虎丸と伊達と臣人

黄色い薔薇、赤い薔薇、白い薔薇黒い薔薇人の名前のついた薔薇。名前は知らないが、不思議なまだら模様の薔薇。
青い薔薇以外の薔薇という薔薇がそこにはあった。
男塾の敷地の端、田舎農家のビニルハウスのような素朴なものではあったが、そこに薔薇園はあった。
手入れするのは死天王が一人、センクウ。虫がつかないように、倒れないように、日が均一にあたるように。
今も一つのつぼみをつぶさぬように手の平にそうっと乗せて、息すらかけないようにつぶさに見ている。
「うむ」
きちんと育っているようだ。センクウは満足げに頷いた。額には汗をかいている、夏にはまだ一月はあるというのにビニルハウス内はむっとするほど暑かった。
贅沢を言えばドーム型の、ガラス張りの温室が欲しかったところだがここは男塾である。自分以外にその趣味を解してくれるものがほとんど居ない以上、近所の大根農家から払い下げてもらったこのビニルハウスで我慢せざるを得ない。時折飛燕などが鋏を手に出入しているが、花盗人は罪にはならない。全て摘み取っていくわけでもなし放任していた。薔薇を見て、少しでも塾生達のすさんだ心がその美しさに癒されればとも思う。

小さな青い、園芸用スコップでまだ何も植えられていない土を掘る。
さて何を植えようか、そういう事を考えている時間がセンクウは好きである。
やれ飯だそれ女だ、そういう事を考えるよりも好きである。
美しいものが好きであった。幼い頃辞書で初めて『薔薇』という言葉を見つけたとき、その字面の美しさに震えたことを思い出す。
ああ、ここには白い薔薇を植えよう。
さくり。湿り気のある土から臭いが立ち上った。
手が止まる。
センクウが決め、スコップを入れた土の中、なにやら見慣れない、石とも違う白っぽい塊があった。
「おう」
唸り、眉をひそめてそれへと手を伸ばした。指先でもって摘み上げる。
どうしたものか、声には出さず動きを止めた。そして、
「あいつにやるか」
こういったものに適した男の顔を思い浮かべると、センクウは温室を後にした。










「おまえにやろう」
と、手の平の上に転がされたのはまぎれもなく虫。
「え、え、」
虎丸はフリーズした。瞳孔も心なしか開いているように思う。
「好きにするがいい」
用は済んだ、とばかりに『それ』を渡し終えたセンクウはその手をハンカチーフ(塾生なら手ぬぐい、飛燕ならハンカチ、ディーノならハンケチだ)で綺麗にしながら背中を向けた。静かな風が一吹きするようにすぐにその姿が見えなくなる。
虎丸はフリーズした。間抜けにぽぁっと口は開いたまま。
手の平の上に乗せられた白い塊、
「き、きっしょく悪いモン残して消えてんじゃねぇ!!」
もといなにかしらの、幼虫がうねうねとのたうった。
喉を鳴らして虎丸は絶叫した。
虫という虫が目指す季節、夏。
暑い熱いしたたるような夏に向けて手の平の上の虫は決意も新たに、にょっきと伸びた。

















