大国主の命、ヌルヌルで汁ダク。
桃は、センクウの温室を訪れていた。午後を半分過ぎ去ったあたりの、陽射しが一番きついころである。
センクウの温室、それは見かけはそこらの農家となんら変わらない、ところどころ鉄パイプの骨組みがびゅんと飛び出すビニルハウスだ。しかし中では色の配置までを考えに考えて仕上げられた、秘密の花園である。蔓薔薇野薔薇、響き渡るほどに咲き誇っている。センクウは薔薇が好きであった。
その薔薇園の片隅に、小さな花壇がある。煉瓦で囲った、子供部屋ほどの広さのそこにも花が咲いている。
蔓静香。
紫淀御前。
君島百合。
影千代・銀千代。
ブランシュエリザベッタ。
翳錆淵清。
毒きよら。
殺生紅。
皆一風変わった、あやしい花達である。
全て毒花であった。
美しい身の内に毒とは、なんと耽美な。
蔦に絡まって下を向いたエリザベッタの花首に手をかけて、きちんと上を向くように手をかけながらセンクウは微笑む。
胸いっぱいに息を吸い込めば、黴のような、肺が爛れそうな程に甘い、腐臭の如き香りがした。
ああ。
センクウは微笑む。
一人微笑む。
さくさくと土を踏む音が背後で起こった。近づいてくる。
隠そうともしない、堂堂たる歩みにセンクウは警戒をせずに声を上げた。
「何か用か。まさか花盗人というわけでもあるまい」
背後の人物は笑ったようだった。
エリザベッタの茎を捕らえようとしている、蔦静香の横に支柱を立ててやり、蔦をそれへと巻きつけてやる。
蔦静香は灰紫の可憐な花を咲かせ、それから小指の爪程の実をつける。この実には微量ながら神経毒が含まれており、うまく調合すれば殺虫剤として使うことも出来るものであった。
「オッス、そのまさかです」
ぱしんと乾いた、皮膚同士をぶつける音。どうやら拳同士を合わせて礼としたようである。
そのすがすがしい声は間違いなく一号生筆頭、剣桃太郎のものであった。
剣の守備範囲の手広さはセンクウも良く知っている。昨日ジャンプを顔に乗せて昼寝していたかと思えば、今日は米粒程の字が詰め込まれた哲学書をすいすいと読むような男だ。
この荒くれだらけの男塾で、花を愛でることに意外さを感じない稀有な男だとセンクウは認めている。
そういえば独眼鉄も顔に似合わず花の好きな男であった、あのでかい図体を丸めてチューリップの世話をする様はなんともほほえましいもので、心癒された。
「好きに持って行くがいい。何を探しているのだ」
センクウは振り向かない。この一号生筆頭がどんな花を愛でるのか興味があったが、それよりも殺生紅に付いたミキ虫を払い落とすのに力を注いでいる。
ミキ虫は小さな、アブラムシほどの大きさで見逃しやすいが、あっという間に虫コブを作ってしまう。根にまで入り込んでしまい、土におびただしい量のタマゴを撒き散らすので見つけた時に始末をしなければいけない。
「ベラを」
センクウの人差し指が、温室の奥を指差した。その指は土に汚れてはいたが、それでも白白と細く伸びている。
「キダチもある。好きに持って行け」
「オッス、ごっつぁんです」
さく、さく、さく。
足取りが軽い。上機嫌なのかもしれない。
あの筆頭は頬を柔らかく、ふふと含み笑う。そういう時その目線の先にはよく、富樫がいた。
富樫が虎丸と、馬鹿馬鹿しいことを馬鹿馬鹿しい面を二つつき合わせて、真剣に馬鹿をやる。
ふたりが馬鹿をやっているのを、馬鹿にするわけでもなく、ふふと微笑んでいる。やさしい顔だと思った。
自分を仇じゃと、今にも泣き出しそうな怒り顔でわめいたあの後輩をきっと好いてくれている。それがセンクウには嬉しくもあった。
何故だろう、美しくもなく賢くもないあの後輩を自分は弟のように思っている節がある。それがセンクウにはおかしくもある。
自分がこんな感情を持ち合わせているのが不思議だ。
いつでも冷静であれ、そう言い聞かせる自分とはまるで正反対のあの、常に煮えたぎる後輩。
なんとあぶなっかしい。いつ死んでもおかしくない。
だからかもしれない。
センクウは翳錆淵清を一株丁寧に掘り起こした。錆びた青に趣がある花、その球根には弱い睡眠作用がある。寝付けない時のための薬湯にしていた。
さく、さく、さく。
目的のものを手に入れたのか、足音が戻ってきた。
