部長のバカ野郎
虎丸さまがお連れになったその方はもう、そりゃあもう緑目の綺麗な異国の美人で。
細い手首でもって頼りなげに虎丸さまの腕にすがりついている。
組長の機嫌はうなりを上げて急降下していった。
私はお茶を三人分用意する。安物だけれど使い勝手のいい急須に上等の芽茶をたっぷり。やわらかい水を沸かす。
茶碗はどうしようか。あの美人さんもいらっしゃることだし、やわらかい見た目の揃いの萩にしようか。女性のお客様なんて久しぶりだ。
萩焼。こないだ見つけてきた紫釉薬と白がきれいな小ぶりの茶碗は三つ揃い。本当は四つ揃いだったらしいのに一つ欠けていたから安かった掘り出し物。私はうきうきと茶碗を取り出す。頃合に茶葉も開いていた。
と、手が止まる。振り返って使用人の将さんにお願いした。
「すみません、そこの茶碗取ってください」
「え、これって私ら使用人が使う奴でしょう」
「いいんです、いいんです。ほら、お茶がぬるくなるから早く」
私の萩焼、たやすく一刀両断にされてたまるか!!
安物の茶碗に茶をなみなみと注いで、私は嫉妬渦巻く客室へと向かう。
十畳ほどの和室は純和風、床の間にある掛け軸は組長の手によるもの。ちなみに何て書いてあるかは『天下両断』で、組長らしい。
組長と虎丸さまの間には漆塗りの黒卓、だけど気持ちの隙間はなんだか見るからに広そうである。
客室は思った以上に静かで、思った以上に組長の機嫌は悪かった。けれどそれに気づいているのは私だけ。女性は褐色の肌に日本人にはない彫りの深い顔立ちで海外の方だとわかった。大人びて見えるけれどだいぶ若いのではないだろうか、不安げに顔を曇らせている。
「ほう…それでテメェは俺に何を頼みに来たんだよ」
組長、組長の声、今とっても低くって怖いです。お顔は勇気が出せずに見ておりません。さっさとお茶だけ置いて帰ろうとすると、
「いいからそこに座れ、仏頂面」
と引き止められてしまった。な、なんで…!私はよわよわ組長の後ろに正座で控えた。組長は腕組みをして、まさに睥睨。
虎丸さまは手を大きく開いてしっちゃかめっちゃか話し始めた。
「だ、だからよええとその!昨日新宿行ってな、その、ルネちゃんの店、あ、お前まだ行ってなかったっけか?そんなら今度連れてってやるよ。あっこのルネちゃんもいいけどよ、新人のマリカちゃんもほんげー可愛いったらねぇの!」
焦っている。
平時からもともと話しが上手いわけでもないのに、焦るともうとっ散らかってしまって何が何だかわからない。
組長の眉間に皺が一本増えた。
「ほんで、ほんでホテルから出てー」
組長の眉間に皺が一本増えた。
「ルネちゃんをタクシーにのっけてやってー、また来てねーってチューしてもらってーウッヒヒヒヒヒ」
虎丸さまは頭をかいてニヤニヤしながら照れた。
組長の眉間に皺が一本増えた。
もうこれ以上皺が入る余地がない。私はいつでも逃げ出せるように畳に足の指を立てた。
ああそれでも床の間に飾ってある備前の大壷だけは確保したい。
「そしたらな、いきなり下着姿のオネーチャンがぴょいこら出てきての。夏終わったばっかりだけどそんでも下着いっちょじゃ寒かろってんでオネーチャンホテル行くかって誘ってー」
組長の首に血管が。
私は腰を浮かせ、素早く床の間にかけてある槍を取る。この客間で流血沙汰だけはさけたかった。なんといっても畳をこないだ新調したばかり、まだ青々とイ草の香り、私はセミのように槍を抱え込んだ。
「それで」
組長の声はあくまで静かなまま。
「話聞いてみたらベトナムから、ビョーキのお母さんのために出稼ぎに来たって言うんじゃがどうもヤクザが絡んでおったようでのー」
「ウチじゃねぇよ」
苦々しく組長は組んだ腕をといて言った。私は知っている、組長がそうした弱い人間を食い物にする商売を酷く嫌っていることを。
「知ってらあ、伊達ントコがそんなことするわけねぇって」
虎丸さまのぴっかぴっかの笑顔に、組長は当然だと短く答える。そうそうその調子ですよ虎丸さま、ただいま組長のカタクナ氷が溶け出していっています!
