欠けたら接いでまた欠いて
伊達家家事取締筆頭通称仏頂面。
それは私だ。
どんどんとドアを叩かれた。呼ばれている。
返答はしない。
布団を被った。
「仏頂面さん、やばいですっ」
この間から住み込みで働くことになった女の子が切迫した声で私を呼んでいる。
迷った。
が、返事をするのはやめた。
秋の朝は肌寒く、締め切った部屋にも空気がどこからか隙間をつかって忍び込んできている。風情なくカラスがぎゃあぎゃあやかましく鳴いていた、というのも現在朝六時半。そろそろ生ゴミを出しにくる時刻だからである。
部屋選びの時点で、襖の部屋でなくドアの部屋を選んでよかった。
「仏頂面さぁん」
彼女は困ったようにどんどんとドアを叩く。その気になれば蹴り破ることだってできそうな厚くもないドアだが分別を捨てきれない彼女は困ったように仏頂面さん仏頂面さんと何度も呼ぶだけ。
罪悪感が胸にしくしくとわいた。
が、出ることはできない。
組長申し訳ありません。私はここまでのようです。
うう、仏頂面はその仏頂面に涙を滲ませようとしたが、中々思ったタイミングで涙など出すこともできずにひとしきりクゥクゥと鼻を鳴らして涙を絞った。
ドアの外ではまだ家事手伝い見習いが名前を呼んでいた。
もうそろそろ朝食の時間であった。
だというのに調理場からは飯の炊けるにおいもしていない。
家事手伝い見習いは青くなって、
「あーもうホント、マジカンベンしてカンベン、クミチョー起きてきちゃうよどうすんだよもー飯もねぇのかって尻蹴られちゃうってーのアー」
てんでばらばらと散らかって慌てた。
「で、こりゃどういう訳だ?言いてェ事があるなら言ってみろや」
目の前で這い蹲っている年端もいかない家事手伝い見習いに冷えた声を吐いた伊達組組長、天下無双の伊達臣人は朝の膳をちらりと見た。
まず飯。
どんぶり飯が一膳、瀬戸の大ぶりな丼茶碗にのっさりと盛り付けられている。それも日本昔話に出てくるような、盛り付けたてのカキ氷の高さを持つ飯。勢いが良すぎて崩れそうだ。
隣には普段、汁物が並ぶ。
昨日は茄子の味噌汁だった。一度さっぱりとしたあぶらで炒めた、細かく刻んだ茄子と生姜が入っていて体が温まる味噌汁だった。
だというのに、
「おい、何か言ったらどうだ」
隣の椀は確かに家事筆頭取締りが仏頂面なりににやけながらたまに拭いている見事な黒漆の塗り椀。
だが、中身といえば。
「ち、チキンラーメンにご飯入れて食べるとうまいです…」
「馬鹿かッ!!」
おずおずと答えた家事手伝い見習いの頭に、伊達組長が怒りに任せて投げた箸が飛ぶ。ぶつかる寸前に手を伸ばして彼女は受け止めたがそれも一本のみ、もう一本は頭に当たった。
「あいてっ」
頭にぶつかって畳床に転げた箸をのろのろと拾う家事手伝い見習い。伊達は腕組みをした。
今日は一体なんて日だ、朝起きたら先日から「もう冷えますので」と用意されていた羽織もない。枕元の水差しの水も替えられていない。
顔をざぶざぶ洗って、いつもならそこですかさず差し出されるタオルもない。便所に入ったら紙すらない。
そうして怒りを殺しながら朝飯の席についたら、朝飯にチキンラーメンだときた。
怒りももっとも。
「お前は大恩ある俺に、チキンラーメンを飯にかけて食えって言うのか」
「ち、違います。チキンラーメンに飯入れて、そんで玉子をぽちゃんと」
ぽちゃんと、と顔を上げて言う家事手伝い見習いの顔はへにゃりと笑っている。好物らしいということが知れた。
