素っ裸でソファに寝そべって、俺のほうをチラとも見ない。
あれが俺の父親か?
嫌だ。
絶対に嫌だ。
隠すということを知らない男、三島一八に仁は一人苛立った。
たとえば仁がせっかく作った味噌汁がまずかっただとか、
仁が入れた風呂の湯がぬるかっただとか、
イヤホンから聞こえる音楽がやかましいだとか、
そうした事までずけずけと言うのだ。
人として遠慮も配慮もない、ただ自分の気に入るかそうでないか。
(最低だ)
その最低な人間がこともあろうに実の父親で、更にその父親へ頭を下げて同居を願い出たのは仁本人なのだから、どうしようもない。
母の言いつけというより、願いだった。
『理解して、愛してあげて』
暴力も激情も隠さない男が唯一隠す事、
仁の母親について。聞かなくてもくだらないことは言うが、聞いても風間準の事柄に関しては、
「貴様に話す筋合いはない」
の一言で切り捨てる。ご丁寧に腕組みをして、顎まで反らせて。
(なんて腹の立つ人なんだ)
仁の怒りはぐつぐつ日増しに煮えていく。その間もかいがいしく家事をこなしてしまう自分が、仁は嫌いだった。が、同居の条件に含まれていたのでしようがな
い。
毎日立てる腹もそろそろいい加減にしろと訴えている。
なにより我慢がならない、と仁は思うたび、
(なによりが多すぎる)
と考えた。
出したものを片付けないのも、
作ったものを食べ残すのも、
鍵をかけないまま外へ出かけるのも(行き先は場所だけが答えられる、そこで何をしているのか誰と会っているのかは聞いていない)、
家に居るくせに電話に出ないのも、
金の管理にずさんなのも、
どれもそのたび、なにより腹が立つと仁はいらいらしていた。
今の「なにより」はとりようにとってはくだらない事。
けれど、なにより。
「……」
無言で自分を見つめ続ける仁の存在を歯牙にもかけない。既に五分は睨んでいるのにもかかわらず、男の視線はテレビへ注がれている。
無駄にでかいテレビの画面の中ではグルメ番組、
(俗悪だ)
肉が焼け、肉汁が滴り、太った芸人が美味そうにほお張る。
仁はこの手の番組が好きではなかった。
(世界には恵まれない人だっているんだ)
だが彼の好みとは裏腹に、彼の父親はこうした金に物を言わせた強者の、俗悪な番組が嫌いではないよう。
くだらないクイズの正解に与えられるにしては大きな肉片に、そしてそれに食らいつく欲望まみれの顔をニヤリと笑いながら眺めていた。
(全裸で)
そう、全裸で。
(俺なんて目に入らないのか)
全裸で優雅に大胆に。
三島一八は自らの身体を惜しげもなくというよりは、雑に晒してソファに寝転んでいる。リモコンを手にしたまま脚を長ながと伸ばしていた。
(親父が裸になるのはテレビでもよくあるって、言ってたけど…でも)
それはあくまでメタボでビールな腹を出した、風呂上りの醜い裸だった。
今仁の目の前で投げ出されているのは全身から無駄を削ぎ落とした、しなやかで美しい体。
無数の傷もおとなしく肌へ収まってい、野生の獣のようだった。
(どうして裸なんだよ)
いつもいつもいつも、部屋から出る用事がない場合三島一八は服をまとう事をしなかった。出かけていく際はだらしなく、あるものを適当に身に着けるコーディ
ネートもセンスもあったものじゃない格好で出て行くのに、帰ってくると仁にとっては悪趣味の極みのような燕尾服や爬虫類の命をいくつも奪った白いスーツに
着替えている。
(変だとは思ってた)
今日という日は大分寒く、一日中曇っていた。
だが三島一八は寒さというものを知らないのかつま先をこごめるような事もせず、怠惰に伸びやかにくつろいでいる。
裸の腹はきれいに分割され、薄い皮膚の下で筋肉が呼吸のたびわずかに上下し、時折テレビへ向けてフンと鼻を鳴らすとわき腹が波打った。
親子であるという以上に同じ男同士、ついつい仁の視線は下腹部へ降りていく。隠すそぶりも見せない性器は勃起こそしていなくとも恥じるようなものではな
かった。
(…………)
と、唐突に一八の視線が仁へとぶつけられた。今の今まで一八の世界に仁はいなかったはずだったのに、突然飛び込むようにして一八は仁を睨んだ。
仁はぶつけられた無遠慮で、下からすくい上げるような嫌味たっぷりの視線にたじろぐ。
「変態め」
一瞬、何と言われたか理解できなかった。
「………え?」
「フン」
一八はソファから立ち上がる。その動作も若々しいというよりはいまだ戦地にいるような緊迫があふれていた。
そのまま一八は玄関へと向かう、まさか裸で外出するわけもないだろうと特になんとも思わず横を通過させる。すれ違う瞬間に何か火花のような視線を向けられ
るかと仁は思ったがそんな事は無く、いなかったかのように振舞われ肩透かしを食らう。
一八が向かった先の玄関では呼び鈴を押しもせず、鍵が開く音がした。部屋の住人はここに二人揃っている、誰かが新しく入ってくる可能性はゼロだ、仁の頭が
混乱していく。
(――え?)
玄関の扉が開いた。
「遅い」
「それが義兄上の着替えをお手伝いに上がった、かわいい義弟に対する言葉か」
「フン、減らず口は一丁前だな。さっさとしろ」
玄関ドアを開け、上がりこんできたのは三島一八の義弟である李超狼で、細い両腕には似つかわしくない巨大なスーツケースをそれぞれ片手に二つずつ下げてい
る。
さっさとその場で李はスーツケースを開き、中に詰まっていた服を引っ張り出す。それを一八はフンと眉を持ち上げて見下ろしている。全裸で。
紫の燕尾服にはアレ、白いスーツにはコレ、ああでもない、こうでもない、私に任せろと言っている、貴様に任せて変態貴族にされてはかなわん、ああでもな
い、こうでもない…
完全に仁の存在が無かった事にされている。疎外感というよりは居心地の悪さを先に感じ、
「……何してるんだよ」
思わず咎める言葉を呟いた。
李が顔を上げ、額にかかった銀髪をサラリとかきあげながら、一八がわざわざ居たのかという顔を作りながら、
「着替えの手伝いだ」「着替えだ」
それぞれ恥ずかしげもなく答えた。
「貴様の視線がうっとうしいというのだ」
なぜだか誇らしげに李が微笑む。既に五十近いとは到底思えぬ美貌に含まれた棘はからかうように人を逆なでていく。
「俺の…視線だと…?」
「不毛だな、……風間仁」
どきりとするような言葉を吐いて、李超狼は艶然と唇を舐めて微笑んだ。
仁は硬直し、しばらくは何も考えられない。足元がぐらつく。
ほどなくして極道スペシャルに着替え終えた一八と李が出て行った。仁を置いて。行き先も告げずに。
「………………違う!!!」
たっぷり十分後、弾かれるように立ち直った仁は潔白を叫んだ。
叫びはむなしく白い壁に吸い込まれ、仁はうろうろとやり場の無い怒りを家事にぶつけるのだった。