あーんして、女王様。

めったに病院を訪ねてくれない富樫をなじったら、ケガしたら行くとの返事。
私は富樫のつま先に千本。富樫はうおおおと叫んでのた打ち回った。
馬鹿。ケガしたら、じゃない。会いに来いと暗に言っているのがどうしてわからない。

飛燕は冷たい目で一瞥をくれると、床に転がる富樫の背中をムギュウと踏みつけて出て行った。フン。反らした顎は細く、冴え冴えとした美貌も冷え切っている。
先日爆発事故に巻き込まれその治療に訪れた富樫は無駄に傷を増やすことになった。
「お、俺が何したっちゅうんじゃ…」
馬鹿!自分で考えて、反省するがいい!さもなくば死ね!
その日、飛燕先生は手術の鬼となった。




入院まではせずに済み、富樫は軽い打撲と火傷、ガラスの破片による切傷の通院での治療となった。
今日は二度目の通院である。
秋口の午前中とは言え、まだまだ暑い。富樫は何か手土産でも持って行こうかと珍しく気を利かせた。しかしそこでスーパーに入ってしまうのが富樫である。
間違っても百貨店やフルーツパーラーに入る男でない。
だが、今日は違った。似合いもしない百貨店に足を運び、果実を物色する。別に果物でなくともいいのだが、自分が入院している時にもらったのはやはり果物だったので、とりあえず果物と決めた。平日の午前中の百貨店、その食品・青果コーナーは空いている。夕方ともなれば値引きの始まるいわゆるデパ地下で、主婦でごった返してしまうその細い通路を富樫は悠々と歩いて進んだ。ベーグル、パン、サラダ、豚の角煮。
イマドキのデパ地下っちゅうのは中々すごいモンじゃ。
試食販売のオバちゃん達もさすがに、平日午前にデパ地下に現れた真っ黒スーツの傷面に一歩引いている。
だが、オバちゃんの戦闘力を侮ってはいけない。
「ちょっとそこのお兄ちゃん、黒豚の角煮!食べてかんかね!!」
白いプラスチックの器に豚肉と味がいかにもよくしみた大根をよそって、富樫の目の前に突き出す。反射的に富樫は受け取ってしまった。出されたものはケンカであれ石ころであれ受け取ってしまうのが富樫である。
すすめられるがまま口に運んだ。豚の、ネットリ柔らかく煮えた皮のあたりが口にとろける。富樫の目がにゃっと細くなって顔がほころんだ。途端に強面が崩れて、三枚目手前にまで落ちていく。
アレ、この兄ちゃんヤクザ屋さんみたいな顔してカワイイトコもあるじゃないの。
口にまだ豚肉が残っているにも関わらずすぐに大根を口に運ぶ。男塾塾生の悲しい習性であった。飯は早く食え、でないと隣に取られても文句は言えない。
大根をかみ締めると、ぎゅっとしみていた豚のあぶらのうまみとともに汁っけが広がった。うめぇえ。
「おう、こりゃあウメェなぁ」
「でっしょう、ホラ、今ネ、これ1パック840円だけどサ、アンタいいオトコだからサ、700円でイイや」
「うぇ、え、」
オヤ意外とこの兄ちゃん押しに弱いんじゃないの。オバちゃんの目が光る。
たちまち隣のギョウザ屋のオバちゃんに、はす向かいの手羽先屋のオバちゃんも声を張り上げた。何と言っても今は平日午前。他に客もいないのだ。
飛び込んできたウサギを逃すような間抜けはいない。
「ホラ見て、ネ、名古屋コーチン。ジャガイモと炊き合わせてあるんだけどオイシイ」
「コレ、このギョウザ!ニンニク使ってないワよこっちは肉ヌキ!コレは肉ギョウザ」
「まだランチじゃないけど、このビビンパ割引したげる」
「男の子なら甘いの好きよね、ほら、豆大福五つで三百円よー!」
「今ハヤリの塩豚!あぶらジュワジュワ、お肉トロトロ!!」
スーツを着た富樫、だが、オバちゃん連合は平均年齢50オーバー。まだまだボウヤ、かわいいもの。若いオスの匂いにオバちゃんの血はくらくらと煮え立つ。
あっという間にオバちゃん達に囲まれ富樫、フルーツ売り場にたどり着くまえにあえなく戦死。
富樫ごとき、まだまだオバちゃんを押し切れるはずはない。
「毎度ありぃ!」
「ウッフフ、豚肉一つオマケしたげるわ」
「冷めてもオイシイからね、ちゃんと食べるのよ」
「一人暮らし?そぉ、そんならなおさらゴハンだけはしっかりね」
手に大量の惣菜を手に、オバちゃんに見送られながら飛燕の居る病院に向かうことになった。
途中何度も犬に吼えられる。富樫の行いではない、あまりにいろいろごったにいい匂いをさせているからである。







