団地妻〜昼下がりの白ハチマキ〜
団地妻。
なんとなく、いやらしい響き。
団地妻。
なにげなく、昼下がり。
団地妻。
それとなく、情事。
団地妻。
そこはかとなく、艶めく。
元々伊達はセールスマンには向いてない。どちらかといえば押し売りが向いている。
そうだ、押し売りならそもそもどんな商品だろうが全く関係ない。
パンツのゴムひも、歯ブラシ、換気扇のフィルタ、どんなつまらないものだろうが、押し売りならば関係が無い。
面倒が無くていい。伊達は出来れば押し売り担当になりたかった。
こんな、窮屈にネクタイを締めて髪の毛を撫で付けて、香水をぷんぷんさせていなくたっていい。歯のホワイトニングだっていらない。
押し売りならどんなにか良かった。
だが伊達は、不幸にもジゴロ担当だった。
いやらしいあんなローションやら、ヒワイなオモチャやら、アブナイお薬にソレコレをヒマをもてあますマダムに売りつけるのだ。奥様使い方わかりますか、教えてあげますよフッフフといって。
伊達の容姿がいいのが不幸であった。甘くは無い、どっこもかしこも尖ってツンツンと媚びない男前。タダでは笑ってやるものかという不遜な態度に意味深な頬に走る傷跡すら伊達の前ではアジシオコショー、ぐんと引き立てて伊達の男ぶりを盛り上げる。同期の押し売り担当虎丸なぞはいかにもといったギランギランの安物柄スーツにぶっとい金のネックレス、どうしちゃったのサングラスで街をオウオウなんか文句アッカ?エ?オウ?と顎を突き出すように調子よく闊歩している。伊達にはそれが少しうらやましい。
だが繰り返すが、伊達の容姿がいいのが不幸であった。女っていうのはちょっと悪いような、おまえみてぇなアブナイオットコマエに弱いんだよな、ちぇ、いいのう、うらやましいのう、わしもワイルドじゃのに。ちぇ。虎丸は拗ねた。伊達は蹴った。
何がうらやましいものか。伊達は商売道具の顔に苦味を乗せてこれから営業に向かう団地を見上げた。築20年ほど。中流家庭が購入するのであろう集合団地のベランダには、色とりどりの洗濯物が干されている。
好きでもない女がアラァいやらっしィ、などといいながらも積極的に自分の股間へ丸々した手を伸ばしてくる。ホラーである。真っ赤に塗ってはある唇から、朝食べたのかキムチのにおいなんかしていたりして、それはそれは地獄である。
伊達はめまいを覚えた。
現実主義者の伊達は、どうも恋愛に関しては後腐れのない玄人ばかりを相手にしていたが、少々夢見がちな部分を胸の奥に隠し持っていた。
ああどこかに美人で気立てがよくて控えめで暑苦しくなくて頭が良くて白いエプロンが似合う女は居ないか。
そんなもの居るわけが無い。
だが、伊達が居るのだと言えば居る気がした。
なんといっても、伊達はどうしようもないほどいい男なのである。
伊達はマニュアルにしたがって、洗濯物を見渡した。
まず、赤ちゃんの衣服の干してある家は避けたほうが良い。母親になりたての女はさすがに身持ちが固い。それにおっぱじめてしまってから赤ちゃんが泣き出したりしたらそれこそコントである。
次に、ベランダの一番外側に女性ものの下着を干す家も避けたほうが良い。中には本当に見せたくて干しているスキモノもいるが、殆どは頓着なしに下着を干してしまうような干物であることが多い。家の中でもダルンダルンに過ごす女は引っかからないものである。
最後に、何枚かに一枚、ひっそりと、ちょっと色鮮やかな下着を干している家。ねらい目である。全てが原色の下着という家は水商売だとか単なる下着マニアの可能性を疑うが、ベージュや白の下着の中にたった一枚だけ、目にも鮮やかなフラッシュピンクのベビードールがあったりする場合がある。それは、普段性欲を押し隠してはいるが、実は女として扱われたいという現れであることが多い。
