チャーシューメン二つ大盛りで
寝坊をしすぎてしまった。
ああやべぇいそがねぇと間に合わねぇやという次元でない寝坊である。午前をすっぽかし、今は午後十二時半。
富樫はようやく起きた。お天道様が動いて、窓から富樫の顔に陽光をおとしてきたのでまぶしさに目覚めた。
「あー……」
意味はない。ぼりぼりと胸元を掻きながら上半身を起こす。寮には人の気配がない。自分とそれから隣の布団からはみ出して富樫の陣地に踏み込んでいる男の気配しかなかった。富樫は武術の心得がないので確かとは言えないが。
頭も体も一枚布をかぶったように実感がない。胸を掻く指先も、胸には触れる指の感触があるのに指にはそれがまだあまりない。
指が痺れているのだと気づいた。何故か。
「おう」
隣の男の頭を乱暴に小突いた。最初はがさつな富樫なりにも気をつけてゆり起こしていたのだが効果がないのがわかって、最初からごっつんとやることにしている。大の字に寝ていた富樫の右腕を体の下に敷きこんで寝ていた桃の体重のせいで、腕は痺れている。血がめぐりはじめて、皮膚の内側がちくちくし始めた。
「桃、えれぇ遅刻だぜ。起きろや」
ううん。唸るだけで起きる気配のない桃の寝顔はどこまでも安らかで手を出すのがためらわれる。ためらわれるからといっても起こさぬ訳にはいかない。富樫はしゃあねぇなぁといやいや肩に手を置いてもう一度ゆさぶってみた。寝巻き代わりのズボンにサラシという薄着なのに布団を跳ねていたせいか冷えている。
小便をし終えた時のように、ぶるぶるっと富樫は身体を震わせた。こちらはズボンすら身につけていないフンドシ一丁。最近までかぁっと暑くなる日もあったのだがそろそろしんどくなってきた。息が白くなることはまださすがにないが、冷えている。窓から見える柿の木の葉も枯れていたのに気づいた。
ああそういやもう十月も終わる。そうしたら十一月で、あっという間にそうしたら。
そう思うと年が暮れるのも近い気がした。
月日がびゅんびゅんあんまりにも手早く流れすぎていってしまうので富樫は戸惑う。
秋っちゅうのは人恋しくなっちまっていけねぇ。
考えてみてからすぐに自分にしてはセンチな気分過ぎだと恥じた。どっこも似合いもしねぇと吐き捨てる。
無理に明るい声を出した。自分が鬱鬱としているのはまったく間違いだ。俺は落ち込んだりしねぇと冷えた桃を揺さぶる。
「桃、起きろい」
「んー」
ゆさゆさ。
「桃よう」
「んーん」
ゆさゆさ。ゆさ。
「もーも」
「…うーん」
わしわしわしわし。
犬をじゃらすように、くるくる跳ねる髪の毛に指を差し込んで富樫はわしゃわしゃわしゃと桃の髪の毛を乱した。
まったくどうしてこんなにもさらさらとしているのか不思議な髪の毛である。自分や虎丸と同じ石鹸で頭を洗っているだけのはずなのにさらさらするのは納得がいかねぇと常々思っていた。虎丸の、やぁっぱり男前は違うんかのうという発言には同意しかねる。自分だってちょいと崩れちゃいるがそれなりに男前だと信じたかったのだ。だが富樫や虎丸の髪の毛はボソボソと油気を欠いているか、べたべたと手に絡むかのどちらかだ。それをくやしく思ったわけでもないが指先に力を入れて頭をかき回すとその地肌は子供のままの体温でぽかぽかとあたたかく、富樫の指のしびれをほぐした。
頭を振っても起きぬ桃に富樫はどっか具合でも悪いんじゃねぇかと心配になる。なっていたのは本当に出会ったばかりのころ。
何度か心配して同級生を呼び集めたりもしたが、結局ただ寝汚いだけだとわかって心配損となる。
だというのに、何度も結局肩をがっくりさせることになるのに富樫はついつい心配してしまう。案外世話焼きの素質があるのかもしれぬ。
「桃よぉ、起きろや。そうだな…ラーメンでも食いに行こうぜ、な、桃」
とうとう頭を自分の膝に引っ張り上げるようにして抱えると、耳に口を近づけるようにして富樫は言った。囁くというには雑な、耳をぐいと引っ張ってそこに声を突っ込むようにして言う。
「あったけぇラーメンじゃ、近所にうめぇ店みつけたんじゃ。…どうだよ」
にこり、と桃のきちんと左右対称になっているくせにからかい勝ちに片方を吊り上げて笑うことの多い唇が微笑んだ。
どれだけ目を守る気なんじゃと聞きたくもなるような睫毛がふさりと持ち上がって、眠気を微塵も感じさせない目が富樫を捉える。
「もちろんお前のオゴリだろ?富樫」
わっと驚いて頭を落としそうになったが、なんとか膝の上で支える頭はズッシリすいかよりなんぼも重たい。詰まってるんだなぁ、富樫のボァッと開いていた唇に指が伸びてくる。叩き落とす。ついでに頭もよいせと転がした。