裏口から入った病院は、デパートと違いロビーは混んでいるようであった。医者と貧乏はヒマなしと言うがどうやら正解らしい。受け付けを素通りし、勝手知ったるダチの病院と廊下をずかずか遠慮なく歩いた。一見して、これから治療を受ける患者にはとても見えない。カタギにも見えない。黒いスーツはどうにも目立つ。
消毒液の匂いを打ち消さんばかりの山椒と唐辛子の匂い。下げた袋の麻婆豆腐である。廊下で擦れ違った肥満体の入院患者が恨めしそうな顔で富樫を見やる。食事制限されているのだろう、唾を飲んで逃げるように足早に歩き去った。看護婦が顔をしかめる。差し入れにしたって、もう少し選べと言っているようであった。声をかけられるのも面倒なので急いだ。
最上階の一番奥が飛燕の部屋。さすがの役職持ち、分厚いドアつきの個室を与えられている。富樫が治療を受けるのはいつもこの個室であった。塾長秘書の富樫である、あまり表立って正面玄関より入るわけにもいかないだろうし、何より自分以外の医師では信用ならぬとの飛燕の思惑だった。が、裏口通院だというのにあまりに気楽に富樫が来るので意味を失いかけている。飛燕にとっては意味はある、人目を気にせず富樫の治療に当たれるからであった。
それは肌に触れるとかそういうものも含む、しかしそれ以上に富樫相手の遠慮も猫も脱ぎ捨てた顔を外に見せずに済むのである。
「うーっす、遅れちまったな」
ノックをするよう飛燕は十度は注意したが、結局富樫は覚えなかった。だから行きつけの蕎麦屋に入るのと同じ気楽さでドアをいきなり開ける。

趣味のいい部屋だった。診療室のあの白々しさはなく、ブラウンを主にした書斎のような居住まいである。カベ一面には東洋西洋問わずの医療書を詰め込んだ本棚。木製ということしか富樫にはわからない広い、職人の手による机。
社長が座るようなふかふかの肘掛ついた茶色の立派な椅子。腰掛ける飛燕は女王様のようだといつも富樫は思う。一度口にしたら、
「それは踏みつけられたいということか?フッ……いい心がけだ」
他の誰にも決してしない口の利き方と微笑み方でもって答えられた。
その美貌の女王様の膝に、AV女優張りの肉体をナース服に包んだ女が乗っている。惜しげもなく足を開いて向かい合わせに身体を投げ出し、飛燕の細い首に腕を絡めていた。

逢引、というよりは、最中である。
女のナース服の胸はしっかりとはだけられていたし、開かれた足はスカートが捲れ上がって上とお揃いの薄いピンクの下着も丸見え。
なにより、飛燕の唇を不似合いな艶がおおっていた。突然の闖入者に驚愕してぱっくりと開かれた女の唇と同じグロス。