「それでこれをどうして俺のところにもってきてコソコソ机の引き出しにって開けるな、開けて入れるな馬鹿野郎閉めるな入れっぱなしで閉めるなおい殴るぞ殴るからな」
「だってーー!!」
今の虎丸の絶叫。決して『だって』であって『伊達ぇ』ではない。伊達は腹を立てた。俺に泣き付いたらいい、俺はお前を拒んだりしないのにどうしてお前が泣き付く先は富樫の馬鹿なんだ。理不尽だ。
伊達は腹を立てた。
伊達が部屋に入ったら、虎丸が腰をかがめて自分の机の引き出しをこそこそと開けている。確立は低いが恋文という確率が無いわけでもない。大体虎丸が字をまともにかけるかどうかも怪しいとすら考えていたけれどそれでも確立は無いわけではない。期待をした。
期待というものを伊達はしない。期待というのはしてはならないというのが伊達の美学であった。待つこと待ちわびることただ願うことそれは怠惰だと伊達は考える。待つのでなく近づく、掴み取る、手を伸ばす。だが人の気持ちばかりはそうもいかない。
珍しく伊達は期待をした。
虎丸の手に何かうごめくものがあるのを見るまでは。
あっやべぇ見つかった!振り返った虎丸が慌ててそれを隠そうとする前に、伊達の嫌味なほどに長い脚がその尻を捉える。蹴飛ばす。
いつもより力が入っていたのに伊達は気づかない振りをした。舌打ちをするか唾でも吐きたいような気分であった。
「いっでぇえッ!い、いきなり何するんじゃい!いきなり蹴飛ばすやつがあっかよ!」
尻を押さえて這い蹲りながらも虎丸は何か乗せた方の手だけはそれを落とさぬようにと地面と平行を保った。その手の平の上を伊達は睨む。うねうねと動いている。
「それは何の冗談だ」
「じょ、冗談じゃねぇやい!」
虎丸は怒鳴り返した。
「嫌がらせか」
平然と伊達は応じる。声も冷えていく。
「違わい!」
「じゃあ何だ」
ええと―――、虎丸は詰まる。目が泳ぐ、白黒させる。不審なことこのうえなかった。伊達はますます眉間に皺を深くした。今にも手をさッと伸ばして槍を脚から取り出しそうな、緊迫した気配。
「………た、ただの幼虫じゃ」
にゅっ!呼ばれたとでも思ったのか、虎丸の手の平の上でそれは伸び縮みした。にゅっ!と頭をもたげるそれに伊達は眼を丸くした。涼しい伊達男顔が少し間の抜けたものになるが、その分生まれた親しみやすさでプラスマイナスは0である。まったくもって伊達で、どんな顔をしたってこいつぁそれなり格好いい。そう虎丸は口に出したらその瞬間にのたうちまわって後悔しそうなことを考えた。
「何の」
動揺の分、伊達の詰問の矛先は見当違いの方向へそれた。こんな、青白い幼虫の種類なんぞどうでもいい、どうしてお前がそれを俺の机の引き出しにこっそり捨てていこうとしたのか、色々聞くべきことはあったのだが。
「カブト虫」
「それで」
「センクウがくれた」
「そうか」
「育て方がわかんねぇ」
「………で?」
「お前ならなんとかなるんじゃねぇかって思って」
「どうしてだ」
悪びれず明るく朗らかに無邪気に、これぞ虎丸という笑顔で虎丸は答えた。
「…カブト虫つながりで!」
その笑顔を崩さないまま、虎丸はガラスを粉々にしながら窓から蹴り出された。運悪くすぐ外に松尾が居たようで、身体に似合わない可愛いきゃぁという悲鳴が伊達の耳にも届く。
カブト虫の幼虫は運よく何をまぬがれ、伊達の机の上に着地するとまた、にょきにょきと鈍い動作で伸び縮みした。
夏は近い。
伊達は額の汗を拭いながらガラスの破片で血まみれになっている虎丸を睨んだ。







臣人と名づけられたカブト虫の幼虫は大きな水槽に入れられて、伊達の机を占拠している。
がらんとしたその水槽の中、疲れたように動きもせずその親指ほどの姿をくったりと伸ばしているのに虎丸、隣の伊達の袖を掴んだ。
「見ろィ、てめぇがわやくちゃ難癖つけるから、臣人が疲れちまったじゃねぇか」
「……その臣人っていうのをやめろ」
「いいじゃねぇか減るもんじゃなし、名前を貸してやると思ってさ」
にょ、臣人が少しだけ動く。本人にねぇいいでしょ?と聞かれたような気分に陥って伊達は沁みだらけで人の顔が見えそうな天井を仰いだ。ああ畜生。
畜生。
「……で、どうする気だ」
「そりゃ育てるぜ、せっかく俺のトコ来たんだから」
「この水槽はどうした」
「おお、前ーにフナだかを飼ってたって。元飼い主の赤石先輩から貰ってきたんじゃ」
「……そのフナはどうした」
「食われたってよ」
猫にか、と伊達は聞こうとしたがやめた。六割の確率で返ってくるかもしれない、返事が怖かった。
さすがに人のペットにまで手を出すほど空腹に喘いでいる友の姿を想像したくは無かったのである。
さぁてと、虎丸は立ち上がった。だらしないほどの笑顔で行ってくるからな臣人、と声をかけ、太い指先でもって臣人の頭と思しき部分を力を加減してちょいと突く。臣人はふにゃりと嬉しそうに見えなくも無い様子で、汚いガラス水槽の中を丸太のように横へ転げて丸まった。
「伊達、図書室に行こうぜ」
この男塾に図書室があったのか、というよりも先に、虎丸の頭に図書室という単語がきちんと入っていたことに伊達は驚いた。
そうからかってやってもよかったが、せっかく虎丸がわからないことがある→調べる→本で→図書室へ、というきちんとした手順を踏んでいることをたまには褒めてやってもいいかと思い、無言で頷くと後に続いて立ち上がった。ちらりと横目に臣人を見る。
くったりと横たわっている。動かない。
弱っているのかもしれない、と思えば伊達にも虎丸の焦りのようなものが全部ではないが伝わった。

