特攻オチカヅキ、アイラビュー
男塾の塾生に、Jが加わった。
言葉は通じるとはいっても外見はどうにも外国人、どうにも言葉をかけづらい。
その上、Jは寡黙だ。
松尾はううん、ううんとサザエ頭を揺らして悩んだ。
せっかく入塾してきた新しい塾友である。仲良くやろうじゃないか、松尾自身そう思ってみても出会いはサイアク。
よりにもよって、顔面神経症ときたものであった。悪い事をした、しょんぼりとうな垂れて庭の桜にもたれかかる。
謝ろうか、それとも何気なくよおと声をかけて付き合おうか。
見かけの愛嬌もしとしと沈んでこごり、松尾はしおしお萎れてうんうん唸る。
校庭を行きかう塾生達が、なにやら考え込んでいる様子の松尾を気にしながらも通り過ぎていく。人の考え事を邪魔するのはよくない。
松尾の頭は普段使わない部分まで回転させているので熱さえ帯び始めた。
考えに考えた末、松尾は親友の田沢に相談することにした。
自分と違って田沢は大層かしこい、ついこの間にも英語で100まで数えてみせた秀才の頭脳を借りようということになった。
田沢はどこにおるんかのう。
廊下を歩きながら松尾は田沢、田沢はおらんかと声を上げた。知らん、知らねぇと友人たちが答えてくれる。
普段ならば教室の自分の席で一人むずむずとゴミやガラクタを継ぎ合わせるようにしてなにやらこしらえているのをよく見るのだが、今日の田沢の席は空だ。
おっかしいのう、首をひねった松尾に声をかけたのは富樫だった。富樫は手にアンパンの袋を持っている、早朝アルバイトの報酬だとは聞いているが実際どんなアルバイトをしているのかは松尾は知らない。
「なんじゃ松尾、田沢ならいねぇぜ」
「おお富樫、どこ行ったかしらんか」
富樫はアンパンを一口かじりながら松尾と同じように首をひねる。甘い餡とパンの香りが鼻にふわり、むしょうに松尾は腹が減ったのを感じた。
「裏庭じゃねぇか、さっき出来上がったロボだかゴミだか抱えて飛び出してったぜ」
行くのか?と顎で窓の外をしゃくられて、空腹に意識をうっちゃっていた不意をつかれて松尾はあ、うんと間抜けな返事をした。
「男だろがよ、オウとかアアとか言えってんだ」
富樫は笑った。
松尾はまたしても、オウとかアアといいそびれた。富樫の目尻がきゅうと絞られて皺が出来る、傷跡がある目のほうは皺というより皮膚がひきっつれて、それでも笑ったと分かる。
「しゃあねぇなぁ、そんな顔されたら独り占めなんざできっかよ、オラよ」
何も松尾が言わないのに、富樫は手にした袋からアンパンを二つ取り出して投げて寄越す。いかにもしぶしぶだと言うぶっきらぼうな言い方とは裏腹に、教室に残っている塾生がそれぞれアンパンをほお張っているのを松尾は見た。多分最初は見せびらかしながら食おうとでもしたのだろう。ふふん、やらねぇ、やらねぇったら、これは俺の、俺が一人で食うんだぜと威勢よくしていたはずである。ところがくれようくれったら、たのむようと頼みに頼み込まれた末に根負けし、一人にアンパンを手渡してしまったら後はオイこれは俺のだって、オイ泣くな、チッ男がアンパン程度で泣くんじゃあねぇや、オイ、こんなモンいくらだってくれてやらぁ。引っ込みがつかなくなってしまったのだろう、次から次へと群がる塾生にみんなくれてしまってその最後の三つなのだ。
「すまんのお」
「まったくだぜ、今度なんか頼むぜ」
その今まで起こったであろうやり取りが目に浮かぶようだ、松尾はありがたくアンパンを二つ受け取って教室を出た。
裏庭ではがっくりと膝をついて田沢が打ちひしがれている。そんな光景は見飽きた。伊達に親友をしてはいない。
半分以上に色づいたイチョウはまだ落葉を終えてはいない。イチョウを見て初めて忘れていたが秋なんじゃなぁと松尾は思い出した。この男塾にいると季節を忘れてしまう、その原因は代わり映えのない食事メニューと着たきり雀の学ランと、そして咲きっぱなし狂いっぱなしの根性桜のせいである。
「よう田沢、ちょっと」
田沢は胸に、なんとも形容しがたい金属のガラクタを抱えている。ガラクタと言ってはなんぼなんでも田沢に悪かろうと気を使って松尾は尋ねた。
「松尾か」
「なぁそ、そりゃあ何じゃ、ううん」
「これはギンナン拾い一号君じゃ」
これ以上ないほどわかりやすいネーミングである。田沢はメガネをずりあげた、目に知性とおぼしきものが宿る。
「あの臭いギンナンを手で拾っていては大惨事じゃ、そこでワシが考えたのがこのギンナン拾い一号君というわけよ。このスイッチを入れると自動的に歩き回って、ギンナンを探し回る」
