メガネとあだ名が手当てに化ける

私はベルリン。身長184センチ。
初対面で必ず、「バレー?もしくはバスケ?」って聞かれる。必ず。
あだ名の由来はもちろん有名なアレ、あの壁。
…あんまりだわ。あんまりすぎる。
いいの別に、鬱鬱と倉庫番だけしてたらよかったんだもの。地味で野暮でいいの。
倉庫番でいいの。たまに不倫カップルが紛れ込むけれど、私にかまわず続けてって言わなくたってお構いなし。
ずうずうしいったらない。
毎日ベルリン、仕事だけして、家でシチューを作る。
大なべいっぱいこしらえて、病気がちな母に、神経質な弟に、それから頑固な祖父にふるまう。
それから本を読んで、好きなラジオを聴く。テレビは絵がうるさいからきらい。
ベルリンは壁なんだし、口をきいたりわずらわしいことはしない。
それでいいのか?なんてずいぶん人は人を馬鹿にしたことを言う。
好きな本、好きなラジオ、時々の豆大福。
幸せ。


そんな私ことベルリンは、先日防衛庁長官臨時代理副補佐秘書になりました。
繰り返したずねないで欲しい、私だってまだしっかり覚えきれていないので。
そういえば、役職って骨董に似ている気がする。
所属、特徴、重要度、いろいろ積み上がって色絵亀龍文様皿。所属防衛庁、防衛庁長官、有事の際の臨時、代理、その代理を重要度副で、補佐する。
…結局よくわからなくなったわ。難しいということだけわかったし、それにもう出勤時間。
積み上がった肩書きを見れば、確かに私は出世したんだ。
出世。
ああ、肩書き手当てがついたのね。給与明細を見ると、私には早朝出勤手当てと、メガネ手当てだけだったところに肩書き手当てがついている。
メガネ手当て…何度見ても不思議だわ。コンタクトだともらえないんです。なぜか。
だけど、お給料って振り込まれたらもうそれは単なる金額で、一万円札なんだから別に構わない。
営団地下鉄はいつの間にメトロになった?
都営地下鉄も、営団地下鉄も好き。
私は本を少し読み、それから結構な時間寝ることにしている。
冬の電車で寝るのは、すごくすごく好き。本を読みながらうつらうつらして、それから寝るのがとてもいい。



私の席は窓際です。
夫婦がらくらく暮らせそうな部屋にあるのは、私のデスク。上司のデスク。応接スペース。
税金ってあるところにはあるんだなと思います。一応、節税はしていますけれど場所はせばめようがありません。
一応、部屋には暖房をつけていません。ひざ掛けで十分。どうせ上司は、出た切りの鉄砲玉なんだもの。
鉄砲玉のわりに、たまに戻ってくる。
「なんでこの領収書がおりねぇ。説明しろビン底」
私の上司です。
ビン底は私のあだ名(二番目)です。
「これは業務に関係のないものと判断しました、伝票は無効です」
「ビン底、よっくそのメガネ磨いて見ろ、ほら、『コンサルタント費』ってなってんだろ」
営業がよく使う手ですね。
「店名が、『ピンクダイアモンド』とありますが」
「そーいう名前の店なんだよ、真面目な店だぜ?」
…。
おっと、メガネを上げる。最近螺子が弛んできてしまったみたいで、どうも具合が悪いようね。
うん、今日はメガネ屋さんに寄ろう。
「ビ・ン・底」
「出来かねます」
上司はモヒカンです。
初めてこんなにも近くでモヒカンを見る。最初は目新しくってうれしかったけれどすぐ見飽きた。
倉庫ではダンボールや背表紙ばっかり見ていたから、色鮮やかな黄金のトサカはとてもとても鮮烈でしたが今は昔。
「女の子を縛ってムチでぶったたくお店で何をどうするって言うんですか」
モヒカンの目がわかりやすく見開かれる。
にしても、ぶったたく、だなんて今まで使わない言葉だったんだけれど。
間違いなくこのモヒカン上司の影響です。それも悪いほうの。困った。
「知ってたのかよ、黙ってるなんて趣味が悪いぜ」
「…ん?」
モヒカン上司は私の肩を抱いた。なれなれしいというよりも、掴まれた肩が痛い。
「そういうシュミか、ええ?ビン底」
「違います」
私は即座に応じた。
迷っていていいことなんかない、主張するときには主張するべきだ。
これは上司が教えてくれました。身を持って。
上司は変だけれど、悪人でない。
なにより私、防衛庁長官臨時代理副補佐秘書です。
影慶防衛庁長官臨時代理より、くれぐれも暴走しないように言われています。

…また、決して道理の曲がったことはせぬ男だとも。
社会人ですしね、私。
ベルリンの壁だって、壊されるまでただ突っ立ってるわけにはいかないでしょう。
「調べました。Q国の第四王子が亡命してきていて不穏な動きあり。新宿界隈で同国の人間と接触の疑いも。出没情報、新宿ピンクダイアモンド」
「おう、知ってたのか」
もう少し驚いてくれたっていいんですけど。
一応、上司が担当している仕事を調べた職務への忠実さを。
ああメガネがジャマです。コンタクトに、いや、それじゃメガネ手当てが出ないんでした。ああ。
「それならコンサルタント費ではなく、調査費で落ちます」
メガネ。
フレームの外はぼやぼやしてしまって、ろくろく外も歩けません。
そのぼやぼやの向こうには上司、モヒカンの顔。

「落ちるのか」
「落ちますよ」
声が驚いている。落ちたことに驚いているらしい。
顔はどうせ、見えない。
軽薄なまぶたに、読めない唇があるだけだろうからいいです。
ああ本当に肩が凝る。近視で、つい最近まで倉庫番していましたし、薄暗いところにいすぎました。

