盾を立て立て鬼が出る

「防弾チョッキを着てくださいと、何度申し上げたらわ かっていただけるんですか」
あんまり声を荒げたら、メガネがずり落ちてきた。視界がズレるのはよろしくない。
「うるせえ、そんなモタモタしたモン、ダサくてやっていられるか」
「ファッションの問題ですか!」
「違うな」
ちっちと人差し指をふって、片目をつぶる。片目をきれいにつぶることができる人を、私はいまのところ上司以外に知らない。それもバチンと星が出て、アメリ カのパンクガールが腰を振って手招きでもしそうな格好のつきかたは半端ではない。
「生き様の問題だ」
「…格好つけても駄目です、お願いいたします」
「バカ、頭なんて下げるんじゃねえ」
頭を下げることになんの痛痒も感じはしない。上司は苦虫を噛み潰したように口ひげを揺らして私をたしなめた。
「頭を上げたら、防弾チョッキを着てくれますか」
「それとこれとは話が違う」
「お願いします」
チェッ、とつまらなそうに上司は舌を鳴らした。面倒ごとを言いつけられた兄貴分の苦笑だ。
「俺にはこれがある、鋼胴防だ。銃弾をも弾く、どうだ」
上司は突然ワイシャツの前をはだけた。現れたのはまぶしい肌、ではなく鋼鉄の胴衣のようなもの。
「はあ、これなら確かに」
脱がなくても、良かったんじゃあないですか。あやうく舌が回りかける。これまで脱がれたらたまらない。
「作ってやろうか、お前にも」
「え、」
それはありがたい、確かにこの防弾チョッキはその鋼胴防とやらに比べて、もさもさとしていて機動性に欠けそ――
「まずは胸囲を計る必要がだな」
――さて、防弾チョッキ着用申請書類を書かなくては。






私のメガネは安物である。
レンズも分厚いし、球面レンズなので目が奥に縮こまって見えた。
黒く頑丈に太いフレームもどこで買ったかどうやっても思い出せぬ、ただ安かったことだけは覚えている。
そのメガネが、男の手のひらで材質を忘れたようにありえない曲がりを見せた。
私はとうとう、何をするんですかと文句を言いそびれてしまった。
けれど私は部下なので、言いそびれたのではなく言う気もなかったのではないだろうか。
コンタクトレンズでは隅々まで見えすぎてしまって、どうにもまだ慣れないままだ。
見えすぎていやですと上司に言えば、
「殺しが怖くなったか」
と聞き返された。メガネがなくとも、相手が深く笑っているのが気配でなく経験でわかる。精悍な顔というのか、凄みのある顔というのか。ちらちらとよぎるの は茶目っけだろうか。
時々背中がぞくぞくするほど怖いこともある、凄惨な殺しを唱えたその口で、次に飛び出てきたのが卑猥な冗談あったこともあった。
怖い。
怖い、恐ろしい。
怖いのはそんな上司の背を追って、いつの間にか真っ赤な手袋をはめた私かもしれない。

少し前のことだ。出会って間もない頃だ。
卍丸、と言う名前を単なる音として耳にした時に、どういう字を当てるのか気になった。本名ではないだろうとそれだけ。
その頃私は倉庫番で、鉄壁のベルリンだったので、疑問はあれども表には出さないでいた。
鮮やかな金色のモヒカンを揺らし、現れた新しい上司。陽の当たる地上へ突然引きずり出されたモグラな私。

『非日常へようこそ』
そうしてメガネは砕かれた。
つい先日新しく購入したメガネは、店の宣伝文句が『レンズフレーム全てで五千円!』とあったのに惹かれたのだが、
『お客様のレンズですと、特別な処理をしませんといけませんので…』
と処理をし終えた後でさらりと言われ、結局二万円もの出費になってしまった。近眼が進みすぎるとこんな弊害があったとは。
『レンズの厚みが今ですと一センチ五ミリ以上、これを薄くする処理を行いますか。なおコチラは…』
なおコチラは二万円かかりますと、言われる前にどうもありがとうと言ってメガネを手に席を立った。店の外まで送り出してくれなくても結構だと、久しぶりに ムッとする経験だったと思う。その後本を買って寝た。好きな本を読みながら寝ると、その夢が見られて良い。