「あ」
富樫の口からは間抜けな響きのみ。
二の句が告げないというのはこういうことであるかと富樫は学習した。
三秒、体が動くまでかかった。飛燕の顔は見えない。女の体の影になっていたのである。富樫はきびすを返した。途端にクズカゴを蹴倒す。床にこぼれた紙くずを腰をわざわざ屈めてひろい、戻す。一気に場はしらけた。最近の女は度胸があるというが、女は叫びもせずはだけた胸元をしまい始める。
それを富樫は見届けなかった。クズカゴを戻すと袋を下げた、来た時と同じ格好のままドアを閉めて歩き去る。
「富樫」
飛燕の声は、ドアに跳ね返されはしたものの富樫の耳に届いた。
しかし、富樫は立ち止まりはしなかった。顔からも背中からも汗が引いている。
飛燕の元に残ったのは、山椒とニンニクの芽の匂いだけ。





すぐに女を笑顔で膝から下ろす。笑顔だ、笑顔だ飛燕。自分に言い聞かせる。そうだとも、私は笑顔の飛燕先生。
「邪魔が入っちゃったわね」
貴様!!叫びそうになるのを尚も笑顔。笑顔。もうこの笑顔と言う字が怒りにしか見えない。フフ…女、貴方を憎んだりはしませんよ。なにが邪魔か、なにが!!
私の顔がいけないのですよね。フフ。この顔が。美しいですものね、この顔。………こんな顔。
この顔、富樫は褒めてくれることは少ないけれど。
たまには褒めてくれたっていいのに。褒めたかと思えばどんなキャバ嬢よりもってうれしさも半減の褒め方。気の利かない男だ。私と向き合っているっていうのに。
それにしても間の悪い男。昔からそうでしたね、さあこれから抱き合おうって時に桃やら塾長やらからの電話。携帯電話を持つことをすすめたのは確かに私ですけど、でもいくらなんでもタイミングが良すぎます。もう三ヶ月は富樫を摂取していない。四分の一年も。
いつの間にか、女は消えていた。賢明でしたね、これ以上優しい言葉をかけるのは難しい。
私は乱れていた、いや、乱されていた胸元を直すとティッシュを一枚とって口元を拭う。べっとりと白いティッシュに付着したラメ入りのグロス。きつい香料が鼻につく。機嫌は急降下。ああ、今日は富樫が来るっていう日、朝から幸せな日となるはずだったのに。畜生、ああ、こんな言葉。ドアを開けたのが間違いでした。せぇんせ、なんてあまったるい香りと一緒に入り込まれてしまって、あれよあれよと膝に乗られてしまった。いついつやんわり拒絶しようかと思っているうちにこれだ。
ああ。

私は部屋のプレートに『外出中』のプレートを入れて、富樫を追うことにした。
無論歩きですよ。本心から言えば走って追いかけたっていいけれど、富樫にも誰にもそんな格好見せたくないんです。ええ。
余裕ですよ。沈着冷静。それでも足は速まっていく。
富樫、傷ついたでしょうね。
裏切られたと思ったでしょうか?私から顔は見えやしなかったけれど、富樫の傷つく顔は想像しただけで胸に痛い。
窓から中庭が見えた。ベンチに、探し人がぽつねんと座っているのが目に入る。
どこまで想像通り、分かりやすい男だ。
私は窓から飛び降りたい気持ちをぎりぎりのところで押し止めて、階段を駆け下りた。


