冬本番間近

十一月になったので、松尾は空き瓶を集め始めた。教官の部屋のあたりを探し回ればたやすくいくつもの酒瓶が見つかる。
だが、蓋がついていてヒビのない一升瓶ともなると中々見つからない、松尾は教官の留守の部屋の中でうろちょろしながら酒瓶を探した。
「田沢の奴、ちゃあんと見つけておるかのう」
自分と同じく空き瓶探しをしている盟友、田沢のことを案じながら酒の匂いがぷんぷんする空き瓶を小脇に抱えた。と、
「おっ、ここにもあったあった」
教官が普段寝ているらしい、湿気と雑菌と男くささがしみ込んだ薄っぺらな布団の横にまだ一本転がっている。見れば蓋もしっかりついていた。
手を伸ばすとずっしりと重たい、中身が入っている。酒好きの松尾はじゅるりとよだれを垂らす、もちろんそれもしっかり回収した。
イシシシ、ウヒヒヒと笑みがこみ上げてくる。この刑務所のような男塾の中の暮らしで、貧乏からっけつの教官共が飲む安酒とはいえ貴重品であった。
もみ手をせんばかりにして大事に大事に抱き上げたところ、急に後ろの温度がひやりと冷えた。

なぁんか、悪い予感がするのぅ。
「松尾〜一号生〜」
「お、お、オーッス!松尾一号生でありまーッす!」
後ろで、猫を撫でくりまわすようなうすっ気味の悪い声。松尾は背中を向けたまま直立不動し、オーッス!と返事をした。嫌な汗がだくだくと丸い顔に浮かんで流れる。
背後で響くぺし、ぺし、ぺし、響く乾いた音はおそらく、鬼ヒゲが手のひらで愛用の竹刀をもてあそぶ音。ますます松尾は顔を青くさせ、振り向くことができなくなってしまう。
「松尾一号生、キサマここでなぁ〜にをしとるんだ?ン?感心にもワシの部屋の掃除かぁ〜、エライのう〜ええ〜?」
「おおおおーッッス!ま、松尾一号生!教官殿の部屋を掃除しとるでありまーっす!!」
ついつい言われるがまま、爪先立って松尾は叫んだ。
「アホかわりゃあーッ!」
「ぎゃああッ!!」
叫んだ、と同時に鬼ヒゲの竹刀が松尾の後頭部に叩き込まれ、もんどり打って抱えた空き瓶をばら撒きながらその場に転げる。
転げた体を支えようとし、鬼ヒゲの形相を見てしまう。きっとおそろしい顔しとるに違いないのうと予想はしていたのだが。
もちろんその予感は的中し、松尾はまさに鬼となった鬼ヒゲに竹刀で酷くしばかれ、犬をけしかけられつかまった挙句最後にはメシ抜きを言いつけられた。
頬が膨れ腫上がって、タコヤキのような顔になりながらも松尾はなんとか空き瓶を確保して死地から脱出することに成功して、よたよたと廊下を歩く。
「松尾、その顔をどうした」
「J」
廊下をよたよた歩くうち、一番最初に出会ったのはJだった。トレーニングに出かけるところだったらしく、テーピングも手にほどこしていない。誰かに殴られたと一目でわかる松尾の様子にJはわかりづらい表情ながらも驚き、すばやく近寄ると腕を伸ばして肩を支えてやる。ちょうど竹刀が当たったところに手が触れて、ウッと松尾は声を上げると腕に抱えていた空き瓶を板張りの廊下にガラガラと落とした。
「すまん」
傷に触れたか、とJは迷った末に支えていた手を離した。代わりにとさっきまで大事そうに抱えていた空き瓶を腰をかがめて拾ってやる。自分にとってこの空き瓶がどういう意味を持つのかはわからなかったが、松尾が大事そうにしていたからJは拾ってやる。そういう自分の行動に理由をあまり必要としないいい男であった。
「あ、あいちち…すまんのうJ」
「いや。…これは?」
松尾はぼこぼこに、赤に紫に腫れた顔で少し笑ったようだった。
「おう、いちちッ、Jがおったアメリカよりゃ、だいぶこっちゃあ寒かろうと思ってのう」
ウン?Jにはいまいち松尾の言いたいことがつかめず首を傾げた。日本語の意味ではなく、松尾の意図がわからぬ。だがともかく田沢が待っておるからと言って足元がまだ整いもしないのに歩き出そうとするので、Jはトレーニングのことはいったん忘れて空き瓶を持ってついていってやることにした。

