アリキリロマンス
雷電先生、何かお話をしてください。
僕がそうせがむと、先生はむうと一声うなって両腕を胸の前で組んだ。いいでしょう、先生。今日僕はとても勉強をがんばったし。
「アリとキリギリスの話をしよう」
それなら知っています先生、とは絶対に言わない。先生が僕一人のために話してくださるんだもの、文句を言ったらバチがあたる。
「どんなお話なのですか先生」
あるところに一匹のアリが居た。働きアリである、名を富樫と言った。富樫はアリにしては器用でもなく、勤勉でもなく、真面目でもなかった。が、一本筋を通すしぶとさから中中見所のあるアリではあった。
富樫は昔、兄の源吉アリが出て行って行方も知れぬようになってしまってから、父親代わりの江田島アリを人生の師と見込んで養いながらかつかつと暮らしている。
富樫アリの掘った巣穴はちょうど1LDK、二人暮らしには手狭な、南向きの斜面に入り口があった。
『先生、アリにも名前があるのですか?』
『勿論でござるよ、もし貴殿よりもはるかに大きな動物が居たとしたら同じことを考えるであろうが、その時の答えも変わることは無かろう』
『なるほど、小さいからと言って僕らと違うわけではないのですね』
暮らしむきは毎食一汁一菜と厳しいながらも、富樫アリは毎日せっせとエサを巣に運び続けていた。というのも冬が近づいているのであった、エサを取りに外に出たらたちまち凍えてしまいそうな冬がすぐそこまで近寄っている。霜が降りてしまえば小学生達はパリパリサクサク楽しく登校できるだろうが、アリにとっては氷柱を掻き分けて進むということは至難の技で、とてもエサを探すどころではない。
富樫アリはアリだというのに女王の下におらず江田島アリとたったの二人暮らし。この江田島アリというのがたいした傑物で、その男気にほれ込んだ挙句是非自分の家に居てくれと頼み込んで居て貰っているので富樫アリは常に二人分の食料を確保しなければならない。それも毎日で、しかも江田島アリはあふれる男気の大きさと同じく大変によく食べる。わしわしと、むしゃむしゃと、甘いも、すっぱいも、腐っていても関係なしによく食べる。
どうしても二人分食料を集められなかったその日は、富樫アリは腹が痛いフリまでして江田島アリに食わせてまでその忠義を貫いた。
それをしても惜しくはないと富樫アリは信じており、また江田島アリはそうするだけの価値のあるアリである。
『けなげですね、先生』
『普通にアリの巣で集団生活をしていれば困ることも無かったろうが、それはしなかったのでござるよ』
『なぜでしょう』
『常識の通じぬものもいる、そういうことでござる』
ところで、富樫アリと江田島アリがつつましくも太く生き抜いているその近所に桃というキリギリスが住んでいた。
笑顔も人当たりも、話しぶりも身のこなしも颯爽としていて、さわやか、おまけに気立てがよく誰にでも平等に接する好人物である。
『先生』
『どうされたか』
『こういう人物がキリギリスというのは中々むつかしいのではないでしょうか』
『ふむ、通説ではある。まあ聞くがよろしかろう』
そのキリギリス桃はよく富樫アリのところに遊びに来て、薄くてお湯とさしてかわりないような茶をご馳走になって、色々と楽しいことを話す。富樫アリはそれをうらやましそうに口を半開きにして聞いて、おめぇはいいなぁとうらやんだ。
が、結局自分がアリなのだから仕方がないとあきらめる。
キリギリス桃というのは人にうらやまれるようなものをずらりとそろえて持っていながら、嫉妬やその他、ねちねちどろどろとした感情を受け付けないすっきりと際立つ男であった。
富樫アリもまたさっぱりとした男だった。それをキリギリス桃は気に入って、どうだ、一つ嫁に来ないかとしばしば誘う。
