スイッチ・ニュース
塾生の楽しみと言えば、食事、喧嘩、博打、センズリ(相手がいないのだ、誰だって独り相撲)。
それに、テレビ。
「おおーッ!ええ乳じゃあ!」
「やっぱりアイドルに限るぜ」
「わしはフトモモのがいいのう」
「おい、テレビの下に潜りこむんじゃあねぇよみっともねぇ」
生身の女と触れ合う機会どころか、見ることすら叶わない塾生達からすれば、テレビの中で可愛く笑いかけてくれる彼女達はまさに『アイドル』である。
この日も一号生たちが寮の広くない広間はギネス挑戦中の態で黒一色。塾生達が詰め込まれている。身動きできる隙間はない。もし身動きしようものなら生じた隙間に誰かがまたそこ目掛けて詰め込まれる。出来立ての明太子のように、部屋の輪郭を歪めそうな勢いだ。
テレビを見るだけで既に地獄絵図さながらの光景であるが、ここにチャンネル争いが始まったらもっと恐ろしいことになる。
なお、チャンネル権はいつも多数決ではなく殴り合いによる完全実力制だ。
「おい、悪いがちょっと詰めてくれ」
「桃ォ、珍しいのう」
夏の夜だった。夜空は冬ほど澄み渡っておらず、月も黄色く間の抜けたようである。
テレビ部屋へと現れた一号生筆頭に、松尾は部屋を埋め尽くす塾生に桃の据わる場所を確保するため詰めるよう号令をかけた。一号生は皆おうと快く返事をしてくれたが、いかんせん隙間がない。
近隣住民からの騒音苦情対策のため、窓は締め切られていた部屋の中を静かに黒波がさざめく。が、どうしても人を詰め込める隙間は作れなかった。
一番入り口側に小さくなって座っていた松尾は笑ってしようがないのうと言って桃の肩を叩き、自分が出て行こうと立ち上がる。
「ちょっとニュースを見てぇだけなんだがな、すぐ済むぜ?」
すまなそうに頭を掻く筆頭、その口から発せられたニュースという単語を聞いて塾生は顔を見合わせた。誰もそんなもの興味は無い。
自分達が見ていた歌番組はもう終わった。塾長のところからくすねてきた新聞のテレビ欄、これから面白そうな番組は見つからなかった。
「俺らはもう寝るから、桃、好きにしろや」
「電源切るの忘れんなよ」
「寝坊もすんな」
「バカ、そりゃお前じゃろうが」
思い思いに声をかけ、どつき、桃の肩を叩き、背中を叩き、塾生は黒蟻を散らすように部屋を出て行った。
松尾が安心したようにほっと息をつき、そのまま塾生の波に包まれるようにして彼もまた、挨拶を交わして出て行く。
「お、空いたぞ桃、良かったのう」
「ありがとな、松尾、おやすみ」
「おやすみ」
あっという間に六畳間は桃一人になった。菓子の袋も、ビールの空き缶も、ツマミの裂きイカの皿もなにもなし。
テレビを見ながらなにかをするということは塾生にはない、テレビだけでも十分娯楽として成り立つし、なによりそんな嗜好品、調達の当てがない。
桃は貸切となった部屋の真ん中ではなく、網戸すらない窓をぎしぎし細く開けて風を入れ、虫が入るからと電気を消してそのまま窓際に腰を下ろして陣取った。ほどなくして、面白みのない、夜にありがちなバラエティ色の薄い5分ニュースが始まる。まだ11時にもなっていないため、さすがにお色気成分は無い時間帯。
チャンネルを変える手間が省けたと桃は、画面へ眼をやる。殺人、天気。
五分ニュースが終わった。
暗闇のなか、画面の光が目に痛いようである。
続けて、一時間番組の夜のニュース。
殺人、殺人、政治、不祥事。
目は画面を撫でるだけ。壁に寄りかかったまま、前方の光源を眺めるだけ。それでも内容はきちんと大事なものそうでないもの区別されたうえ整理して頭に入っている。桃はそういう器用さを持っていた。
暗闇である。
桃の横顔は画面が移り変わるごとに緑に赤に青へ照らされ、表情自体はいつも通りに見え、全く読めない。
暗闇である。
小さな、電子レンジ程のテレビは時折画面を上下に波打たせながら淡々と電波を捉え、画像として画面に現し続ける。
