虎になってしまった
虎になってしまった。
伊達は虎になってしまった昨夜を恥じた。
大虎も大虎である。
昨夜虎になりすぎてしまった。
「おはようございます」
朝の挨拶、朝はここから始まった。
いい朝です。空気もきれいだし、晴れ渡っていていかにもシーツを干すのに良さそうな。
「ああ」
組長は頷き、箸を取る。
今日の味噌汁はまた茄子。おかずには茄子味噌。今年は茄子が当たり年らしくてバカスカ出てくるものだから漬物も茄子の糠漬け、今日の夕餉にも焼き茄子予定。一応塩鮭くらいはあるけれどメインは茄子だ。
私も今日昼飯に茄子そばでも作って食べようかと思っている。茄子をひき肉と生姜で炒めたのをラーメンにのせただけだが、私は好きだ。
出自からして贅沢を覚えるほど味わったこともない。
「茄子ばかりじゃねぇか」
「はい」
祝いの意味もこめてみたのだ。
私は酷い仏頂面だから、わからないかもしれないけれど。
組長左前に座る虎丸さまは茶碗を差し出す、おかわり。はいかしこまりました、山盛りでどうぞ。
「伊達、おめぇの家の飯はいつもうめぇのう」
「当然だ、いいから口開けるんじゃねぇ汚ねぇから」
咎められると虎丸さまはまた、おうと答えて飯をかきこむ。
私は組長の首筋についた傷、それから虎丸さまの鼻についた傷を見てたぶんそれとなく笑った。
傷。
歯型だ。
昨日なだれ込むようにして寝所に二人、夜も明けて歯型。
これはもう決定打だろうと踏んだ。おめでとうございます組長。柄にもなくクラッカーを鳴らしたい気分だった。
昨夜は朧な月夜だった。半月が見え隠れする肌寒い夜気から逃れるようにそれへ手を伸ばす。
布団以上に、それはあたたかい。本当に手を伸ばしていいかどうかの結論は出なかった。
「伊達」
呼ぶな。
俺を呼ぶんじゃねぇ、そんな風に甘やかすみてぇに呼ぶな。
俺は眠る。眠いんだ。眼を閉じて、目の前のそれ、俺よりだいぶ高い体温を力をこめてぐっと抱き込む。しっかりと腕に残る感触にぼっきり折れてしまえと言う気分になった。
「伊達、おい、苦しいじゃろが」
俺を呼ぶな。答えたくなるだろうが。ああ頭に触るな、馬鹿がうつる。
目の前の体温を突き飛ばして手放せばこれは俺を呼ばなくなるだろうが、それはしねぇ。できねぇと言うのは嫌だ。
触るな、撫でるな、優しく触るな。うるせぇしがみつきたくなったらどうする。
「伊ー達」
くそ。のんびり呼びやがって、俺のこの切迫を知れ。思い知りやがれ。破れそうだ。
仕方なく眼を開いた。虎丸がいる。俺が腕で作った輪にしっかりと収まっている。いや、収まっていやしねぇ、無駄にでかい図体ははみ出ていた。
相変わらずの不細工で馬鹿面下げて、ぎょろりとした目がくるくると俺を見ている。笑っていやがる。
「甘えてやがんのか?おうどーんときやがれ、なんちゅーても虎丸様はオットコ前じゃからのー」
俺は笑ったと思う。いつもの馬鹿にして馬鹿にした笑い方をしたと思う。
何故俺が抱かれてるのかはしらねぇ。それはこいつが馬鹿でかいからだ。俺は虎丸の胸に抱かれている。
酔ってなかったら俺はすぐにでも切り開いていたに違いねぇ。俺が虎丸の胸に?冗談にしても酷いぜ。
だというのに気色悪いとは言えなかった。酔ってる。
「言ってろ」
言ってろ。
確かに俺は虎丸を嗤った、笑われてるのは俺だ。どうして俺は笑われてる。虎丸ごときに。
虎丸は間の抜けた顔で俺に言う。
「お疲れ」
何がお疲れだ。
「頑張り屋の伊達組長に、どうじゃ一丁虎丸様がちゅーしちゃろうか」
いらねぇよ。
絶対にいらねぇ。
その気に障るニヤニヤ笑いを今すぐやめろ。顔を近づけるのも即刻中止だ。