富樫アリの返事はこれまたさっぱりとしたもので、
「いや、俺はここで江田島のオヤジとずっと暮らすぜ」
「なんでだ」
「俺ァアリで、てめぇはキリギリスだろうが。おい桃、それよかてめぇちゃんと冬支度してっかよ」
「そこそこにな」
富樫アリはいつもキリギリス桃を心配している。というのも冬支度を忘れて遊びに遊ぶキリギリスの死体をごろごろと富樫アリは冬に見かけることになるからであった。だが、その死体をヒャッホウしめしめと巣穴に引っ張り込んでむしゃむしゃやるのも富樫アリである。アリなのだから当然ではあった。
『やはりキリギリスというのは、なまけものばかりなのでしょうか』
『むう、だが拙者も居れば貴殿も居る。たまたま目立つものが怠け者であったということであろう』
『そうですね、僕にはとてもこのキリギリス桃が冬に死ぬ気がしません』
『勿論拙者もでござるよ』
富樫アリは口をにやりとひん曲げて、いかにも赤頭巾に出てくるオオカミのするように歯をむき出して笑った。だが所詮はアリである。
「もしてめぇが落ちてて、もう息がなかったら遠慮なく食うからな」
「お前になら食われたってかまわないさ。抵抗なんかしやしねぇから遠慮なく食ってくれ」
「い、いや、死んでたらって…」
冗談が通じないこともあって、富樫アリはたまにキリギリス桃に戸惑うことがある。
手堀りの、雨が降るたび埋まってしまう窓の外が白灰色で、今にもぽろぽろ雪が降ってきそうであった。
「とにかく、富樫。俺のところに嫁に来ないか。楽しくやろう、お前とならどこだって常夏さ」
冬を忘れそうになる笑顔で歯の浮くようなことを言ってもまったく浮かないのがキリギリス桃の恐ろしいところ。浮くどころかしっくりと馴染んで、その証拠に今も富樫アリの顔を赤くさせた。
「ば、バァロォ!ちゃんと冬支度もしてねぇくせにナマ言ってんじゃねぇ」
「そうしたら、俺の亡骸でお前は冬を過ごしてくれよな」
蒸発しそうになるくどき文句の直後にこの落差、このせいで富樫アリはキリギリス桃の口説きに落っこちる気になれない。
『ということは先生、このアリ、まんざらでもないんですね』
『本気になったと思えば実は冗談、そういった若気の至りというのはいつも気恥ずかしいものでござる』
『先生』
『…………』
『先生』
冬が来た。
富樫アリは江田島アリの前にできたて熱々の飯を差し出す。ちらちらと窓の外を見れば、もう四日目になる雪はまだ降り止まぬ。降り止んだとて雪雪と深雪が重なって大地をすべて覆い尽くしてしまっていた。外に出れば確実に死ぬ、そして他の動物のエサになる。
エサになるほど食いでがあるかどうかは別としてではあるが。
「なんじゃ、さっきから落ち着きがないのう」
言いつつも江田島アリの箸のスピードはいかほどにも落ちぬ。富樫アリはその食いっぷりを見ているだけでいつもは幸せになれたのだが、今日はそうもいかない。
キリギリス桃は姿を見せない。
冬になってから姿を見せない。
富樫アリはそれが、心配でならない。キリギリス桃がそう簡単にくたばるなどとは雪の結晶ほどにも思っていない、けれどもキリギリス桃はやはりキリギリスなのである。
「キリギリス桃が心配か」
江田島アリは全てお見通しである。富樫アリはそんなんじゃねぇやと強がったが、そんなもの江田島アリでなくとも見ればすぐにわかった。
わかりやすい男である。
(キリギリス桃よう、おめぇを食って生き延びるなんざゴメンだぜ、ブッ倒れる前にうちに来いや)
富樫アリは最初から、キリギリス桃が避難してきてもいいように食料をかきあつめてあったのだった。あまり質もよくないし、もともと味より量の江田島アリを食わせるための食料なうえ富樫アリの手製、味は期待してくれるなというところ。
(寒いじゃろ、さっさと来いや…死ぬなよ)