伊達はぐるりと見渡した。
生憎そういう下着は見当たらない。それならと適当にあたることにした。スーツのポケットからメガネを取り出す。無論伊達である。
伊達が伊達メガネでは本当に駄洒落であるが、そのほうがウケが良かろうと同じジゴロ担当の卍丸にすすめられたのであった。自分はこうだというジゴロスタイルがあるわけでもない。従っておいた。ところでどうして卍丸はあのヘアスタイルにあの軽口でジゴロ担当なのだろう、不思議に思った。だがすぐに実技がいいのだ、そうか、と納得した。
伊達はため息をついて、商売道具の詰まったアタッシュケースを手に団地へと出陣した。
202号室のベルを鳴らした。特に他意あってのことではない。階段を上がってすぐの角部屋である。この時間帯男は殆ど出てくることがないので気が楽である。逆に出てきた男は夜の商売をしている可能性もあるので、出てこられたところで特に問題は無かった。
202号室。頼むから人間としてくくれる女が出てきてくれと伊達はらしくもなく祈った。
表札にはマジックででかでかと『富樫 源次』と書かれている。後先考えないような性格なのだろう、『富樫』がやたらと頭でっかちで、最後の隙間に名前をなんとかおさめようと苦心したようで無理矢理に源次が小さく小さく書かれている。
その隣、本当に隙間も隙間に、『剣 桃太郎』と書き込まれている。明らかに後から滑り込ませたようであった。
なんだこれは、伊達の右眉がぴんと跳ねた。
その途端、ドアは大きく伊達に向かって開いてくる。少々伊達は面食らった。危機管理というものがなっていない、ベルを鳴らしてきた相手を確認すらしないでチェーンもかけずに大開きだ。この分なら脚も大開きかもしれない、仕事がはかどりそうな気がした。
「はい?」
出てきたのは、白いエプロンが良く似合う美人であった。美人というとなよなよとした雰囲気を感じてしまうが、そうではない。洗い物でもしていたのか袖まくりされた薄いブルーのシャツにジーンズ、シミの無い真っ白なエプロン。額にはこれまた真っ白なハチマキを巻いている。
「奥様ですか?」
慣れない丁寧語を喉から押し出しておいて、伊達はメガネの奥で眼を見張った。久しぶりの上物であった。つい先日はこのまま切り捨てようかと思うほどの怪物に出くわしたばかりだ。まだあどけない顔に、照れたような笑顔、初々しい。何より白が似合うというのはいい。
「奥様…奥様か、なんだか照れちまうな。そうだといえばそうだ」
自分で言っておいて頭を掻き掻き照れている。ますますいいと伊達は知らず一歩踏み出していた。開かれたドアのヘリに手をかけて、少しかがむようにして顔を近づけた。メガネ越しに瞬きをゆっくりと一度。普段であればこれで大体はオチる。目さばきがいいのだ。
「突然だが、いや、突然ですが…夜の生活にお困りはねぇ、……ありませんか?」
普段ならばこんな言葉を突っかかることはない。焦っているのだ。猛っているとも言う。このままなんとしてでも家に上がりこんで、色々ああいうこういうイヤラシイことをしてやろうという、獰猛な伊達が頭をもたげていた。
「え!よ、夜……って、」
白シャツの頬が赤くなった。弱った、困った、と目が左右に動いてからうつむいた。すぐにケッコウです!といわないあたりセールス慣れしていないというか、世間ずれしていないというべきか。ともかく伊達には好ましい相手であった。押し切るべきである。伊達は更に踏み込んだ。
「桃、」
「………」
表札の名前は確認済みである。ここで苗字を呼んでしまうと旦那を思い出してしまい断られることになる。名前を小さな声で呼ぶのが正解である。伊達の眼をそうそう頬へいつまでも受け止め続けることは難しい。白シャツは考え込んでいたようだったが、とうとう、
