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いたいけなケガ人
富樫が死んだ。
桃は真剣に悲しみ、そしてそれを否定した。
火曜日の夜のことだった。
富樫が死んだ。
桃は本気で怒り、そしてそれを拒絶した。
水曜日の宵の口である。
富樫が死んだ。
桃は焦がれ狂い、そしてそれを遮断した。
木曜日昼下がり。
富樫が死んだ。
桃は目を閉じて、そしてそれを忘却した。
金曜日早朝。
富樫が死んだ。
桃は涙を見せず、そしてそれを一笑した。
土曜日の深夜、月の無い夜。
富樫が生き返った。
桃はだろうなと答えて、そしてそれをすんなり受け入れた。
当然だ。桃は頷く。遅かったなといってやりたい気分だった。
富樫、富樫、富樫。桃は歌うように呟いた。
日曜日、燦燦りんらん太陽の眩しいちょうど秋口お昼時。
桃は車も呼びつけず、タクシーを止めもせず病院までの道のりを歩いていた。まっすぐに大股で、しかし人とぶつかることはなく泳ぐように進む。見舞い先の富樫の状態はと言えば、電話での話によれば生きているのがやっとの大怪我だという。が、それはそれで聞き飽きている。特に足を速めることもなく病院へ向かっていた。
富樫を思う。
歩調に合わせて思い出すがまま、リズムも順番もめちゃくちゃに富樫を思う。
年甲斐もなくむちゃくちゃをやったと聞く。それも点火した次の瞬間燃え上がって兄貴の学帽スーツの懐から出してチャッとかぶってアクセル前回ドスを片手にヒァウィゴー、乗り込んでドス振り回して大立ち回りだったそうだ。
相手は子供だった。ハンターと自らを名乗って老人を何人も襲い殴る蹴るの暴行を加えた上、額に『Filth(汚物)』とナイフで彫りこんだ、頭の悪い子供たちだった。
子供といってもただ法律上子供だというだけで、18歳にもなる立派な体格の青年たち。
頭はからっぽ、彼らは恵まれた体格でもって、まず他人を虐げることを選んだ。
起こりは富樫はいつもの店でタバコを注文したところである。なじみの、白髪頭のバアサンが一人で店を守っていた。このバアサン世話焼きで、富樫がタバコを買いにくるたび嫁はまだかいと繰り返し尋ねる。うるせぇなあと富樫。そんなやり取りを交わす、他人以上家族未満の付き合いである。
この日も富樫はタバコを買いに店を訪れていた。
おうセッタ一箱くれやバアサン。そういつものぶっきらぼうさで注文をする。店は奇妙に薄暗い。
富樫の注文にバアサンがくるりと振り向いた瞬間富樫はどうしたんだと叫んだ、ふっくりとした頬は腫れ上がり、目には眼帯、手には包帯、額には痛々しいガーゼ。
堰を切ったようにバアサンは泣いた。しなびた頬に幾筋もの涙、さめざめと泣く。
富樫の目の前でガーゼを外し、醜い傷跡を晒した。
アタシが何したって言うんだよゥ。
それだけで富樫は学帽を取り出した。手には長ドス、胸に男気。男塾特攻隊長富樫源次たちまちにどうどうと湧き起こり、睨み据え。
出立はその夜である。
出陣、出撃、突入、撃滅。
富樫は元々男塾塾生の戦力というよりは胆力の担い手である。どうしても個人としての戦力は伊達や桃と比べると見劣りがするが、それでも親の金で育ち親の羽の下で大声を上げていきがる子供など敵ではない。まさに掃滅であった。もちろん無傷というわけではない、満身創痍である。
殴られるまで蹴られるまで痛みを知らない子供たちは恥も外聞もなしに泣いて言い訳を始めた。雁首そろえてごめんなさいごめんなさいもうしませんと泣きじゃくる。
彼らは口々にこう言った。
子供だから、
子供だから、
そんな免罪符富樫は知らぬ。卒業をしても富樫は富樫のまま、富樫たる思考のままに殴った。