「で、何を言いに来たんだよ」
眉間の皺もほぐれかかって、組長は私の淹れた茶を手にした。眉が動く、こちらを振り向いて安物使ってんじゃねぇよと小声で咎められた。
畜生、こっちだって萩焼準備してあったんだっつーの。アンタさえ機嫌がよけりゃあの使い込まれた茶染みで化けた茶碗出せたのに。
思わず私はこの手にした槍を池目掛けて放り投げそうになる。目がおっそろしく利くわりに骨董にちらとも敬意を払わないところがいかにも組長で諦めてはいるけれどちょっとそれでも腹が立つ。
「おう、ちょっとコイツの働き口探してやってほしいんじゃ」
「アァ?」
なんでだよ、と言いたげなその組長の顔。痛いほどの視線でもって美女の緑に澄んだ目を睨む。美女はこの修羅場の空気がわかっていないのかカキのように槍にへばりついている私ににこりと微笑みかける。
虎丸さまは気にもとめずに美女の手を握った。これで安心じゃのーなんて鼻の下を伸ばしてへらへら微笑みながら。
アッ、いっけない!私は腰を再び浮かせる。いざとなったら組長が私から槍を奪うことなんて造作もない。部屋の隅まで下がる。
後ろから見える組長のうなじには緊張がみなぎっている、怒りの爆発は近い。息を飲んだ。
「頼むよ、伊達」
頼む、その言葉に組長は弱い。普段あれだけ人をうっとうしがるっていうのに、最後の最後で人に甘いお人だ。人を必要としないくらいに高みにいながら、人がやっぱり好きなのかもしれない。そういうところにきっと若い衆だけじゃなくて私も従っているんだろうか。それはわからない。
「ビザはあんのか」
「ねぇ。じゃからお前にしか頼めねぇんだよ」
「ウチじゃ偽造はやってねぇよ」
虎丸さまは拝むように手を合わせた。美女も虎丸さまにならって手を合わせる。ナマステ、そんな字幕が頭の中に流れてしまってなんだかおかしかった。
「な、そんでもツテくれぇあんじゃろ?な?頼むよ伊達、伊達様!」
「ダテサマ」
どんな金にも心動かされない組長を動かす一言を私は知っている。それはあまりに簡単で、それでいて口にする機会がめっきり減っている言葉。
「お願いします」
虎丸さまは深く深く頭を下げた。
プリーズ、お願いします。それが組長には滅法利く。勿論組長がしてやってもいいと判断することに限られるが、そういう正攻法が一番この伊達臣人という男には一番効くのだ。
そしてそれを教えてくれたのはこの虎丸さまである。
伊達はちょっとヒネクレとるがの、ほんとはやっさしい奴なんじゃ。
その言葉は最初、失敗ばかり繰り返していた私には信じられなかったけれど今なら少しはわかる気がする。
誰より強くて誰より不器用。
誰より特別なくせに誰より平凡なのかもしれないと、凡人の私が不遜なことを考えてみる。
わからないけれど。
「わかった。給料のことを考えても、なるべく普通の風俗を探してやろう」
よく私の事を仏頂面と言うけれど組長、貴方の顔も中々それです。後ろからなので見えないけれど硬い声にきっと仏頂面しているはず。あんまり優しい顔をするとナメられるとでも思っているのでしょうか。
「ありがとな」
そしてこの、ありがとうも組長には良く効く。単純だけれども言われて嬉しくないこともなく、あたたかい気分になる言葉である。
組長自信はあまりそれを口にしない、照れているのだろうと思う。虎丸さまはそれを表立ってからかうお一人で、時折指摘しては部屋から蹴りだされていた。
「ああ、…面倒ばっかり持ち込んでくるんじゃねぇよ」
虎丸さまはもうくつろぎ体勢になり、あぐらをかいていた足を投げ出す。そのつま先が組長の膝のすぐ側まで伸びてきたのが見えた。
隣の美女に、
「よかったなぁオメエ、もうダイジョーブだって」
「ダイジョブ?」
太い眉を持ち上げて、ううんと一つ唸って、
「えーとな、ハッピィだっちゅうこと」
あっけらかんとそう言った。おそらく美女は意味がわからなかったわけではないだろう、イントネーションが違ったので聞き返しただけに思われた。