「……どうぞ」
伊達を家に上げてしまった。
さて、どうしてやろう。伊達は日々たまっている鬱憤を全てこの初々しさの残る人妻にぶつけてやる気であった。タイに長い指をひっかけて、首の後ろが摩擦で熱く感じるほど力任せにシュウと引き抜いた。
桃、桃か、ふふん。
伊達は珍しく、浮かれている。
3LDK。カワイイ子ひとり、オオカミ一匹。
テーブルの上に広げたアタッシュケースの中は当然であるが、極彩色のパッケージで溢れかえっている。熱帯の蝶々の毒々しさにも似たそれらの中から、伊達はまず一つ取り上げた。派手なラメ入りピンクの、長さは20センチほどのいわゆるアダルトなマッサージ器である。コードでぶらさがったスイッチを入れると、元気良くういんういんとうごめいた。
「これは?」
桃は興味津々と言った様子で身を乗り出した。以外にも積極的な様子に伊達は意外さを覚える。白雪を踏みにじるようなシチュエーションでなさそうである。気を取り直して、唇をちらりと舐めてから話し出す。
「これはディープインパクトという」
「ディープインパクト……競馬?」
旦那の趣味だろうか、競馬にも食いつきを見せる。こういうハヤリモノは出オチ芸人のように扱うに限る。フンと鼻で笑い飛ばしながら長い指先でいかにもイチモツですよ!という形のそれを弾いた。
「10段階の振動に調節が出来て、フィニッシュへの追い込みはまさにディープインパクトそのものだ」
「へぇ?フッフフ、追い込みか…フフ、」
伊達が顔面へ向けて突き出すように手渡してやると、物怖じもせず桃はディープインパクトを受け取って手の中で転がした。桃の手の中でディープインパクトはうねうねと踊る。桃のやわらかそうな輪郭の頬は笑っていた。
…おかしい。なにか、思っていたのと違う。伊達は敏感に空気の違いを肌に感じていた。
「……それは?」
ディープインパクトに飽いたのか桃が指さしたのは、イチゴのように真っ赤なロウソクであった。こういう縛ったりぶったりのアブノーマルなのは伊達の趣味ではない。ビョウのどっさりついた黒革が似合いそうな外見のわりに、性癖はまっとうなのが伊達である。
「ロウソクだ。きちんと『専用』だから60度ほどの低温で跡になりにくい。滴りやすく初心者でも傾けるだけで簡単に使える」
嫌というほど研修でしこまれたセールストークだが、読み上げる伊達の声に興奮は無い。ももは鼻の奥でふうんと素直に答えた。
「……フッ、ラメ入りだ。これ垂らしたらさぞ綺麗なんだろうな……それは?」
桃の顔がきらきらと輝いている。下卑た、欲望剥き出しの団地妻というよりは社会化見学の小学生のようだ。この機械では何を作ってるんですか?というように桃は明るく尋ねてくる。本来情事が持つ湿り気やら暗さが微塵も無い。だがその分底知れない。伊達の返事は次第に力を奪われて淡々と説明するのみになっていく。
「……一本ムチだ。見ての通り長いので室内での扱いが難しい。初心者は房ムチにしておけ」
「あんまり傷跡が残ったりしないのか?」
「ほとんど力を入れなくても激しい音がするからな。ほとんど痛みは無い」
「そうか。それからそれは何だ」
「縄だ。見りゃわかるだろう真っ赤な縄だよ。分かりやすい解説付きだ」
「そりゃ親切だな。ああ、ちゃんと緊縛三十六手が書いてある。基本を押さえてある」
なんだかむしょうに、キャンキャンやかましいソープ嬢が懐かしくなってきた。
何か勝手が違う。目の前の桃はあくまで清純そのものに見えるのに、どうしてだろうか伊達はその場に押し倒せはしないでいた。家に上がるまでは、その白いシャツを引きむしって肌に畳の跡をびっちりつけてやろうと具体的な動作まで考えていたのに、たったこれだけ言葉を交わした今では、白エプロンが恐ろしくすら思える。
「さて…」
ビシャン!!