悪いことは悪い。そして、悪いことだと知っておいて狼藉の限りを尽くしておいて子供だからだと甘ったれる、それを認めることができるほど富樫は甘くは無い。
その場全員の額に『バカ』とドスでもって彫り込み、そこに準備していた墨汁を流し込んだ。漢字すらもったいない。カタカナで十分だと富樫は血反吐ごと唾を吐いた。例え傷がふさがろうが、文字は消えぬようにと。
富樫らしくもなく、容赦のないやり方だった。
だが『富樫らしく』に基づく教えは胸に律とあり、それに従ったまでである。
兄は胸に、教えは胸に。
『源次、いいか。強い男、本当の男っていうのは自分より弱いモンは守ってやるモンだ』
単純な教え。しかし富樫の胸にそれはいつまでもある。
男塾時代、周りの男たちは皆それを実践する真の男たちばかりであった。
男と名乗るからには、そうあるべきだと。
しかし子供はそれでも子供だった。富樫が思う以上に子供だった。
素人が浅知恵で暴力団に富樫殺害を依頼したのである。勿論嘘八百を並べ立て、自分の父親は政治家だ金持ちだ、いくらでも払うと言って暴力団を焚き付けたのであった。子供たちはヤクザをだましてやったと得意満面に仲間に自慢し、町中を俺は人をぶっ殺してやったと練り歩く。
富樫はそれから数日経って夜道に襲われその場で腹を刺され、そのまま車に詰め込まれると人気のない廃屋へ拉致され、そこで殴る蹴る以上の暴行を受け続けた。暴行というより拷問である。
執拗な暴力は人の心を折る、だが富樫は折れなかった。折れない心に拳をぶつけ続けられる人間は少ない、富樫は決して下を向かず、痛ェと文句を言いはしたが、決して折れはしなかった。
何日かそうするうち、愚かな子供たちが自分たちをだましたと知って暴力団は引き上げて行った。
富樫は血溜まりの中で畜生と呟く。痛みにでも怒りにでもなく、子供たちがこれからどうなるかを思って呟く。
本職、日の当たらないところを歩く人間をからかったりしたら報復されることすら考えていなかった、彼らの恐ろしいまでの無知が歯がゆかった。
そして捜索願が出されて三日、自宅前の血痕、少年達が「あいつはぶっ殺してやった」との吹聴から死亡が確定したのだった。
心臓停止、内臓損傷、出血過多、全身複雑骨折。担ぎ込まれた病院で医師は頭を抱えて叫んだ「何故生きてるんだ!!」
今に至る。
富樫は一日の半分以上を眠っている。
誰の悪ふざけか知らないが、病室で眠る富樫の顔の上には白い布がかぶせてあった。桃は怒りに瞳を一瞬灼いてその布を花束でさっと取り払う。縁起でもねぇと憤慨して、その布を床に捨てた。らしくもなく靴底で踏みにじる。
桃はダンビラ代わりに花束を担いでいた。富樫が名前を知っている花はおそらく薔薇くらいのものだろう色鮮やかな花束を容赦なくその安らいだ顔面にびしゃんと叩きつける。花びらがシーツや床に無残に散った。呼吸器はしていなかったことに安心はしたが、顔は二倍近くに膨れ上がって変色している。タバコを押し付けたらしいヤケド跡も見えた。
「いつまで馬鹿やってるんだこの馬鹿」
桃は毒づいた。めったにこういう悪感情をむき出しにすることはない男が頭皮から髪の毛が立ち上るほど怒っている。
「いてぇよ」
聞いたこともないようなしわがれ声だった。口内も手ひどく切れて腫れているのだろう聞き取りづらい声で、富樫は答えた。
「馬鹿野郎」
桃は泣かない。泣いたら信じていたもの全てを手放してしまいそうだったからである。泣かないかわりに怒りをその身にまとわりつかせて立ち昇らせた。
ヘッ、富樫は顔をゆがめる。どうやら笑ったようであった。
「……そうだな」
