王様の図書館
子供は王様だとなにかの本で読んだ。
ぼくは馬鹿じゃないから、それが単なるたとえ話だってことくらいわかる。
でもぼくはぜったいに今、ここの王様だ。
ぼくは今日もここで一人本を読む。
前髪がじゃまになってきた。
ぼくの家はとてもお金持ちだ。どれくらい?って聞くとお父さんはさあねぇと笑う、お母さんは下品よと叱る。
昔っからこの町に住んでいるぼくらを、丘の上と呼ぶ。ぼくらの家が丘の上にあるからだ。
丘の上は変人ぞろいだと町の人がいうのをぼくは知っている。お父さんもお母さんもみんな知らないだろう、それはみんなが変人だからだとぼくは思っている。
苦労知らずの丘の上と言われるぼくら。その中でいちばん小さいのがぼくだ。
丘の上の末っ子、ただいま小学四年生。
このごろだいぶん寒くなってきたので、ぼくは長袖のシャツを着ている。気に入りの青い長袖。
その長袖よりも青い空が秋の空だとおばあちゃんはぼくに言った。たしかにそうだなぁと思う、けど今日はくもっている。
「ただいま」
「おかえりなさい、あらどこへ行くの?」
「図書館。夕ご飯にはもどるから」
ぼくは家に帰ると部屋にランドセルをおいて、家をとびだす。今日はおねえちゃんに見つかってしまった。
どこへ行くのか聞かれてかくさずに答えると、おねえちゃんはまたなのと言った。
「そこに住めるようにあたし、おじいさまにたのんであげようか」
おねえちゃんは中々おどろくようなことをいう。ぼくはそれもいいなぁと思った。
「それはいいね、あそこに住みたい」
「そんなら任せておきなさいよ。あたしももしうちに博物館があるならそこに住みたいくらいだわ」
いいわねあんたは、とおねえちゃんは顔をぴくとも動かさずに言って、それからさっさとぼくに背中を向けた。
おねえちゃんがきょうみがあるのは骨だけだと前に行っていた。小さな鳥や、それからほにゅう類の骨がたまらなく好きなんだ。
ひさしぶりにおねえちゃんを見た気がする。
もちろんおねえちゃんも丘の上、変人の中の一人。この家は変人だらけだからそんなことでビックリすることもない。
ぼくは何ももたずに家を出た。
「行ってきます」
最近夜になるのがはやくってこまる、もっとぼくはあすこにいたいんだけど。おねえちゃんがおじいさまに言ってくれるのをぼくはとても楽しみに待った。
ぼくの家、丘の家のしき地のすみっこに図書館がひとつある。おじいさまの友達が集めた本があんまり多くなったんで、倉庫がわりに建てたんだって聞いた。個人的なものだからぼくの通う学校の図書室よりちょっと広いくらいの一階建て、れんがの建物。天井がとても高くてせまっくるしくない。中にはぞぞーっと本だなが並んでる。
最初は本当にただの倉庫がわりにしていただけだったんだって。でもおじいさまの妹のだんなさんがとってもきれい好きの整理好きで、ただ本がめちゃくちゃに並んでいるのを怒ってきれいにしたらしい。そして、ついでだから家であまっていた本を足して図書館にしてしまえってことになった。
だからこの図書館はシリツ。市立じゃなく私立なんだ。一応名前もある、真っ黒な石でできたカンバンには【目朋無人図書館】とある。コケがつまってこれが本当の名前かぼくはしらない。
丘の家のヘイに囲まれてもいないから、誰でも入れる。名前のとおりの無人図書館だ。お客さんはぼくがここに入りびたるようになってから、気まぐれくらいにしかみたことがない。ぼくがここに入った時にはびっくりした、とられて困ることもないからってカギをかけてもいなかったんだ。
それから家中をさがして、大きなぼくの手の平ほどあるしゃれた青いカギを見つけた。
ぼくは学校から帰るとここを開けて、ここから帰るときに閉めることにしている。これでますますお客さんにはふべんになったと思うけど…しかたないよね。
「さて…と」
ぼくはカギを開けると中に入った。いちおう【開館】と書いた札をドアにひっかけて出しておく。この札もぼくが作った。
誰も来ないのには理由はまだある。
丘の上のぼくがいうのもなんだけど、この図書館はヘンだ。
ヘン、というのは並ぶ本そのもの。見るからにうちの家族たちがすきそうなおかしなものばかり。
ぼくが今読んでいるそのうちの一冊は、『スポーツ起源異聞』これは本当におもしろい。
ゴルフ、うちじゃおじさんのおねえさんのだんなさんがやるゴルフ。これは中国で生まれたんだって。
すごいや。
こんなヘンでヘンな本ばかりのこの図書館の王様は、ぼくだ。
ぼくは王様らしくこの国をきれいにして、国民たちが気持ちよくすごせるようにがんばっているところ。
そして、今日もぎょくざに座って本を読んでいる。