伊達は箸置を投げた。これは先日割れた(組長が割ったんだと恐ろしい目で睨みながらあてこすってきた)備前徳利の破片を削って作ったんですよと言われていた、赤茶の箸置を投げて、見事へにゃりの笑顔の額へ命中させた。少々伊達が思っていたよりも力が入りすぎていたかもしれない、箸置に弾かれたように家事手伝い見習いは後ろへもんどりうって転げていく。
意外にも彼女は飛び起きると赤くなった額をさすりながら恨みがましい眼で睨む。
伊達は平然と受け流す。
「こんなん投げたら、また仏頂面さん泣いちゃいますから…」
そうだ。
そうだ、と眼を見開く。それだけで威圧感が伊達の体の回りに発生し、家事手伝い見習いは瞑れた悲鳴。
「仏頂面は何をしてる」
皺が出来て尚、勢いの衰えない目尻。特徴的な傷跡がうすらと血色を帯びた、感情がたかぶっている。
たかぶっている、なんとくだらぬことでたかぶっていることか。
伊達は苦虫をまとめて噛み潰した。
あの馬鹿が。伊達は立ち上がり、平伏した家事手伝い見習いの肩口を蹴った。亀を裏っ返しにしたように腹を上にしてひっくり返る。
「わっ」
「あいつは部屋か」
秋の朝日が差し込む立派な和室、活けた菊が萎れている。水を取り替えていないのだ。
それを見てますます伊達は煮えた。恐ろしい顔だと家事手伝い見習いはそれこそ亀のように首をひっこめてはいそうですっと叫び答えた。
ならばゆく。
大股に、足音をきにせずにゆく。
もともと自分の家だ、誰に気兼ねすることもない。
俺が気にする相手はただ一人自分、伊達臣人のみだ。
伊達はずんずんとゆく。
縁側をゆく。
目指す家事取締筆頭の部屋へゆく。
後ろからひょこひょこと涙ぐみながら家事手伝い見習いがついていった。
伊達臣人にノックはねぇ。覚えておけ。
それを口にも出さずに伊達はドアを蹴破った。ひょー、と気の抜けるような声を出して家事手伝い見習いが廊下の端に逃げていく。
ドアは真ん中、伊達の足が命中したところから半分に木が悲鳴を上げながら割れて、ちょうつがいだけが中へ倒れこもうとするドアを引き止めている。
その蝶番に伊達は続けざまに蹴りを入れた。めきめきと音を立て、今度こそ完全に中に倒れた。
「仏頂面ァ、いい度胸だ」
部屋の中に足を進める。仏頂面が毎日つけているらしい日記があったが、下を見て歩く男でないため伊達はきっかりとその表表紙を踏みつけにして部屋を見渡す。
辛気臭ぇ部屋だ、そういえば仏頂面の部屋に入ったのは初めてかもしれぬ。
見渡す、といっても見るべきものもない。
一組の布団、文机、仕事用の地味で野暮くさいスーツ。それから本棚。押し入れ。
どこを見てもあの仏頂面の姿は見当たらぬ。
ふん、伊達は落ちていたハンガーを手にした。槍を持ち出すまでもない、あれが出てきたらこいつで頭をどついてやろうと思う。
「いませんねぇ」
暢気な言葉とともに家事手伝い見習いが部屋に踏み込み、馬鹿よせ入るんじゃねぇと伊達が止めるまもなく足の裏に木屑を踏みつけ痛い痛いと騒ぐ。
仏頂面を殴る予定だったハンガーをそのまま手首を返して家事手伝い見習いをしばくのに充て、伊達は憤然とぴっちり閉ざされている押入れの戸へ指をかけた。
こんなにいい秋晴れの朝、仏頂面が押し入れの戸を閉ざすはずもねぇ。伊達は確実にここに居ると踏んでいる。
しかしたった六畳のこの部屋、他に隠れられるところもなし。当然といえば当然。
「出てこい、つまらんかくれんぼは終わりだ」
指に力を込めると内側からそれを拒む、逆ベクトルの力が働く。
ここにいるのは確実となった。
必死に押さえているらしいが相手が悪い。なんといっても伊達臣人、力で勝とうとするのがそもそもの間違い。
