骨折一名切傷一名
かわいいもんだと桃は笑って、どうだというように伊達の横腹を肘で突いた。
何が言いたい、伊達は桃を睨む。ひるんだ様子もなく、桃の顔からは笑みが消えない。
「見ろよ、かわいいだろ」
伊達の眉間に皺が深く寄る。その名の通りの男伊達が苛立ちに引きつった。舌打ちせんばかりに吐き捨てる。
「悪趣味だな、そんなもの」
「そんなものは無いだろう、そんなものは」
そんなもの、とは。
桃が指差しているのは死体であった。死体が塾庭に生えた、一抱えほどもあろうかという立派な柿の木を墓標として大の字に転がっている。
いや、正確には死体ではない。死体一歩手前である。
秋風も大分湿り気を無くし、冬も近い晴れた日の午後。
桜は相変わらず今が盛りと風が吹くたびに情緒無く桜吹雪をブンブン撒き散らしてはいるが、裏庭の銀杏はまっ黄色に色づいて鼻が曲がるように臭い実をぼろぼろ落としている。秋深い。冬も近い。
そして、柿の木の根元の死体。
何故桃が死体なんぞを指差して上機嫌なのか。
それは死体の生い立ちにあった。
かわいい死体の生い立ちにあった。
死体は元、富樫源次と言う。名前の通りの次男坊で、男塾特攻隊長をその根性で担っていた。何かにつけ絶体絶命が身上というか運命の男で、犬の側を通れば吼えられるし、女が裸で抱きついてきたと思えばヤクザ屋さんが追いかけてきたり、道に迷ったバァさんを家に送り届けてやると誘拐犯扱いされて拘留されかけたり、とにかく本人の意思を無視して危険やら災厄やらがきゃっきゃとへばりついてきてしまう類の男であった。
富樫自身は全くお人よしではない。好き好んで人助けをする趣味は無かった。だが、いつの間にやら巻き込まれて話の中心におかれてしまう。
いや、中心ではない。身体を張ってその揉め事を解決してやったとしても、美女からご褒美のキスを頬にしてもらえる男はいつも富樫では無い。それは親友の一号生筆頭剣桃太郎であったり、日本一の男前の伊達臣人だったり、いいところはいつも持っていかれてしまう不憫な男である。
そういう不憫な男、富樫は今柿の木の下で玉の緒を絶やそうとしかけていた。
「いいのか」
伊達は顎をしゃくった。いいのか、とは、おいそこでお前がいうところの『かわいい』富樫のやつがそろそろ死に掛けてるけどいいのか、である。
桃はそうだな、と頭をかいた。少し天然パーマがかかった柔らかい髪の毛が指の隙間でくるりと跳ねる。こういう時折桃が見せる子供じみた仕草や口調に、いつも伊達は騙されかけて自己嫌悪に陥るのだ。
今となっては恥ずかしいが、伊達は桃を初めて出来た友達のように思っていた。男同士正々堂々、拳を交わして語り合った。自分を圧倒するようなその強さも、筋を通す男気、情け深く心根の優しい男。自分と張り合って切磋琢磨できそうな男に伊達は初めて出会うことが出来た。
別に今は友達だと思っていないわけではない、が、
(どうも苦手だ)
とは思っている。伊達とて力で自分が負けるとは微塵にも思っていない。ひとたび槍を持てば誰にも負ける気がしなかった。
どんな野郎でも向かってくるがいい、まとめて死神に会わせてやるぜ。笑みすら浮かべて手招く余裕もある。
威風堂々、自信満々、伊達はまったくもって伊達で、伊達男であった。舞台栄えするともいう。目尻に朱を入れてポーズを取らせたらきっと、とてもとても良く似合う男ぶりである。
伊達は思う。桃はどこか違う。
完璧すぎて、浮世離れしてすら見える。
内心では、すごい奴だとも思うが、底知れない。
その底を覗くのも悪くは無いが、その底知れない男がどこへいくのか興味は尽きない。
口に出しては言わないが、伊達は桃を仲間だと思っている。
誰よりも信頼できて誰よりも頼もしい仲間だと思っている。