新しいメガネは快適だ。
度があっていなかったらしい前のメガネよりよく見えて快適だ。少なからず見えないふりをしていた部屋のホコリを掃除することができてよかった。
快適だ。
レンズの中は良く見える、かわりにフレームの外は強くぼやけるようになった。
隅々まで見え過ぎなくて良い。
満足している。






チュン!!
突然鋭い鳥が鳴くような銃声が耳へと突き刺さってきた。つま先から凍りつく、悲鳴、また銃声、怒号!心臓を掴まれて現実に引き戻された。
息が止まる。
レンズの中の景色、正門あたりにちらと影が走った。私ははっとなって、大豪院邪鬼長官の前にすばやく立ちはだかる。窓から離れているので狙撃の可能性は低 いとはいえ、ないとは言えない。上司はまだソファに寝ているが、危険が迫れば美女のお誘いよろしく飛び起きるだろうから問題はない。
心臓が荒馬のごとく跳ねまわる。
わかっていても、どうにも小心だ。仕方がない、私はモグラだ。
状況を確認せよ。
落ち着け。
今はいつだ。
十二月二十五日、クリスマス。
クリスマス。
訓練作戦名、クリスマス・テロル。
どうすべきか。
テロリスト役である私達。私、大豪院邪鬼長官、影慶上官、羅刹上官、センクウ上官、卍丸上官、全員の脱出および生還。
また、最重要人物である大豪院邪鬼長官の無事を優先順位一とす。
乱すな、呼吸。
落ち着け。
私の念仏は南無阿弥陀仏ではない、作戦の確認、自分の状況、繰り返し念じれば冷える。つめたくなれ。

「…不要だ」
腕を開いてかばうような格好を取った私への言葉は短い、が、芸を覚えた犬を褒めるような響きが伺えた。最初嫌だ嫌だと態度で反抗していた私が、いまや率先 して大豪院邪鬼長官の御身を守るべく飛ぶように馳せ参じた。それが面白かったのかもしれない。
「影慶上官はご無事でしょうか」
よし、声は震えていない。よろしい。
突然姿を消した影慶上官、私は影慶上官がどこにいるのかうすうす感づいてはいたがたずねてみた。
「あれが負けると思うか」
今度こそ確実に、絶対の自信を声に嗅ぎ取った。大豪院邪鬼上官が死天王などと物騒な通り名を持つ副官の四人にかたい信頼を寄せていることは知っていた、 が、とりわけ影慶上官に対しての信はあついように思う。
手駒としての部下ではない、同志としての部下だと言ったのは誰だったろうか、あれはセンクウ上官だ。
「ならば今のは敵の悲鳴ですね、あの」
「あれは影よ、どのようなところにも影は出来る。…この邪鬼の足元にも」
振り向く、窓に背を向ける格好になるが構わない。どれだけ私ごときが研ぎ澄ましても、大豪院邪鬼長官より先に危険を察知することは不可能に思えたからだ。
覇王だ、どう見ても覇王だ。高貴さすらあって、信仰の対象になるかもしれない。
この覇王がただのシンボルではなく、自ら先陣を切る修羅であることを知っている。それがとても、胸が躍る。カリスマという言葉最近とみに安っぽくなって、 価値がなくなったに等しいけれど、ここにたしかにカリスマがある。そう信じる。そう信じて、あの四人もいるのだろう。
「大豪院長官」
「影は潜む、あれは今頃目障りな斥候や伏兵を始末しているだろう」
フフ、と険しい眉がゆるんだ。強い線を描く頬のあたりに照るのは微笑みだ、腕組みをしたまま大豪院邪鬼長官は私を見下ろしている。居心地の悪さを感じた、 百八十四センチもある私だ、女性と目線があうことはまずない、男性でもなかなか、ましてやはっきりそれとわかるほど見下ろされることなど何年もなかったと 思う。
大豪院邪鬼長官の目を見て話すなんて、以前の私では考えられない。目が潰れるとは言わないけれどとても背筋を正して接することはできなかっただろう。
「影は、渡るぞ」