勝とうとするならそれこそ、剣桃太郎や江田島平八、もしくは飛燕でも連れてこなければなるまい。
あるいは、虎丸龍次。
ビッシャーン!と戸が横に勢いをつけてひらいた。内側で押さえていた指が耐え切れなくなったと思われる。立て付けの悪い戸は文句も言わず逆らわずに伊達のベクトルへ負けた。
薄暗く狭い押入れに仏頂面がいた。
綿入れをかぶり、胸に一つ桐箱を抱えた仏頂面が真っ青になっていた。
沈黙が降りてきて積もっていく。
さびれた六畳間の空気が重たく重たく沈んでいく。家事手伝い見習いは息苦しさを覚えた。
伊達は笑っている。
虎丸あたりが見たら、やっぱおまえはサドっ気があるんじゃなんじゃと色々言いそうな人の悪い笑みだった。
人の悪い笑みではない。
悪い人の笑みだ。
「……さあ聞かせてもらおうか仏頂面、俺を怒らせた罪は相当重い」
フハハハ、そんな高笑いすら聞こえてきそうなその笑い。さてこれからどうしてやろうと舌なめずりでもしていそうな。
お父さんお父さん魔王が何か言うよ、家事手伝い見習いは呟いて、それから小走りに逃げた。
ご丁寧に伊達は仏頂面の襟首を引っつかむと座敷へと引き摺っていく。お白洲へ引き出されていく罪人を家事手伝い見習いは連想した。
力なくされるがままの仏頂面はやはり二十センチ四方の桐箱を抱えている。
あれなんだろうな、好奇心は猫を殺すという言葉をしらない家事手伝い見習いは足音を殺して締め切られた座敷の障子側へ回り込み、耳をそばだてた。
「説明しろ」
伊達は目の前のお膳、お膳とも呼べない朝食を顎でしゃくってみせた。
飯、椀の中で汁を吸いたいだけ吸って元がなんなのかすら分からなくなったチキンラーメン。
「俺がこれを食わされるだけの理由があるなら言え」
嫌ァな聞き方するなぁ、家事手伝い見習いは顔をしかめた。
障子の中で仏頂面は覚悟を決めたらしい。あの桐箱を開ける音。
「っ、」
珍しい、組長が声を上げて驚くなんて。
ますます中が見たくなった。
「私の不手際で、これを割ってしまいました。申し訳もございません」
仏頂面のいつもの、あのぼつぼつ抑揚のない声。不機嫌なのかとよく尋ねられるあの顔が強張っているのが目に見えるようだ。
「お前…」
ますます珍しい、組長が言葉を失い、続ける言葉を選んでいる。
伊達の物言いは突発だ。ふりかかってきた飛沫を跳ねるようにして言葉を弾く、が決して短絡的なものはない。むしろその有り余る頭の回転からか凡人が熟慮の末に弾き出す言葉とそうそう変わらぬ。むしろ上回っていることも多い。
「組長の誕生祝にと、虎丸さまがお作りになった茶碗です」
ああアレ。家事手伝い見習いにとってはあのひしゃげたような、下手糞が一生懸命にこしらえた以上には見えないあの茶碗。
伊万里焼きの茶碗だと確か言っていた。青の絵まで作者が自分で描いたって、確かにどうにも下手糞だ。蓋のついた立派なものだが、どこか間が抜けてひしゃげている。
組長、確かなんだこんなクズ茶碗がと言ってたのに大事に大事にしまいこんでたんだったっけ。
家事手伝い見習いの頭にあった、あの鬼の組長があるかなしかの優しいらしい笑みを浮かべてその茶碗を撫でていたのを思い出す。
「お前がやったのか」
珍しいこと続きだ。
こうして私がやりましたと申し出ているのに、繰り返し罪を問いかけるようなことはしない男である。
それだけ、ショックがあるということだった。
「はい、持ち上げたところ手を滑らせて割ってしまいました」
はっきりと、仏頂面は言った。
損な人だよなぁと家事手伝い見習いは評す。怒られている時にはふてくされていると言われ、喜んでいる時には辛気臭い顔だと言われる顔だ。
