危険手当申請書
危険手当申請書 日付十二月二十四日
所属 特別国防臨時機動班
コードネーム ベルリン
…申請書にコードネーム記入欄があったのを見た時には、ああ笑うしかないんだと思いました。
ハハハハ。フハハハ。
そしてまさかベルリンがコードネームになるとは思ってもみなくて、フハ、フハハハ。
ともあれ、防衛庁長官臨時代理副補佐秘書、コードネームベルリンは特別国防臨時機動班所属になり、日夜日本を守ることになりました。
ハハハ、笑うしかないです。ハハハ。
メトロの暖房、雨の土曜日、ぬるいカフェラテ。
私の好きなものはすべからく地味で、その地味さがよかったんですけれど。
特別国防臨時機動班?ハハハ。
今日は危険手当だけでなく、深夜残業手当申請書も書かなければ。上司の指示で時計はしていない、体感だけれどおそらくに深夜二時半頃。
上司は上機嫌で鼻を鳴らした。上司が上機嫌ということは、とても危険だということです。本当なら危険なんて好きではないので遠ざかりたいのです。
機嫌よく饒舌に上司は私達が所属する班の名称について話し始めた。
「略して特攻だな、特攻」
「嫌です」
愉快そうに略さないでください。縁起でもない、特攻だなんて。
「駄目か?じゃあ何ならいいんだ」
何ならって、そもそも略さないで欲しいんですって。というか、
「私倉庫に戻りたいんですが」
受け入れてもらえるとは思わないですが、一応主張はしてみました。主張は大事だと上司が言うので、そのススメにしたがって。
「折角日の当たる道を歩けるようになったってのに贅沢だな」
「人を犯罪者みたいに言わないでください」
「…略して、ボッキ」
「略して防犯、防犯です。行きます」
私はそれじゃあつまらんと駄々をこねる上司を無視して、地下鉄駅ホームへと飛び出した。
今の今まで、私達は巧妙にゴミ箱へ忍び込んでいたというのですから国防も楽じゃないです。
両手に銃を持つ自分に思ったより動揺していないのですから私もなかなかおかしいかもしれません。
「待てベルリン」
「はい」
上司は既に上司ではなくなっています。これを、上司は『スイッチが入った』と言います。つまり日常から非日常へと切り替わったとそういうことなのでしょ
う。耳は潜む敵の気配を聞き、鼻は危険を嗅ぎ取る。目は敵の位置から目的までを見渡す。
慣れています。私は戦場にあって何よりも上司の指示を優先することを学びました。
「待つ、耳を開けろ」
耳を開けろ、というのは周りの気配に気を配れという言い回しのようだ。私はおとなしく銃を両手に、息を潜めた。
「はい」
「フッフフ、夜の死闘とは邪鬼様も面白いことを言ってくれる…そうだろベルリン」
「私は帰りたいです」
ちぇっと上司は舌打ち。私はため息、を、飲み込む。自分の呼吸音は思ったよりもうるさいので。
「ロマンが足りないんだよお前には、血沸き肉踊る戦いはロマンあってだ」
「私は帰りたいです」
繰り返し言うけれど、既に上司は聞いていない。
そういえば、上司は最初私を貴様と呼んでいたのですけれど、最近お前と呼びます。私は依然として『課長』です。最初上司の肩書きは『平和防衛課課長』だっ
たのでしたが、それはやはり形だけの役職だったようで、その役職で呼ぶ人はほとんど居ません。一応私は平和防衛課課長秘書なので、課長と呼びますけれど。
鼻歌が暗闇に聞こえる。それはクリスマスキャロル、上司は完全に闇に溶け込みながら、戦いを待っている。
私はといえば、なれないコンタクトレンズが酷くかわくので瞬きを繰り返す。
クリスマスキャロル、そういえばクリスマスももうすぐです。
予定?ありません。家でローストチキンでも焼いて、ツリーの一番上に綺羅星を飾ろうと思っています。白い綿を千切って、雪を降らせるんです。
クリスマス、雪ではなくって雨がいいですね。外に出なくていい雨が好きです。
メトロに雨は降りません。