が、キリギリス桃を食うことだけはしたくない富樫アリの真心は熱い。雲隠れの太陽のように熱い。
江田島アリは富樫アリがしゃもじを手にしたままふぶく窓の外を物憂げに見ている。うむうむと江田島アリはうなづいて、それから一分待ってやってからおいおかわりと富樫アリを呼んだ。
今年は温暖化を忘れたようにびょうびょうと風は勢いづいて執拗に雪を舞い上げる。
『これはやはり、カニバな流れになってしまうんですか?』
『ご安心めされい、これは良い子のための童話でござる』
『よかった』
「ううッ」
ドア代わりに貼り付けていた手袋が押しのけられ、そこからやけにこぎれいなキリギリス桃が転がり込んできた。富樫アリは一瞬驚いて江田島アリに手渡そうとしていた四杯目の茶碗を取り落としかける、が、根性で落とさぬ。江田島アリに茶碗を渡し、茶をついでやってからあわててキリギリス桃へと駆け寄った。
「桃!」
「と、富樫…最後に一目、お前に合いたかったぜ…フッフフ、もうお前しか見えやしねぇ」
キリギリス桃の手をぎゅうと富樫アリは握る。
既に富樫アリは涙ぐんでいた、涙にもろい男アリであった。ぼたぼたと熱い大粒のしずくがキリギリス桃の頬に落ちる。キリギリス桃はなめらかに発音よく、舌をもつれさせることなど全く無しに富樫アリにささやいた。
「やっぱり、お前以外に食われたくはなくてな…」
キリギリス桃の微笑みはどの白百合よりもしらじらと清らで、富樫アリは目の前が真っ白になった。死ぬなァと裏返った声で叫ぶ。
「馬鹿言ってんじゃねぇ!!俺ァ、俺ァてめぇ食ってまで生きていたかねぇや!!」
うれしいことを言ってくれる男だと、キリギリス桃の真っ白ではなくばら色の頬は輝く。富樫アリはもう涙でびしょびしょになりながら吠えた。
「ううッ…も、桃ォ…!!」
「お前と所帯を持ちたかったな、フッフフ、明るい家庭というやつで…」
死に際の台詞にしてはどうにもよどみが無さ過ぎる上、キリギリス桃の体はちいとも冷え切っては居ない。が、富樫アリはおうおうと犬のように泣きながら両手でそのいかにも握れというように伸ばされた白い手を握っている。
「も、もっと素直になってやりゃあこんなことには…!うおおおおおおおッ!」
「そんなに自分を責めるな…お前が悪いわけじゃない…」
江田島アリはその二人の滾りを聞き流しながら『キリギリス桃、今年で四年アイドル歌手部門長者番付一位』という昆虫新聞の記事を横目に、わしわしと飯をかきこむ。
そろそろお代わりをしようかというところであった。
一方。
「組長!いや、女王!」
「何だ」
何千もの働きアリの上に君臨する女王アリ伊達は冬篭りの準備をつつがなく終え、ようやく女王の重責から解き放たれようとしていたところであった。というのに部下があわただしく駆け込んできたので額に青筋を立てた。声が自然と荒くなる。
「ああああの、キリギリス虎丸様が飯をくれなきゃ死んでやるって騒いでるんですが!!」
「ほっとけ!!」
女王アリ伊達は思わず叩きつけるように怒鳴ったが、その一分後、下働きが足りないから仕方なくだと言い出して大飯食らいのキリギリスを雇い入れることにして苦労性の部下の苦笑を誘う。
「伊達、腹減った…」
「うるせぇ!働け!!」
ともあれ、どこも冬は無事に過ごせそうである。
「先生」
僕は先生のお話を全て聞き終えたうえで質問をした。先生の目は、前に遠足で見た春の海のように静かでゆれている。
きれいだ。
「なんでござるか」
「この話のキョウクンはなんですか?助け合いですか、それとも」
「さて…拙者も今考えているところでござるよ」
雷電先生はときたまちょっとお茶目だ。僕らはどらやきと紅茶でお茶にした。
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