ニッ、と歯を見せるほど深く笑う大豪院邪鬼長官を、初めて見たかもしれない。あの人はあれはあれで可愛げというものをお持ちだと自慢げに私に言ったのは件 の影慶上官だ。影慶上官は本当に、大豪院邪鬼長官を慕っているのだ。私と上官がそういう関係になるまでにはおそらく、月に美女が住めるようになるほどかか る。

上司のぐうぐうと言うマンガのようなイビキが響いて、私の熱くなった胸に水をブッかけた。
ああブッかけただなんて言葉遣い、やっぱり上司はマンガだ。
体に悪いものほどオイシイ、教育によくないものほど楽しい。世の常だなあと私は苦笑するしかない。

それじゃあと、私はさらにファックなこのクリスマステロルへ身を投じることへ覚悟を決めよう。





大豪院邪鬼長官に代わり、窓に肉薄。
見下ろすと、ちょうど二十人程の団体が正面から接近しているのが見えた。もともと仮宮だったのでレンガもなにも敷いていない、平らにならされてはいるが土 のままの一本道を五人ずつの列になって進んでくる。
「大豪院邪鬼長官、お下がりください」
「フム、来たか」
「はい」
全員が私が覚えきれないほど長い名前のついた特殊装甲つきの銀鼠に光る制服に身を包み、ヘルメットにガスマスクをつけ、利き手には警防に見える武器、もう 片方で機動隊が使っているのと形状は一緒だが、丈夫さは比べようもない盾を立てて身を隠している。
完全武装というにふさわしい装いの一群がこちらへと来る、私は手にしたライフルをちらりと見て首を左右に振った。
「申し訳ありません、このライフルではあの盾の隙間を縫って撃つことは難しいです。よしんば撃てても、全員を倒す前に建物へ侵入されてしまいます」
どうすべきか。この建物まで五十メートルあるかどうか。
上司を起こすか。メガネを外すか。私は壁まで下がっていただいていた大豪院邪鬼長官の側へと戻る。
「敵はあの盾の防御を頼みに、こちらの攻撃を受けつつ前進するつもりのようだな」
「はい、防御に徹して」
…今日は大変珍しい日のようだ。
大豪院邪鬼長官がフッフフと楽しげに笑い声を上げたのだ。笑うこの方はどこか恐ろしい。仰天ものだが、目の前にして仰天などできない、ただ、
「どうされたのですか」
とたずねることのみ。大豪院邪鬼長官は組んでいた腕を解くと顎をさすった。もみ上げまでもが強い、どこもかしこも強いお方だと思う。
「昨日より羅刹の姿が見えぬのは、どうもこれを見越していたようだ。窓辺へ、面白いものが見られるだろう」
私がお止めするよりも速く大豪院邪鬼長官の脚が窓辺へと向いた。慌てて小走りに追う、窓際に立ち、見下ろす。相手の兵装に銃器は見えなかった、もし隠し 持っていたとしても、構えて照準を合わせ、撃つよりはすばやく動けるだろうとは思う。私が動くより速く大豪院邪鬼長官は動くだろうし、動けなくて負傷する のは私だけだ。その私も、訓練かどうかを抜きにして死ぬとは思っていない。
殺気も本気も、微塵にも感じられないせいだと思う。
私と大豪院邪鬼長官は窓に接し、進軍を続ける一群を見守った。
「あの、先ほどの…羅刹上官が何と?」
「見るがいい」
指をさされて、顔を大豪院邪鬼長官から下へと戻した。
「貴様は土の中を知っているか」
「え?」
「あれは中中、胆力がないと居られるものではない」
おっしゃることがわかりません。
しかしわかりませんと答えるのは罪だ。なので、
とにかく例の行軍を見下ろした。