それこそが伊達が仏頂面を好む理由であることは本人すら知らぬ。
うわべだけの笑顔なぞ捨ててしまえ、胸糞の悪い。
初対面、少しでもと作り上げた仏頂面の笑顔を切り捨てた伊達はそこまで怒ってはいない。
怒っているのは隠そうとしたこと、それに尽きる。
物というのは壊れるが道理、それを壊したからと言ってそこまで怒るようなことではない。壊していいというわけではないが、そこを咎めるならば最初から金属の皿でも使えばいいと伊達は思っている。現に伊達はいくつも割ってきた。
だが、虎丸が伊達のために作ったという茶碗と言うとそれは例外に値すると仏頂面は思っている。思い込んでいる。
頬が白く、こけている。悩んだのであろう。畳に擦れた音がした。おそらく頭を下げたんだな、と予想ができる。
「申し訳ございません、この責任を取り…」
早まっちゃった、危うく叫ぶところ。口をばっと押さえて、言葉を飲み込む。
と、立ち上がる気配。
びしゃりと乱暴に障子が開け放たれた。背中を丸め、もたれかかるようにして聞き耳を立てていた家事手伝い見習いはころりと座敷に転がり込んだ。
「わっ」
全て伊達にはお見通しだった。薄い障子紙にはありありと浅はかなる家事手伝い見習いの姿が見えていたことだろう。
「飛行機の席を用意しろ」
「へっ?」
「新潟だ。三人分用意しろ」
「新潟なら夜行バス」
べしっ、とあまり痛くはなさそうな音が、はたかれた額から鳴った。あわい痛みは後からやってくる。
馬鹿だな、と家事手伝いを見下ろす伊達の顔はいつも通り険しいが、どこかしょうがねぇなぁと苦笑するような色も滲んでいる。ように思われる。
「ヤクザが夜行バスに乗り込んでどうする、さっさとチケットを取って来い」
「は、はぁい」
家事手伝い見習いはどったどったとあわただしく廊下を走って行く。常々静かに廊下を歩けと仏頂面は言っていたのだが。
座敷に首だけ振り向くと仏頂面を睨み下ろす。仏頂面は硬くなったまま、唇を結んで動かない。
「お前は留守番だ。何日か留守にする」
「しかし」
「しかしじゃねぇ、いいか。命令だ」
命令。これに滅法弱い仏頂面は結局はいと頷いて、まずその朝食を下げた。
その直後、伊達は嫌がる家事手伝い見習いを引き摺って新潟へと旅立って行った。
随分と秋にしては豪勢に寒い夕暮れ。夕日を背負うのが誰より似合うと仏頂面が信じる我らが組長の凱旋である。
「おい酒を用意しろ」
車から降りて、帰ってくるなり伊達はそう言った。仏頂面は少し痩せたようだった。
はいと答える声にも張りがない。と、
「おう、俺ゃ先にフロがいい」
元気よく車から降りてきたのは虎丸龍次、例の茶碗の作者だった。ますます仏頂面は肝を細らせる。
「風呂だ、それから酒。後は俺が呼ぶまで部屋で控えてろ」
背中を丸め、ため息をつきながら仏頂面は湯殿へと向かった。
呼ばれるまでおよそ二時間。
時が止まったようである。六畳間、ああここから離れるのは嫌だと切切と思った。
給料なぞなくてもかまわぬ。だからここで働きたいと思った。
自分で蒔いた種は自分で刈り取るのが男、そうわかってはいる。そう伊達から直に言葉にではないが教わってきた。
男の中の男を見たと思ったのだ。伊達本人だけではない、その周りにいたるまでが本当の男だけだ。
月が出ている。青いひかりがさしてきて、首筋にかかっていたのに気付き顔を上げる。
窓には寒さに呼ばれて月がしらしらと出ていた。
隙間風は驚くほど冷たい。
なら、今日の夕飯はあたたかなものを出さねばと考えかけて笑ってしまう。自分が考えているのはどこまでもこの伊達家だった。