このぎょくざはおじいさまが昔使っていたらしい社長さんがすわるような椅子で、くしんしてぼくがすえつけた。
おねえちゃんが言うようにここに住めたらいいんだけど。ふつうの、この丘の下の家のお父さんお母さんはきっとゆるしはしないと思う。
けどぼくは丘の上の子だから、たぶんそのうちそうなるんだろうな。そうしたら電球をここに吊るすんだ、夜じゅう本が読めるようになる。
あ、雨が降ってきたみたい。サササササって葉っぱがこすれて鳴るのより静かな音がする。ああドアを閉めなきゃ、それからエアコンも入れて。本はしっ気に弱いのよってお父さんのお兄さんの奥さんが言ってたからね。
……本当ならすぐにドアを閉めなきゃいけないんだけど、でも。
もうちょっと。
だってまだなんだもん。
……まだかなー。
しけっちゃうよ。
まだかな。
……あ、来た。
「いらっしゃい先生、おまちしていました」
今日はじめての、というよりこの図書館の本当に片手の指におさまりそうなお客さんの一人がご来館。
ぼくは王様らしく、ていねいにおじぎをして国ひんをお迎えする。先生はたいそうぬれてしまっていた、細い雨ほどよくぬれるんだ。
ずぶぬれの先生はぼくのさしだしたタオルを、かたじけないと眠たくなるようないい声で言って受け取った。
ぼくは先生が完全に図書館に入ったのを見てから、ドアを閉めてエアコンを入れた。
あれも雨の日だと思い出す。一月前の、九月のはんぶんごろ。
先生は、ぼくが何度目かこの図書館にもぐりこんだ時に出会った。まだカギをかけていなかった時だった、ぼくははじめっからここに人がいないと決め付けてたから先に人がいてものすごくびっくりして大声を出したのをおぼえてる。
イスにこしかけて背中をむけていた人がぐるりんと振り向いたんだ。そして立ち上がると大声を上げたぼくに近づいてきて言った。
「驚かせてしまい申し訳ござならぬ。にしても…ここに来る人が拙者の他にござったか」
先生のしゃべりかたをぼくはほかに聞いたことがない。学校でも家でも、ということはとってもめずらしいしゃべりかただということだ。
ぼくが家でしている話し方をすると学校でとってもびっくりされるし、家ではみんながみんなおかしなしゃべりかたをしている。
丘の家がそれぞれにおかしいんだし、外で聞かないということは先生はどちらかというと丘の上よりなんだろうな。
「はい」
その時ぼくはおもしろくもなんともない返事で、先生をたいくつさせてしまったんだろう。
先生は鼻の下から生えたふたすじのヒゲを指でひねった。見上げるほどに背が高くて、お母さんたち女の人がするのとはちがうお化粧をしている。
これもお化粧なんだろうか、おでこに『大往生』って書いてあった。
ぼくはそのときその意味も読み方も知らなかった。
「それは何と読むのですか」
なのる前にたずねてはいけないよ、人にたずねる前に自分がなのるのだよとお父さんの従兄弟のおじさんはぼくに言っていて、ぼくもその通りだと思っていたのにこの時は頭がオカシクなってたにちがいない。
先生はいやな顔ひとつせずに、
「これは大往生と読むのでござるよ」
と教えてくれた。背中がぴーんとしてて、猫背だったぼくもつられて背中がしゃんとなった。
「貴殿のような幼子がかような図書館に通うとは、感心でござるな」
先生はきっとほほえんだと思う。わからないけど。はぁとかへぇって言ったかもしれないな。
ぼくはこたえわすれた。先生は気にしなかったのかそのまま本だなの間を歩き出す。
しぜんとぼくも追いかけた。
「ここは良い、古代の中国武術に関する本がこれほどまでにそろっているとは恐れ入る」
「ぶじゅつ」
武術、ぼくの生活にはまったく関係のなかった言葉だったのでつい聞いてみたんだ。
先生は大きくうなずくと、一冊本だなから取って開いた。仕事ばっかりしてそうなきれいな手だなって思った。
「おう、これはかの有名な『世界死闘決闘百選』であるか。このように世界中、とりわけ中国の武術に関する本を拙者は探していてな、うわさを頼りにここへとたどり着き申した」
よくわからなかったはずだ。
けど、ぼくはその時この人はここを気に入ってくれているということだけはわかったのでうれしかった。
「ようこそ、ぼくの図書館へ」
ぼくはいばって言った。ぼくの国だ、ぼくの国民をこの人はほめてくれた、ありがとうという気持ちでいっぱいだったな。
先生はあの時はおどろいたと今では言う。たしかに、いきなり子供がここは自分のものだって言い出したらびっくりもするよね。
「さようでござるか」
先生は馬鹿にしなかった。それどころか、
「館長殿でござったか、いつも利用させていただいておるのに失礼をば申した」