しかし虎丸さまのハッピィ効果といったらすごいものである。
美女はアリガトと精一杯の日本語で答え、組長は怒りをとかして鼻を鳴らした。
それなら私は役目を果たすのだ。
「おい仏頂面」
「魚料理がよろしいかと思いますが」
振り向いて私を呼んだ組長は怪訝そうな顔をした。唐突な返答にか、それとも抱えたまんまの槍にか。
「……おい」
「お食事をご用意しようかと思ったのですが間違いでしたか」
組長の目が一瞬だけ大きくなった。目元が少し緩んで笑い皺らしきものをこしらえる。
「そうしてやれ。それから」
指でもってちょいちょいと招く。私は膝でもってにじり寄り組長の側に寄った。
ア。美女がアリガトアリガトと虎丸さまに抱きついて髭の芽吹いたほっぺたにチュウなんて、組長頼みますからこっちだけ見ていてくださいね。私は青くなった。
「後で病院にも連れていってやれ。部屋も用意をしろ」
「はい」
はい、は了解の返答だが私の顔に浮かぶ疑問の色を組長はきっちりと読み取った。
「一度か二度、見えないところにリンチを受けている。暴行もされているだろう」
ああ、私は組長の洞察に驚いた。嫉妬に狂った目でもそれは確かに伊達臣人の目であるのかと。
よくよく見れば、まだ初秋で今日は晴れだというのに美女はきっちり長袖を着ているし、時折辛そうにしている。後で聞いたことだけれど彼女の足の裏にタバコの焼け痕があったそうで、見えないところにリンチを入れるヤリクチだと説明してくださった。
「わかりました」
「頼んだ」
私は一礼してから立ち上がると、料理人達へ指示を出しに客間を出て行った。
美女は安堵からか疲労からか食事の後、風呂に入ってすぐに寝てしまった。病院の予約を取り消し、布団を奥の間へと敷いてやる。美女を運ぶのは虎丸さまが申し出てくれて、このスケベ野郎と組長になじられる。
「そんなんじゃねぇやい」
「どこがだ」
「う…俺が最後まで世話みちゃろうって、そんだけじゃ」
組長は見られてねぇよと言いながらもその声はやさしいものだった。食事を済ませて散らかった卓を片付けようとしたが、二人が話しているのを聞いて入らず襖を隔てたその外に私は座り込む。
邪魔をしてはいけないのだ。そして襖の隙間から部屋の中が見えた。のぞきではない、見えてしまっただけだと言い訳をしながら中の光景に釘付けである。
「で、虎丸」
組長の声である。おや、虎丸さまはよくなついたネコのように腹を上にして組長のすぐそばに寝そべっている。距離は近まったようです。
良かったですね、組長。
「なんじゃい」
「また女遊びか。てめぇん所の秘書も泣いてるぜ」
泣いてるのは組長でしょうが。いや、泣きはしないのでしたね、泣いているのは私です。そのたび私の茶碗やお皿が割られるのはほんとうに悲しい。
この間の襖、あれは本当に悲しかった。今は秋なので紅葉を一面に描いていただいて、それがこの間ようやく納品されたばかり。
「伊達よう」
満腹になったのか眠たげに間延びするその声は猫そのもので私はついつい笑みを溢してしまう。隙間から見えた組長の顔はこわばっていた。おそらくゆるみそうになるのを堪えたものと思われる。
「ああ」
「ヤキモチ?」
がしゃんと嫌ァな音がした。くらいつくようにして隙間にかじりつきで被害者を探す。どうやらぐい飲み、それも胡麻粒模様のついた肌が綺麗な小振りのいい味の出た蕎麦猪口。ああ、それ、二つ揃いだったのに。しかも備前。私の気に入りだったのに。
しかし見た感じではちょっと欠けた程度、職人さんに言って漆か金で接いでもらおうか。
おっと、器ばかり見ている場合ではありませんでした。最近私、なんだか地が出てしまっています。
「ほざくな」
「照れンなって」
虎丸さまは匍匐前進の要領で組長の投げ出した足の上に乗り上げた。酔っている。相当に酔っている。
組長はと言えば固まっている。見た目にはわからないけれど、中身は多分混乱している。
確かこのお二人まだまだお付き合いには程遠い、はず。これは一足飛びに距離を詰めるチャンスです、組長!!