「仏頂面さん」
呼ばれて、仏頂面は月より青い顔ではいと頷いた。
座敷に通される。膝をつくと縁側から障子を開けて、入る。
「参りました」
「ああ、そこに座れ」
仏頂面は眼を疑った。
大きな黒塗りの卓、上座に家長伊達臣人。左に虎丸、その隣に家事手伝い見習いも控えている。
その卓の上には料理が並んでいる。自分が指図したわけでもないのに、料理人が来たわけでもないのに立派に料理が並んでいた。
伊万里の大皿には薄くあぶらの匂う甘鯛の刺身、細切りのシソの緑が映えている。松皮と普通の刺身が半々。
薬味は紅葉おろしに細く切ったえびすめ、わさびが織部の器に。
徳利にぐい飲みはやはり伊万里だ。匂いを嗅ぐだけで新潟の『群青』だと知れた。
塗り箸。箸置きはあの家事取締り見習いにぶつけられた備前だった。
椀。中にはその甘鯛のアラでこしらえたうしお汁がネギも青く熱々と煮えている。
飯碗。深い黒の茶碗に白い飯が粒をそろえて立っていた。
床の間には備前の大壷に無造作に枯れたススキがぶち込んであった。その無造作さがいかにも伊達臣人である。
仏頂面の席にだけ、違う茶碗がある。一番下座の席であった。他の茶碗はそろいの皆蓋付きの赤絵の茶碗。
仏頂面の席にあるのはあの茶碗だった。
真っ二つに割れたはずのあの茶碗。蓋も合わせて割ってしまった、あの伊万里。
伊達の顔もだが、虎丸の顔を見るのも辛かった。お互いが幸せになってくれることを誰より望んでいたという自負があるだけ辛かった。
「組長――」
「座れ」
上からこう押し付けられては座らざるを得ない。
伊達と向き合う席に、仏頂面は腰を下ろした。
「あ――」
仏頂面は気付いた。
この箸は確か、組長が蟹を召し上がった時にぽっきり折ってしまって――
「食え」
「は、はい」
虎丸がまずは酒じゃと騒ぎ、徳利を手に伊達にお酌してやる。色気もなにもない手つきでどんどんとぐい飲みに酒を注いだ。溢れて伊達の膝を濡らした。
伊達は虎丸の頭を叩いた。さすがに立ち上がって尻を蹴飛ばすわけにもいかぬ。
――あの徳利、ぐい飲み、確かに組長が怒りに任せて砕かれた、あの。
「ぷっはぁっ、うめぇ〜、やっぱりおめぇの言った酒なだけあるのう」
「当然だ」
伊達は眼を伏せた、うるわしい睫、まぶたが震える。素っ気無いが酒を楽しんでいるように見えた。
伊達は醤油皿に醤油をそそぎ、薬味皿からえびすめを取った。
―――やはり。ああ。あの薬味皿。
「組長、」
「まずは熱いうちに食え、冷める」
冷たい一言に打たれて言葉を遮られる。背中から月光が首筋に注ぐ。部屋が極力暗くしてあるのと、ススキが活けられているのはどうも遅い月見という趣向であるらしかった。
割れたはずだった、伊万里の茶碗。青も鮮やかに下手糞な絵付けはおそらく虎らしい豪胆な図柄に見える。
蓋に手をかけるとやはり、真っ二つに割れたはずの蓋、青の絵柄の真ん中をゆくそこに銀が一筋。
銀で接いであるのだ。
茶碗を恐る恐る手にしてみると、割れていた茶碗には潔く割れたがどうだ、悪いかといわんばかりに堂堂と銀接ぎが施されている。
青に銀がしっくりと馴染んでいた、茶碗の蓋を取る。指先が震えていた。
飛び出てきたのは茶碗蒸しだった。
青の伊万里の中に、明るすぎるほどの茶碗蒸し。欠けひとつない望月にも見える。
これを含めて月見とするのだろう。匙を手に、茶碗蒸しを一口掬って口に入れた。
熱い。
熱い。
具は無い。ただ玉子と出汁のみの茶碗蒸しは腹に染みた。
「どうだ、泣くほどうめえだろうが」
うまいか?とは聞かない。伊達は尽きない自信で、首を傾げると右側の唇を吊り上げたまま聞いた。
