脅迫人魚

富樫は混乱していた。
いつものことだと言われてしまえばそれまでだったが、口から泡を噴きそうになるほど混乱していた。

男塾男根寮、うすっぺらで黴臭い富樫の布団の上である。
夏のうだるような暑さの真夏の夜中、相室の桃は本人曰く『深夜トレーニング』のため不在で、富樫一人だった。
正確には一人ではない。
富樫が寝ていた布団の上、その身体を跨ぐようにして一人の男が富樫を暗闇より見下ろしていた。
男は桜色の髪の毛を垂らし、表情は夜闇とその髪の毛にまぎれてしまい殆ど読めない。富樫はおい、と中途半端にドスを利かせて呼んだ。
「おう、てめぇ人の布団の上で、何やってんだ」
「……」
男は答えなかった。窓から差し込む、夏のぼやけた黄色い月光が微かにその輪郭を浮き立たせた。
「飛燕よう」
男は飛燕だった。華奢な体つきも、桜色の鮮やかにうるわしい髪の毛もこの男塾で持っているのは飛燕だけであった。
富樫は飛燕がとてもというわけではないが、苦手だった。
頭のいい人間は大体にして苦手である。相手が言っていることが理解できないし、それが正しいことなのかも判断がつかないからである。
また、飛燕はそれだけでなく、その華やかな笑顔で質の良くない冗談や悪ふざけ、つまらない嘘をつくのも好む性質があった。

富樫富樫、知っていますか?フフ。
富樫、これを知らないなんて、大変危険です。ええ、危険です。
ねぇ富樫、教えてあげますよ。わ、た、し、が。

あんまり嬉しそうに言うものだから、
あんまりきれいに笑うものだから、
富樫は今度も嘘じゃなかろっか、騙されてるんと違うか、おっかなびっくり話を聞くのだ。
嘘四分の一からかい四分の一冗談四分の一、残り本音の話を聞くのだ。
だが嘘やからかいや冗談の中に、本音が潜んでいないとも限らない。






「思い出したんです」
唐突に飛燕は唇を開いて話し始めた。それよりまずは俺からどけや、富樫の訴えは聞き入られないまま話始める。
大体にしてこいつ、俺の話ってモンを聞いてねぇんじゃねぇか。富樫は積年の疑問をまた取り出した。折に触れてはそれについて考えるが、今のところ結論は出ていない。
飛燕は宗教画の天使がよくやるように、両腕を開いて微笑んだ。慈愛に満ちた、というよりは自愛かもしれなかった。何かに酔っているかのように前髪の隙間から見え隠れする瞳は曇っている。
「……何をォ」
富樫は諦めた。こいつが何事か話をしにきたってんなら、とっとと話を終わらせてしまおうじゃねぇかと諦めた。
そう、富樫は猛烈に眠かったのである。別に話を聞きながら眠ってしまったって構わないように思われたが、飛燕の膝が富樫の太腿の横に食い込んでいて窮屈だし、人に見下ろされながら眠るのも大層居心地が悪いものである。
富樫がしぶしぶ先を促してやると、飛燕は笑みを消した。真剣な表情である。富樫はどきりとした。
こうしてすぐにどきりとしてしまうのが悪いというのは重々本人もわかっていたが、それは性分というもの。仕方がなかった。





飛燕は言った。月の淡い光が似合う男である。陽光よりもその静謐さは飛燕によく似合った。

「私ね、人魚だったんです」

富樫は即座にずどんと飛燕の腹を蹴り飛ばして布団の上から追い出した。

「馬鹿言ってんじゃねぇ!」
富樫が大声で怒鳴った。すぐ隣から、うるせぇぞ富樫ィと罵声が返って来る。富樫はうッと声を飲みこみ、飛燕をしッしッと手で追い払う。
「あれは私が十六歳の誕生日のことでした――」
「この状態で語り出すか普通ッ!!?」