「仕事熱心だ」
「ありがとうございます」

私は手早く手金庫からお金を取り出して枚数を数え、清算を済ませる。
私座ったまま、上司立ったまま。社会人としての道理に外れますけれど、まあ、いいでしょう。
影慶防衛庁長官臨時代理も、あまり気遣わなくていいとおっしゃっていたし。
それにしても新しい長官は変わり者です。
新しく引き入れた四人の補佐官、影慶防衛庁長官臨時代理、羅刹防衛庁長官臨時代理補佐、センクウ防衛庁長官臨時代理補佐、
そして、私の上司である卍丸防衛庁長官臨時代理副補佐。すべて本名かもわからない上に風体も異様、役所勤めというよりは裏社会のほうがよほど似合いそうに 見える男達。
その、うちの上司を除く三人は口々に言います。
『面倒がりだ』
『軽薄だ』
『助平だ』
『好色だ』
『それは同じ意味だ』
『迷信嫌いだ』
『好戦的だ』
『荒事も色事も好きだ』
『意外と身持ちは硬い』
『変に真面目だ』

よくわかりました。
よくわからない男だということが、よくわかりました。
そして、お三方、そしてその上におわす我ら防衛庁のトップである大豪院邪鬼さまもこのわけのわからない男が、
好きなのだ。

「ビン底、お前俺のことが好きだろう」
「普通です」
「ガキみたいな返事をするんじゃねぇ」

私を含めてですか。
妙に目の離せないところがあるんですよね、ときたま自分理論で突っ走ってしまうこともあるのですけれど。

「よし、それなら今日からお前も調査に付き合うんだな」
なるほど、これが影慶防衛庁長官臨時代理のおっしゃった、『卍丸理論』ですね。私も少しは慣れたと思ったんですけど、まだまだでした。
「わかりました、それでは…」
私はチェストの二番目を開くと、許可証を一枚ペラリとデスクの出して見せた。
どうでもいいですけれど、ここは禁煙です。
禁煙。
そのうちスプリンクラーでもつけてしまったらいいのに。
水浴びだ。私は傘をさして。
夏場ならともかく今は冬だった。

「防弾チョッキ持ち出し許可証です。印鑑ついたら長官のもとへ持っていってください」
上司は長い指で許可証を摘まみ上げた。面白そうだといわんばかりの目元が気休め程度に上から下まで文面を眺め渡していく。
「準備がいい」
上司はにたにたと笑った。遠足前の子供みたいで、私まで楽しい気分になってきました。毒されている。
「ありがとうございます」
「だが、防弾チョッキ二着はいらん。お前の分だけでいい」
「それはできません」
「そんな重たいものを身に着けて、殺しが出来るか」

…部屋に盗聴器がなくってよかったです。胸を張って言わないでください、もう。

「駄目です。ちゃんと身に着けてください」
「俺はそんなものに守られる男じゃない」
「貴方はまず、官僚なんです」

わかってください。
…わかりたくもないって顔、しないでください。
それを許してしまいそうな自分に少し驚きです。この上司、もしかして人を子供にしてしまう力でもあるのでしょうか。
ベルリンは堅固なのが、大きくて堅固なのだけがとりえなのに困ります。

ため息。私はため息をついて、机からもう一枚許可証を取り出した。

「…お願いします」
「『銃携帯許可証』…俺はだから銃は」
「私が使うんです。護身用に」


バン、と背中をたたかれた。痛い!痛い!
コンタクトレンズだったら、きっと眼球が飛び出します!痛い!!
ベルリンでよかったですよ、本当に!

「使えるのか」
「…そこそこには」
この顔、近づいてきた顔。
面白がっている顔だ。だいたいこの上司、いつだって何か物騒なことを見つけてはわくわくと近づく癖があるんです。
私は今見つけられたオモチャというところでしょうか。
「走る犬を撃てるか」
「かわいそうですが、必要とあらばやります」
「人を撃ったことは?」
「あるわけないです」
「そうか、じゃあ記念日だと思って遠慮なくやってやれ」
「……護身用です」
「力を抜かんと、一撃で殺せない。気楽に殺せ」
「……威嚇用です」
「よし、身支度したらすぐに行くぞ」

人の話は基本的に聞かない人ですよ上司という人間は。
はいと答えて、立ち上がる。
どこから伸びてきたのか、目がとらえるよりも素早くクリアな視界の枠を取り上げられて私は混乱。
ああ、メガネ!
メガネ!!

上司はおそらく、私のメガネをかけてみて遊んでいるのでしょう。返してください。
「返してください」
「こんなものつけてたら、自由に動けんだろう」
「日常生活には十分です」
「フン」


くしゃり、と目の前の手のひらで、私のメガネはいともたやすく握りつぶされた。
今時のメガネはプラスチックレンズだから、そう簡単には砕けないと思ったのに。尋常でない力でレンズも砕け散った。

「非日常へようこそだ、ビン底」

もうビン底じゃなくなったな、と悪魔の上司はさっさと日常の皮を脱ぎ捨てている。見えなくたって、それくらいはわかります。

「なんだ平凡だな」

失礼な事を言う上司。顔のことをいっているのですよね、……わからいでか。
買ったまま一度も使っていなかったコンタクトレンズを引き出しから手探りで取り出す。


その日から、私はメガネ手当てを失って、残業手当をもらうことになった。
危険手当がつくのも時間の問題のように思えます。
私は申請書に、今日の日付を書いた。
モ クジ
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