松尾は素直に感心した。乏しい食事の中でも季節を感じることができる稀有な食材ではあるが、なにぶんあの地面に落ちているのは猛烈に臭い。軍手を嵌めていようがおかまいなしに指先を黄色くしてしまうあの汁、鼻が曲がる臭いとはまさにああいうもののことをいうのだ。松尾は思い出しただけで顔をウェッとしかめた。
「そりゃあ凄いのう、で、どうじゃった?」
田沢はまたしても打ちひしがれた。腕に抱えたギンナン拾い一号の機動力となりそうなコードがひょろりとぶら下がっている。
「電源コードが届く三メートルしか動かん。こりゃあ使い物にならねぇや」
「残念じゃのう、今年こそうまいギンナン飯を食えると思ったんじゃけど」
「ああ残念だ、だがよく言うだろう。失敗は成功のババと。これしきで諦めはせん」
なんだかよくわからんけども、やっぱり田沢は賢いんじゃ。松尾は丸い顔をわっとほころばせて頼もしい親友の肩を叩いた。
少し田沢から、ギンナンの臭いがする。
ところで、と田沢は膝についたイチョウの葉を落としながら松尾を見上げた。
「なんぞ用があるんじゃろ、この田沢にまっかせなさい!」
胸を叩いて請け負う田沢に、松尾はアンパンを一つ差し出して実はな、と切り出した。
黄色、黄色、
一枚また一枚とひらりイチョウが葉を落とす。
田沢は口元についた餡を舌でべろりと舐め取り、それでも尚未練がましくアンパンの袋に鼻先を突っ込んで甘い香りを嗅いだ。
松尾は食べずにとっておく、楽しみは最後にとっておきたい性格である。
「ほお、それでその子と仲良くなりたいっちゅうことだな?」
Jの名前は出さずに説明をした。なんだか秘密にしたほうがよさそうだと松尾は思い、ある人と、という話し方をしたのである。
田沢のニヤニヤ顔から、松尾はなぁんとなく嫌ぁなヨカンがするのうと持ち前のカンのよさを発揮する。
どうやら田沢、イロコイ沙汰のことと勘違いをしているようであった。
「そんなものズバァっと告白するのがいいに決まっておろうが」
「そ、そんなこと言ったってワシが出来ると思うかよう」
むむ、顎に手を当てて考え込むポーズを田沢は取る。かしこげに見えるのでこのポーズは気に入りであった。
目の前の親友の顔をまじまじと見直して、田沢は無理だなと素早く断じた。
この親友、気が良い他は顔も自分に比べて悪いし頭は自分とくらべようもないくらい悪いし、かわいそうな奴なのである。
だがそいつは誰より自分の親友なのだ。どうにかしてやらねばなるまい、田沢ブレインの腕の見せ所であった。
松尾が適当な数えで、六枚のイチョウが目の前を落ち過ぎていったと同時に田沢は回答をはじき出す。
「手紙だ」
あまりにベタじゃなかろか、などと侮ってはいけない。
なんといっても心がこもる、そして手渡す一瞬だけの力で済む。
「手紙か」
「手紙だとも」
田沢は胸を張って勢い良く立ち上がった。ギンナン拾い一号君が膝から転げ落ちてばらばらと壊れたが、田沢は省みない。後ろを振り向いていては発明なんぞできようもないというのが彼の持論であった。
ニッシシ、不気味な親友の笑いに松尾は一歩引いた。
「文面はこの田沢にまっかせなさい!」
任せるもなにも、既に田沢は腹のサラシからハギレ紙とちょびた鉛筆を取り出している。
松尾は大人しく、田沢式特攻作戦の完成を待つしかない。
松尾は駆け出している。
広く、まだ身体に馴染んではいない真新しい学ランの背中目掛けて駆け出している。短い足を必死にばたつかせ、腕を振りぬき、鼻から嵐のような息を噴出した。
目標はもちろん、Jの背中である。
秋風の中、Jはやはり一人である。もとより入塾して間もないのだ、そうやすやすと親友が出来るはずは無い。拳を交わした桃とは時折話すのを見るが、それくらいしか松尾の記憶にはない。
松尾は自分がなんだってこんなに必死になってしまっているのかそろそろよくわからない。なんでだ、なんでじゃ、
答えはわからないのだ。とにかく、皆おんなじ奴隷の一号なのだ。仲良くしとけばいいじゃあないか。松尾は迫るJの背中目掛けて、地面を力いっぱい蹴りつけて飛んだ。
田沢式特攻作戦。
ぶつかって★ドッキリ!出会いがしらにぶつかって、運命をヨカン付ける。そして手紙を渡した頃には相手はロマンティックさにメロメロじゃ。田沢はそのあたりの説明を省きに省いた。こういうものは本人に知らせないほうがよかろうと思ってのことである。
頑張るんじゃ松尾、田沢は物陰から見守っていた。
ありゃ?
