ムーンライトピクニック

富樫は夜目が利く。
枯風を背中に胸に頬に受けながら、独特の猫背に夜道を歩くのを富樫は好む。
月一つあれば道をあやまたずに歩け、風一筋あればうまいラーメン屋を探し出す。富樫のそれはけだものの目であり、鼻も同様であった。それは何も富樫だけが身に付けている特異な能力と言う訳ではない、塾生ならば強弱あれど誰もが身に付けているものである。富樫は目が、馬鹿友の虎丸は塾生の中でも特に抜きんでて鼻が利くのだ。用心深い猫のように足音をひそめ、空っぽに近い腹を抱えてそろそろと歩く。今日の月は柳の葉っぱのようにしゅっと細い。空高くから落ちてくる光りも灰色がかった青白でどことなく頼りない、けれども富樫には十分で、その夜富樫は自動販売機で熱い汁粉を買ってぶらぶらと徘徊した。

粗末以外の何物でもない夕飯を終えると窓から顔を出す、既に真っ暗闇だ。空に一つ明月がきわきわと寒気に映えている。ひどく冷たい夜気が細く開けた窓からひやひやと足元へ忍び入ってきて、おい富樫開けてんじゃねぇやと級友達はぶうぶうの文句。わぁったよと詫びると富樫、スーパーで買い出しした時の白いビニル袋を学ランのポケットに突っ込んで消灯間近の寮を抜け出そうと玄関へ。
玄関にはちょうど風呂を上がったらしい桃がさしかかっていて、どこか行くのかと尋ねてきた。
「おう、ま、散歩じゃ」
どこへ、の問いかけをはぐらかしたのは失敗であった。桃は好奇心を湯上りの頬のあたりにくっきりとあらわにして、
「最近いろいろ出かけてるみたいだが、どうだ、俺もついて行きたいもんだな」
と言い出した。富樫は露骨に嫌そうに顔をぐしゃっとしかめたが、よく考えてみれば桃は親友である。べちゃべちゃしゃべくる女でもなければ、足が痛いだの何だの文句を言ったり、夜歩きを馬鹿にしたり変だとからかう男でもない。
いつも一人で歩くのだ、それに今日はただ歩くだけではなく目的もある。人手は多いほうがよかろうと思い直す。
「俺ァいいがよ、そんじゃ待っててやっからとりあえず頭だけ拭いてこいや」
いまだほくほくとゆでたてのジャガイモのように湯気を立てている桃を連れ歩くわけにはいかない。丈夫であることはわかっているが万が一風邪でも引かせたら文句を言われてしまう。特定の誰に、ではないが桃はありふれた言葉で言えばアイドルなのだから。
「悪いな。すぐ準備してくるから待っててくれ…あ、」
富樫のOKを受けると桃はうれしそうに目を細めてから背を向けて歩き出そうとしたが、すぐに振り向いて立ち止まる。
なんじゃと返せば、
「懐中電灯か何か、いるか」
と聞かれた。富樫は右手を振っていらないむねを伝える。桃は一つ首をかしげると手にしていた手ぬぐいをなびかせる勢いで走り去った。何をガキみてぇにはしゃいでいやがるんだと呆れ顔の富樫を残して。
やっぱり一人で行くべきだったか、富樫はいまさらに迷う。
普段ならば持っていったっていい。だが今日は困る、ただ歩くだけならどんな格好をしようがどんなものを持ち歩こうがどうでもいいのだが。
わざわざ月の明るい夜を選んだのも、夜目がきく自分ならそれで十分だと踏んだためなのだけれど。
よほど何か夜歩きに心引かれるものでもあったのか、桃は髪の毛を乾かすのもそこそこに戻ってきてさあ行こうぜと普段よりも弾んだ声で言った。




