何故か日本海泳断

富樫が死んだと虎丸は言った。

「またか」
桃は箸を下ろした。卓には朝食が並んでいる。
麦飯に大根菜を混ぜたもの、イワシ、油揚げの味噌汁、柴漬け。
春先である。懐かしく昭和の家らしい和洋折衷の丸窓からは陽光が入り込んでいて、部屋を明るくまるく照らしていた。
虎丸はおうと小さく言って、桃の目の前、ちゃぶ台をはさんだ所にどすんと座った。
ヤクザ屋さんの好みそうなストライプの入ったスーツに、ルパンもびっくりなブルーのシャツ、イエローの虎模様のタイ。
でっかい真珠のタイピンに尖ったヘビ革の靴。
どこからどうみたって堅気ではない格好だが、どこか憎めない雰囲気である。
例えば、これを仮に伊達が身に着けたとすると話は一転、半径10メートルから人が消える、勘違いしたヤクザ屋さんが腰を低くしておひけぇなすって、
子供が泣き止む、ロシア美女がヒールを鳴らして近寄るといった具合である。
こんな格好でも自分が恐れられたりせず逆に親しまれる理由、それはひとえに『愛嬌』というものによることを虎丸自身がよく知っていた。
暗いより明るい!
地味よりハデ!
弱いより強い!
モテないよりモテる!
単純にして明快、一本芯のある虎丸の明るさには影がない。
ないという訳ではない。
だが見せない。
例えば世界のことごとくが死に堪えて、自分一人だけになったとしたら虎丸は泣き、欝欝と涙を流すかもしれない。
それでも、自分ともう一人、たった一人でも他に人間がいれば何事もなく明るく振舞いおどけてはしゃいで、笑うのだ。
そういう常に人を考えることそのものが、自分だと虎丸は思っている。

それは優しさだと桃は言った。
助かっている、桃は言った。

それは強さであると富樫は言った。
オメェを見てると全てが簡単な気がしてくるぜ、富樫は言った。

それは馬鹿だと伊達は言った。
イライラする、なんだってそう人のためばっかりに、伊達は言った。
自分を無視してまで人を気遣ったりするんじゃねぇ、それは出来ねぇってんなら、せめて俺のために。俺だけの。
伊達は言いかけた。そして、やっぱりてめぇは馬鹿野郎中の馬鹿野郎だと毒づいた。


桃は食事も半ばにちゃぶ台を横に寄せた。畳がさりさりと反抗するのも構わずに押しやったので、少しささくれが出来る。
白いシャツにスーツのパンツ。靴下は白。男塾にいた頃は靴下なんてはかなかったが総理となった現在はそうもいかない。
胡坐をかいて、首をかしげたままその白いつま先に視線を落として桃は考え込む素振りを見せた。
沈黙。
「……」
「………」
「なぁ、虎丸」
「なんじゃい」
「何度目だったっけか、富樫が死んだの」
しばししてかけられた桃の質問に、わぁッすれた!と虎丸は投げやりに吼えて畳みに腹ばいになって寝そべる。脚を投げ出したところに、虎丸が靴下を履いていないのを桃は見つけた。
虎丸らしいな、桃はほんのかすかに笑う。
「何日目だ」
「おお、もう一週間にならぁ」
一週間、桃もさすがに顔を上げて驚きを隠しきれない。虎丸は桃から顔をそむけてわざと関心がないように装い鼻をほじくった。
笑う。
「最近じゃあ葬式代もったいねぇってんで、すぐには手配しねぇんけどよう」
一週間。
桃は黙ったままだ。目は壁にかかったもらい物の酒屋のカレンダーを見ている。今日の日付から手繰ったその当日は何を自分はしていた、また、富樫はどうしたと回転数を上げる。
「あいつもイイ年だってのに筋金入りのバカのまんまだ」
「今回は何だって」
「韓国のヤクザ」
「うん?」
「富樫の舎弟…というか塾長秘書見習いか。塾長を狙撃しやがった上そいつにタチ悪ィ薬をぶち込みやがってさ」
「……」
「塾長かばった時に受けた傷もほったらかしに追いかけたまんまだって」
「フ、あいつらしいな」
虎丸はスーツが皺になるのもお構い無しにごろりと半身転がって、庭へと続く縁側へ向いた。春の陽射しは溶けそうにやわくって、いいのよ、いいのよと虎丸の脆い涙腺を刺激するのだ。