桃の手の平の上で、房ムチが恐ろしい唸りを上げて鳴った。自分で説明したのだがものすごく痛そうに見えて、首をすくめてしまう。気づけば高ぶっていたムスコも萎れていた。もう売りつけるだけ売りつけたらさっさと退散しよう。実技?そんなもの帰りがけに円山町でも行けばいい。チャイニーズのあざといアナタステキが聞きたくなった。
伊達が最後の気力を振り絞って、何かご入用はと尋ねると、桃はちょっと困ったように変わりなくあどけない顔をううん、と曇らせて唸った。
「ううん、迷うな。色々あるもんだ」
両手に一杯抱えて悩み始めた桃にオイそれ全部買うのか、買って使うのかと伊達は喉まででかかった言葉を飲み干して、
「どういったモノがいいんだ。動く棒がいいのかニセ穴がいいのか、それとも叩いて縛ってか」
と尋ねる。物言いが乱暴になっていた。
「そうハッキリ言われると恥ずかしいな。俺はまだ新婚だからな、いきなりそういうことをすると驚かれちまうかもしれない」
今更すぎんだよ――伊達は心の中で毒づいた。口には出さない。
「……で?」
「そうだな、俺としてはもっと積極的になってもらいたいんだが」
伊達はすかさアタッシュケースの中に腕を突っ込むと薬ビンをつかみ出して桃に放り投げる。同時に桃が選んでいない道具をパッケージがひしゃげるのもかまわず詰め込んだ。
「精力増強の最終兵器、『EDAJIMA』だ。天より高くの威力で、飲めばたちまち地蔵もサカリの小僧だ。他も合わせて総額6万7350円税込み」
「もっとこうロマンのあるようなのはないのか」
とうとう伊達は机をドンと叩いた。テーブルに転がる、スイッチを入れたままの桃に選ばれしディープインパクトがぶぃん!と衝撃で方向転換をした。
「うるせぇな買うのか買わねぇのか」
おいこれじゃやっぱり押し売りだ――伊達は唇を引きつらせて笑った。それ見ろ。やっぱり俺は押し売りでいいんじゃねぇか。会社に戻ったらすぐにでも異動を訴えるぜ。すぐに。
勢いに圧されたように――とうてい見えない桃はふわふわと笑いながら答えた。
「買うよ、買うさ。なんだ乱暴だな」
「うるせぇ」
エプロンのポケットから取り出した緑のガマグチは薄汚れていたが、ぱんぱんに膨らんでウシガエルのようであった。そこから無造作に札をつかみ出して、伊達に手渡す。
「毎度」
つり銭を机に叩きつけるように置くと、アタッシュケースを小脇に抱えて部屋を出ようと背を向けた。メガネはすっかりずり落ちてしまっている。
「おい」
呼び止められた。
どきりとした。
先程までの声と、明らかに違う。
振り向くのが嫌だった。
「……なんだ」
じりじりと靴下がフローリングの床を削るようにして悪あがきの全身を続ける。スタートダッシュの準備は整っていた。
「使い方を教えてくれるんじゃあないのか?……サービスで」
伊達は冷や汗をかいている。
桃の声は続く。
「ちょっと一度試してみたいな。悪いがちょっと脱いでくれ」
伊達は逃げ出していた。後ろを振り返る余裕はない。大体戦場で後ろを振り向く奴ほど撃たれるのだ。まっすぐ前だけみて逃げるがよろしい。
あの状況で靴を左右間違えなかったのはさすがに伊達であったが、敵前逃亡もいいところであった。
そして伊達は後日更に後悔することになる。
セールスマンの宿命ゆえか、名刺を律儀に桃に進呈していたのであった。
いつ鳴るか、いつ鳴るか。
携帯電話を前に、鳴るのなら壊してしまえホトトギスの伊達。
「おー伊達ぇ、何じゃあ元気ないのう。……そんなら、今日は新宿どうじゃ!ヒヒヒ、虎丸サマがソープおごっちゃるぜ?元気だせや」
「……フン」
下品で頭の悪い欲望剥き出しの、虎柄ネクタイの似合う一本眉を見て、伊達は不意に、自棄を起こした。
ああもう汚ねぇ髭面でもやかましくっても暑苦しくも白いエプロンが似合わなくたっていいじゃあねぇか。
気立てがよけりゃあいい。
バカでもいい。
伊達は自棄を起こした。
そういや桃の旦那はどうしただろうか。
考えかけて、やめた。
伊達は近頃押し売り組として虎丸とコンビを結成し、素晴らしい成果を上げている。
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