いつも富樫が夜歩きする時には老朽化が進んで崩れた塀を乗り越えて男塾の敷地外に出るのだが、今日は塀を無視する。
隣一歩遅れを歩く桃は白い息を吐きながら澄んで凍る夜空を見上げて大きく伸びをした。まるでくつろいでいる。富樫は苦笑した。
「寒かねぇか」
「寒いと言ったら」
せっかく気遣ってやったというのに桃ときたら。富樫はたちまち太く整えられていない眉をひそめる。
そんな桃の悪趣味(富樫はかたくなにそう言い張る)切り返しにも富樫は慣れた。
「勝手に凍えてろや」
ちぇ、桃はさして残念そうでもなく深く胸に土の匂いのする夜露まじりの夜気を吸い込んだ。富樫につれられて歩くうちに、敷地の奥にある裏山あたりまでやってきている。枯葉が厚く積もり、鬱蒼と古い木々が太い幹を張っていた。
月の光があるとはいえ、その光も木々の隙間からこぼれてくるのを頼りに歩くのはなかなか胆力のいることである。どこへ、がわかっていない桃は余計にだ。足元は枯葉でつるつると滑った。登る山として整備されているわけでない自然のままといえば聞こえのいい山は、小さいながらも起伏に富んで富樫達の行く手を阻む。きつい傾斜にも富樫はのんのんと分け入っていく。
桃は黙々とそれに付き合った。
実のところこれはただの散歩じゃあないなと桃は早い段階で気づいていた。
(ちぇ)
桃は少しばかり面白くない。足元でまっくろに固まって夜と見分けのつかない岩が脛にごつんと当たって痛かった。
(どうやら、俺は人手としてかり出されただけのようだ)
それがわからないほど鈍ければもっと単純に目の前の岩にかじりつけるのだが、あいにく気づいてしまったのだ。ため息を一つ。
こっそりとついたはずのため息は予想外に冬の冷たさに大きく白く膨らんで、富樫の目にふれるところとなる。
古木の枝を握りながら振り向いて、
「疲れたか」
と聞いてくる。いいころあいだと桃も口を開いた。
「そろそろ話してくれてもいいんじゃねぇか?目的は何だ」
うっと富樫が詰まった。畳み掛ける。
「富樫、」
「キノコじゃ、キノコ」
白状した言葉は桃の予想よりも素朴なものであった。
「なんだ、それなら早く言えばいいのに」
「でけぇ声出すな、ここァ閻魔の三号生のお兄様方の持ち場なんじゃ」
「なんだって?」
それは声を大きくはできない。桃もさすがにあたりを見渡した。富樫は横に広げて笑った唇から白い煙のような息を噴出して笑う。
「ちっとヤベぇがマツタケがあるって言うじゃねぇか、先日も何かの会で腹いっぺぇマツタケ食ったって」
「それで採りに来たってのか、のこのこ」
のこのこ、って。富樫は一瞬口を開けたまま呆けたが、すぐに気配を察して押し黙る。桃は静かに頷いた。
「その話、誰から聞いたか覚えてるか」
桃の口調に厳しさが増した。これはひょっとすると楽しいムーンライトピクニックという状況ではなくなるかもしれぬ、桃のまぶたは一度震えて目を光らせる。
「たしか、たしか、卍丸」
卍丸先輩か、桃は繰り返して何事か考え込む。
「センクウ先輩はどうだった」
「あん?」
「何か言っていなかったか、何でもいい」
「えーっと…」
富樫は冷たい空気を吸い込むと脳へ酸素を送り込み始めた。冷たい酸素が行き渡り、儲け話にとろけ浮かれきっていた頭も冷える。枯葉のかさりも聞き逃さぬように耳をそばだてる。疑おうとすれば風の声一つとっても疑わしく思えてきてあせった。
「そういやその後すぐに呼ばれて菓子をもらったな」
「菓子」
「葛餅、葛の葉っぱが無いとかどうとか」
桃は本格的に考え込んだ。
「それから、マツタケの話したら桃に分けてやれって」
つるり。口が滑ったことに音がしたならこんな音がしたであろう。
「…俺に?」
しまった。口に出した言葉は引っ込めようがない。桃の視線がじっとりとしたものに変わるのを肌に感じていたが、そのチクチクとした感じはすぐに消えた。
「これはまあ貸しておく。確かに葛餅だったんだな」
「……悪かったって」
おめぇがそんなに葛餅好きだったなんて知らなかったよと富樫はぼやく。声にゆとりはない。
さっきから人ならざる気配がさわさわと木の葉のざわめきに混じりながら二人のもとへと近づいてくるのを富樫も感じていた。
桃はきっぱりと言った。
「やっぱりこれはお兄様方の悪ふざけだ、帰るぞ、富樫」
「…おう」
あんまりきっぱりと言うので富樫もうなずく。それもあるが急に月がかげり始めたのもあって、キノコ探しどころではないと思い始めたのであった。
ちゃり。朽ち葉がにじられる音が富樫の耳に届いた。
急に真っ暗になった山の中、何かがちらりと黄色に光るのを富樫は見つける。桃も一拍遅れて見つけたようである、富樫は自分のほうが目は利くのだとわかって気を引きしめた。桃に頼る癖がつき始めた自分にカツ入れるのにちょうどいいと気分を奮い立たせる。
自然と、富樫は桃に向かって手を伸ばした。左手をである。桃も左手を出した。横にではなく縦に並んで、お互いに利き腕をあけて手を硬く繋ぐと別方向を見張りながらそろりそろりと折り始めた。桃の左手は少し冷たく、富樫はああこいつも少しは緊張ってモンをするんだなと当たり前のことに新鮮さを感じる。ここで気になっていたことを聞いてみた、暗闇の中へ視線を通して探らせながらではあった。
「ところで、なんだってウラがあるって気づいたんじゃ」
「センクウ先輩が教えてくださったのさ、センクウ先輩はお前びいきだからな」
桃はこともなげに言う。
富樫にはさっぱりわからない。ただ続きを促すように繋いだ手に力をこめた。
「実はそのマツタケの話、俺も聞いた。俺は邪鬼先輩直々と、塾長からだ」
「……!」
さすがにここで大声を出すほど富樫もおろかではない。足元はただでさえ石の上に積みあがった落ち葉たちで滑るのだ。
「ついおととい、虎丸が大怪我したのを知ってるだろう」
「ああ、詳しくはしらねぇけど」
「本人は屋根から落ちたって言ってたがな、あれはおそらく―――」