訃報である。桃も知っている高名な作曲家が肺がんで亡くなったと、大げさ過ぎて白けるほどの沈鬱な面持ちで女性キャスターは報じた。
バックにはその作曲家が手がけた代表曲が流れ、VTRでは親交のあった人間が涙混じりに早過ぎる死を訴える。
「…69才、余りにも早過ぎました…。…ご冥福をお祈りいたします」
まだ20代の前半、新人キャスターはおそらくその作曲家の功績を殆ど知らない。というのにその口調や表情は今にも後追いをしかねないほどに悲しみを訴えている。
「…さて!スポーツです!今日は日本人がメジャーで魅せました!」
先程までの表情はどこへやら、にっこり笑顔を作ったキャスターは日本人メジャーリーガーの活躍を活き活きと読み上げる。
その余りの変わり身の早さに、桃は思わず苦笑の笑みを目尻ににじませた。
「そんな簡単に、片付くものじゃねぇさ」
誰に言うでもなく、桃は呟いた。
「死なないってわかってる筈なんだけどな」
政治、かわいい動物、年金問題についてコメンテーターによる議論、お色気。
暗闇の中、節操無しのニュースが右へ左へ情報を垂れ流していく。
一筋風が入り込み、桃の前髪を弾いて消えていった。数年前の殺人事件、その決着。天気。
瞼を閉じる。
しばらく目に焼きついていたテレビの光が瞼の裏側でキカキカ緑のモヤとなって踊っていたが、それもそのうち消えて、本物の闇へと沈んでいく。
身体丸ごとささくれた畳に投げ出して、桃は眠りについた。
「何しとるんじゃい、おう」
ごす、肩をどつかれる。どついた本人は軽く揺さぶっただけかもしれないが、その衝撃で本来眠り深い筈の桃は一度で覚醒するほどの威力はあった。
「ああ」
何を、と聞かれているのに答えは返さない。特に寝ぼけている訳でもなかった。恐らくまだ、日付を跨いだ頃のはず。大して寝ていない。浅いところを漂っていたところを引き上げられたという位。
腕を伸ばして、横たわる自分を呆れたように覗き込んでくる男の顔へ手の平で触れた。あたたかい。
「富樫」
名前を呼んだ。
富樫だった。富樫は顔に触れた手の平を虫でも落とすようにして払うと寝惚けんなと低い声で怒った。太い眉が寄る。
「テレビ点けたまんまで寝るんじゃねぇよ、また寮長にどやされてぇのか」
「ああ」
またああだ、富樫の顔が渋くなる。大体なんだってこんなところで寝てるんだよこいつは、更に肩を強く揺さぶった。
「桃」
「富樫」
「なんだよ」
「富樫」
「…おう」
「富樫」
「………」
こいつはこんなにも寝起きが悪かったっけか。富樫は頭を抱えたい思いだった。いつものように手洗いに篭城し、最早何度世話になったかわからぬほど文字通り手垢のついたビニ本に少々ご厄介になり、見も心もスッキリしたところで部屋に戻ってみれば隣に寝る筈の男がいない。しぶしぶ探しに来てみたらテレビを点けっぱなしにしたまま眠りこけている。その上今現在も自分の顔だけでなく、胸やらわき腹やら首やら、手の届く限りを撫でてきている。
「なぁ桃、起きてくれや。戻ろうぜ」
「富樫」
桃はただ、富樫の名前を呼び、確かめるようにしてリーチの許す範囲を探る。富樫はあたたかく、年中変わらぬ上半身裸の身体は張りの有る肌で桃の手の平に答えた。
そんなやり取りがしばらく続いた後、とうとう富樫は桃の肩を掴んで抱き起こした。抱き起こした、というより力任せに大根を抜くようにして持ち上げる。
「ガキじゃねぇんだ、とっとと部屋に帰ろうぜ」
桃の瞼が一つ瞬きをして、富樫の顔ちょうど眼を跨いだ傷跡のあたりに視線を注ぐ。
「なあ、こんなとこじゃ風邪ひくオチだろ」
「富樫」
「桃!」
思わず声を荒げた富樫の口を封じるように、指先をその厚い唇に宛がった。富樫はなんだと言いたげに桃を睨む。生まれつき脆い堪忍袋の緒は、そろそろ音を立てて切れそうになるのをこめかみがピグピグ鳴るほどに我慢している。
最後のニュース。天気予報。明日は雨のち曇り。
