弟分に真紅のマント

なにも眠るときにまで、マントにプロテクター装着というわけでもない。
いかな大豪院邪鬼とて、一人の健全な成年男子である。
なにも眠るときにまで、マントにプロテクター装着というわけでもない。
といって、パジャマというわけでもない。
邪鬼本人は別段、それで文句があるわけではない。パジャマでも構わない、それで損なわれるようなヤワな覇気は身にまとっていない。
先日独眼鉄が着ていた、薄いブルーの猫柄パジャマなぞ中々に良かった。だからおい、と声をかけてみたのだった。
すると独眼鉄は転げるようにして頭を下げると申し訳ありませんと叫んで逃げてしまった。恥ずかしかったのでない、咎められると思ったのだろう。
邪鬼は己の、どうしようもなく威圧感のある顔を悔やんだが、それも仕方が無いことだと割り切ることにする。
邪鬼にパジャマは無い。
ということで、邪鬼は何も身に着けずに眠ることにした。
何も身に着けないということは、言うまでもなく全裸である。
全裸、潔い響きである。
そして、邪鬼という男に全裸は良く似合った。
たるんだ、中年男の全裸なぞ頼まれたとしても見たくはない、が、

大豪院邪鬼である。
それだけで十分、金を払ってでも見る価値があるともいえる。
白いシーツに肉付きのいい女の何人かでもはべらせておけばそれこそ絵になると言えた。
邪鬼本人は、腹が冷えぬようと気遣いながらの就寝。

マントは邪鬼以外の塾生が寝ること叶わぬ立派なキングサイズのベッドの下にくしゃくしゃと丸めて落とし、大往生の様で手足を伸びやかにくつろげて眠った。
異変は、翌朝に起こった。


さんさん、というのは、SUNSUNと、という意味だったろうか。
どちらにせよ、燦燦陽光が窓から降り注いでいる部屋で邪鬼は目覚め、もう五分はそれを見下ろしている。
愛用のマントがひとりでに動いていたのである。
邪鬼は肘をベッドについて頭を支えると、興味深げにそれを見やった。元々人一倍好奇心は強い男である。だが、あまりソワソワしていては、邪鬼らしくはあるまいと自重するようにしている。影慶や卍丸などはそれを察して、最近では先にあれはああいうものですよと言ってくれることが増えた。
真紅のマントがも床の上でぞりもぞりと動いている。
いかにも何か入っている、刺客か、いやそんなはずはない、マントの中身からは殺気も怒気も毒気も溢れてはこない。
何が入っているのだ、邪鬼はベッドに寝転んだまま、上半身を乗り出した。腕を伸ばして、マントに触れる。
そろりそろりと、菊のつぼみを触る時のように優しく、持ち上げる。

マントが五割方引き上げられたところで、ころりと何物かが転がり落ちた。
毛糸球?
邪鬼の瞳は一瞬、一号生の飛燕が紙袋に入れて持ち歩く毛糸球かと見間違えた。
が、すぐにそれが間違いであることに気づく。
毛糸球は丸から手足を生やし、みゃうと一声鳴いた。

猫、

邪鬼は硬直した。太く厳しい眉がぴくりと動く。みゃう。猫はまた鳴いた。
ぬう、生きておる、邪鬼ははばかるように辺りを見渡した。誰も居ない。
誰も居ない、誰も見ていないので、何気なく邪鬼は人差し指をその猫の前に差し出した。
大口を開けて、力いっぱいかぷりと噛み付かれる。痛みを感じはしたが、振り払う程度でもない。そのまま噛み付かせながらもむむ、と緩みかけた唇が引き結ばれた。
このちいさな、ふわふわの毛むくじゃらとて必死に生きている。今自分がした行動は、それに対する行動として恥ずかしくないものであったか。
いや、微小ではあったが、このちっぽけな生き物をあなどる気持ちが無いわけではなかった。

すまん。邪鬼は口に出さずに詫びた。許せ毛むくじゃらよ。小さきけものよ、おまえもまた、誇り高い獣であった。
猫の、茶色の丸い眼をしっかりと逸らさずに見つめているうちに、猫の牙にかかる力が弱まった。そっと指を引く、爪を立ててかじりついていた猫は力なく床に丸まった。指を見れば、邪鬼の手の平にすっぽり包まれてしまいそうなほど小さな猫は自らをその爪と牙でもって刻み付けていた。
その、邪鬼の皮膚を突き破った牙はといえばなんとも小さな乳白色のあどけないもので、邪鬼は胸を打たれた。

今度は手の平ごと伸ばして、猫を捕まえてみる。
いざ捕まえようと、猫の頭の上に手の平をかざしたところで止まった。
どこをつまめばよいのだ、邪鬼はむうと唸る。
ふわふわした毛むくじゃらは丸くなっていて、それごと掴めばいいのだろうか、それとも手足を持って持ち上げればいいのか、それとも、いかにも引っ張れというような、短い折れた尻尾を掴めばいいのか。
いくつもの選択肢の中から、邪鬼は即座に首根っこを選び取った。或る意味では正解である。
首根っこを人差し指と親指でちょいとつまみ上げて、軽々と目の前のベッドのシーツの上に下ろす。
床と違って柔らかいシーツの上でバランスが取れず、猫はころんと転がった。猫が寝転ぶから猫だというのは、あながち間違いではないやもしれぬ。邪鬼は心を弾ませた。