うろおおおおおおお。
うろおおおおおおおお。

奇妙に渦を巻く、聞いただけで危険を察知しそうな遠吠え。月は雲の奥に引きこもったきりで、富樫達にひとかけらだって光を投げない。いくら夜目が利くといっても、真闇の中で自由に動けるように富樫は人間をやめたつもりはない。


「―――アレ、か」
富樫の声がかすれた。アレは、おそらく犬なんかでは出せっこない、絶滅したとばっかり思っていた、けだものの声ではないか。
「アレだ」
「虎丸も、マツタケを…」
桃は頷く。富樫の歩みが鈍ったので、桃が一歩先に出た。腕に引かれるようにして富樫も歩きを早める。単なる散歩だと桃はダンビラを置いてきているし、富樫のドスは短い。囲まれたりしたら終わりだと二人とも声を出さずともわかっていた。

「ケッ、いたいけな一号生を山狩りするたァ悪趣味だぜ」
ひたり。桃が一歩立ち止まった。眉がきゅっと寄って、悩ましいやら怒っているやら判別のつきづらい表情。富樫は非難がましいその顔になんじゃいと声を上げた。
「俺に葛餅くれてたら、お前を止めたさ」
「しつっこい野郎だな、だからそりゃ後で――」
「葛の葉っぱ、見たことはあるか」
あった。富樫は田舎育ちである。頷く。ざざ、と遠くか近くかすらもわからない茂みが割れて、何かがうごめいている。二人は歩くのを再開した。
「ああ、裏側だけ白いんだったっけか」
「裏が白い葉から、葛は昔っから裏見といわれるんだ。普通は恨みにかけるんだが、添え物の葛葉が無いってセンクウ先輩が言ってたから今回は『葉なしの裏』でいいだろう」
「………」
富樫は黙った。驚いたのではなく、よくわからなかったので黙った。
「……ハァ、風流っちゅうか、七面倒くせぇというか…直接」
言えばいいじゃねぇかよ、と言いかけると桃の先ほどよりも馬鹿にした感のある顔でにらまれる。
「センクウ先輩の立場も考えろ、あの人だって三号生全体の大意を正面切って壊すわけにはいかないだろう」
「あー…そっか、」
桃は富樫の手を強く握って、顔を近づけた。月は無い、けれども富樫はその息遣いだけでわかる。目を閉じていたって、わかる。
「少しはデートのつもりでもあった、月夜にそぞろ歩きって、いいだろうと思って」
「馬鹿こいてんじゃねぇ」
「……富樫」
さすがに責任を感じていた富樫、素直にスマンと小さな声でつぶやいた。
気配、けだものの気配がすぐ近くにまであった。