「……はい」
「俺が作ったんだ、当然だ」
涙が滲みそうだったが、仏頂面は持ち前の硬い表情筋でもって堪えた。まったく料理までこなすとは。
虎丸は隣の家事手伝い見習いに何事か言っている。言われたとおり、二人そろって茶碗蒸しを細かく崩すと飯にざぶざぶとかけて匙で掬って食べる。
うまそうに目尻をさげている二人。
たちまち二人はお代わりをした。
「汚ねぇ食い方をするんじゃねぇ、せっかくスを立てずに作ったってのにお前らはよ」
「こうすんのが一番うめえんじゃ、いいからおめえもやってみろい」
虎丸は飯粒を頬につけたまま、箸を振り上げた。たちまち伊達と家事取締り手伝い両側からたしなめられる。
「なぁ、そんな気にしてんなって。えれぇ先生の茶碗ならそりゃ一大事だけどよ、俺みてぇな素人茶碗さしてどうっちゅうこともねぇだろうに」
「いえ、でも」
虎丸は間違っている。自分を励まそうという心遣いは嬉しいが、それでもあの茶碗は組長にとってこの家の何より大事なものの一つだったはずなのだ。
それを言おうにも言葉が出ない。顔もいつも通りの仏頂面、すまなそうな顔もできぬ。
ああどうして自分はこんなにも仏頂面なのだ。
「仏頂面」
伊達に呼ばれ、眼を合わせるしかない。眼をそらすというのはすなわち不忠に取られても仕方の無いこと。それは嫌だった。
「はい」
「その茶碗蒸し、ちっとでも中身が漏れたか」
言われて素直に茶碗を持ち上げ、つぶさに見てみる。一滴とて漏れてはいない。
「い、いいえ」
「当然だ。それは俺が接いできたんだからな」
「……組長が?」
「十分に使える。てめぇが言ったことだろうが。…………それだけだ」
伊達は着物の袖から腕を出して、ぐいと酒を飲んだ。
これまでのようだった。
「仏頂面さん」
「……はい」
「よかったぁ」
家事手伝い見習いの笑顔が、呆れるほどに素直で嬉しい。おうじゃおうじゃともう酔いが回ったのか、虎丸も囃す。それが嬉しいやら。
ああそうだ。私は組長が上下させている箸を見た。折れたものをつなぎ合わせ、上から漆を何度も塗り重ねたんだった。
私は薬味をとりわけながら、その薬味皿を見た。絢爛たる織部、だがこれはもともともっと大きな大皿だった。割れたのを端をきちんと欠いて私が薬味小皿にした。
徳利、ぐいのみ。せっかくの対で生まれた二つが哀れと、割れた破片をあわせて金で接いでもらった。甘鯛の伊万里も銀で。
床の間の備前の大壷だって、そうだ。
はじめて私が触れて、作り変えたのがこの箸置だ。破片を丁寧に削って。
接ぎを頼んだ職人さんの笑顔が忘れられない。まさか組長がご自分でされるとは思わなかったけど、というかそんなことまでたった数日で出来てしまうあたりがどこまでも伊達臣人なんですね。
組長、あの。
とても口下手で、仏頂面ですが。
これからもどうか、よろしくお願いいたします。
「仏頂面」
「はい」
私は背筋を伸ばした。甘鯛でシソとえびすめを包んでほお張る。舌の上であぶらと薬味がにおいたつ。
もっと味わっていたいのをガマンして飲み込み、慌てて返事をした。
「鯛茶の用意だ。半身が調理場に残っている」
「かしこまりました」
一礼。起立。
感謝をこめて、もう一度一礼。
縁側から続く廊下に出ると、私は顔を手の平でしゃんと打った。さあ、家事取締筆頭、出陣だ。私の戦場はこの家だろう。
お前なんぞいらないといわれるまで、ここにしがみつくのだ。
そうとも、そうであるとも。
確かに戦場だった。
私は顔に極力怒りを滲ませないようにして、鯛茶を三人前準備すると座敷へ戻る。
ああ、ああ。
