ナウでアダルト

お前を愛しているよとか、
お前のためになら死ねるとか、
今夜のお前は月よりもなお美しいとか、

そんな言葉を吐ける男ではない。
伊達臣人は、舌の人間ではない。彼は行動の人間である。
けれど、わざわざ言葉にしてやらないとわからない馬鹿もいる。
伊達は一人の馬鹿のため言葉を時間をかけて選んだ。



月あかりの下である。夏の終わり秋の入り口。まだ月は黄色く、濁りの混じる空に浮かんでいるその真下。
縁側である。伊達臣人私邸の、立派な庭に面した縁側で伊達と虎丸は二人並んで酒を飲んでいた。
縁側に出て酒を飲むというと、平安貴族のような雅やかな情景が浮かんでくるが実際二人が飲んでいるのはワンカップだったし、肴はスルメにヤキトリ缶という質素かつ昭和のにおいのするこれでもかのオヤジチョイス。
二人はとうに学生ではない。
立派かどうかは別として、一方はヤクザの大親分、一方は金融会社会長という世間的な身分と財力を兼ね備えた二人である。
しかし、中身はそうそう変わらない。
二人の都合がちょうど合った時、こうして会って酒を飲む。虎丸は歌う。うるせえと言いつつも伊達はそんな時間を大切にしていた。
スルメにマヨネーズをたっぷりつけて、虎丸は目尻を下げている。塾生時代には出来ない贅沢であった。
うまいのう、虎丸が言った。
そうかよ、伊達があしらう。

月が綺麗だったことを言い訳にするつもりはない。
夏休みの終わりとともに消えた、暴走族の爆音がなかったからでもない。
池の水面が揺れて、鯉が口をぱくぱくさせていたのも関係ない。
隣の虎丸から異臭がしたのも単なる透かし屁なので、殴っておいた。



つまりは勢いである。
酒に酔った勢いというと女性の多くは眉をひそめる。なによ、本気じゃあないくせに、そう言う。
だがそうではない場合もる。
口が重く、嘘をつけない男もいるのだ。
意地を張って、本音を吐けない男もいる。
気持ちをあらわにするのが苦手な男もいた。
酒の力を借りられないと言えない男を、いくじなしと馬鹿に出来るだろうか。本心からの言葉がいささかの酒に浸っていたからといって、その真心を底から疑うことがあるだろうか。

溺れることも逃げることもよしとしない、それでいて嘘も本音も言えない意地っ張りの塊のような伊達臣人はこの日、安酒の力を借りてひとつ虎丸に告げた。



アイラブユーという程の率直な告白ではない。
俺達友達だよなという青臭い宣言でもない。
ただ、伊達臣人をちょっと知る人間ならば疑うような、伊達臣人を良く知る人間ならほほえむような、一匙程の告白である。
その想いが何年越しかに積み重なって、その言葉となった。最後の最後に溢れてもなお、押し殺した言葉である。








「お前が誰よりも嫌いじゃねぇ」

「………え?」
虎丸はどんぐり眼をきょときょとさせて、伊達の顔をじいっと見た。反応が鈍い鈍いとは知っていたが、伊達は舌打ちをして言葉を続ける。
「人が嫌いじゃねぇって言ってんだ」
動揺に目がくるりと回転し、おちゃらけ顔が真剣なものへと変わっていく。伊達は待った。待った。待った末、
「それって、お前が俺のこと好きってことか?」
尋ねて、この野暮がと伊達を怒らせる。
悪い悪いと虎丸が笑いながら照れる。
伊達が拗ねる。
二人の隙間の距離をつめたらいいものか、それともいきなりそういうのはちょっとどうするかと迷い迷って、不自然な間。
こちこちに緊張する二人。



これは夢だ。
しかしそれも確かに真実だと思う。
昔伊達が若かった頃に、朱を鼻筋に入れたジプシーが見せた夢の中でそれを見た。
母を知らない伊達ではあるが、羊水のなかで丸まっている時に見る夢のようだと思ったそれは心地が良かった。
自分にとって都合よい世界ではなく、真実味のある夢の中で行動を促された。さあ、さあ、告げるのですよ。
そうしなさい、未来はすぐそこ。ジプシーがそういうのを伊達は殆ど意地でもってはねつけた。
余計なことをするな、俺は俺がしたいようにする。誰の指図も受けん。





機会を逃した、とは思わない。
今こうして告げたのだから。
だが、時は経っていた。虎丸もあのガキ臭さの抜けきらないというよりはガキ臭さそのものといった顔にもどうにかこうにか締まりが出てきて、人生経験を重ねていた。伊達とて、仁義任侠の世界で立ち回って今に至る。
所詮あれはIF.もしもあの時の夢。今がここにあるのだから、何も惜しいことはねぇ。
伊達は名月にまだ遠い、ぬるい月に胸を張った。しけった風が池の水面を揺らしていく。





「虎丸」
「なんじゃい」
「いくらテメェが馬鹿だって、もう分かってるだろう」
虎丸の返事は素早かった。
「わかってるって。おう、長い付き合いだからな」
「………遅ぇよ」
それだけだった。
好きだ、も。
愛している、も。
とうにそんなところは過ぎ去ってしまっていたのだ。今更こんな年になって言えやしない。
だって大人なのだ。酸いも甘いもかみ分けた大人ふたりでリリカルしているなんて恥ずかしいじゃないか。
オトナなんだもの、そうだろう。二人は誰にでもなく意地を張ってやり取りを続ける。
伊達が伊達らしく年を重ねたことによって生まれた言葉に、虎丸は虎丸らしく年を重ねた言葉を返す。