戦場で背中を気兼ねなく預けられる仲間だと思っている。
逆に、求められれば力を奮ってやりたい仲間だと思っている。
しかし一番の友達としてはどうか、と言われれば、
難しい――のであった。
友達ではある。仲間と友達というのは八割がた重なる部分を共有しているのだ、仲間だと言うからには友達でもある。
しかし一番の友達は、
(一番は、シャクだが、)
他に考えている人間がいなくもなかった。
(あいつか)
認めたくは無かったが、いないこともなかった。
風が強くなった。一年で一番高い空に枯れ葉と桜の花びらが舞い上がる。
らしくもなく伊達は物思いに揺らいでいたが、ううと呻く声に意識がはじけた。そうだ、死体。伊達は脚を踏み出しかける。
が、目の前に腕が一本伸びてきてその行動は遮られた。ここにいるのが桃と伊達と死体である限りこの腕の持ち主は桃である。
「おい?」
桃が何故死体に近づくのを止めるのか、伊達はわからなかった。理解できない、そう顔に出ていたようで桃は口元を柔らかくして、
「まぁ見てろ」
そろそろケーキが焼ける頃さ、とでも言うように軽く言って死体に視線を戻した。伊達は仕方なく桃の横に立ち尽くす。
「木登りってしたことあるか?…なさそうだな、」
「ああ、無い」
「柿の木ってのは意外と枝が脆くって、手首以上の太さがある枝でもうかつに体重をかけたらいけないんだとよ」
「………」
「………」
「で、体重をかけた結果か」
あれが。伊達は死体を指差した。
桃は嬉しそうにああ、と胸を張った。
「もう少しで、あの天辺あたりにある大きい柿に届きそうだったんだが…一つで止めときゃ落ちずにすんだかもな」
あの天辺、とはおよそ三階立てのアパートの屋根位ありそうな高さに確かに赤い柿が一つ実ってあった。おそらくこの死体、元富樫はあとちょっとというところで枝を踏み落としてあそこに転がっているのだろう。
伊達は切ない気持ちになった。富樫の側に一つ転がる柿に眼を留めた。無残に潰れている。
富樫は欲張って二つ目に手を伸ばしたわけではなかっただろう。一つ目を手にして、その高みから見つけてしまったのだ。
すなわち、自分の方へと歩み寄ってくる桃の姿を。
だから富樫は一つを手にした無理な姿勢で、二つ目に手を伸ばした。
そして落ちた。
そして死んだ。
いや、まだ死んでいない。
ぴくぴくと、新聞紙で一閃された虫の様に命を燃やして死体はひくひくと動いていた。ぐおお、うぐ、ちくしょう…うめき声も耳を澄ませたら聞こえてくる。
動いている元死体の現富樫を、桃は若々しく張った目元に優しい微笑を浮かべて見守っている。
あんまり機嫌よく桃が元死体の現富樫を見守っているから、思わず伊達は聞いてしまった。
まさかな、
まさかよ、
一秒迷ったが聞いてしまった。
まさか。
違うって言ってくれ。
「お前、あれが渋柿だって知ってたのか」
「まさか」
まさか、そうきっぱり答える一号生筆頭剣桃太郎に、伊達はやっぱりこいつは底が知れないと一歩、引いた。
そうかよ、と答えて伊達、背を向ける。
足早に立ち去る。
去る。
「大丈夫か富樫」
「おお、なんとか」
「肩を貸そう、立てるか」
「いでッ、い、う、いでででで!!!」
後ろから二人の声が追いかけてくる。
歩幅を広げて、肩で風を切って伊達は去った。耳を塞ぎたい気分に駆られたが、半ば走るようにしてそこを立ち去った。
「おお、伊達ぇイイトコに来よったな」
明るく頭の悪そうな、底抜けに明るい声が伊達を呼び止めた。
前だけを向いて進軍していた伊達の鼻に、ふわりと煙の匂いが飛びついてきたのですんと鼻を鳴らして見渡す。
「ああ?」
渋みのある鮮やかな黄色の山に埋もれるようにして、虎丸がおおいと大声を出して手招きをしていた。