「初めて出来た後輩だったんだと」

桃は小さく息を詰めて、眼を閉ざした。

富樫の悲しみを思う、悔しさを感じる。
普段からスーツの胸に隠し持つ学帽が現すとおり、富樫の胸には誰より兄がいるのだ。
兄を喪うその感情を今度は逆に感じたのかもしれない。

「あいつの悪運の強さは俺ァいっちゃん近くで見てきたつもりだった」
虎丸の声が少し震えている。背中を丸めて胎児のような格好で虎丸は肩を震わせていた。
そうとも、桃は富樫と虎丸の絆に嫉妬すらしたこともあった程に。
桃も庭を見る。午前中ということもあり、鳩がほろほろと鳴いていた。
蝿が一匹入り込んできて、羽音を控えめに立てながら桃の残したイワシに取り付く。
ぶぅん。
桃は虎丸の背中に向かって、笑みすら浮かべずに言い放つ。

「『今度こそ』とは言わない」

ぶうん。ぶうん。
蝿が飛び回る。

「『今度も』富樫は帰ってくる」

それきり、桃は黙った。
さぁ立て、自分に命ずる。
さぁ何があった、今日は何があったか。
思い出せ。
今日はまず朝一番に三つ片付けなければいけない書類がある。
昼は食事を取りながらインタビューが二つ。
午後は先月から通そうとしている法案の採決があった。これまでの努力を無駄にするわけにはいかない。

夜は、
「あ、」
唐突に桃はあることを思い出した。
そして、
「フフ、やっぱりな」
おかしくてこらえきれない、というように背中を反らして天井一杯まで満たすように笑い始めた。腹を抱え、とうとう靴下の脚で畳をどすんと打った。
虎丸が飛び起きる。
「フフフ、フ、………はははは!!」
やぁっべ、もしかして、おかしくなっちまったか?
冷や汗が背中を伝う。この元筆頭は富樫のこととなると少々、理性というやつを失いかけるあぶなっかしいところがあるのを虎丸は思い出した。
このあぶなっかしさが桃からカンペキさを欠けさせ、その代わりに親しみやすさを埋めていくのではあるが、今はどうにも良くないほうへ傾いているように感じられる。虎丸は膝立ちになって桃へにじり寄り、震える肩を掴んだ。近づいてみて、桃の目尻に涙が滲んでいるのに気づいて虎丸、ますます慌てふためく。いかん、なにがどうだかわからんがいかん!
「桃、桃!だいじょうぶじゃって!富樫の野郎まぁた新宿のソープにでもしけこんどるって!」
早口に声を高くして、肩をばんばん叩く。
桃の震えが弱まった、虎丸の腕に手がかかって、心配するなと言いたげにやわらかく剥がされる。

「フ…大丈夫だ。だって今日は」

「あいつの誕生日だ」
虎丸はあ、と短く叫んで手を打った。







およそ一月前のことである。内閣執務室へ富樫が塾長からの書類を届けに来たときであった。
まだ春と冬の境目もおぼろ、肌寒いほどでまだ、室内には暖房が弱く入っている。
久しぶりに会った桃はさっそく富樫へ腕を伸ばした。富樫は富樫で慣れたように払いのける。
なんだ傷つくな、蝿を払うみたいに。そう言うと富樫はフンと煙草を吸ってごまかした。
『お前の誕生日だけど』
唐突に桃は富樫にもちかけた。
自分も総理として軌道に乗り始めたし、富樫もようやく塾長秘書として落ち着いてきた頃だ。
そろそろいいか、と桃は切り出した。
『あ?プレゼントでもくれんのか、そうだな、俺ァちょっと奮発したスーツなんていいんだがよ』
『フッフフ、もっといいモノをやるよ』
『女か』
『馬鹿だな、そんなモンじゃない』
『……金』
『人はパンのみに生きるにあらずって神様も言ってたぜ?』
『……まぁいいや、じゃあ馬』
『まだギャンブルなんかやってんのか、やめとけ勝てやしないのに。塾長にどやされるだろ』
『うるせぇな、ほっとけェ』
『俺をやるよ』
一瞬の間も無かった。素晴らしい反射神経と言える反応で富樫はいらんわぇと叫ぶ。
闘牛のように鼻息を荒くする富樫をまぁまぁとなだめながらその時桃は言ったのだ。
『じゃあお前をくれよ』
富樫は更に眼を剥いて怒鳴った。
『なんだって俺が誕生日にテメェにプレゼントされなきゃいかんのじゃい!!』
まぁまぁまぁまぁ、聞け、な、富樫。
桃は笑顔のままなだめになだめた。