田沢の目がまん丸に見開かれた。親友松尾が特攻精神で目掛けている背中、あれはどうナナメに見てもこないだ入塾したばかりのJのものに違いない。
はて、
ふむ。
田沢ブレインが回転する。答えを探す。
「おお!」
松尾は、衆道のケがあったんじゃ!!
力強く導き出された答えをかみ締めたのと同時に、松尾の身体はJの背中に人間爆弾として着弾していた。
がんばれよ、松尾。お前が衆道だろうが、親友を返上したりはしねぇからな。
どこまでも田沢は、親友を応援している。
「………」
ウッ、と漏れ聞こえた相手の声はやっぱり日本人のものじゃねぇ。松尾は緊張に唇をかみ締めた。
だが、自分がぶち当たったのは背中だと思ったのに何故だか自分はJの腹に乗り上げる格好になっている。いつ振り返られたんだろう、松尾にはとうとうわからなかった。
「………」
松尾はJの腹の上で、沈黙してしまった。Jの、大きく吊り上がった三白眼がじろりと自分を睨んでいる。ヘビに睨まれたカエルと化した。
JもJで沈黙している。いきなりぶち当たってきたサザエ頭を殴りつけることもどなりつけることもせずにただ睨んでいる。
「………何か用か」
痺れを切らしてJは低く通る声で尋ねた。松尾はまだ、Jの腹の上で硬直している。真っ白になっている松尾に向けて田沢はエールを切る、わたせ、わたせ、てがみを、わたせ、松尾は震える手でもって、田沢の書き上げた手紙をJに差し出した。
律儀にもJは腹に松尾をのせたまま手紙を受け取って、ゆっくりと開く。
『はじめまして はじめてあなたのことを見たときから、あなたの顔で胸が一杯です。どんなアイドルよりもあなたのほうが億千万倍かわいいです』
これ以上はとてもとても書けない。鉛筆が学ランの袖で擦れ、黒霧のかかった紙面はまさに熱烈なるラブレターである。
熱い。
松尾はどんな文面かは知らない。親友を信じているのだ。
まさかこんなラブレターだとは知らない。知ったらその場で卒倒するだろう。
「Hun…?」
だが幸いにして、幸いの幸いにして、Jは日本語が読めなかった。話せるまでにはなったが、まだまだ名前程度しか満足に読めぬ。
……これは?と尋ねようとして、Jは手紙の最後にある一文に眼を奪われた。
I lobe you
I needo you
I wont you
誤字だらけだが、確かに英語である。
田沢は男塾一の頭脳を発揮し、ナウでヤングな英語での告白も混ぜていたのであった。
Jはひたりと硬直した。
見据えられて、松尾はぷるぷる震え上がる。
助けられてばっかりじゃいかん、ワシも、ちゃんと口に出していわんと。
「顔面神経痛なんてゆーて、悪かったのう」
驚くほど素直に言葉は飛び出た。言葉はJの顔面に正面からブチ当たる。面食らったという奴であった。
「のう、これから、仲良くしてくれや」
そうか。
これはこの男なりの仲良くしようという意味らしい。Jはよくよく良い方に捉えた。知っている限りの英語で、意味も十分にはわからないものの自分と仲良くしようと精一杯に言ってくれているのだと思う。そう思うと、自分が冗談のつもりで言ったあの「誰のことかな」をどれだけ気に病んでいたのかというのも知れようというもの。全く自分の顔は冗談向けでない、つくづくに思い知った。答えを待っているサザエ頭に向けてJは言ってやった、日本語で。
「勿論だ」
そう答える。とたんに松尾の強張っていた顔から力が抜け、くちゃくちゃに崩れて笑顔と解けた。ああ、いい所かも知れんな男塾は。こういう気持ちのいいやり取り。Jはふかぶかと深呼吸をした。甘い香り。
甘い香り?
出所はどこだ?Jが不自由な体勢から首をめぐらせると目の前にアンパン、ただし、半分。
差し出す松尾は笑って、
「そんじゃ、お近づきのしるしに半分ずっこじゃ」
そう言った。
オチカヅキ。Jはよくわからないまま、かすかに微笑んで松尾の手に握られているアンパンを手にした。
見守っていた塾生達はほっと胸をなでおろし、そして、今度こそ心から留学生を受け入れた。わぁっと歓声を上げて二人の元へと駆け寄る。
肌寒い秋の午後であった。
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