私は現代で言う地中海のような、明るく暖かい海に住んでいました。家は白砂の上に建つオレンジ色の珊瑚の城です。
その海底には伊達という人魚の王様が治める国があり、沢山の人魚たちが平和に暮らしていたのです。
「伊達の貝殻ビキニなんざ、絶対見たくねぇ…」
そうですか、ならこうしましょう。人魚の王様である伊達はオスだったので、人魚ではなく魚人だったのです。
「………」
続けますよいいですね。そこで私はその人魚の国の末の姫君として、大切に大切に、タイよヒラメよと育てられていました。
「そりゃ踊り食いだろうが」
…ともかく、私はすくすくと健やかに美しく賢く優美に典雅に育っていきます。
ですがやはりここでも私の美しさは罪深いもの。国中の若者を虜にし、争いが毎日のように起こってしまったのです。
ああ、彼らが傷つき血を流す様といったら!毎日が海を赤く赤く染めたものでした。
やれ私がどこぞの彼に微笑んだ、それそこらの誰に挨拶した。そんなことで血気盛んな若者たちは私を賭けて決闘を繰り返したのです。
「なあ、さっきの伊達の話で言えばテメエも魚人なんだろ、魚人」
うるさいですね、美しさは全てを超越するのですよそんなことも知らないんですか、それならちょっと黙っていなさい富樫。
私は深く深く嘆き悲しみました。私の涙は海水に溶けることなく結晶となり、白くまばゆく光る、真珠の粒となりました。
このまま私がこの国にいたら、皆傷つくでしょう。それは私、あまり気にしてはいなかったんですけれどね、伊達が頼むから出て行ってくれって泣いて頼むものだから。
とにかく私は人魚の国を出ることにしたのです。私さえ出て行けばいいのでしょう、髪の毛を波になびかせ、悲しみに尾びれを揺らして国を去ります。
「そうかよ、で、やっぱりテメェは貝殻ビキニか」
見たいんですか貝殻ビキニ。好みなんですか貝殻ビキニ。ふうんへぇえそうですか、フン。意外というかやっぱりと言うか、にっかつロマンポルノとか熟女モノが好きなんでしょう。親父。オヤジィ。
そんなに哀願されたんなら仕方ないですね、今度リクエストにお答えして――
「で、国を出てどうなったんだよ。ちゃッちゃと話せってんだ、どうにもテメェの話はウダウダ無駄が多くていけねぇ」
照れなくたっていいんですよ。やっぱり人間正直でないと。
おっとどこまで話ましたか、そうそう国を出たところですね。
海を上がるために、私は魔法使いの雷電から貰った薬を飲み干しました。
「あー…やっぱそこは雷電か」
そんなところでいきなり納得しないでください。薬を飲んだ途端私の、きらきら光る鱗達は泡と消え、鱗をなくした尾びれは二つに分かれて足となり、鱗はわずかに爪となって残りました。その足は細く長く曲線を描き、脛毛なんてどこにも存在しない脚です。
「コッソリ脛毛剃ってんだろ、T字カミソリで」
ばッ…殴りますよ!って言ってるうちに殴ってしまってましたね。ああ手が痛いったら。この石頭。
さて続きですよ集中してくださいもう少しですから。
長い長い旅の終わり、私は王子を見つけました。
王子はお世辞にも綺麗だとは言いがたい傷物のお顔、粗野で野蛮、教養もなく、私の顔を見ながら平気で鼻をほじれるような、そんな無神経な男でした。
頭は悪く浅はかで、目先の得に振り回されては崖から転落、そういう男です。
もちろん私の趣味なんかではありません。
私にはそんな気持ち、これっぱかりもなかったんです。
だというのにその王子は私になれなれしく話しかけ、肩を抱き、敵を血祭りに上げ、綺麗だな飛燕ようどうだ嫁にこねぇかと毎日のように私を少ないボキャブラリーでもって懸命にしつこくしつこく口説いたのでした。野良犬だって拾って懐に入れてしまえば情が移ります、不覚にもほだされてしまいました。
「フーン」
フーンじゃありませんよ馬鹿。いい加減私も殴りたくなってきました。男なら男らしく、責任を取れっていうんですよ責任を。
王子の心は私にありましたが、既に隣国の姫君…姫君、ううん、まぁいいか、仮にピーチ姫としましょう、その姫と結婚が決まってしまっていたのです。悲劇ですね。
「フーン…ふぁあ……ぅあいでぇッ!」
痛いですか。それ以上に私の手と心は痛んでます。全くもう。
私は人魚、貴方は人間。最初から住む世界の違う二人は結ばれる道理がありません。
「アナタ……?」
私は人魚の尾びれを捨てた時に、一つ悲しい呪いをかけられていたのでした。それは、思い人と結ばれなかった場合、私は泡と消えてしまうのです。
海に面した港で私は涙にくれていました。陸上に上がった私の涙は結晶となることはせず、ただ頬を濡らして海水と交じり合うのみ。
ふと、泣いている私を呼ぶ声がしました。なつかしい声です。それは姉姫だった、月光のものです。
「月光の貝殻ビキニ…」
貝殻ビキニからはなれなさい。今すぐに、命が惜しくば。
海面から顔を出した月光は、ブーメラン状の凶器を私に向かって差し出します。それで王子を殺せというのです。
王子を殺せば、また海に戻れると、海底深いところに住むモヒカンの魔女に頼んできてくれたのでした。
しかしあの魔女は面倒くさがりでなまなかなことでは動きません。何故。
ああ、ああ、なんてこと!月光はその両目、視力を差し出してそのブーメランを貰ってきてくれたと言うのです!
「月光は生来盲目だって本人が言ってんだろが!」
おっと、元気良く突っ込んできましたね。やはりそこは気になるところでしたか。フフ。
まぁともかく、