降るのは、これから降るのは血の雨ということでしょう。
上司いわく、
「強者がぶつかり合って降る血の雨はいい。無差別な血の雨は美学がねえ」
…真面目に国防する気のようで、ほっとしました。
防衛庁長官、大豪院邪鬼様より、『メトロ・テロル』の話を聞いたのは今朝のことでした。実行日はクリスマス当日ですって。
とたんに祭り好きの上司はやる気を見せて、長官のデスクに身を乗り出すようにして事の次第を聞く。地下鉄Y線の線路内にて、数名のテロリストが潜んでいる
との情報があったとのことです。
どこよりの情報なんでしょう。それを聞いた時に私は本当にぼうっとしてしまったに違いないと思います。
やってられないわ――、顔に出てしまっていたようで、
「『クリスマス・テロル』ってことか、フッフフ面白い、洒落がきいてるぜ」
「だが実行されれば洒落ではすまんだろう。――潰せ」
「オスッ」
嬉しそうではないか、ゆったりとくつろいだように長官はお笑いになる。ああこの人も上司と同じ、危険を楽しむ人種なんでした。
「終点S駅を確認するだけでよかろう。が、敵は終日地下に潜んで駅出入り口などの様子を伺っているようだ。表立って許可を取り、深夜に入るのでは目立ちす
ぎる」
「人のあるうちに潜んで、夜陰に乗じて殲滅というわけか」
面白そうだ、不謹慎さをはばかるまでもなく隣の上司はどうどうと言ってのけた。私は戦慄しました。
夜中のメトロ!
何が出るのかわからないじゃないですか、何が。テロリスト位ならともかく、幽霊やら、まして、ネズミなんか出られたら…
「終点駅での待ち伏せでいい、追い詰めずともかまわん。二度とそこでテロをできぬように叩け」
「了解しました」
「ベルリンよ、」
邪鬼長官はもしかしたら私の名前をご存知ないのかもしれないわ、私は不満げな顔も見せずにハイと答えられたと思う。
「はい」
「卍丸のサポートに任ずる」
私も上司も立って、デスクの向こうの長官の言葉を聞いているだけ。
だというのに、椅子に座った長官の言葉が重たくて重たくて、自然と頭が下がってしまう。これを上司はあれが貫目がどうのと酔ったような顔で言ったので、私
ははあそうですかと適当に聞き流す。いちいち付き合っていたら、また最初はあの方三十メートルはあったんだという類の話になりかねません。
「はい」
今日も私は、なぜ私なんですかと聞きそびれてしまいました。
地下鉄のにおいは好きです。なぜか、焼いたタラコのにおいを思い出しますが誰からも賛同は得られません。
ホームをぐるりと見渡して、上司は私を低い声で呼んだ。
「ベルリン」
嬉嬉として危機を告げる声に、私は見えすぎるコンタクトの視界を瞬きでリセットします。
見えすぎます。視界すべてが見えすぎるんです。
大きな、つい先日も血まみれになった手のひらが闇からぬっと伸びてきて、私の頭をバスケットボールをつかむようにして掴んだ。
いつの間にこんなに距離を詰められたのかわからない、首筋に上司の気配、呼吸が触れます。
「何人かわかるか」
問われて目を閉じる。暗闇に目を開けたままで気配を数えるほどに絞り込んでは探れない。目を閉じたとたん頭を軽く小突かれる。
「戦場で目を閉じるな、死ぬ」
「はい」
どうして目をつぶったことが上司にはわかったんでしょう、これが戦いに慣れた人間ってことでしょうか。
目を開けると暗闇でも雑多な情報が入ってきすぎるんです。鼻だって摘まみたいくらいです。
近づいてきている。
スタンドバイミーあの映画嫌いだわ、スタンドバイミー、線路を歩いて、いや、走ってくる集団の足音。
なるほど、地下鉄の線路ならば上に上がるためにいろいろと抜け道が用意されているんでした。逃がすと厄介ですね。
「ダース2だ。一人残す。…魍魎拳を見せてやろう」
「後処理が困ります」
控えてくださいと進言すると、つまらなそうに上司は私の首を後ろから掴んだ。ポッキリされたら終わってしまいます。