十一月になったので、木造校舎に吹き込む隙間風もようやく寒くなってきている。
あとしばらくもすれば、布団が恋しくてたまらなくなるだろう。





松尾はJに助けられながら一号生達のたまり場になりつつある食堂横の畳部屋、通称談話室に戻ってきた。談話室というには貧相な六畳間に一号生達が何人もたむろしている。その中に松尾の探す田沢と、それからなじみの仲間達もいた。
松尾は殴られた顔を上げるとことさらに明るい声を出す。せっかくの凱旋なのだから、余計な心配をかけるよりは名誉の負傷ということにしておきたかった。Jも松尾の気持ちがわかったので平然とようと声を上げることにする。
「よーう、田沢よ、そっちゃあどうじゃ、うまくいったか」
「あったりまえじゃ、そっちこそ酷いやられようじゃねぇか。こっちゃあもうちっとで終わるんでそこでまっとれ」
にかっと元気よく笑って答えた田沢が取り組んでいるのは畳の上に広げた新聞紙に裏っ返したちゃぶ台である。工具らしい工具とも呼べぬがドライバーやら針金やらクズ鉄やらがその周りに転がっていた。
ちゃぶ台の台の裏側にはなにやら大型の弁当ほどの箱がくっついている。一号生たちはそれが何であるかをよく知っているが、Jにはわからなかった。
「こたつっちゅうんじゃ」
顔にはそんなに出ていなかったとJ自身も思っていたのに、Jの鉄面皮の奥までらくらくと見透かしたかのように松尾は説明した。
コタツ、Jが言われたままに松尾の発音を真似てみる。どこかやはり違和感があった。それを聞いていた虎丸、
「なんじゃぁ、Jはこたつ知らねぇのかぁ?」
と驚きとからかいを半々に言ってきた。たちまちとなりの富樫にたしなめられる。
「ったりめぇじゃねぇか馬鹿虎ァ、Jはアメリカ人じゃろが」
「ア、ほーじゃったかのー」
その場にいた皆がどっと笑った。Jも少し表情を和らげる。虎丸の言い方は本気で自分がアメリカ人だったことを忘れていたようでおかしくもあったし、富樫が気遣ってくれたことも嬉しかった。それだけ自分はこの男塾に馴染んできたということか、そう思えば表情も和らぐ。
「じゃあ田沢ァ、直ったらJがイチバンでいいじゃろ。ナ、」
「おう、後ちっとじゃ」
必死になにやらその箱をいじっている田沢に虎丸は肘打ちしながら頼む。田沢は真剣そのもので手を動かしながらも快く請け負った。
Jがみたところ、コタツとテーブルの違いはどうもあの箱にあるらしい。田沢が直すということはあれが機械だろうということが予想される。
「こたつってのは日本の伝統的な暖房でな、あの箱の中で赤外線を起こして、その熱で脚をあっためるのさ。昨日田沢がゴミ捨て場から拾ってきたらしい」
「フゥン…?」
やってきた桃が説明をしてくれたが、どうもいまいちわからぬ。桃は嬉しそうである。
「ま、あれがあれば気持ちよく昼寝が出来るってものさ。楽しみだな」
なるほど、何かとても気持ちのいいものだろうということだけはJにもわかった。テーピングをポケットに突っ込んだまま、Jも胸をわくわくさせて田沢の奮闘を見守り続ける。