珍しく富樫は自嘲の言葉を口にした。悔いている。目が肉に埋もれてしまっているので視線は桃へと届かなかった。それどころか視点は合わずにさまよって、それから瞼は閉じられる。桃は近づくと肩を掴んだ。驚くほど力が入っていて、富樫の肩の傷にも構わず丸みを潰す勢いに握る。富樫は呻きもしなかった。このまま逃がしてなるものかと桃は揺さ振る。富樫の瞼が半分ほど持ち上がった。
「俺に黙って行こうなんざ、許さないって前に言ったろ」
桃は言った。
あれは晴れた空に富樫が飛び立った日のことである。桃は若さと力と怒りに任せて無理矢理に縫い付け、脅しとも取れる言葉を吐いた。
富樫はそれを聞いてはいない、それをわかっていても桃は言った。
「……」
富樫は横を向いた。何気なく枕の上に散った、薄紅の花びらを口にくわえて舌で口の中へと引っ張りこんだ。まずそうに喉を上下させて飲み込む。猛烈に腹が減っていた。
「聞いてるのか、富樫」
「わぁってるって、次はちゃんとお前に連絡する」
そうじゃねぇと桃は富樫の頭を軽く殴った。富樫はいってぇなと笑った。富樫が笑うたび、桃の一週間がさかのぼって溶け消えていく。
「こっちは一週間も連絡なしだ。街を歩けばガキはキャンキャン富樫を殺してやったってわめくし」
富樫の黒目がぎょろりと動いた。物言いたげなその目に、桃は静かに答えてやる。真っ白な病室以上に白くはっきりと、明白に答えた。
「死んだよ」
そうか、と富樫は答えて再び天井を見上げた。シミすらない、その真っ広さが富樫を不安にさせた。
桃は怒りに任せてその子供たちの死に様まで語ってやろうかという獰猛な気分で富樫を睥睨する。しかし、富樫のその弱りきった面を見ているとそれをするのははばかられた。
「なあ富樫、それでも俺はさ」
桃は窓に向かって立ち、富樫に背を向ける。沈んだ、躊躇いがちの声音。桃にあるまじき迷いを含んでいる。
「それでもお前が無事で、それで俺は良かった」
躊躇い勝ちなのは口調だけで、その意思には一筋の曇りも無い。それがわかってしまって、富樫はますます顔に苦いものを増やす。
「……言うなよ」
言うな、富樫は己の直情を恥じた。悔いた。
何の力も権力も財力もない自分が走ればこうなること、よく考えればわかりそうなものだった。
「お前が殺したわけじゃあないさ」
殴られるよりその慰めが痛い。骨に直接毒が流し込まれて行き、つま先から腐り落ちて行きそうな痛みが広がった。
桃頼むもう言わないでくれと叫びそうに喉が痙攣し、こらえる代わりにククッと鳴る。
「当たり前じゃ」
桃とは逆に、よどみない物言いの反対にその言葉に真実はちらりとも含まれていない。顔を見ればすぐに分かる。埋もれた目はしばたたいた。
「もう二度と、一人で突っ走ったりするもんかよ」
桃に言ったのではない。自らを戒めた。ドスがあればいますぐにでも自らの額にバカと彫り込もうとする勢いである。
あのドス、どうなったか。富樫はドスへ思いをはせた。身柄を引き受けた塾長は意識不明の富樫の頭をその拳骨からは予想できないほど軽く小突き、ドスはこんな使い方のためにあるわけではなかろうと呟き砥ぎに出しておいてあった。富樫はまだ知らないことである。
桃の追撃は富樫の後ろ髪を掴む。引きずり倒して喉元に刃。
「三日以上は、次は待たない」
桃は追撃に追撃を重ねる。
「誰をも斬るぜ、俺は」
富樫はおう、と力なく答えて眠りへと逃げ込んだ。さすがに夢の中まで桃は追いかけては来なかったが、子供のすすり泣く声はきりきり富樫を責め苛んだ。
モクジ
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