虎丸。役者ばりの竜虎揃ったいかめしい名前とは裏腹に、にゃんにゃんと可愛げのある男である。
愛嬌とは外見ではない、と伊達はこの男を見るたびにいつも思う。むさっくるしいヒゲ、たくましい肩にでかい尻、つながり眉毛。
外見は冬眠明けの熊と言っても差し支えないようなものなのに、素直な言動やら行動がどうにも可愛げがある。さっきまで庭に転がっていた元死体現富樫の相棒であり、男塾きってのムードメーカーで驚き屋でにぎやかし。応援団として絶賛活動中であった。
そして伊達にとっては、
「何をしてるんだ」
あまり格好をつけずに話せる相手であった。虎丸相手に格好つけてもしょうがねぇ、が富樫の談だが、伊達自身も虎丸に気を張って話すという行動の空しさを感じていたのでそうしている。
「ヘッヘヘ、しゃあねぇなぁタイミングがいい野郎だぜ、ちょっとココ、ココ見てみろい」
虎丸は伊達が聞いただけにもかかわらずいそいそと枯れ葉の山を木の枝でもってがさがさと掻き分けた。火が興っていてくすぶっている。鼻に漂ってきた煙はどうもここから漂うものだと分かると、虎丸の様子の理由が分かった気がした。
秋で、枯れ葉で、焚き火で、ときたら。
伊達は釣られるようにしてニヤリと笑い、虎丸と向かい合う位置に焚き火を挟んでしゃがんだ。
「イモか」
「イモだ。それもジャガとサツマ」
ウヒヒヒヒ、とひっくり返ったような奇天烈な笑い声を上げながら汚れた手をさすり、焚き火の中から真っ黒く焼けた銀紙にくるまれた拳ほどの塊を掻き出して、アチアチと慌てながら伊達へと放る。伊達はそれを素手で受け止めはせずに一旦学ランの袖で受け、落ち葉の上に下ろした。爪を使って銀紙をはがしていく。ほこほこと温かい、土臭い湯気が昇ってきて伊達の鼻をくすぐった。ついでに腹の虫も一撫でしていく。
「ヘッヘ、そこにコレだコレ、特別だぜ?」
虎丸の足元には伊達のより少し長細い銀紙の塊が転がっている。サツマイモの包みを同じく爪で、ただし伊達より大分不器用に破きながら虎丸は傍らにおいてあった黄色い箱を押しやった。銀杏と同じ黄色をした箱には赤字で『バター』とある。
なるほど、じゃがいもにバターは欠かせない。
伊達はおうと短く返事をして、バターをついていたプラスチックのスプーンですくってジャガイモに乗せ食った。
熱い。
熱い。
伊達、虎丸、二人は言葉も交わさずイモをはふはふと背中を丸めて食う。
うまいな、と伊達にしては珍しく虎丸にお代わりを要求した。食欲旺盛というわけでない伊達だが、虎丸の食べっぷりと青空の下でのおやつに心がすこし弾んでいたのである。鼻の下をこすって虎丸、うまいじゃろうそうじゃろうと満足そうに今度はサツマイモを投げ渡す。
「うまいな」
「今度な、ギンナン拾ってまた食おうや」
「ギンナン?あれはいらん。臭い」
「バッカあれうまいんじゃ、まわりのクッサイとこ取りゃあ問題ねぇよ」
「ふん、それなら一つくらいは食うかな」
「へへ」
和やかである。
いかにも男子学生らしく、イモを焚き火で焼いて食う。
そして笑って会話する。
実に和やかである。
だが。
「ヘッヘヘ、スキあり!!食らえ――ッッ!!!」
調子に乗った虎丸が尻を向け、大放屁(+サツマイモ効果)を伊達の面体にぶちかますまでのほんの三分ほどの短い平和であった。
(畜生、こんな奴を一番に据えて本当にいいのか?)
いいのか、伊達は自問した。
答えは出ない。
出ているのかもしれないが、口には出さない。
伊達は虎丸を愛用の槍でなます切りにしながら空を見上げた。
風が強い。
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