とていねいにぼくに向かって頭を下げたんだった。ぼくは頭をさげもせず、ちがうんだ国王なんだなんてつまらないことを考えていた。
感げき、感動した。
「先生」
えらい人、りっぱな人のことを先生と言うのだったよね。ぼくは知っていたから先生を先生そう呼んだ。
先生は困ったようにつるつるにそられた上にお化粧?された頭をかいて、
「拙者、雷電と申す。まだ若輩者ゆえ、先生などと呼ばれる身分にはござらぬ」
とぼくみたいなちびに対してえらくむつかしい自己紹介をしてくれた。
ぼくはとってもおそくなった自己紹介が気まずくてならなかった。
「ぼくは丘の上の末っ子です。雷電先生、どうぞごゆっくり」
名前をなのらなかったのは何か考えがあったわけじゃないんだ。ただ、ぼくを外の人、丘の下の人は丘の上の末っ子としか言わないからそう言っただけなんだけど。
「末子どのでござるか、これからもこのすばらしい図書館の管理をお頼み申す」
名前と言うことにされてしまった。
ちがうんだけれどな。
末っ子だから、まぁまちがいじゃないけど。
ぼくはよく他の人から、トビと呼ばれる。トビというのは飛び出しのトビで、
「いきなりすぎる」
っていうことなんだ。
ぼくもそれについてはいつも反省してるんだけれど、どうしても思ったらそのときに口に出さないと気がすまない。
その時もぼくは飛び出した。
「先生、ぼくも先生と同じ本を読みたいです。先生が読み終えたそれ、ぼくにも貸してください」
先生はむう、と唸って今手にしたばかりのその本をにらんだ。
ぱらりと見えたページ一つも、真っ黒になりそうなくらい文字が細かく並んでいる。
けど、先生がそれをいかにも楽しそうに、うきうきと選んでいるから。
「これは武術の基本を習得したもの向けの本ゆえ、これから学ぶのであればここからはじめるのがよかろう」
先生は本だなをまたみわたして、それから一冊抜き出した。
ぼくはものすごくうれしかった。やっぱり先生はすてきだと思った。
ふつうの外の人は「これは子供の読むものじゃない」って言うと思うんだ、でも先生はきちんと、これはむずかしいから、これをきちんとわかってからってじゅん番を教えてくれた。
「これは読めそうでござるか…『中国拳法大武鑑』…挿絵もあり、説明も平易な言葉で書かれてあるゆえ、読み始めるにはうってつけかと思われる」
先生の言葉自体がむずかしいですよ、といいそうになるのをガマンしてぼくはその本を受け取った。
図書館だもの、しゃべる場所じゃない。
ぼくは先生の読書のじゃまにならない席に座ってそれを読み始めた。
それから毎日、先生に教えてもらった本を読むことにしてるんだ。先生が来たときに時間をもらって、それからぼくの勉強がちがってやしないか聞いてもらう。これくらいは使用料と思えば安いものでござるよと先生が言ってくださってたすかった。
今ではぎょくざもあるけど、先生がきているときはぼくもふつうの席に座る。
気がひけるっていうのもあるけど、先生の顔がここだと良く見えるんだ。
先生、先生、本はとってもいいですね。
そうでござる、本は手にしたものに知識を与えるすばらしいものでござるよと先生は言った。
ところで後で先生が教えてくれたけど、この図書館の本当の名前は『民明無人図書館』なんだってさ。
コケで文字の線がつながってたんだろうね。
「先生、いらっしゃいませ」
「末子殿、先日の本は如何でござったか」
ぼくは先週すすめられた、『世界スポーツ奇憚』を見せる。とてもおもしろい本だった、スポーツ発祥の拳法だなんてユニークすぎる。
先生は一応ぼくが子供だからということで、子供がきょうみを持ちたがるスポーツの本をえらんでくれてるにちがいなかった。
「とってもおもしろかったです。先生またぬれたでしょう、帰りにはぼくのカサをつかってください」
先生がぼくのヒヨコほどにまっ黄色いカサをさしているすがたを思うと笑ってしまう。かわいいんだろうな。
「かたじけない」
先生、先生。
今日はどんな話をして、そしてどんな本をすすめてくれるんですか?
「今日は…」
これがはつこいだっていうならそうかもしれない。なんといっても、丘の上でも下でも、
「女の子が『ぼく』なんて言うんじゃありません」
って怒らなかった初めての人なんだもの。気付いてないだけかもしれないけれど。
先生、好きです。本も、この図書館も好きですけど、先生だけ頭ひとつ抜けて好きです。
雨がやまないといいんだ。
そうしたら、ぼくは家まで先生とあいあいガサだ。先生ぼくをフラチだと怒りますか?
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