋の男は気づかないのかそれとも自分のせいではないと思っているのか、毎晩眠れぬ伊達の隣で高いびきをかく。
殺すよりも殺さないほうがつらいということを伊達は知った。自分の何もかもを壊す手が伸びる前にと、伊達はとうとう相部屋の男、虎丸に告げたのであった。
これは桃との、あの富士山頂の死闘を汚さないためのものである。伊達は孤戮闘のことについては伏せ、自分は人がいると眠れぬということだけを告げた。
『なぁんで、早くいわねぇんじゃ』
虎丸は怒ったようだった。怒って、部屋を飛び出していった。怒らせたか、伊達は少しばかりその単純すぎる同級を思ったがそのまま礼を言うことも詫びることもせずどろどろと沈むようにして、眠った。
何の物音も感じず、死んだように熟睡した伊達は次の朝虎丸が寝ずの番で伊達の夜を守ったということを知る。
それから始まったといえば、始まった。



熱源がすぐそこにあった。
伊達はその熱源がなんだか知っている、昨日せっかく部下に命じて出したくもない上等な客用の布団を用意させてやったというのに「まだまだ喋り足らん」と酔っ払いの赤ら顔でがなり、無理やり自分の布団にまでついてきた馬鹿のものである。
孤戮闘、おぞましいあの蟲毒の箱庭より生き延びて、生き延びて今を進む伊達にとって夜は恐怖の対象ではありつづけてはいる。
が、安らぐということを覚えた。
その熱源は間抜けな面をのうのうとさらして、今目の前で大の字になっている。
「チッ」
目覚めたのは肌寒さにで、むっくり起きれば伊達の上掛けをその熱源が引っ張ってしまっていた。さすがに冬も近いということもあり鳥肌が起こる。これだけ熱いんなら上掛けなんかいらねぇだろうに、伊達は唇だけを動かして手を伸ばす。それを見下ろす伊達の目、やどるひかりはやわらかい、夜だというのに殺気や緊迫をなくしている。あと二時間もすれば夜明けだ。
牙を抜かれたようだ、最初はさすがに戸惑った。が、
(このバカだからだ。このバカに殺気も何も必要ない)
そうとも、今だって虎丸は急所という急所を伊達の前にまるまるとさらして、今目の前で大の字になっている。寝巻きすら着ていない、汚いパンツ一丁で寝ている。伊達は上掛けを奪った、ただし、半分だけ。
あんがいやさしい男である。
虎丸のぼさぼさ頭はごろりと伊達から顔を背けるようにして転がっている、太い首筋には脈脈と太い血管が息づいていて、片手で容易に押さえつけて血脈を絶つことができそうだった。
こんな、すいよすいよと無防備に眠られていては気を張ることが無駄に思える。
弱い。伊達が本気を出せば、出さずとも簡単に殺せそうだ。けれどももしかしたらのもしかしたら伊達は負けるかもしれない、そんな『けれども』を呼び寄せそうな男であった。技力も何も関係なく、ただそこにあってどっかりと胡坐をかいている男。テコでも動かないわりにふとした瞬間にふわふわ浮かんで飛んでいきそうな軽薄さも持っている男。
面白い男であった。
どうなるのか、どこまでいくのか、不思議で馬鹿でかわいい男だ。
この熱源、虎丸龍次は伊達にとってそういう男であった。
手を伸ばし、重たい身体ごと自分の方に引き寄せる。
温い。
熱い。
無性に、顔が見たくなった。
あの底抜けにどうしようもなく間の抜けた。
手を伸ばして、身体に手を回す。自分の全身にも熱が行き渡るようだ。ああ、ため息が漏れる。
たまには役に立つ。無精髭がまばらの、ダンディズムのカケラもねぇ頬。
回した手を腹に。

むに。

「…………あ?」






「ヨーするに、好きちゅうこってすか」
若い子は思い切りがいいなぁ、私は苦笑するにとどめた。うなづくでもなく、否定するでもなく。
家事手伝い見習いさんはヘェだとかホォと微妙な顔で二人のやり取りを見ていた。私はその隣で正座して、同じく二人のやり取りを見守る。
朝っぱらから本当に迷惑ですね、ああ今日こんなにもいい天気なのに。こんなにいい天気だし、組長の今お召しの寝巻きも、虎丸様のお使いになったシーツに枕カバーも、それからついでに私の布団も干したいのですけれど。

けれど、私の主人である伊達組長が客人である虎丸さまを正座させて睨んでいるというのに組長寝巻き脱いでくださいはないだろう。朝ごはんできましたがどうしますかも、もちろんない。虎丸さまはこれさいわいと笑うかもしれないけれど、組長に怒られたらこんな木っ端な身の上なんて消し飛んでしまうでしょうし。
「仏頂面さん、アノ」
わかんねーんですが、と声を潜めて聞かれた。はいなんでしょう、私が答える。正座がつらい現代っ子はふくらはぎをこぶしで叩きながら辛そうだ。
「さっきからクミチョー、なんだってあんな怒ってんです?」
ああそれはですね、
「その腹はどうなってんだ」
「エー?」
虎丸さまはあくびまじりに組長の低いうなりまじりの声を聞き流す。組長の眉間にシワが、ああ、組長の隣に障子。張り替えたばっかりの、障子。
せめて年末までもたせたいんだけれど、無理か。
「その腹だ」
組長が指差した、虎丸さまの腹。ああ、虎丸さま昨日は着替えもされなかったようでパンツ一丁です。あのパンツもついでに洗濯したいのですが。
「ハラァ?」
まだ完全に眠気がふっきれていないようで重たげなまぶたを震わせ、虎丸さまは自らの腹を見下ろした。