俺は第二突入部隊、今井だ。この隊のマーチ、行軍指揮をしている。
俺達の隊はこの強化防護盾で身を守りながら建物に接近し、内部への侵入を目的としている。後続のために突破口を開くのだ。
「せ、せんぱい…本当に大丈夫ですかぁ」
「情けない声を出すな平塚!この盾は機動隊の使う安物とは違うんだぞ」
「だって、それでも…」
俺は平塚の頭をメットの上から殴りつけた。
「この盾はなあ、どんな銃だろうがどんな日本刀だろうが絶対に切れないし砕けないんだぞ」
「本当…ですかああ」
「本当だ、いいから進め、ほら」
足並みが乱れる。まったくこれだから新米は困る、いくら今回の作戦のために急ごしらえで作られた守備部隊だからって、これじゃあ学生のお遊びだ。
「じゃあ先輩、これなら撃たれても大丈夫ってことですよね」
本当に新米は、能天気と言うか、イチイチ現実味がないというか…ここに入った理由が、飛行機に乗りたいからとかでも俺は驚かない。
もう投げやりになってきた。どうせ、相手はたったの五人かそこらだって言うし、単なるテロ対策訓練なら何度もやってる。さっさと終えて帰るぞ!
「ああそうだよ!虎でも鬼でも、なんでも来やがれ!!」
その声がどっから出てきたのか、本当にわからなかったんだ。
突然としかわからねえ。
「……そうか、ならば試すか」
「わあ!!?」

つい今俺達が歩いていたのと同じ地面だ。何の変哲もない、土の地面。
目前の地面がもくもくと、たちまち二メートル近い高さまで盛り上がって、声はそこからしたんだとようやくわかる。土の塔は俺達の部隊の真ん中ににょっきり と生えた格好だ。俺のまん前!
俺が盾の後ろに反射的に身を隠すのと同時に、間違えようもなく人間の人差し指と小指が信じられないことに紙風船やぶくみたいに俺の盾を突き破った。その今 出来上がったばかりの土の塔から繰り出されてきたんだ。
その塔が、生きてることに俺が気づいたのと同時に隣の平塚、それから隊のヒヨッコどもが悲鳴を上げた。盾を愚かにも放り出そうとするやつまでいる!
「な、なんだッ!!」
「わああああ!!!」
「どっから出てきたんだ!!」
「たいちょおおおーー!!」
一気に場は混乱に突き落とされた。頼みの綱の盾が破られたのが拍車をかける。
「ぎゃああああ!な、なんなんだよお!」
「たいちょー!!たいちょー!!盾、駄目じゃあないですかあ!」
ああうるっせえなヒヨッコどもォ、俺だって何がなんだかわっかんねえよぉ!!

「虎でも鬼でも――か、ふん」
太い男の声がした。本当にこの、土ン中から出てきた奴の声か?
土ぼこりがうるせえ!晴れろ、どけ!
風が一筋やってきて、もうもうと上がった土煙をさらっていく。現れたのは、
「こんな盾一つで、防ぎきれると思ったのか?俺らを、…フッフフ笑わせる」
人、
人か?
こんな、土の中からいきなり現れるような、
特殊装甲の盾を指一本で突きぬくような奴が、
人か?

「お、鬼――」

誰かがそんなことを言いやがった。いや、そんなもんじゃねえ、これは、もっと恐ろしい――
そうだインドの、恐ろしい神様にそっくりだ!
名前を、ああ、



「まさに後ろ盾を失くしたというところか、容赦はせん」
一人も残さずにな、そうぞっとするような笑い方をして呟き、
指を構え、泥と土に塗れながらも燃え立つような大男はそう断じた。
ずい、と一歩進んでくる。うそだろ、オイ…ッ、
土の中に潜んで、俺達を待ち構えてたってことかよ…
ハッハ、こりゃあ、こりゃあ、

勝ち目がない
あるはずもない

「ッ…わ、わああああ!!!」
第二突入部隊、今井隊長含め全員は混乱と恐怖に突き落とされた。
モクジ
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