猫をこんなに間近で見たのは初めなので、これがかわいい猫なのかどうかはとんと判別しかねる。
目は大きくつぶらだが、あまり良い生活をしていないためか目やにが目尻に固まっていて汚らしい。まだらの銀毛の毛並みもどこかべたべたとしていて、生臭い。
呼吸をするたびにあばらが見えるほど腹が波打つ。尻尾はカギ状に折れ曲がっていた、邪鬼にはそれが名誉の負傷なのではないかと想像をめぐらす。
みゃう、と猫はまた、鳴いた。
ほんの子猫である。
母親が恋しかろう、邪鬼は指をさしだしてその狭い、まさに猫の額をぴんとはじいた。勢いが付きすぎていたのか、それとも猫がひ弱だったのか、猫は後ろへ転げて、短い手足をばたつかせた。にゃう、にゃ、にゃー。
邪鬼の顔がほころんだ。
戦士とはいえ、まだ乳臭い。さぞ母親が恋しかろう。
邪鬼自身は母親を覚えてはいないが、この毛むくじゃらもきっと母親からなんらかの理由で離れてしまったのだろう。
咎めるように猫は起き上がって、みゃ、みゃ、と短く繰り返し鳴いた。フゥッ、と毛を逆立てる。
みゃあ、と一声、取り上げられたマントに向かって突進し、爪を立てて強大な邪鬼相手に奪い取ろうと対峙する。
いたいけな子猫はされどしたたかに、邪鬼のマントを領地として要求した。
なるほど小さき獣、貴様は飯でも愛玩でもなく、ただ居場所を求めるのか。
それは邪鬼の考えに気に入った。よかろう、くれてやる。邪鬼の頬と、普段皺が刻まれた眉間がやわらいだ。彼なりの微笑みである。
だがその前に、と邪鬼はいつも通りのいかつい顔に戻ると猫の首根っこをふん捕まえた。みゃあああ、と猫が暴れる。
無視して邪鬼は猫をぶら下げたままベッドから起き上がった。
窓の外はよく晴れている。燦燦と、晴れている。

邪鬼は信頼する男の名前を呼びながら廊下へ出る。
この、この大豪院邪鬼から領地を奪い取った勇敢なる戦士にはまず風呂と、栄養ある食事が必要だろうと思ってのことである。
影慶、影慶、
三度呼ぶまでもない、まさに影のように影慶が滑り出てきた。
「影慶、これに飯を。それから洗ってやれ」
邪鬼はいつも通り尊大に影慶へ言い、猫を差し出した。猫は観念したのかにゃんともかんとも鳴かない。
影慶は突然猫が出てきたことに驚きはした、薄暗がりの瞼がひとつ、ふたつ、瞬きをする。
まったくよく出来た男である、影慶はそっと猫を包帯の両手の手の平で椀を作って受け取るとはい邪鬼様、と静かに答えた。
あんまりいつも通り影慶が答えるので、つい邪鬼は尋ねてみる。
「マントをくれてやろうと思う」
「そうですか」
「うむ」
影慶はちらりと猫を見た。影慶の手の中で、大人しく猫を被っている。
メスだな、と一瞥し何気なく確認したうえで影慶は問うた。
「名前はあるのですか」
困った。
邪鬼は困った。うむ、むう。困ってしまった。顔はいつもとなんら変わりはしないが、さてどうしたものかと腕組みをする。
名前というのは大切である。その人をあらわす唯一無二の記号である。そう考えると邪な鬼という自分の名前はどうなのだという根源的な思想の問題にたどり着いてしまうのでフタをして、猫の名前を考えた。
猫といえばタマ、ミケ、フク。
俺が戦士にふさわしい名前にしてやらねばなるまい、こう考えると名付け親というのはまさにゴッドファーザーであることだ。うむ。


「玉鬼という」
たまき。
影慶は瞼を伏せた。はい、と答えて背を向ける。玉鬼が邪鬼に別れを告げるようにみゃんと鳴いた。
うむ。邪鬼は胸を張る、どこぞより風が一筋、邪鬼の髪の毛をなびかせて去った。
うむ。

「邪鬼様、」
影慶が一度、振り向いた。
「うむ」
「次にいらっしゃる時には、下着位はおつけ下さい」
「!!」
あなどれん男よ、邪鬼はさすがに部屋へと急ぎ戻った。










大豪院邪鬼のマントを住処にした、大豪院玉鬼。彼女は邪鬼直々にメスであるにもかかわらず弟分であると明言され、毎日を元気盛りに塾内を走り回って過ごすことになった。
余談だが、彼女は普段本名でなく、タマ、と呼ばれている。
更に余談であるが、世話は独眼鉄が率先して行っている。タマは大変に彼によくなついた。
モクジ
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