虎丸に気づかれぬように最小限だが、伊達は歩みを速めた。




『カブト虫の飼い方』
閑散とした、存在自体を忘れられたような薄暗い図書室の中、伊達と虎丸は口も利かずに本を探した。見つけたのがこの本である。
まさに二人が探していた本そのものである。そこまで大きくもなく、ハードカバーの色あせてはいるがカラー表紙、厚さ二センチほどのA4本であった。
いそいそ二人、年末すら掃除をされていなかったらしく埃厚く積もった机の上に本を乗せ、肩をぶつけるようにして覗き込む。椅子はあったが腰掛けるのがはばかられる、尻を真っ白にする気は二人ともなかった。
六つ有るテーブルの上に電気はそれぞれ白熱灯一つきり。舞い上がる埃がきらきらと上下する中、虎丸は唇をとんがらせて読み上げた。椅子に座らなかったのは懸命だったが、虎丸の学ランの袖、肘にかけては机と擦れて真っ白になっている。伊達は気づいて眉をぴくりと動かしたが見なかったことにした。
「エー、え、カブト虫の…に、必要な、は、まず第一に、……箱、専用の、が、無ければでも、」
伊達は虎丸の頭をぶん殴った。こういう暴力じみたスキンシップを取る男では本来ない、虎丸が聞けば怒るだろうが虎丸はいいのだと思っている節がある。
イテェと頭を抱えた虎丸の前から本を引ったくり、持ち上げると教師が読み聞かせをするようにして読み上げた。その拍子に伊達の袖が白く汚れたが本人は構わない。
「読める字だけ拾ってどうする。いいか、カブト虫の育成に必要なのはまず第一に清潔な飼育箱。専用の飼育箱が無ければ水槽でも可である。また、これらの箱に虫を入れる前には必ず熱湯にて消毒を行うことが重要である。カブト虫の育成でダニや実バエなどの小さな虫は天敵となりうる。消毒の済んだ飼育箱には……」
ぼぇっと、ほうけたように虎丸は伊達の顔を見た。眼を伏せて、難しい言葉だろうが発音しにくい単語だろうがすべてなぎ倒して静かにゆっくりと、いい声で読み進める伊達を見つめた。なんだ伊達の奴。格好いいじゃねぇか、素直に虎丸は感心した。乙女がきゅんとして赤いほっぺたを顔を背けるのでなく、デパートの屋上や日曜日朝のヒーローを見るときのような憧れを抱く。更に見つめた。
「幼虫時は餌を特に与えることは必要なく、その代わりによくほぐれた腐葉土をたっぷりと箱に入れておく。目安として一匹の幼虫が成虫になるまで15リットルほどの腐葉土が必要となるのであらかじめ用意したい。自分で腐葉土を作成する際には、腐った木片をた出来うる限り細かくして消化をよくしてやること。できなければ市販の物を買うことをおすすめする。見た目にフンと腐葉土は見分けがつけづらいが、食欲は驚くほど旺盛なため出来ればこまめに取り替えることが必要である。なお、その取り替えられた腐葉土は植物の育成には最適であるのであわせて利用したい。カブト虫は非常に成長が早く生まれてから一ヶ月ほどで、大きいものでは十センチ近くにまで成長する」
ひそかに伊達は困っていた。虎丸がそのでっかい眼、認めたくはないが贔屓目にうるうると言ってやってもいい眼を見開いて自分を見つめている。にわかに気温が上がったように伊達には思われる。しかしこんな、虎丸一人が自分を見ているだけで調子を崩すというのは伊達の天より高いプライドが許さなかった。平然と読み進める。
虎丸はまだ見ている。その視線には自分に対して好印象を抱いているようにしか思えず、混乱した。何がそんなに虎丸の気を惹いたのだかとんと分からない。センクウ言うところの耽美なシチュエーションではあった。誰も居ない埃だらけの薄暗い図書室、制服の男子生徒二人きり。友達未満の恋人未満。しかしその二人が伊達と虎丸である。そういう耽美とかそういうものにはなりそうもなかった。
「実バエを見つけたらすぐ処理をすること。でないとあっという間に黒山となってしまう。餌となる食物がないため幼虫時にはそこまで気をつけなくともいいが、成虫になってスイカや蜜を置いてしまうと虫はとたんに集まってくるので注意が必要である」
伊達はもう本を読むのをやめてしまおうかと思った。だいたいどうして自分が読んでやらねばならないのかわからない。こんなカビ臭いところで読まなくても、部屋に持って行って分からない時に開けばいいことであった。気づくのが遅かったが。もうやめてしまおう、伊達は虎丸を見た。
「………」
「成虫の羽の隙間や、蛇腹状の腹に白いゴマ粒のようなものが見えたら要注意である。それはダニや寄生虫で、放っておくと体を内側から食い荒らすことになりかねない。慎重に歯ブラシ等をつかって払いのける処理を行うこと」
まだ自分を真っ直ぐ、正面きって見ている。腕も組まず棒立ちで、柱に背中を預けて本を読み上げる伊達を静かに眼を輝かせて見ていた。読むスピードが心臓のリズムと比例して跳ね上がったり飛んだり走ったりしないように苦心する。