「……どうする」
「さて、どうするか、お前を差し出して逃げるか」
「…桃ォ」
冗談とわかっていたってこの暗闇では恐ろしい。富樫は桃の肩口を掴んだ。桃はフッフフと嫌な笑い方をする。
「お前ならきっと、お兄様方がかわいがってくださるぜ」
「冗談キツイぜ、お前のがかわいがられるだろうに」
「俺はかわいげがありすぎるからな」
よく言う――、富樫がさすがに呆れて、それで二人の緊張もほぐれた。
「今度ァ普通に夜歩きする時誘ってやら」
「そうしてもらおうか」
微笑み、相手にだけわかる微笑みを互いに浮かべ、しっかりと一歩。






踏み出したまではよかったが、
地面が無かった。
しっかりと手を繋ぎあったまま、どんどこもつれるようにして落ちていく。








「アッ、あいつら落ちよった!……どうしましょう赤石さん」
ちょうどいましがた桃と富樫が手に手を取り合って転げ落ちていった崖のヘリに江戸川はラジカセを担いで座り、隣に鬼のように恐ろしい顔で座っている赤石をちらりと見る。
赤石は黙ったまま、右手を上げた。控えていた二号生が三人向かう。
「馬鹿馬鹿しい、どうして俺がこんなことを…」
珍しいぼやきだ。江戸川はなんとか赤石の機嫌を直そうと考え込んで眉尻を下げた。つい先日から夜通し、ローテーションで二号生はこの山に入り込んだ一号ポックリをどつきまわす役を三号生達から請け負っていた。気まぐれには付き合ってられんと赤石が断ったが、三号生筆頭大豪院邪鬼の、
「面白いではないか」
の一言には従わざるを得ない。犬を何十頭か借り受けて山に放し、遠吠えはテープだ。勝手に暗闇におびえてパニックになったところに犬をけしかけ、最後に二号生達が袋にしてふもとに投げ出す。この繰り返しであった。
一般二号生達はローテーションでよかったが、さすがに赤石と江戸川は責任者もとい引率者として毎晩かり出されていたのである。血の気の多い二号生達が行き過ぎた何がしをすることは全く赤石はとがめる気はなかったが、崖から滑落したり遭難したりする人間が出ないように見張ることはする必要があった。
このくだらないおふざけ、気まぐれに付き合わされてもうしばらくたった。
そろそろ、赤石の堪忍袋の緒もはじけ飛びそうな予感がある。ミリミリと何か嫌な音がしている。
今落ちたのは桃と富樫である。ならば頑丈さには折り紙つきだ。
隣でオロオロとしている江戸川の頭をはたいた。江戸川は危うく滑り落ちそうになりながら、はい赤石さんと律儀に答える。少しばかり、赤石の機嫌がよくなった。
「崖の下に下りて、奴らを成敗しにいくぞ」

えっ、江戸川は青くなる。今までは応急手当こそして、放り出していただけだったのに。
やっぱりごっつく怒ってるんじゃ、江戸川はどうしたものか考え込む。
「まずは貴様から行け」

考え込んだ矢先、背中のあたりに赤石のブーツの靴底の感触。江戸川は次の瞬間には桃や富樫と同じように宙に投げ出されていた。

「ごっつぅううういいいのぉおおおおおおおおおお!!!!」

断末魔の悲鳴を上げて転がり落ちていく江戸川の様は滑稽で、赤石の胸のささくれが平らかになる。
月もようやく雲をかきわけて顔を出し、物騒な笑顔の赤石を照らす。
赤石は楽しげに兼正に手をかけ、体を躍らせると崖を滑り降りていった。





桃と富樫はいまだ迫る危機にも気づかず、二人仲良く目を回している。
急ぎ目を覚ますべきであった。
モクジ
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