しばらくして、田沢が汗をふきふき振り向いた。知恵熱のためか顔が真っ赤である。
「おうし、出来たぞ!!」
遠巻きに眺めていた一号生たちがわーっと寄ってきた。狭い六畳間はたちまち満員、松尾が押すな押すなと入場制限を必死にかけている。
「おう誰か、布団持ってこいや!」
「おう!」
田沢の号令に秀麻呂が小柄な体を躍らせると素早く部屋から飛び出していった。虎丸は穴あきの籐カゴに見るからにすっぱそうなミカンを、富樫はちょうどちゃぶ台の天板と同じくらいの大きさの正方形の板に布を張ったものをそれぞれニヤニヤしながら準備している。
ほどなくして秀麻呂が厚めの布団をかぶるようにしながら戻ってきた。
田沢はその布団を正常の向きに直したちゃぶ台の上にかぶせた。注意深くきっちり覆って、隙間ができぬように気をくばっている。
布団をかぶせたその上に、富樫が用意していた台を載せて、田沢は胸を張って挨拶をした。
「レデース、エン、ジェントルメン!男塾一号生の頭脳、不肖田沢の作品、ただいま完成いたしました!!」
田沢の気取った一礼に集まっていた一号生たちから惜しみない拍手や口笛、賞賛の声が寄せられる。満足そうにそれを聞いてから、
「さ、J。ここに座って、布団の下に脚を突っ込んでみるんじゃ」
とJを手招いた。Jはああと答え、座るとおそるおそる布団をめくり上げて足を突っ込んだ。小柄なちゃぶ台には収まりきらない長い脚が横断しきってしまって向こう側の布団の裾からはみ出した。
律儀に靴下を履いた足がちょこんと顔を出しているのを見つけた桃は引っ込めるように言う。
「そう、もう少し下がって…その位か」
なかなかコタツというのは流儀があるものらしいとJは感心してため息を漏らした。日本の文化という奴か、と思っているところに虎丸がにやにやしながら目の前にミカンの入ったカゴを置く。
この場にいる一号生達の目がほぼ全てに注がれていることがむずがゆい、Jは尻のあたりがもぞもぞとするのを感じて普段見下ろしている田沢を仰いだ。
「よし、それじゃあ点けるぞ!」
田沢は手にしていたスイッチらしきものをオンにした。スイッチのコードはコタツに伸び、コタツからコンセントへ別コードが伸びている。
何が始まるのか、ただ一人わかっていないJはじっと、拳に力を入れて待った。

と、つま先のあたりがしゅんしゅんと暖かくなってきた。暖冬だといっても十一月の曇り空の下で冷えていたつま先があたたかくなり、あたためられた血液が血管を広げてしびれるような感覚が広がる。ズボンに包まれた膝の辺りがかぁっとあつくなってきて、Jは思わずおうと声を上げた。
「どうじゃあJ、あったかかろう」
得意満面の田沢、Jはうなずくばかり。そして布団をそっとめくり上げてみた。
中は真っ赤な光りで満ちていて、真ん中の箱からもれている。真ん中の箱がかんかんと熱くなっているのだった。膝を立て気味にしていたため膝が熱くなってしまったわけと、布団をかぶせたわけが一度にわかった。なるほど、これはあたたかだとJはうなるばかり。
「そりゃあっ!突入じゃあ!!」
辺が四つしかない四角のこたつ、Jの反対側に虎丸が飛び込んできた。ぐいと伸ばしてきた脚がJの脚にぶつかり、思わずJは脚を引っ込めかける。
「俺が左っかわに脚寄せるからよ、Jも脚を伸ばせや」
言われて脚を伸ばしてみる、今度はうまい具合にぶつかりはしなかった。と、Jの左側の辺には既に桃が脚を突っ込んでおり、手枕ですやすやと気持ちよさそうに眠っている。早業である、全く気づきもしなかった。
桃はつま先だけがあたたかくなるように脚を突っ込んでいるだけなので隙間が大きくあいている、そこへ富樫が無遠慮に滑り込む。反対側にはようやく田沢。無理やりに松尾も田沢の隣に体を小さくして詰め込んできた。
むさくるしい男達がこぞって脚を突っ込んだため、早くもこたつの中は脚でみっちり隙間なし。虎丸なぞさっさとミカンの皮をむきはじめていた。
「さて、じゃあ、やるか!」
富樫は何事か企んでいるのがバレバレの笑顔をぶら下げて木箱を取り出した。虎丸がすかさず板をひっくり返し、布張りの面をオモテにする。そこへ木箱の中身、麻雀パイがじゃらじゃらと投げ出されていく。
Jが目を丸くしていると、虎丸がウヒヒヒと珍妙な声を上げてもみ手する。
「俺ゃあ手加減できねぇからよう、イッシシ、稼がせてもらうぜ?」
「ヘッヘヘ、今日は久しぶりにフトコロあったかくなりそうじゃ」
負けじと富樫も欲ボケ丸出しの顔で、Jを見た。