『こうしよう、誕生日にお前が俺に会いに来てくれたら、この話は来年までナシ』
『でも会いにきてくれねぇってんなら、しょうがないから俺をやるよ。返品不可で』
うがぁとか、グゥとか、けだもの以上にけだものな声を喉から絞り出すようにして、
怒りに顔をドス黒くして、
拳に爪を食い込ませて、
二人がそんな不埒な話をするのには到底不向きな執務室、内閣総理大臣執務室付の色艶良いデスクの天板を叩き割りそうな勢いで富樫は当初の用件だった書類を叩きつけて出て行った。
後に残された桃はいそいそとデスクに先程の衝撃で倒れ伏した卓上カレンダーに印をつけ、嬉しそうに微笑んだ。






「……とまぁ、こういうことなんだ」
「………」
虎丸は改めて桃の器の底深さに舌を巻いた。
富樫がハッキリ断りさえすれば簡単にかたの着く話である。というより答える義理がない。
それなのに富樫はいつのまにやらあれよあれよと巻き込まれて、まさに絶体絶命に陥っている。
そういう星ってあるのかもしれんなぁ、虎丸はいつの間にか落ち着きを取り戻して座りなおした。
なんとなく、今の説明にもならないような説明で納得してしまったのであった。そうか、そうかよ。ヘッ、そんなら心配いらねぇやな。と。
「だから、まぁ今日一杯は待っててやろうかと思うんだ」
桃の横顔はきれいだと虎丸は柄にもなくセンチな気分で黙った。信頼とか信用とかそういうのとは違って、約束という言葉を桃は信じている。
信じたいのかもしれない。

と、二人の沈黙を破って虎丸の携帯電話がけたたましく鳴り出した。曲はターミネーター。
デデンデンデデン。
デデンデンデデン。
デデンデンデデン。

虎丸は曲を聴いただけで嫌そうに顔をしかめた。鳴り止むのをまっていたようだが、桃の視線に促されてしぶしぶ通話ボタンを押す。

「ハイトラマルデス、タダイマルスニ…」
鼻を摘んであくまで居留守を使おうとした虎丸を、電話口から大声がどやしつけた。
「馬鹿か、携帯にただいま留守もあるか。くだらねぇこと言ってねぇでさっさと益荒男港に来い」
伊達の声だった。
なるほどそれでターミネーターかと桃も得心がいく。
虎丸は桃や富樫としゃべっているときのような素直な可愛げはどこへやら、ツンケンと言い返す。
「なんでだよ、テメーの指図なんか受けるか。来て欲しいってんなら、理由とお願いしますだろ」
伊達は電話口の向こうでフンと鼻で笑ったようである。虎丸の太い眉が釣りあがって、あわや舌戦かというところ。
「いいからニュースを点けろ、」
出鼻をくじかれて怪訝そうな顔になった虎丸だが、桃に手振りでニュースをつけるように頼む。
桃がテレビのリモコンをつけたのと同時、画像が現れる。
現場は伊達が今言っていた益荒男港である。
ピンク色の中年女性キャスターが、大げさな身振り手振りで機関銃のような勢いでしゃべりだした。

『一週間日本海を漂流していた男性が、奇跡の帰国です!謎の男性は信じられないことに、殆ど飲まず食わず、海水を飲み食料といえば魚を手づかみで食べていたそうです!男性は何故かスーツに学帽を着用しており、自分は閻魔門前払いだと錯乱した様子でわめいているようです!信じられません、これは奇跡です!!』



虎丸と桃は顔を見合わせた。
次の瞬間、二人そろって我先にともつれあいながら玄関へ駆け出していく。






蝿はうるさい人間がいなくなったとひとしきり部屋を旋回し、ゆっくりイワシにとまり直すのであった。

















「な、言ったろ」
虎丸は得意げに言った。伊達はおもしろくも無さそうにフンと鼻を鳴らす。
「愛のチカラかよ、くだらねぇ」
「くだらねぇことあるかよ、いい話じゃねぇか」
伊達の目が据わった。怖い。虎丸は一歩退く。
「え、な、なによ伊達さんったら!いやぁね怖い顔しちゃって!」
オカマ言葉で逃げ出そうとしたところを掴み、肩に担ぎ上げる。キャー!虎丸はあくまでオカマキャラで通そうとしているようである。

「ようしちょっと日本海横断してこい。そしたらてめぇの愛情を認めて嫁にでもしてやろう」
「い、意味わからんぞ!」
「いいんだよ意味なんか、おら、行け」
「いやぁあああ!!!」

モクジ
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