お年玉の話

お年玉をもらったという、記憶はいくつかある。
じいちゃんのくれたお年玉はいつもピン札だった。普段尻ポケットに突っ込んだままになっていて、たまにズボンごと洗って皺くちゃになるお札と違っている。
銀行から下ろしてきたばっかりみたいに、ピンピンのピン札だった。

「おうチビ、まあしかたねえからてめえにお年玉をやらあ」
「わーい」

そう言って、何がなにやらわからないで喜ぶわたしの手のひらに、わざわざ拾ったんだか調達したんだかわからないけれど、ピンポン玉をポタンと落とすのだ。
最初の年は、それでまんまと騙された。思えばたしかその正月、やたらと多めに肉が出た。国産だが和牛じゃあない、なんてよくわからないけれどとにかく肉が たくさんでた。
じいちゃんがすき焼きを好きだと知ったのはおそらくこの時だ。
すき焼きをやるってなると、もう年甲斐も無くウキウキしてしまって、自慢ったらしい電話をするのだ。
『よう虎ァてめえ生きてっか、エ?どうせ一人さみしい湯豆腐じゃろ、ヘッヘヘ、うちァな、すき焼きよ。おうもちろん国産じゃいバッカ』
わたしはじいちゃんが電話に向かってツバを飛ばしてまくし立てているのをぼうっとしながら見ている。ぼうっとしているからあんまりよく聞いていない、
聞いていないとそのうち、
『仕方ねえなあテメエはよう、春菊とシラタキくれぇなら食わせてやらあ』
なんて話になっている。仕方ねえ仕方ねえと言うじいちゃんの顔はなんだかなにやらうれしそうなので、わたしもニコニコしてしまう。
そうして虎じいちゃんがのっしのっしとでかい尻をふりふりやってくるのだ。
誰よりも肉をよく食べる虎じいちゃん、テメエコノヤロウとじいちゃんに怒られながらも、じいちゃんの椀に生卵をカラ入れながら割りいれてくれるのも虎じい ちゃんだった。
じいちゃんが意外とさびしがりやだという話をわたしは誰からも聞いていた。
誰もがじいちゃんがさびしがりだと知っているのだけれど、認めないのは本人だけである。

「なあちび、お前は富樫の側に居てやってくれよ」
頬のあたりの丸くって、ヒゲがチクチク痛い虎じいちゃんはわたしをよく撫でてこう言った。あったりまえだと思っていたわたしは、いつもオウと虎じいちゃん の真似をして答えるのだった。
「頼むぜ、俺も桃も、いつまで側に居てやれっかわからんもんなあ」
「だいじょうぶだよ」
虎じいちゃんの、遺言とも言うべき言葉を幼いわたしは笑って蹴飛ばしたのだ。悔やむかと言えばそうでもない。だって、
「だいじょうぶだよ」
だいじょうぶなのだ。そう確信していた。今もそう確信している。

じいちゃん達が、だいじょうぶでないわけもないのだ。
そうだいじょうぶを繰り返したわたしに、虎じいちゃんは屁を一つこいて、それから爆竹みたいに笑った。そしてじいちゃんにうるせえ臭えと怒鳴られる。わた しもとばっちりで怒鳴られた。




「おうチビ、まあしかたねえからてめえにお年玉をやらあ」
「わーい」

手渡された千円札は本当のピンピンで、わたしはとてもうれしかったのを覚えている。居間の畳に仰向けにねそべって、わっかの蛍光灯に夏目漱石を透かすの だ。たまご色の楕円にぼうっとうかぶ夏目。うれしくってごろごろと転がった。
桃さんにも見せびらかした、虎じいちゃんにも見せびらかした、じゃきさまには迷った。怒られるかもしれないから迷った。大きいし怖かったので、わたしは 迷ったのだ。じゃきさまはむう、と唸って、最後はわたしを撫でてくれた。首がもげるかと思った。じゃきさまに、じいちゃんに、ももさんに、わたし、虎じい ちゃん。狭い家はぎゅうぎゅうで、そのぎゅうぎゅうがたぶん、じいちゃんは好きで安心していたんだと思う。
ひとしきり見せびらかしたわたしの千円をひょいと、じいちゃんが取り上げる。と、

「こんなモン」

手のひらに丸め、あっという間にくしゃくしゃにしてしまったのだ。びっくりして、わたしは大泣きしてしまった。
わんわんぎゃんぎゃん、それはそれは台風よりもやっかましかったに違いが無いのだ。
じたばたと手足をばたつかせ、畳をドンドンと幾度も打った。

「おい、いいか」
いいかと言われても、絶対によくない。わたしはまだ泣いていた、虎じいちゃんのでっかい手でよしよしとされながら泣いていた。桃さんはたまに、じいちゃん の味方だ。桃さんはきれいな声で、
「まあ話を聞け」
なんて大人なことを言う。じいちゃんは珍しくまじめに言った。おそらくわたしはふてくされていた、桃さんったら最後の最後はじいちゃんの味方するんだも のってすねていたのだ。
「金なんかなあ、色々できてそりゃあ便利だがよ、きれいだからって勿体無くって使えねえんじゃ意味がねえや」
わたしは泣く。鼻だってずるずるだったはずだ。
「汚ェんでいいんだよ、イザって時にチャッと使えるんなら、それでいいんじゃい」
わたしはまだ泣く。








わたしはそっと、財布を開いた。情けの無いことに小銭ばかりだ。
あの千円がどうして崩れていったかはもう思い出せない、けれど、
「それでいいんじゃい」
じいちゃんの口真似をしてぽつんとつぶやいてみたら、どうにも具合がよかった。
うちにはあの、じいちゃんが下手糞な字で書いたらしいぽち袋がある。

モクジ
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