やられた。Jは人知れず冷や汗をかく。おそらくこの金欠連合は団結して自分から金を巻き上げるつもりだろう、自分がルールをまだよく知らないのを知っていて。この面子で仲良く賭け無しでということはまずない、絶対的に不利である。だが、この勝負から逃げるのは自分としても嫌だし、なによりこのコタツから出たくない。


Jは腹を決めた。覚悟を決めた。ハナから自分をナメきって良いカモだと踏んでいる二人を睨む。
「俺は逃げも隠れもせん。……かかってこい」
言われたとおりに富樫と虎丸は嬉々として賭け麻雀の用意を始めた。頼むぞ田沢、任せろ松尾、そんな松尾田沢ペアだけがJの気持ちを慰める。

気合だけでは勝てないのが麻雀である。
あっという間にJは負けがかさんだ。逆に虎丸と富樫は勝ちを譲り合いながら儲けを重ねている。
このままでは新しいナックルを買うどころか、テーピングも買うことができなくなるな、Jはなんとしても取り返さなければならないと奥歯をかみ締める。
「ようJ、ここらでやめとくかよう」
「おうじゃ、これ以上やったらすっからかんになっちまうぞ」
二人の心配している言葉にウソはない、だが、Jがもう少し自分達に付き合ってくれて負けてくれるのも嬉しい、そちらも紛れもなく真実だ。
ぐうっ、とJが拳を握る。その拳にすらりしなやかな手が上から現れて重ねられた。
特徴的なナマズ髭、むっつり結ばれているが一度開けば雄弁な口元、薄く化粧のほどこされた目、額に輝く大往生。
Jの親友で戦友、雷電が立っていた。
「おぬしら、ずいぶんとやりたい放題にやっているようだが…そろそろ過ぎるというものであろう」
雷電は富樫と虎丸を睨んだ。二人は顔を見合わせてから、首をすくめた。田沢と松尾ははらはらと見守っている。
「雷電」
Jは雷電を見上げた。頼もしく、そして自分と同じく笑うことが不得手なその顔が自分に向けられる。少し笑ったように思えた。
「拙者、Jに助太刀いたす。……貴殿らの大往生間違いなし」
するりとJの隣に雷電が滑り込む。横顔がなんと凛凛しいことか。
有限実行の男、雷電は言った通りにたったの数局で富樫と虎丸をあっというまにフンドシ一丁にひん剥いて見せ、Jを驚かせた。








コタツから出るとさっきまでのぬくもりが早速恋しい。就寝時間になり自分が入るのがあの冷たい布団だと思うと、昨日まで平気だったあの冷たさが憂鬱に思えて仕方が無くなる。Jは雷電と山分けにした儲けを財布にしまい、部屋に戻った。
気づかぬうちに雨が降っていたのが夜の窓より見えた、自分が戻ってくるまでは無人だった部屋に息は白く曇る。やはりもうそろそろ冬なのだとJは感じ取る。
学ランを脱ぎ、寝巻きに着替えるとすっかりつま先が冷え切ってしまっていた。仕方なく布団に脚を突っ込む。
「ム…?」
驚いたことに布団の、ちょうどつま先がくるあたりだけがほんのりと温かい。誰かが寝ていたわけではないだろうが、温かい。
Jは驚いて布団をめくる、と、手ぬぐいに包まれた一塊があった。引き寄せて手ぬぐいを解いてみる。
一升瓶、酒瓶だった。
松尾の集めていた、蓋付の空き瓶に風呂の残り湯をつめてある。そういえば松尾は麻雀の最中中座してどこかへ行っていたのを思い出した。


『アメリカっちゅうのは、日本よりゃあったかいんじゃろうなぁ』
アメリカと言っても色々あるのだが、松尾は知らないらしくそんなことを言っていた。
thanx.
Jは一人つぶやく、相手はいない。が、言いたくて言った。
雷電も、松尾も、田沢も、富樫虎丸も、桃も、
感謝をする。
「あたたかだ」

つま先をあたためての眠りは、Jに内容は残さなかったがいい夢見をもたらした。

翌日、寝相が悪くうっかり就寝中に空き瓶を割ってしまったらしい虎丸は同室の伊達に寝小便かと笑われる羽目になる。
冬も本番間近であった。
モクジ
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