「ア」


たるん、では行き過ぎている。
ぷに、では少ない。
ぶよっ、ほど醜くない。

まずつぶやいたのは隣の家事手伝い見習いさん。
「ポニャってる…」
さすがに若い子はユニークだ。まさに、『ポニャ』っていた。虎丸様のお腹はポニャっていた。
中年太りと言ったらあまりにもかわいらしい部類だが、腹にうすく積み重なった脂肪はやわらかく固まりになっている。
私もそっと、自分の腹に手のひらを添えてみた。ああ、太るどころか身にもつかないこの貧弱さよ。
「虎丸、いつからブタ丸に名前を変えた」
組長は怒っているのかなんなのか、私にはわからない。もしかしたら、庶民凡人の勝手な予想だけれども、自分が好いた相手がつまらぬものであると思いたくない組長のワガママかもしれない。
「な、なんじゃいオウ!!だ、だ、誰がブタだァ!!?」
いきり立つ虎丸さま、座布団を蹴っ飛ばして飛ぶようにして立った。座ったままの組長を見下ろす。
見下ろされているにもかかわらず組長は絶対優位だ。たとえ体勢的に不利であろうが組長にとってなんの障害になろうか、組長はなおも虎丸さまを見下ろしている。
「お前だ」
「ケェッ、て、てめぇだってもうオッサンじゃろが」
そんな苦し紛れが功を奏すことなんて、万に一つもありはしない。私はそっと、隣の彼女の肩を押した。
へ?と口を半開きにした間抜け顔で見返してくる彼女をとにかく押して、部屋の隅に退避する。私たち凡人が爆心地にいたら、それこそ微塵になってしまいますからね。
ひくり。
組長の眉が揺れた。唇も軽く引きつる。
「俺のどこがオッサンだ、おい。言ってみやがれ」
いいえ、いいえ、組長。あなたはオッサンなんかではありませんよ、この年になってその烈烈とした気迫、衰えぬ気概。伊達臣人以外のなにものではありませんよ、私ごときが声を大にしたってとても届きはしないでしょうけれども。と、隣の家事手伝い見習いさんはいつの間にやら組長の槍を抱え込んでいた。
いい判断です。被害は少しでも小さいほうがいいですから。
「ヘッヘ、おめぇ最近ほっぺたのあたりが垂れてきたんじゃあねっか?エ?ゆるゆるーっとよう」

虎丸さま組長は笑ったんですあなたを見て愛しげにふんわりと微笑んで―――

私が声を上げるよりはやく。彼女が槍にしがみつくよりはやく。
まさに神速で立ち上がった組長は寝巻きから太ももまで見事にあらわにしながら、虎丸さまの尻を回転を加えながら脛の一番硬い骨の辺りで蹴り飛ばした。
思わず尻を押さえたくなるようなひどい音がし、絶叫とともに虎丸さまは障子ごと部屋から蹴り出されて転がり、池にしぶきを上げて落ちていく。

まさか、障子紙だけでなく障子本体まで買い換えることになるとは思いませんでしたよ。ああ。ああ。ああ。









「仏頂面」
「…はい」
悠然憤然、頬に朱を乗せたままの組長は私を見下ろした。さっと頭を下げる。隣で家事手伝い見習いさんもならった。
「戻せ」
「はい、時間はいただきますがなるべく早くいたします」
「ああ」
組長はずんずんと、池から這い上がろうとあがいている虎丸さまに目もくれずどっかと座る。座って、無駄な肉の見えない尖った顎をしゃくって、
「朝飯だ」
と命じる。私ははい、と頭を下げてから立ち上がる。
家事手伝い見習いさん、虎丸さまをお願いしますね。ああ、パンツは洗濯物に入れてください。換え?組長のでいいでしょう。え?駄目?
なら組長の着流しでも着ていただいて。着付けはできますね?先日教えたとおりに、くれぐれも、あわせを間違えないように。





こうして、秋の間に溜め込んだ贅沢をそぎ落とす命令が下された。一応、一応ですが組長もね。ええ。
「いいですか、油は控えめ!!」
復唱ッ!彼女は律儀に復唱した。
「いいですか、油は控えめ!!」
…そこまで復唱しなくてよろしい。

ああ、着替えを済ませた虎丸さまが腹減った腹減ったと騒いでいる。急ぎますよ、ほら。
天高く、と言うけれど。もっと早くに動くべきでした。ああ。

「伊達ー、俺そんなに太ったかのー」
「……フン」
むに。むに。にゅー。
組長はあの恐ろしい指先でもってちょっと、ちょっととても組員には見せられないような顔で虎丸さまのほっぺたを引っ張った。むに。
…幸せですか、組長。そんな独身OLがマンションに飼う犬に癒されてるみたいな。幸せですか。幸せなら、いいのですけれど。
私はもちろん見なかったことにしたけれど、彼女はアーと大きな声を上げてしまって酷くしかられることになる。

さあ、朝飯ですよ。
伊達家家事取締筆頭、参ります!
モクジ
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