コーラ瓶しゅわしゅわ
尻に突っ込んでぺしゃんとした、真っ黒なそれを俺はよく知っている。
ぺしゃんとしたそれからちゃりちゃりと、たまにぺらりといとおしげに出して誰かの手に渡したり、誰かの手に取り上げられたりするんだ。
金も無いっていうのに俺にギョーザを奢ったりしてくれる。俺はいつもいいってと断るんだがな、おら遠慮してんなと目尻に皺をこさえて得意げに言われると俺まで嬉しくなっちまって、最後はうまいラーメンを二人ですするんだ。金をそんなに持ってるわけでもねぇのに、いい男だろう?
あんなにいい男だっていうのにどうして金は離れていきたがるんだろうな、俺ならぴったりついていってやるのに。
最近富樫は貧困に喘いでいる。いつものことさ、だがここ数日確実に富樫から不思議に金がひらひら飛んでいく。
先日富樫の靴がついに壊れちまった。靴底がぱかんと取れて、どうしてもボンドでもアロンアルファでもくっつかなくなった。ガムテープでも無理だと色々試みた末にあきらめて新しいのを買うことになって千円札が三枚飛んでいった。これでも格安だろう、富樫っ。
先日富樫は花札で大負けした。その大負けの直前まで月見で一杯花見で一杯、四光五光だイノシカチョウだとオオヅキにツイていた。今までに手にしたことのないような大金を手に舞い上がって、桃てめぇにこんどラーメン奢ってやらぁなと嬉しいことをいう。
そしてそこで調子に乗り、今までの儲けを全て突っ込んで大負けしたのだった。
負けた後はさっきまでの大勝が忘れられぬ、負けに負けた。桃に借金までして負けた。
そして今、富樫はなけなしの小銭を自動販売機に吸い込まちまったのを俺は見ている。
見ているのは富樫の背中。どすんごすんと自動販売機を叩いては返せ戻せと怒鳴って、自動販売機にすがりつくとゆさゆさ揺さぶり始めた。
「富樫、何やってんだ」
「ゲッ、も、桃…」
自動販売機と抱き合ったまま、富樫は首だけを振り向けて俺を見た。しょぼくれちまって、かわいそうにな。
ああ、しかも五百円玉だったのか、それは残念だろう。
よし、と俺が財布を取り出すと富樫はきょとんとかわいい顔して俺を見る。俺が奢るってことがそんなにもビックリするようなことか?
お前がいつも奢ってくれてるんだし、たまにはいいだろ。
タバコ屋のバァさんがこちらをちらちら、富樫が自動販売機を壊しやしねぇか不安で見に来たらしい。タバコ屋のバァさんよっぽどあわててたらしい、裸足だった。俺は富樫に百二十円を手渡す。飲み物くらいおごってやるから、そんな悲しそうな顔するなよ。
「悪いな、どうもこんところ金回りが悪くってよ」
自動販売機をまだ睨みながら、ようやく富樫は俺の小銭を受け取って礼を言ってくれた。いいって。
「桃、悪いがよ、後三十円貸してくれや」
「うん?」
富樫は照れたような、それかちょっと開き直った笑顔で言う。
「あと三十円ありゃ、でけぇコーラが買えるぜ。二人で飲もう」
俺はもちろん、財布からあと三十円を出す。いいぜ、お前のそういうところ、好きだ。
二人でてくてく歩いて防波堤まで来た。そうか、もう十一月、寒くなったな。俺がそういうと富樫はおうと答えてからため息をつく、何か悩みか?それとも具合が?
なんだって言えよ、言いたくねぇんならいいけどさ。俺はお前が言うなら聞いてやる。
「最近よう、どうも…」
防波堤に富樫は腰をベタ座りに座った。俺は隣に座る。脚をテトラポットだらけの海へ投げ出すと、フナムシがちょとちょとと駆け回ってるのが見えた。
「どうも何だ?」
「ツイてねぇんだよなぁ、どうも」
「フッフフ、お前がついてねぇのはもともとじゃねぇか」
富樫はうるせぇやと言って拗ねた。とんがったササクレ唇をちょっと指先でつまんで引っ張ってみたいと思う。
横顔はまさに男ってやつだ。鋭角な顎や鼻の鋭さに、チョビ髭が愛嬌。
「いつからだ?」
俺はコーラの大瓶のフタを指でこじり取った。ギザギザの蓋はポケットに突っ込む。こういうくだらねぇものだって、捨てるにはおしいものさ。
もし悪漢が襲い掛かってきたりしたらこいつを指先ではじいて目潰しするくらいには使えるし。
コーラはしゅわ、と泡を一瞬瓶の中で膨れてから落ち着いた。差し出す。富樫はまずお前から飲めやと変なところで遠慮を見せた。
「ありゃ、確か一週間前くれぇかな…急に金の縁がなくなりゃあがったんじゃ」
寒いのに吹きっさらしの空の下で飲むコーラはなんだか炭酸がきつくて、少しうまい気がする。なんだ富樫、そんなに俺がうまそうな顔でもしてたか?富樫はことんと喉を鳴らして手を伸ばしてくる。わかったって、フッフフ。正直な奴だな。
「一週間前、か…何か心当たりはあるか?」
寒さも関係なしに富樫はヤケのようにごくごくコーラを飲んで、ゲフとゲップをした。汚ねぇ奴だなまったく。
「ああ、確かサイフを新しくしたんじゃ。前のァだいぶくたびれちまってたし、ちょうどよさそうなのがあってよ」
瓶を防波堤に置くと、富樫は尻ポケットから薄手の長サイフを引っ張り出した。尻に敷かれたからでなく、中身のなさにぺしゃんこに潰れている。
黒い皮ザイフは確かによく見ると新しいようで、まだ皮がやわらかくはなっていない。
「せっかくサイフ買ったってのに、入れる金がありゃしねぇ。まったくツイてねぇぜ、こないだの花札さえ買ってたらよう…」
「秋サイフか、そりゃあやっぱりお前が悪い」
「な、なんでじゃいきなり、ヤブから棒によう」
知らなかったのか、俺に言ってくれたら教えてやったのに。
「秋サイフってのは、秋、つまり『空き』サイフってことで金が飛んでいくのさ」
「な、なに!!?」
本当に知らなかったらしい。隣のコーラの瓶を倒しそうになりながら富樫は驚いた。
まあ迷信だが、それでも富樫はそういう迷信に好かれそうだからな。
「ま、春まで待つんだな」
「春ゥ?」
「春、張る財布っていうのは縁起がいいのさ。まあ冬はガマンすることだな」
富樫はがっくりと、外も寒いってのにフトコロも寒いってのはこたえるぜと嘆いて、防波堤に大文字になって転がった。
俺は残ったコーラに手を伸ばしながらそれを見てた、大口開けてあくびするチョビ髭のあたりをぼうっと見てたらなんだか眠気もやってくる。
結局俺も隣に寝転んで、富樫にくっついてみた。富樫もコンクリに背中くっつけて寒かったのかもしれねぇな、嫌がりはしなかった。
その後、コーラから炭酸がしゅわしゅわに抜けきってしまうまで寝てしまい、薄昏に二人そろって仲良く風邪っぴきのくしゃみをすることになるのはまた別の話。
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