自分のすぐ後ろを通り過ぎつつある剣へ思わずセンクウは声をかけた。
「それをどうする」
「富樫が」
やはりというか、なんというか。
センクウは忍び笑う。
そんなセンクウに気づいたか、それとも気づいていないのか。剣は弾んだ声で言った。
「虎丸と海に行くってんで、きっとあいつらの事だ。丸焼けになって帰ってくるだろうから」
なるほど。
剣は正面突破でなく、外堀を埋めていくタイプか。
納得し、そうかと短く答えた。
剣はごっつぁんでした!と元気良く答えて温室を去る。
温室には薔薇。
野薔薇紅薔薇、蔓薔薇。
片隅の毒草園。
蔓静香。
紫淀御前。
君島百合。
影千代・銀千代。
ブランシュエリザベッタ。
翳錆淵清。
毒きよら。
殺生紅。
センクウは眼を閉じて、静かに肺をかぐわしい毒気で満たした。
真夏、ぐずぐずと輪郭という輪郭がとろけ、境界を失いそうな暑い日である。
夕方近くの、オレンジの太陽がぐにゃりと笑った。
桃は胸にそれを抱えながら、廊下を急ぐ。もう富樫も虎丸も戻って来ちまったか、廊下を急ぐ。
食堂への道すがら、伊達と擦れ違った。不機嫌そうである。ああ虎丸に置いて行かれて寂しいのかもしれねぇな、言わないけれどと桃は思った。
「よう伊達」
「……よう、桃」
やはり不機嫌であった。食事時である、何故伊達は食堂から遠ざかろうとするのだろうか、不思議に思って尋ねた。
「飯食わねぇのか、バテるぜ?」
「こんな暑さでバテるものか」
伊達の態度は冷たく尖っている。まったくツララみたいな奴だと苦笑した。
食堂からはこの男塾に入塾してからついぞ忘れていた、魚介類特有の酷くうまそうな香りがふわんふわんと廊下に溢れていて、腹がグウと鳴る。
伊達だって腹が減っていないわけじゃなかろうに、何を意地を張っているんだろうな。桃の想像をよそに、伊達が指をさしてそりゃなんだと聞いてきた。
「ベラだよ」
「ベラ?」
桃は胸いっぱいに抱えた、ごつごつと棘を生やしている物騒な植物をよく見えるように差し出した。
子供の手の平ほどの幅の葉、厚さは4センチはあろうかというそれは見るからにたっぷりと水分を溜め込んでいる。
「アロエベラさ」
「……で?」
こいつの考えることはやっぱりわからねぇと、伊達がいかにも呆れたように肩をすくめた。肩をすくめて格好が付くのはこいつやディーノ先輩くらいのモンだな、と桃は感心したように笑う。そしてその丸まる太ったアロエベラの葉を一本ボキリと折ると、したたる汁で袖口を汚しながらも伊達へと差し出した。
「やるよ」
「いらねぇよそんなモノ、どうしろって言うんだ」
顔をしかめて断る。遠慮すんなよ、とさらにすすめるもいらんとはねつけられた。
じゃあな、伊達はさっさと歩いていってしまった。腹が減っているのか、それともいらだっているのか。
桃はぽたぽたとアロエベラを滴らせながら、仕方なく食堂へと向かう。
「おお!桃、遅かったじゃねぇか!」
食堂に入るなり、顔を真っ赤にした富樫が大声で桃を呼んだ。顔が真っ赤なのは別に、桃に会えて恥らっているのでも喜んでいるのでももちろん怒っているのでもない。単に日焼けていただけである。
「よおー!み、見ろよコレ、このアサリ!すごいじゃろー!」
富樫の隣に当然のように陣取って座っている虎丸。虎丸の顔も富樫に負けず劣らず赤い。やはり日焼けている。
顔だけでない。ふたりとも暑さから褌一丁になっているが、どこもかしこも真っ赤で、真っ赤だった。
「焼けたな」
「おう、男前がアガっちまったぜ。ほら、早く食えよ、せっかく取って来たんじゃ」
どこもかしこも赤い富樫の正面に座ると、テーブル上にタライをどんと乗せた。得意満面、富樫の箸がその衝撃にころげおちたのにも気づかない。
タライには山とアサリが盛られていた。栗の実のようにころりと丸く、粒が大きい。一号生はアサリの味噌汁をアサリ飯にぶっかけて深川飯モドキにアサリのガラガラ炒めをワグワグとかき込んでいた。アサリ飯は炙った殻ごと炊き込んであったようで、香ばしく実にうまそうだった。坊主が頭を洗えそうな丼に虎丸が飯を山とよそって桃の前に置き、富樫はネギのたっぷり入った味噌汁を椀に注いでやる。息がぴったり合って、甲斐甲斐しいその様子によほど自分たちが取って来たアサリを食べさせたいのだろうと桃はなんだか幸せな気持ちになった。いい奴らだ、本当に底抜けにいい奴らだ。