富樫は中庭のベンチで袋を膝に乗せ、ぼんやりと座っている。心ここにあらずといった風情。私は静かに富樫に近寄る。
ゆっくりと近づくまでに、高鳴る胸を沈めなければならまい。確実に秋色の空、まだ富樫の頭上の銀杏は緑色だけど、日光のぎらつきはなかった。
「だからノックをしろと言ったのに」
腕組みをしながら富樫を見下ろす私の口から出たのは、まるで彼女との情交を認めるような言葉だった。私は拳を握り締める。どうして富樫相手となるとこうも素直になれないのでしょうね。
それもこれもすべて富樫のせい。私の胸のうちを読めない富樫のせい。
「すまねぇ」
おや。富樫の顔に曇りはない。
それはそれで、複雑な気持ちになりますね。私がどこぞの女と抱き合っていようが関係ないということでしょうか。
もしそうなら、そうなら。
「何も言うことないんですか」
思わず、問い詰めるような口調になってしまった。本来私が咎められる立場だというのに。富樫に自覚がないから、富樫が。
富樫はビニール袋からなにやらプラスチック容器をいくつも取り出しながら、なんでもないとでも言いたそうな変わりない顔で言った。
「向こうが一方的に来たんだろ」
「どうしてそう思う」
学帽こそかぶっていないものの、富樫たるあの微笑み。ちょっとくしゃりと崩れた、私の好きな顔で富樫は得意げに微笑んだ。
「あんなイイ女にのしかかられてたってのに、全然ソレ気合が入ってなかったじゃねぇか」
ソレ、と私の股間を指差してくる。即座に頭をはたいた。富樫の手から割り箸が一膳落ちる。ぎょろりと目を剥いて睨んできた。
「イッテェな、何すんじゃい」
「デリカシーというものが無いのか」
ンなもんねぇよ、そう自信満々に言う富樫。なんだかむやみやたらに男っぽくて困りますね、この男。私は富樫に手をつかまれてまあ座れとベンチに引っ張られた、隣に座る。強引。勿論嫌いじゃない。膝に座ってやろうかと思ったけれど、それじゃああまりに当てつけのようだったので止めた。
富樫は私との隙間にプラスチックの容器をいくつもいくつも並べていく。そのどれもからイイ匂いがした。ああ、そういえばもうそろそろお昼ですね。
「だってよ」
富樫は下を向いたままそこまで大きくない声で言った。分厚い唇がとんがっているのが見て取れる。
「だって、おまえは俺が好きじゃろが」
そういうことを言うから、もう、馬鹿。怒っていいのか照れていいのか恥ずかしがっていいのか、私は頬を手の平で押さえた。熱い。
唐突にこの富樫というオトコ、胸の奥まで突き届く嬉しいことばを口にするから侮れない。ああもう。
抱きついてやったらどうするだろうか、ああ、ここが病院の中庭じゃなかったらよかったのに。
今日の富樫は中々いいですよ、褒めてやろうか。私は跳ねる胸を押さえようと、いつもより更に富樫を見下ろすことを考えてしまう。
だって振り回されるのは沢山。特に富樫みたいな、後ろを振り返らない類のオトコならなおさら。
私は女の子じゃあありませんからね。こちらから仕掛けてみましょうか、と私は容器の上を手を伸ばす。
富樫の頬に手が触れる寸前、ニカッと歯を見せて富樫は笑う。





「ってコトはよ、オトコが好きっちゅうことじゃもんな。オンナじゃ勃たねぇだろ」
ワッハハハハ、富樫は下品に、背中を反り返らせて馬鹿笑いを響かせた。




瞬間沸騰。
私は伸ばしかけた手をそのまま振り上げて、富樫の顔面に振り下ろした。拳で。
そのまま拳の背を跳ね上げて顎を強打する。再び振り下ろす、今度は鼻っ柱を潰す。
一度じゃ足りない。この、この、



「この馬鹿めッ!!!」
「ぐぇああッ!!?」



秋風に荒れる病院の中庭、飛燕の拳は何度と無く富樫の顔面を襲った。
十分後、すっかり機嫌を損ねた飛燕の目の前に富樫は買って来たばかりの惣菜を並べ、何故飛燕が怒っているかもわからないまま一つ一つ不器用な箸でもって飛燕の口に運んでやることでようやく許しを得た。


「大体、なんだって病院に麻婆豆腐なんだ」
「し、仕方ねぇだろ。色々あったんじゃ」
「次それ、大根」
「お、おお」
ボカッ。飛燕の手刀が正確に富樫の眉間に打ち込まれる。
「いでっ」
「ちゃんと小さくしなさい。大口開けてかぶりつかせる気か。馬鹿。気が利かない」
「…………」
不満げに押し黙った富樫に、飛燕はにぃっと唇の端っこを持ち上げて微笑み、耳打ちした。
「今度、ああいう風に膝に乗ってみようか?フフ」


富樫は黒いまでに真っ赤になって、豚の角煮を箸から落とした。
反射的に三秒ルール発動させてしまい、飛燕に蹴りを食らうことになる。



モクジ
Copyright (c) 2007 1010 All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-