「それじゃあよ、伊達」
「おう」
このそれじゃあ、というのが曲者である。一応、確約も証文もないままに始まった『イロコイ』にして、じゃあ、というのであれば。
もしや。まさか。
伊達の心臓は跳ね上がった。布団は奥の間に敷いてある。二つ並べて敷いてある。
ぱ。と虎丸の顔は蛍光灯の灯りもないのに暖色のあかるさがあった。断じて男色ではない。

「じゃあ俺がちんこ突っ込む役ー」
「  」
「あ、お前ケツ洗う洗剤持ってる?なけりゃアレでいいや、シャンプーで。やっぱビョーキはいけねぇよなぁ」

空気がかわいた。
この口か、と伊達はそれこそ毘沙門天の形相で鼻の下目掛け、中指のでっぱりをフルスイングで叩きつけるとそのまま縁側から蹴落とす。虎丸は池にぼちゃんと落ちて、鯉につつかれた。夜の静けさに虎丸の絶叫が響き渡る。
跳ね上がった分だけ、虎丸の顔面に叩き込まれた拳は力が入っていた。

だって大人なのだ。だが虎丸のほうがちょっとばかり俗世にどっぷり浸かって、下世話に通じた大人なのだ。
手に手を取り合って恥じらい、名前を呼び合うような年ではないのだ。
だけれど、だけれど伊達はどうにもまだロマンというものを信じていたい年頃のままだったのである。
ある意味、伊達は箱入りであった。斬った張ったは手馴れていても、情を交わすことなど商売女以外ではほとんどなかったこの幾年月。素人童貞、というにはあまりにも伊達が伊達男過ぎるうえ、カタギの女が似合わないせいである。
伊達自身認めはしないが、想う相手以外とみだりに情を交わすのはよろしくないと義理立てをしていた節もあった。
だが虎丸は伊達が義理立てしている間もせっせと交尾、交尾。
既に先日、昔なじみのキャバクラ嬢からあの時の子供ですと子供が一人尋ねて来ている。そのとき危うく伊達は虎丸を切り倒す寸前であったが、まだ将来を誓ったわけでもないのにそれは道理がないと黙っていたのであった。
そんな伊達の心中など察しもしない虎丸は池の泥にまみれながらズルリと這い上がってきた。縁側であぐらをかく伊達の足首を掴む。
「な、いっきなり、なにすんじゃい…」
「いきなりはこっちのセリフだ」
と言いたいのをガマンして伊達、つま先を跳ね上げるようにして虎丸の顎をすくい上げながら蹴り飛ばした。仰向けに、背中から再び池に倒れこんでいく。
「デリカシーってモンを学んできやがれ」
池に沈んだ虎丸には聞こえていないだろうに、腕を組んで傲然と言い放つ。
水面の月はグズグズに砕けて散っていた。











後日、意図はわからないが一冊の大学ノートが送られてきた。どこか懐かしいオレンジ色のノート。
しばらくノートとにらみ合いを続けていたが、家事取締り筆頭、仏頂面のすすめにしたがって電話をかけて問いただす。
携帯電話特有のざらついたノイズに混じって、虎丸の含み笑いが響いた。
「ヘッヘヘ、おめぇに合わせてやるよ」
「……なんだと?」
「オボコい臣人さんにあわせてやろうと思ってな」
ぐす、と鼻をすする音。先日の落池のせいで風邪をどうやらひいたらしい。だが、この間はゴメンネ、などと口が腐っても言わない伊達臣人。
当然の報いだとでも言いたそうに鼻でせせら笑った。
「何言ってんだ」
「コーカンニッキだよ、ちゃあんと書けよ。今度秘書が取りにいくから。じゃーな」
電話はぶっちんといきなり切れた。答える暇もない。
よくある刑事ドラマのように切れた電話に向かってモシモシを繰り返す趣味は無いのですぐに電話をおき、眼を伏せる。


口元がゆるむ。
背中が丸くなって、腹に幸せのようなものを抱え込むようにして笑った。

しばらくして後、
「おい、筆を持て」
と重々しく仏頂面に言いつけ、なにやらうきうきと、しかし口ではああ面倒だといいながら書付をはじめた。
見開き2ページ。
気軽なお付き合いというにはあまりにも重たい交換日記の始まりであった。


尚、日記の交換は二人とも多忙極まるため、受け渡しは主に互いの秘書が行うことになった。

深夜突然筆を持てと宣言し、出来上がったぞさあ届けろと急かす組長に怯えながら今日も仏頂面は車を飛ばす。
「大人になったっていうのに、なんだってこううちの組長ったらまだるっこしいことやってるんだろう!」
仏頂面の疑問こそ、伊達自身一番聞きたいことでもあった。
ともあれ、今日も伊達家家事取締役筆頭、通称仏頂面、走る。
「あッそこ、そこ右!ちょ、赤信号!?…ぶっちぎれ!!」
モクジ
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