「死にますか」
飛燕は言った。手には卍丸が髪の毛に仕込んでいたはずの鋼鉄製ブーメランがあった。
「死んでたまるか!!」
富樫は怒鳴った。何を長々と御伽噺をしたかと思えばこれだ。言いようもない脱力に見舞われたし、やっぱりこいつぁちょっとおかしいと、最後まで付き合ってしまった自分にも腹が立つ。
「じゃあ、愛しなさい」
飛燕は平然と言う。既にブーメランは富樫の喉元に突きつけられている。富樫は喉を上下させて唾を飲み込んだ。冷や汗が鎖骨の辺りにまで伝う。
「返事は?」
「………」
子供に言い聞かせるように、優しく、一言一言を区切りながら飛燕は続けた。頬に手の平を滑らせて、微笑む。ぞっとするほど美しく富樫には思われた。
「本気ですよ。貴方の無様な戦いぶりも、みっともないほどの根性も、馬鹿さ加減も、ちょっとね、本当にいいなぁとそう…思ってもいるんです」
少なくともこれは冗談や嘘じゃねぇな、と、わかりたくもない事実を富樫は直感的に受け入れてしまった。ただ冗談でないぶんタチは数倍悪い。
耳が痛いほどの沈黙が流れた。

とうとう、富樫が唇を開く。
「………」








すると、どかどかどかとやかましい足音と、部屋のボロい木製のドアが吹っ飛ぶ大きな音が沈黙を打ち破った。なだれ込むようにして二人の対峙する部屋へ入ってきたのは、伊達と虎丸であった。隣室の二人は青いほどに血相を変えて、飛燕を担ぎ上げた。
「御輿を、上げい!」
伊達の腹に響くような大号令に虎丸はおうよ!と切迫した声で答えた。
飛燕はなにするんですか!と怒鳴り返す。髪の毛は今の拍子に乱れてしまっていた。
呆然とする富樫に、伊達は重々しく口を開いた。飛燕は聞くに堪えないような罵声を浴びせながら暴れ続けている。
「富樫」
「お、おお…助かったぜ」
「すまなかった。こいつ、少々その…夢遊病のケがあってな」
「そ、そうそう!」
伊達の歯切れの悪い解説に、虎丸は大声で追従した。
「ああ、そうなんか」
納得するしかない富樫。納得したい富樫。
利害が一致したので、飛燕は無事に二人御輿に担がれて部屋を無事に出て行ったのであった。
富樫は気をとりなおし、ごそごそとドアの木片を避けながら布団にもぐりこむ。
この日彼は、貝殻ビキニの雷電と月光に追いかけられる夢を見て大層うなされた。















「あ、あっぶねぇ〜…」
虎丸は肩で息をしながらその場にへたり込んだ。
「ああ…危なかった…」
虎丸のように座り込みはしなかったものの、伊達も冷や汗をかいている。
二人は飛燕をやっとのことで片付け、今ようやく部屋に戻ってきたところであった。

「桃に、よろしく、って言われてたもんな」
「何をどう、とは言わなかったがな」
二人は乾いた笑みを漏らした。
「はは、」
「……フン」

翌朝、顛末を桃に話した時、
「へぇ、そりゃ大変だったな。………ありがとう」
と、笑顔つきの『ありがとう』に、やっぱりやってよかったとかみ締めることになる。
モクジ
Copyright (c) 2007 1010 All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-