「んなわけあるか、人に奢れるほどの金があったためしはねぇ」
大声で胸をしっかりと張り自信満々にそう金がないといわれてしまったが、桃とてハナから本気ではない。
フッフフ行こうぜ富樫と今の今まで寝ていたとは思えない機敏さで立ち上がると、富樫の肩を抱くようにしてさっさと歩き出した。
オイお前行き先わかってんのかよう、富樫が言えば。
わからん、案内してくれ、桃も言う。
シゴキに堪える級友への罪悪感より、空きに空いた寒腹へ何かあたたかいものを詰め込みたい欲求のが強まってしまっていた。
案内された店はこぢんまりとしたいかにもラーメン屋という風情で、カウンターに七席、テーブル席が二つきり。店は五十代の夫婦が切り盛りしており、まだ昼飯時には少し早かったと見えて店内には誰もいない。富樫は懐かしいのれんをくぐりぬけて、
「うーっす」
と挨拶をした。店主夫婦は仕込みは終えていたらしく壁に設置した掃除の行き届いていない小さなテレビを見上げている。
「なんね、あんたまたガッコサボったんね?」
「しょうもなか子じゃ」
顔見知りになっていた店主夫婦はあきれたように気安い態度で富樫を迎え、あいているテーブル席を指差した。ここならテレビが見えるだろうとの気遣いをありがたく受け取り、富樫はつるつるすべる床の上で椅子を引いて腰を下ろした。桃もならう。
「桃はチャーシューメンでいいか?俺がギョウザくれぇはおごってやるぜ」
桃はうれしそうにああと答えた。チャーシューメンもギョウザもうれしいが、何より富樫が得意げにココ俺のイキツケって奴よヘッヘヘと得意そうに鼻の下を擦るのが微笑ましくて笑った。
ほどなくして運ばれてきたチャーシューメンのドンブリは抱えるほど大きく、そしてこれもサービスだろうと思えるほどにチャーシューがこれでもかと厚切りのが浮かんでいる。スープからは煮干のつんとするにおいが鼻にきて、桃も富樫もせわしなくワリバシを割った。富樫はコショウをうんとふる。きつくふる。
麺は昔ながらの中太麺、どっさりと煮干でダシを取った、苦いくらいにうまみのあるスープ。あぶらがとろけそうに煮えたチャーシュー。しっかり黒づいた煮卵。
薄味に煮てあるスープと合うメンマをこりこりと食ってはまた麺、スープをすすっては麺をとしゃべる暇もテレビを見上げる暇もなく二人はラーメンに取り組んでいる。
ズルズル、はふはふ、
うん、うまいな。
だろうが。
うん。
うめぇだろ。
うん。
口を開いてしゃべるのがおしい。ちょうどころあいに運ばれてきたギョウザはまだ皿の上でちりちりと油をはじいている。
富樫は皿の端に酢醤油を作るとラー油はいるかと聞いた。桃は口に麺をほおばっていたので首を横に振って答える。
ギョウザにはびっちりと白菜とニラとタマネギがみじんに詰まっていて、じゅうじゅうしたたる汁っけが舌に染みて声が出るほどうまい。腹が減っていた分なおうまい。熱い、熱い熱い。
富樫がまたコショウを足した。
桃がさっと見咎めて、
「味がわからなくならねぇか」
とたずねる。富樫はうん?と聞き返し、それから手にした小さなホワイトペッパーの銀と青の缶に目をやった。
「昔ゃあ入れなかったんだがな。兄ちゃんがよ、ラーメンにはコショウをきかせたほうがうめぇってさ」
桃の返答は富樫に気づかれはしなかったがあるかなしか遅れる。富樫が笑っているのはよかった、だがその笑い方が遠くて桃は箸を下ろす。
何か言うべきかどうか、桃が悩むよりも先に富樫がコショウの缶をたん!と音を立てて置く。
「ギョウザ、俺が後みっつな」
「そうか」
「ああ」
富樫もこの話題を引っ張るつもりはなかったと見えて、すぐに麺をすする。桃もつられて麺をすすった。
「うまいな」
「ああ」
「うまい」
うまいうまいと富樫がコショウのえらく利いたラーメンを食べるのを桃は見ていた。
見とれていたわけではないが、見入っていた。
その隙にスキアリじゃ、ヘッヘヘと富樫が桃のドンブリからチャーシューを一枚さらう。
やりやがったな、
ふふん、
他愛ないやり取りで押し流す。
秋だというのに汗をずいぶんかいて二人は食べ続ける。会話はうまいな、ああ。その程度。
富樫はギョーザの具がキャベツから白菜になっているのに気づく。ああやっぱりもう冬もちけぇんだな、と呆けていたら今度は桃にギョーザをさらわれた。
物思いに耽るヒマなんかねぇよと咎められた気がした。まったくそのとおりである。
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