怒りが性懲りも無く沸いている。
「おまたせしました」
「し、しーっ!」
座敷に踏み込むなり虎丸さまと家事手伝い見習いの二人にしーっ、とされてしまった。何事であるか。
眼を薄暗い座敷にやると、組長の姿が無い。
「組長は?」
家事取締り見習いが声を潜めて、こっち、と言って虎丸さまのあたりを指差した。
意味がわからず、盆を下ろすともう一歩踏み込む。
あ。
「組長………」
一年に二度、あるかなしか。
滅多どころじゃない珍しい光景だった。
組長が寝息を立てて、虎丸様の膝というか投げ出していた足にずるずると持たれて眠っている。
おそらく夢うつつといったところだ。熟睡を中々されないこの方のこと、手拍子の一つで起きてしまいそうだ。
人前で寝顔をさらすことなどない人なのに、よほどお疲れなのだろう。
いくら組長とは言っても、焼き物は門外漢だったに違いないのだ。
私は急速に怒りがしぼんでいくのを感じた。
調理場ときたら、それはそれは恐ろしい有様だったのだ。鱗は飛び、血が滴り。ガス台は吹き零れ跡がびっちり。
床には割れたらしい皿や調理器具が散乱。
玉子のカラは床で粉々に砕けている。
鍋が何故か底をなくして転がっていた。
これを片付けるには何時間もかかりそうだと見当がつく。ああ、思い出すとどうしても怒りが沸きそうだ。
だが、目の前でうとうとしている組長を見たらそんなことどうでもよくなった。
私はここで、家事取締筆頭の貫目とやらを見せることにする。
「組長」
虎丸さまと家事手伝い見習いが同時にこちらを見た。反応がイチイチ似ていておかしい。
「……なんだ」
返答はいつだってしっかりしている。いくら疲れていても眠くてもそれが伊達組長だと私は知っている。
寝惚けているに違いない、寝姿を見られて恥ずかしいに違いないのに、それでもいつも通りに振舞う。
「お布団の用意が出来ています、そちらへ」
虎丸さまに目配せをする。虎丸さまは音の出そうなウインク一つ、組長の体をやすやすと抱えるようにしながら部屋を出て行く。
ゆっくりゆっくり歩いていく。
「余計なことするんじゃねぇ、一人で歩ける」
そう虎丸さまを振り払おうとする組長に向けて、私は言葉を続けた。いつだって甘えをよしとしない組長に安らがせてさしあげたいと強く思う。
「虎丸さまが酔われてしまって、組長と寝るとおっしゃって聞いてくださらないのです」
虎丸さまはニッと歯を見せて笑った。目配せをひとつ、すぐさま家事手伝い見習いが廊下を布団の準備だと走っていく。
「仕方のねぇ野郎だ。気色の悪いこと抜かしやがって」
「すまんのぉ、でも俺ゃ今日は伊達と一緒じゃなきゃ嫌じゃ」
「……チッ」
組長は虎丸さまに支えられて、布団が乱暴だろうけど敷かれたはずの部屋に雪崩れ込んで行った。
それを最後まで見送って、私はまた顔をはたいた。月が出ている。青青白白つめたく照っている。
私は家事取締筆頭、さあ、組長の後片付けに参りますか。
「仏頂面さん」
ああ、家事手伝い見習いさんが戻ってきましたね。どうしたんですか青い顔して。
「あの、えっと…無事でしょうか」
無事?ああ、虎丸さまですか?
気になりますか、やっぱり。いや、中々言いづらいことですけれど、
「私はあくまで組長の味方なので、絶対に邪魔はいたしませんよ」
そんなぁ、と家事手伝い見習いさんは悲鳴を上げた。ごめんなさい。
さ、片付けをしますよ。根性入れて片付けしてくださいね、見習いさん。
私は月に背中を向けて、袖を強く捲り上げながら戦場へと戻る。
Copyright (c) 2007 1010 All rights reserved.