「ダース2もいてか?」
二十四人居るんだから何人かくらいは、そんな理論聞いてたら国が滅びます。
「一個大隊来ようが、控えてください」
「魍魎拳は殺人拳だ、殺人のための拳法だぜ?」
私は無言で、近づいてきていたテロリストの集団の太ももくらいの高さへ銃を腰だめにして連射した。さすがに体へかかる衝撃も大きい。
先頭の八人、ああ今なら八人だってわかります。八人倒れました。ライフルなので銃弾の筋は決してぶれさせない、それだけは自信を持っている。
呆れたように上司がひいふのみいよと倒れた数える。見えてるんでしょうか、もしかして。
「抜け駆けか、いい度胸をしてる」
上司が地面に倒れた人間に攻撃できないことくらい知っています。テロリスト、よく私に感謝することです。
「全員殺されたらそれこそもみ消せませんから」
「チッ、」
その舌打ちを聞いた時には既に、上司は猟犬のように上体を低くすばらしい速度で駆け抜けていた。手刀が振り上げられたな、と思ったら既にそこには二桁の人
間がその上司の足元に倒れ付している。恐ろしいことに血の一滴も流れていない。上司は暗闇にすらりと立っている、ああ見えます。
後姿にも、撃てる、とは思えない。一見して無防備そうなんですけれど。
襲撃に恐れた残党は元来た線路へとこけつまろびつ逃げていきます。
「追うか?」
「つまらないんですね」
「うん」
うん、ですって。たまに子供っぽいところがあるんですよね。
「えらく冷静に撃つな」
「言われた通りにしただけです」
「じゃ、終わったことだし上の連中に引き渡して飲みに行こうぜ」
「後片付けは?」
しない主義だ、その返答はらしいです。
私もこんな後片付けをしたいわけではありませんので、従います。
「そうだベルリン、クリスマスの予定は?」
小型ライフルをバッグにしまいながら、唐突な質問についきつい返答になってしまったのは私のせいではありません。なれないコンタクトのせいで頭痛がするん
です。
「俗な事聞かれるんですね」
「聖人君子はつまらん」
「潔白か俗悪か、その中間はないんですか」
「半端もつまらんだろ、そうだクリスマスだがな」
特徴的なモヒカンがメトロの闇に揺れる。笑っているのだ。タバコとアルコールで荒れた唇に薄い歯がニカニカと。
「シーサイドの雑居ビルにどうも外国人麻薬グループがあると聞いた。これは楽しいだろうな」
外国人が上司は特に好きなのだ。もちろん殺しの相手としてである、日本人は弱腰でつまらんと毎日のように嘆いているし、ちょうどいいのでしょう。
別に、誘いを期待したわけではないですからね。一応、念のため。
「他を当たってください」
「これは命令だぜ?」
ふふんと笑う上司にさっさと背を向けて、地上へ。もっとも重症そうに見えた男を肩に担ぐ。重い。
けれどベルリンは丈夫なのだ。無駄に。
この体格さえなければ私、誘われなかったかもしれないのに。
それはそれで、つまらないと思う自分が嫌です。
「楽しみにしてろよ、あちこちでリンチや暴行引き起こしてる奴らだ」
「楽しみじゃありません」
「…乱交は気にいらねぇか」
「あいにく乱交も乱闘も」
血の雨が降る、俺が降らせると大声で言うので、私は黙ってメトロのホームへ上がった。
「仕事じゃねぇデートだ、お互い共通の趣味があるほうがうまくいく」
何を急にカウンセラーのようなことを言い出すのでしょう。
「趣味じゃありません」
「なら俺の理解を深めろ、何すぐ惚れる」
上司流に言えば、ほざく。上司は歌うようにほざいた。
歌いだすクリスマス・テロル。
次はシーサイド・ジェノサイド。雪が降ればいい、赤穂浪士のように白雪に鮮血なら少しは気が晴れる。
危険手当申請書 日付十二月二十四日
所属 特別国防臨時機動班
コードネーム ベルリン
危険手当
深夜残業手当
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