「死ぬなよ」
「ああ?」
「この前の富士山で虎丸には言った。俺は富樫の死体を目の前にしたって、死んだなんて信じやしねぇって」
あっけに取られて、桃の指がほんのちょっと唇の内側、湿り気のある辺りまでを掠めたが何も言えなかった。
おう、当然じゃい。
任せとけ。
信じていいぞ。
どれも違うような気がして、富樫はなんと答えていいやらわからなくなってしまった。
半ば富樫の膝に上体を預けるようにした桃の顔を上からまじまじと見つめてみる。男前だ。老若男女関係なくモテるであろう、かっきりとした眉に涼しい目元、笑みを絶やさぬすいと伸びた唇。富樫はよく桃の顔に惚れ惚れと目を奪われた。ちぇ、これだけ顔がよけりゃさぞかしモテるんだろうな。もちろん俺だってキズさえなきゃあもてる。ハズだ。
が、その顔が今曇っている。
意外なほど時間が経つのは早く、テレビはとっくに深夜の通信販売番組に切り替わっていた。鍛える必要もなさそうな筋肉外国人が、しきりに白い歯を見せながらトレーニング用機械の効能を大げさに解いている。
「お前はいい男だ」
「…知っとるわ」
からかいをその語調から感じ取り、富樫はわざと表情を消してぶっきらぼうに答える。フフ、と軽い笑みが目線の下、桃の唇から零れるのを見て富樫も笑った。
「だから死ぬなよ。死んだって俺は、死んだって認めてやらねぇから」
眉目秀麗、頭脳明晰、天下無双。そんな桃がどうにも理屈に合わないことを言う。しかしその目はテレビ画面の光を映りこませて、爛々と光っている。
少し様子が変なのかもしれん。ナーバスっちゅう奴か。富樫は無理矢理納得した。
「わぁったよ、好きにしろい」
「好きだ」
こんなタイミングで言うのでなければ、こっぱずかしい奴だバカ、俺だって嫌いじゃあねぇと気軽に言えるような軽い口調。目元にも、唇にも普段どおりの涼しい笑みが溜まっている。
「あ?」
桃は起き上がり、顎を落として事態を把握しようと図る富樫のささっくれた唇を自分の唇でさらりと盗み取った。すぐに腹筋を使って富樫の膝を離れ、立ち上がる。ヒットアンドアウェイ。Jが見たらその見事さに驚くであろう。
「フッフフ、死ぬなよ富樫。生きてりゃ止めろの一声で踏みとどまるかもしれないが、死人に口無しって言うし、死んだら言葉にできねぇようなものすごいことをしてやるから」
ものすごい、の辺りで桃は唇の端をにんまりと凄絶に吊り上げた。何故か富樫の背中はぞくぞくとそそけ立つ。なにか、今日の桃は恐ろしい。
舌なめずりでもしそうじゃねぇか。くそ、俺が一体何したってんだよ畜生。
未だ硬直の解けない富樫を残し、真っ暗な部屋を何事も無かったように出て行こうとする桃を、慌てて富樫は腰を浮かせて叫ぶようにして呼び止めた。
「も、桃!いまっ、今のっ、なにしやぁがった!」
「接吻さ、」
「せッ」
「覚悟しろよ、最初はやめとこうかと思ったんだが気が変わった。待ったなしだ」
「だ、」
「大事な人間を死地に送り出すなんざお断りだがお前が行きたいってんなら仕方ないだろ。その代わりおっ死んだって全部貰うぜ」
人差し指、人を指し示す指で桃は富樫をちょいと指定した。間抜け面の富樫。そんな顔すらをどこか嬉しそうに含み笑いで眺めやり、いたずらっぽく器用にウインクをして見せた。長い睫がぱちんとはじけて、星が散りそうなウインクである。
「おやすみ、って言っても部屋は二人で布団も隣だ。よ・ろ・し・く・な」
おいおいよろしくって一体なにをどうよろしくなんだ――
結局桃に一言も言えず、唇だけ盗まれた富樫はそれからしばらく、テレビが砂嵐に切り替わっても硬直したままであった。
翌日に様様な人間相手に部屋を代えてくれと必死に頼み込む富樫が目撃されることとなったが、部屋代えが行われたという報告は一切上がっていない。
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