探り当てて脈脈
秋はどこだ。
秋はもういる。そんなワケがあるか、見ろ、太陽はあんなに照っている。
俺は吐いた。ロクなモン食っている訳でもねぇのに盛大にゲェゲェと便所に吐いた。
富樫。
俺は口元を拭うと富樫へ向かった。
太陽が白すぎた。
なぁ富樫、手をつなごうぜ。
ようやく見つけた富樫にそう言うと学帽のひさしの下からいつものギロ目が睨み返して来た。少しだけ息が落ち着くようだ。
学ランの背中にびっしょりとかいた汗だってひく、目的の富樫がこんなに近い。
「バァロォ、男同士でそんなきっしょくワリィ真似ができっかよ」
「良いだろう別に、つなぐくらい」
頼む富樫握ってくれ、俺はガキのようにまっすぐ手を差し伸べる。指先がかちかちに冷えて動かないんだ、まだ秋だってのに、この間だって真夏日があったのにな。
だけど急に富樫、お前の手が欲しいんだ。
俺の顔はどうだ、笑えてるのか?冗談まじりだ、軽くあくまで軽く。
「なんじゃ、いきなり」
「なんでもさ、急に手をつなぎたくなったんだ」
顔からだけは血の気よ引くな。
秋だっていうのに今日は随分暑いじゃねぇか、だからか。妙に狂った気候がいけねぇんだな。
「照れるなよ富樫」
「照れてねぇや、だいたいテメェはな、そういうタチ悪ィ冗談が多すぎんだよ」
待ってなどいられなかった。これ以上冗談めかして富樫の手を出させる時間も余裕もねぇ。さっと手を伸ばして富樫の手首を捕まえると力を込める。富樫の手首は太い、人差し指と中指だけが一回り回りきって親指にたどり着く。
熱い。
熱い。
握った手に脈が届く、決して薄くはねぇ皮膚の内側から駆け巡って富樫を満たす血液の拍が俺の指先に届く。
ああ、熱い。
俺はそのまま富樫の腕を引き寄せるとその胸に向かって倒れこんだ。
ああ、背中に腕。
いい男だ富樫、本当にな。ワケだってわからねぇだろうに、俺が倒れたから、俺が剣桃太郎だから、俺が友達だからと腕を回して支えてくれる。
富樫、富樫の脈が急に跳ねたのを覚えている。
「驚いたぜアン時ゃあ」
俺の家、離れの和室で障子をすっかり開けて縁側に二人でそろって座っていた。ずいぶん座っていた、一時間近くにもなるだろうか。煌煌と月、真円すこし欠けた月が陰を落としている。
灰皿を用意させたものの富樫はタバコを吸わない。俺の前では決して吸わない。俺が政治家になってから、俺が政治家になったと知ってから俺の前で吸わない。
一度聞いたことがある。
「吸いたいんだろう?俺は気にしねぇから吸えよ」
馬鹿ヤロ、返事は乱暴で簡潔だった。あの頃から何も変わりゃしねぇまっすぐさ、それが俺には酷く嬉しい。
「政治家がタバコの臭いプンプンさせるモンじゃねぇ」
吸いたいんだろうそのイライラに顔をひん曲げながらだったが富樫は言う。俺への気遣いだった。正直に言えば嬉しいことだけど、この気遣いの出所はおそらく塾長だろうな。富樫が塾長についていくって聞いた時は驚かなかった、ああそうだなと納得しただけだった。
男、富樫みてぇな男を貫くには日本はあんまりにもグズグズと甘えきっちまっている。富樫が、あのまっすぐさが盆栽のように小さくまとめられてしまうのはたまらなく嫌だった。
こうして実際に日本を微力ながらでも動かしていける立場の政治家になってよかったと思える、富樫、今の富樫に間に合わなくても誰かの富樫がそうであればいいんじゃねぇか。急ぐことはねぇ、今だって富樫は塾長の枝の下だが、富樫のまま枝ぶりはそのままだ。
「あの時?」
あの時、がいつを指すのかわからないわけじゃねぇ。だがわざとそらっとぼけてみせた、俺だって少しは恥ずかしい。
「トボけんなよ、いきなりブッ倒れたことあったろが」
