酷く傷ついている。
傷つけたのは自分だった。
しかし、癒したのも自分だ。
目の前の男は間違いなく右腕を骨折している。仁は冷静に相手の被害を把握しつつある。
(右腕はへし折った)
向いてはいけないほうを向いた右腕、ぐんなりと垂れた肘から先は力を失っていた。
(肩を噛み千切って)
右肩へは歯型というには生ぬるい裂傷、あふれた血は赤黒くゼリーのように艶を帯びている。
(酷いことをした)
小さな傷は数え切れない。
(酷い事をした)
三島一八は呼吸のたび、痛みが走る身体をふるわせた。大きく傷を走らせた胸を上下させて、痛みに打ちのめされようとも呼吸を必要としている。
烈しく苦悶に歪んでいたが、あの傲慢さと潔さの同居した顔に敗亡の色はない。
あくまでも肉体への破損だけに耐えており、絶望も屈辱もその顔にはうかがえない。誇り高いままだった。
(きれいだ)
仁は素直に思った。
たくさんの汚辱を与えたのは自分だった。暴れる身体を押さえつけて、自らを隙間などはなからないところへねじ込んだ。
くぐもった声、
空気を震わす怒号、
容赦の無い打撃、
引き裂かれた体の絶叫、
それらを丸ごと受けとめて、仁は三島一八をねじ伏せた。
目のくらむような快感がそこにあった。肉体的な快感はさほどでもなかった。慣らしたわけでもなく無理やりな挿入は性器をひたすら引きちぎるほどの締め付け
に終始し、最中幾度も一八渾身の拳が仁の顔面を襲う。
(痛かった)
甘んじて受け入れた一発はすばらしい、火花の走るような痛みを仁へ与えた。その衝撃の生んだ振動が一八自身を苛み、白目を剥いて吼えた。爆ぜるように肉体
的な快楽を生んだ。
(きれいだった)
世界の誰より近いところで、仁は一八の表情が揺れ動く様を見た。
それが何より仁の身体をたかぶらせた。
身体を深ぶかと穿たれ、抉られ悲鳴を上げ、拳を作って痛みをやり過ごし、痛みの隙間に仁を罵倒し、与えようと仁が与えた手淫に怒りを露にし、陥落する。
数え切れないような、普段共に過ごしているだけでは見られない三島一八の彩りを仁は間近で目にした。世界がまばゆい白に灼け落ちていきそうな快感だった。
全ては一瞬に消えていく、全てを仁は胸へとおさめる。戯れに額へ落とした唇に、一八が驚いたように目を瞠ったのは特に仁の気に入った。
獣の吼えるような絶叫を耳に受けながら仁は一八の中へ精液を放つ。
引き抜いて精液の白と、血の赤が混じる姿へ、自らを重ねながら仁の手は一八のものを愛撫した。与えようとする仁へ一八は蒼い炎のような怒りを見せたが、所
詮手負い、肉体的にただ追い詰められて精を放つ。
達する瞬間、声を殺したの一八。たくましい喉のあたりがぶるぶると痙攣して、せめてもの抵抗に仁の背へ爪痕を深く残した。
痛みに仁が呻くと、瞬間ひらめくように一八が笑った。喰らわれているのを感じさせない勝者の笑みだった。
(きれいだ)
思わず見蕩れた。
失神した一八の身体を神聖なものへするように、丁寧な手つきでそっと仁はなぞった。女のように曲線のある身体ではない。
全てギリギリの位置で保たれた、今にも線の向こうへ落ちていきそうな身体を仁はいとおしいと思う。
「母さん、わかったよ」
完全に落ちた一八の頬に何かが走った。意識を失っていても『母さん』その単語に反応を見せる。仁は薄く笑った。
(誰も呼ばなかった)
意思を無視し、力で捻じ伏せて奪いつくす全ての最中。
三島一八は誰にも助けを求めなかった。
(俺なら、母さんを呼ぶだろうか。情けないけど)
男が男に奪われるその非常識さ。どんな男でも哀願の一つはこぼしてもおかしくはない。
けれど、三島一八は誰にも助けを求めなかった。
(誰も呼べなかった)
言葉ではない、誰かに助けを求めようとすれば一瞬でも顔に視線にそれは表れる。どんなにかすかなものでも、一八を支配する仁が見逃すはずもない。
けれどなにもなかった。
三島一八は誰も呼べなかった。
(誰かに助けてもらったことがないんだ)
いつだって誰かに奪われ、傷つけられるだけだった男。その男が知っている事といえば、取り返すことと他者から奪う事だけ。
仁も今しがた一八から奪った。彼の持つ唯一の肉体を奪った。
(優しくして、愛してあげよう)
決意を抱いた仁の微笑みは安らいで、淫らがましいところは何一つない。今も一八の頬を撫でさすっている指もいつくしみにあふれている。
「いっぱい傷つけて、そして愛してあげよう」
傷つく事しか知らない男だから。
愛される事を知らない男だから。
(ただ俺だけがそれを許されている)
仁の胸は熱くなった。唯一許されているのは自分だと思うとたまらない気持ちだった。
(この人が許すのは俺だけだ。そうだろ)
仁は微笑んだ。