「………以上の点を守って、楽しく有意義なカブト虫の研究をされたし」
とうとう、最後まで読んでしまった。喉が渇いているのに伊達は読み終えてようやく気づく。先程まで暗幕のように部屋を覆っていた黒いカーテンの隙間から黄色の太陽光が差し込んで明るみを増した虎丸の茶色い髪の毛や目を見たと思ったのだが、もう光源は頭上の白熱灯しかない。部屋の壁に掛かっていた丸時計を見る、誰にも見られていなかったのに時計はきちんと動いていて、仕事ぶりを主張するように七時過ぎを指していた。
「……わかったか」
「おう、これで大丈夫じゃ!」
腕を振り上げて答える。元気が良い。いつでも鮮度抜群だと本人が言うほどその元気のよさは虎丸のとりえだったが、塾長の演説中に寝るような男がよくこれだけ長い間黙って人の面白くも無い話を聞いていたと伊達はひそかに驚く。疲労感は確かに喉や本を支え続けた腕に多少あったが、それも心地よいものであった。
「伊達がいりゃ、大丈夫だっちゅうことだの!わはははッ」
のけぞって馬鹿笑いを静かであった部屋の壁に叩きつけ、本を持ったままの伊達の腕を掴むと行こうぜ腹減ったと促した。伊達と比べるといくぶん短い脚をがに股にドカドカとうるさく図書室を後にする。
黙ったままの伊達の横顔に、虎丸は少し低い位置から声をかけた。
「伊達よぉ」
「……なんだ」
「お前しょーらいメガネとかかけてスーツ着てよぉ、バシンとガッコの先公とかやったらどうだよ」
「いきなり何だ」
「ウーン、なんつうかその、きらーんてメガネが似合いそうだった」
「そうかよ」
「アタマすげぇよさそうだった」
「テメェよりはな」
憎まれ口を叩きながら伊達はきゅっと口元に力を入れて緩みそうになるのを止めた。
これはもしかしなくとも褒められている。それも容姿で。伊達は胸に温かいものを感じた。馬鹿の虎丸に口先で褒めてもらおうと思ったことはなかった、みょうちきりんな例えを出されて落胆するのがオチだと思っていたし、虎丸は言葉より態度のほうが雄弁な男である。態度で示してもらえたらそれで満足だった。
だがいざ褒められてみると、そのたどたどしい言葉や頭の悪そうな単語のチョイスは直に胸に入ってきた。嘘も世辞もない言葉はいつだってその目線と同じように真っ直ぐである。
伊達は照れた。
「……フン」
「やっぱおまえ、やっさしいな」
ゴガン!!
伊達は盛大に壁を拳で殴った。老朽化の進む男塾の木製の壁が凹む。
「どうしたんだよ」
「虫だ」
「そか」
「………」
「臣人」
ぽつりと唐突に名前を呼ばれ、まだ平静を取り戻せない伊達は本を取り落としそうになる。まだか、まだ部屋につかないか、いや着かなくていい。
おみと。跳ね返るほどではなかったが、少なくとも伊達には当たった。おみと。
「!」
「臣人腹空かせてんじゃねぇかな」
「……そ、そうか」
落胆したことに気づきたくない。伊達はさくさくと脚を速めた。虎丸がとことことついてくる。最近伊達が気づいたことではあるが、虎丸の足音がたまにとことこと聞こえることがあった。いつもというわけではないし、虎丸以外は聞こえない。一度桃に恥を忍んで相談したことがあったのを伊達は思い出した。
『そういえば俺も、富樫の足音がな』
『お前もか』
『ぴよぴよと聞こえることがある』
『………』
首を左右に振った。思い出さなくてもいいことを思い出してしまったと伊達は頭痛を覚えた。錯覚だ、錯覚。そうとも、そうであるとも。















かくして、虎丸と伊達と臣人の生活が始まった。
モクジ
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