オールバック、富樫最近少し額が広がってやしねぇか?フッフフ、そうやって毎日ぴっちり撫でつけてばっかりだからかもしれんぜ。
そう俺はブッ倒れた、まさにブッ倒れただ。
富樫が好きだった。あの時は好きになりたてもなりたて、火をつけた紙きれのようにぱっと燃え上がって好きになった。ただでさえ俺達はいつもつり橋の上にいるようだったんだから勢いづくのも無理もなかった。手を伸ばせばそこに富樫がいる、だけど手を伸ばすのも怖かった。俺達はガキだったのだ。俺達じゃない、俺だけガキだった。
触れない。
触れない。
手を伸ばさない俺をたちまち体は拒絶した。
「そうだったか?」
「そうだったんだよ、真っ白なカオでいきなり手を握れって言ってよお」
あのまま富樫の手を握らなかったらもしかして吐いていたかもな、俺は今になってそう思う。体の後押しだ。
体のわがままだ。おい何故おまえ、つまり俺は富樫に触れないんだ。おかしいだろう、俺は富樫を欲している。
それは確かにいやらしいものも含んでいたけど、それよりも空気を求めるのに似ていた。
俺の手の平は今富樫の手の平の上にぴったりと重なっている。スーツの手首、富樫のカフスを外した。ワイシャツの手首っていうのはどうにも窮屈で俺は好きじゃない。富樫のスーツからはさっき二人で行った焼き肉屋の煙たいあぶらの匂いがする。
「おい」
「いいから」
カフスの手首に指を滑り込ませて血管を探る、シャツの袖に指先を突っ込んでごそごそやりだした俺に富樫は渋い顔で咎めた。その顔に皺がある、当たり前だ俺も富樫もおんなじだけ歳をとったんだから。
熱い。
熱い。
変わらずに熱い。
「熱いな」
「熱いかよ」
「うん」
「ガキかよ」
「ガキか?」
「ああ」
「そうか」
あの時と同じように指先を一回りさせて、脈を感じる。あの時と同じようにまた腕を引こうとして、今日は逆に引き寄せられた。
距離が近くなる。手の平だけじゃなく肩同士がごつごつぶつかって、立てた膝同士も触れる。密着、密に密着して俺は身じろぎをする。
尚も富樫は顔を近づけてきた。なんだ、あのアホ面ばっかりぶら下げてた塾生時代の富樫が今すばらしく熟した男前で笑っている。
ちぇ、いつの間にそんなに男前になったんだ富樫?なんてな知ってるさ、お前はいつだって男前だった。
ニンニクくさい息を俺の顔にふきつけながら迫ってきた顔、富樫の顔は笑顔のままだ。いたずらっぽい笑顔で、今にもデコピンくらいそうな笑顔。
「桃よう」
「なんだ?」
「こんだけくっついてりゃ大丈夫だろ」
一瞬答えに迷った。
冗談にしてもいい。
礼を言ってもいい。
黙っていてもいい。
俺は答えた。
「もっとくっついてないとまたブッ倒れるかもしれねぇな」
富樫は笑顔を盛大に崩して更に笑った。声を上げて笑った。
「甘ったれめ」
「知らなかったのか?」
涼しい顔になってるか?ああ富樫、ほらもっと。
指先に触れる富樫の脈があんまり速まらないのが悔しいので、唇をぶっつけてやった。これはあの時にはない流れだ。大人なんだ、いいだろう俺は自分に宣言する。昔の俺にも自慢する。あの時の臆病すぎる俺、いいだろうと自慢する。
指先もカチカチ凍っていない、自由に動く。
息も滑る。
楽しい気分浮かれ気分になった。ああ富樫、もっと。
密着してるな、今。俺も富樫もあのまま。
ああいい気分だ。酔っているのか。
知らん。ただいい気分だ。
富樫はあの時から、あの時より大分いい男の笑顔でてめぇニンニクくせぇんだよと言いながら額を軽くぶっつける程度の頭突きをしてきた。
Copyright (c) 2007 1010 All rights reserved.