臭いんだよてめぇの口は、ニンニクの臭いがぷんぷんしやがる。またヤキトリか、親父かてめぇは全く呆れるぜ。
「いらん。邪魔だどけ、俺は寝る」
ここをどこだと思ってやがる。てめぇはどこまで阿呆なんだ、布団だろうが。
しかも夜だ。
夜に布団で二人で団子になっててそれで、てめぇは何にも思わねぇのか。
思え。
自分が優位な立場にいると確信している奴のニヤニヤ顔ほど腹の立つものはねぇ。てめぇが悪い。
決めた。俺は体を起こす。ん?とまだ余裕のありそうな顔の虎丸を瞬き一つで凍りつかせる。
「観念しろ、てめぇの馬鹿さ加減を恨めよ」
体が重い、重い体を持ち上げてのしかかった。
ぐぇ、と潰れた反論を膝で更に形がなくなるまで潰す。
見下ろしてやった。ふん、これでいい。愉快な気分だ、俺はこうしているべきじゃねぇかやっぱりな。
俺はなんじゃーいと暢気なその馬鹿の鼻面に顔を近づけると噛み付いた。
唇な訳がねぇ、鼻だ。丸くっていかにも噛みやすそうな鼻があったんでな、ガブリとやってやった。
「ぎゃっ、な、な、あにすんじゃ」
何じゃねぇ、今更だ。今更過ぎる。
それとも何か、ナニだと言って欲しいのか。言ってやろうか、ええ?
「言ってほしいかよ」
「い、い、言うて、」
髪の毛を纏めて掴む。手の平がべたべたした。この馬鹿、スタイリングのイロハも知らねぇのにワックスなんか十年早いんだよ。
ようやくか?危機感を持ったか?
遅いんだよ、遅すぎる。
「伊達、伊達、ちょ、嫌じゃなぁもう本気になんじゃねぇよぉ」
へ、ヘッヘヘと笑う。引きつっている。この場を逃れてぇか、その笑顔はよ。
逃がすか。体重をかける。
今度は耳を噛んだ。もったりした福耳は歯をしっかりと跳ね返す。悲鳴。どうでもいいがもっと綺麗に悲鳴ってのは上げられんのかてめぇは。イギャアじゃねぇ。
どうだ、このまま千切られたくは無いだろう。大人しく観念しろ。
「ぎゃーッこちょばい、おめえの髪の毛がこちょばい!!」
ぶんぶん頭を振って叫ぶ虎丸に俺の唇は自然と釣りあがっていく。
それは楽しみが一つ増えたぜ。ふふん、すぐにこちょばい程度じゃ済まされん。
酷く獰猛な気分だ。
てめぇは虎丸だったな。俺も虎だ。
ただしてめぇと違って雑食じゃねぇ、完全の肉食だ。
俺は太い筋の見える肉に食い込むほど歯を立てた。
虎になってしまった。
まったく昨日の伊達は虎であった。
虎になりすぎて、本物の虎のように戯れに行き過ぎた感のある甘噛みを楽しんだだけで夜が白んでしまったのだ。
不覚も不覚である。しかもしっかり、首筋に虎丸の歯形を受けてしまった。これは隠しようもない。その代わり何十倍もの噛み痕を残してやったと思えば少しは気も晴れよう。
歯型だらけの虎丸の汚い身体に必死になっていた自分を深く伊達は恥じた。
まったく虎になりすぎてしまった。大虎である。
仏頂面が嬉しそうに自分と虎丸の気だるい様子を祝っている。だが腹を立てる訳にもいかぬ。伊達は仏頂面からの精一杯の祝いを箸につまみ上げた。
甘辛く味噌と煮た茄子の紫。
成す、まだ成さぬ。これから成す。
暢気に飯を食う虎丸と目が合った、からかいを頬にのせてがぁっと口を開けて噛み付く素振りを見せてやるときゃっと飛び上がって箸を落とした。
なんともおかしくて喉が鳴る。プラマイゼロではない、確実なプラスだった。
待っていろ仏頂面、すぐに成す。
伊達は飯をほお張った。
秋晴れ、天晴れな秋晴れである。
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