「うまそうだな」
そう言うと、二人顔を見合わせ、それから声をそろえて「ったりめぇだ」「そうじゃろ」と口々に言った。
ほほえましいな、と思いながらアロエベラを椅子の下へと下ろし、箸を持って自分もわしわしといつもより勢いをつけて飯を口に運ぶ。
アサリ飯はちょっと塩っからくて、飯が硬くて、とにかくとにかくうまかった。
桃は笑った。
富樫も笑った。
虎丸も笑う。
田沢が松尾におかわりを。
箸が不得手なJに雷電がレンゲを。
ああ伊達のやろう食いっぱぐれたのか、しっかたねぇや。虎丸様が握り飯にしちゃろう。
おうそれがいいぜ、誰かが言った。
そうしてやれよ、誰かが言った。
おいそれじゃあ味噌汁も椀に取っておけや、誰かが言えば、おうと誰かが答えた。
真っ赤な顔の富樫と虎丸が、やったぜと顔を見合わせて肩を揺らして笑っている。
うう。
うう。
うおう。
ぐう。
「……どうした、」
暗闇の中、隣の布団の富樫を呼んだ。尋ねなくても大体のところの見当はついている。
「す、すまねぇ…起こしちまったか」
桃の方を向こうと首を曲げたのか、すぐにギャッと鋭い悲鳴が上がった。うう、うう、と苦悶の声が続く。
「いいさ。どうしたんだ」
「せ、」
背中がイテェ――
富樫はヒィヒィと啜り泣きで、泣き言を言った。身体を揺らすたびにヒィとかギュウと声が漏れる。
当たり前であった。腹を空かせた野良犬一号生の胃袋を満たすほどのアサリを取るには、ずうっと炎天下砂浜に下を向いてはいつくばっていたのだろう。
日焼け止めどころか、Tシャツすら持たない富樫虎丸はいつも通り褌一丁で潮干狩りをしていたのだ。それは背中も焼けようというもの。
今おそらく富樫の背中はカチカチ山で因幡の白兎なのだ。
ちょっと海水を塗りこんでやりたい気持ちにもなったが、こうなることくらい予想はついていた。布団から這い出すと桃はそれを手にした。
「も、桃ォー…なんとかしてくれや…」
「ああ、任せろ」
うつ伏せになったまま、虫の息の富樫の横に膝でにじって近寄る。富樫はみっともなく鼻をグズグズ垂らしていた、拭おうにも腕の皮膚が突っ張って、痛くて痛くてたまらないのだろう。桃は手にしたそれを、縦にまっすぐ裂いた。
「な、んじゃ、それ…」
ぶるりと桃の手の中で、それは震えた。昼間センクウの温室から貰ってきていたアロエベラである。緑色の硬いトゲ面をひん剥いたら、薄白緑の半透明に透ける肉が現れて、果汁(というのだろうか)を溢した。その汁を手の平に受けて、桃は富樫の焼けた背中を撫でた。
「うぐうッ!!」
富樫の体が大きく跳ねた。沁みた、というよりはいきなり冷たいものが触れたため跳ねた、というほうが勝る。
る、
る、
るる、汁の助けを借りて、くまなく背中の上を手の平でもって滑った。
富樫の息が荒い。
犬のように舌を突き出し、額に汗を浮かべ、身体を動かさぬよう布団を指でしっかりと掴んでいる。
桃は満足そうであった。
アロエベラが日焼けや火傷に対して非常に効果があるのを知っていたので、こうなることを予想して日中センクウから貰い受けていた甲斐があろうというものだった。
汁が背中のほてりに十分沁み渡ったところで、今度はその果肉ごと背中に押し付ける。
水分を含んだそのゼリー状の果肉が熱を冷まし、炎症を鎮めていく。
「あ、ありがとよ…」
「効くだろう、いいからそのまま寝てしまえよ。俺に構わず」
「馬鹿、そういう訳にゃあ…いかねぇよ」
「いいから、」
「桃」
「……うん?」
「………」
「なんだよ、寝ちまったのか」
アサリの感謝と、あとそれから色々の気持ちを込めて、桃は富樫が寝入るまでアロエベラで背中をさすってやった。
次の日、何故か虎丸は廊下にて瀕死の状態で発見された。
どうやら不機嫌な伊達に、ウンウンうるせぇと廊下へ蹴りだされたようであった。哀れなりとすっかり日焼けの落ち着いた富樫は同情し、桃は得意げに、
「ほら、言ったろう」
と、残りのアロエベラを伊達へと差し出したのであった。
さて、伊達は受け取ったろうか。
もちろん答えは。
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