「寂しかったんじゃろー」
「ば」
馬鹿、と言おうとして緊張がとけてしまったのか、組長の耳にほんのり血色が浮かぶ。やはり照れていらっしゃる。ふふふ早いところくっついてくださいよお二人。これ以上この家を壊されることは避けたいんですよ心から。
虎丸さまは足をばたばたとバタ足をさせて、そうして言った。
きらっきらの、ヒマワリで太陽で、とにかくあったかくって金色の笑顔で言った。
「こんどお前もその店誘ってやっからよう!」
私は襖をスターン!と開け放った。組長や虎丸さまのようにビッシャーン!とはしない、なんといってもこの襖、まだ新しいんです!!
お待ちください、組長!!
私の声が喉をついて出てくるよりも、組長の槍のほうが何十倍も早かった。
「馬鹿が――ッ!!」
「ひゃっ」
それからの光景、忘れはしません。一瞬でしたけれども。
よく交通事故の瞬間なんかでスローモーションになると言うけれどまさにそういうもの。
まず、この家では古株の卓がひっくり返った。黒漆の、長野の職人さんに作ってもらった卓。てかてかではなく上品に光るその漆。去年塗りなおしに出したばかりだった。傷つけないように毎日湯につけた布巾で拭いていたのに。
勿論その上に乗っていた皿達、私の愛しい皿達も無事ではすまない。古伊万里の大皿が吹っ飛んで真っ二つ、古伊万里のような絵付皿は備前のように接げない。もうアレは二度と料理をのせることはない。塗り箸は縦に切り裂かれた、この箸は卓と揃いで作ってもらったおなじ黒漆。箸置は地味だけれど備前。これも割れた。
先ほどのぐい飲みと揃えるととてもバランスのよかった、藁が溶けてくっついた土色の徳利も砕けた。バラバラになった。
醤油の付け皿も備前。備前は丈夫し質実剛健としていて気に入っていたのだけれどさすがに組長の槍に勝てるわけもなく、六つ揃いの付け皿のうち三枚は割れた。これはまだなんとか接げるかもしれないけれど、それでも揃いで活躍させることは出来なさそうである。
このあたりで私は顔を絶望に覆ったように思う。
見えない、見ていない。
ざす、と自分の傍の畳に折れた箸かそれとも器の破片が突き刺さった音が聞こえた。また、また畳取替えですか…!
最後に一閃、私の傍を槍の穂先が風を切り裂きながら通り抜けていって、襖を真っ二つにしていった。
襖、ああ、ああ、襖!!
涙が出そうだった。
泣いていたのかもしれない。
白状します、泣いていました。
言うのも馬鹿馬鹿しいですけれどもね!ああ、馬鹿馬鹿しいですとも!!
ええ!その後組長は何がなんだかお分かりにならないって虎丸さまを池にぼちゃんと蹴りだして!ええ!
それでもってお部屋に引きこもりですよ!ええ!
虎丸さまを池から引き上げて風呂に入れて、それで新しい浴衣を出して差し上げて!泣きながらね!
湯気もひかないうちに組長のお部屋に突っ込みました!
え?え?何?なんて言っていらっしゃいましたがね!知りません!
あの美女が新しい働き口で祖国へ送金を始められて良かったですね、ってやかましいわ!!
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